(2)疑惑
◇◇◇
一方、救助された少女は艦長室へと運ばれ、シャインの寝台で眠り続けていた。
「怪我はなさそう。ちょっと大きなショックを受けたせいで気を失っているだけみたい」
ロワールの言葉にシャインはほっと胸をなでおろした。
エルシーア近海で大型船が積む物資や手紙の運搬をするロワールハイネス号には常勤の軍医が乗っていない。遠方へ航海する時だけ臨時の軍医が乗るのだ。
しかも相手はまだ十代とおぼしき少女。人の心が読めるロワールの存在をシャインはありがたく思っていた。
「悪いけどロワール、彼女の様子を看ていてくれないか。彼女の意識が戻ったらすぐ教えてくれ」
「わかったわ。しばらく安静にさせとけば、そのうち気付くと思う」
ロワールは黄昏の海のような紅髪を揺らして微笑んだ。
その微笑に微笑で応えつつ、シャインは艦長室を出て、隣のジャーヴィスの部屋へと行った。
話し声で少女の眠りを妨げたくなかったからだ。扉を叩くとジャーヴィスがすぐにそれを開けた。
艦長室と違って副長室は窓が無くとても狭い。ジャーヴィスは自らが寝台に腰掛けて、シャインは用意された椅子に座った。
「……それにしても、シスリアル号を襲撃したのは何者でしょう。大砲を積んで武装した船に襲われたのは確かですが」
最初に口を開いたのはジャーヴィスだった。生真面目な顔をさらに曇らせ、白手袋をはめた両手をぎりと握り締めている。
「わからない。俺達は取りあえず、エルシーア南海方面で消息を絶ったかの船の痕跡を探すのが任務だった」
ジャーヴィスは鋭くシャインを見つめる。
「けれど私には理解できませんね、今回の任務」
「え?」
呆けたようにシャインは呟いた。ジャーヴィスはいらいらと上官をにらみつけている。
「え、じゃありませんよ、グラヴェール艦長。シスリアル号は何千隻といるエルシーアのいち商船ですよ? その消息をわざわざエルシーア海軍の我々が探すなんて考えられる事はただ一つ。あの船は特別な「何か」があるってことでは――」
「……」
確かにジャーヴィスの言う通りだろう。
まさか家族から捜索願が出ていた、というわけではないだろう。
そこまでエルシーア海軍は暇ではない。
ドンドン、と副長室の扉を叩く音がした。
同時にシャインはロワールの声をきいていた。
『あの子の目が覚めたわよ』
「入れ」
ジャーヴィスの返事と同時に扉が開き、そこには金髪のクラウス士官候補生が立っていた。
「ジャーヴィス副長! あの子が……あの助けた女の子の目がさめました!」
シャインは静かに席を立った。ジャーヴィスも寝台から立ち上がる。
「シスリアル号に何があったのか、彼女からそれを聞くことができるね」
「艦長、そのことですが……彼女への質問は私にさせていただけないでしょうか」
シャインは無言でジャーヴィスを見つめた。
「外傷はなさそうでしたが、彼女が倒れていた甲板の近くには大勢の水兵たちが惨殺されていました。あんな目にあったのです。襲撃の恐怖で心には大きなショックを受けているはずですから、彼女に接する人間は少なければ少ないほどいいと思います」
「そうだね。君の言うとおりだと俺も思う。じゃ、彼女の様子に気を付けつつ、話をきいてみてくれ」
「わかりました」
「あ、そうだ。クラウス、彼女にシルヴァンティーを作ってあげてくれないか」
「はい。じゃ、すぐに作って艦長室に持って行きます」
「頼んだよ」
シャインは食堂に向かうクラウスの背中を見送ってから、ジャーヴィスに自分は甲板にいるからと伝えた。
◇◇◇
少女の小さな唇が、やわらかな湯気と香りをあげるシルヴァンティーを啜る。
ジャーヴィスは寝台の横に置いた椅子に座り、彼女と二人きりで話をした。
ロワールハイネス号は軍艦でしかも男ばかりだから。
「あなたが私を助けてくれたの? ありがとう」
ジャーヴィスの心配をよそに少女はお茶で体が温もったのか、頬をほんのり赤く染めてアビゲイルと名乗った。十八才になったばかりだという。
アビゲイルは海水で強張った白い綿の服に膝丈のズボンを穿いていた。まるで商船の下働きの少年のような格好で、背中の中ほどまで伸ばされた漆黒の髪も無造作に一つに束ねられていたのだが、形のきれいな丸い瞳といい、赤味を帯びたふっくらとした唇といい、本当はどこか良家の娘ではないだろうか。
謎めいたシスリアル号で唯一生き残った美しい少女――アビゲイルの口調は落ち着いたものを感じたが、ジャーヴィスは彼女の体が小刻みに震えていることや、青い瞳が周りの様子を窺うように怯えた光を宿しているのを見て、今、シスリアル号の襲撃の話を聞くべきではないと察した。ただ、本当に怪我をしていたら大変なので、体の具合を尋ねた。
アビゲイルは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに首を横に振った。
「私は大丈夫です。よく覚えてないけど……船が大きく揺れたので、それで、どこかに頭をぶつけて、それで倒れたんじゃないかと……」
「わかった。今日はもうこれぐらいにしよう。体を休めてくれ。君は何も心配しなくていい」
ジャーヴィスはアビゲイルに横になるように言い、艦長室からそっと出た。
◇
翌日。
ジャーヴィスはアビゲイルのために料理の腕を振るう事にした。
シルフィードが朝一番に釣り上げたマルゴという白身魚と大王イカをさばき、エルシーアの伝統的料理のフルコースを作った。
余談だが、それはロワールハイネス号の乗組員の分まであったので、シャインはもとより水兵達が大いに喜んだ。
アビゲイルは寝台から起き上がり、船の上でこんな豪勢な料理が食べられるなんて素敵、とジャーヴィスを褒めた。彼女の食事が済んでから、ジャーヴィスはアビゲイルにロワールハイネス号の艦長を紹介したいがいいだろうかと伝えた。
「あなたじゃなかったの?」
「私は副長だ。君は大変な目に遭ったから、まず対応は私だけの方がいいと思ってそうさせてもらったのだ」
「……紳士なのね」
ジャーヴィスは目を伏せながら頭を振った。
「では艦長を呼んでくるので、ちょっと待っていてくれ」
アビゲイルは素直にうなずいた。
◇
甲板にいたシャインにアビゲイルのことを報告し、ジャーヴィスは再び艦長室へと戻った。艦長室と寝室を区切る水色の布のカーテンを引き、ジャーヴィスはシャインと共に中に入った。
アビゲイルは寝台に身を起こして、ジャーヴィスの隣に立つシャインへ視線を向けた。
「ロワールハイネス号のグラヴェール艦長だ。艦長、こちらはアビゲイル・スターマイン嬢」
シャインはアビゲイルと視線を合わせると、そっと金髪の頭を下げて挨拶した。
「アビゲイルさん。お加減はいかかですか。何か欲しいものがあったら、遠慮なく言って下さい……と言いたいところなんですが、無粋な軍艦なのである程度のご不便はご容赦下さい」
シャインの態度は上流階級の令嬢に対するように丁寧だ。
そこまでする必要はあるのだろうかとジャーヴィスが疑問に思った時、アビゲイルの顔が青ざめ、赤味を帯びた小さな唇が震えていることに気付いた。
「……グラヴェール……」
喘ぐ様に、喉の奥から搾り出すようにアビゲイルが呟く。
「どうした? アビゲイル?」
アビゲイルの異変にジャーヴィスは思わず声をかけた。
「嫌、出ていって! 早く!」
アビゲイルが髪を振り乱しながら叫んだ。シャインから顔をそむけ、クッションにそれを埋める。小柄な背中で漆黒の髪の束が揺れた。
「アビゲイルさん――」
「出ていって! 出てったら!!」
シャインの声を上回るほどの金切り声を上げてアビゲイルが叫ぶ。
「ジャーヴィス。俺は一旦ここを出る」
シャインがジャーヴィスの肩に手を置き耳打ちした。
「あ、はい」
彼女が何故興奮しているのかわからないが、シャインは困惑の表情を浮かべたまま部屋から出て行った。
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