番外編(中編作品)

シスリアル号奇談

(1)謎の少女

「……嫌な所へ出くわしちまったぜ」


 ロワールハイネス号の舵輪を握るシルフィードが、無精ひげを生やした口元を歪めて心底嫌そうに呟いた。彼の隣に立っていたジャーヴィスはそれを聞き流しつつ、前方の海上で漂流中と思しき中型の商船を見つめた。


 丸い船尾を持つ船体はロワールハイネス号より一回り以上大きかったが、かの船は海賊に襲撃されたのか、三本あるマストの内、最後尾のミズンマストが中ほどでぽっきりと折れており、帆もあちこちがずたずたに破れ、船首は波を被り今にも海中へ沈んでいきそうである。

 そして甲板は静まり返っており、人の気配が全くなかった。


「ジャーヴィス副長、あれがそうか?」


 ジャーヴィスは後部甲板へ上がってきたシャインにうなずいてみせた。


「はい。見張りのエリックが船名を確認しました。我々が探していた商船・シスリアル号です」

「……」


 シャインは風に舞う金色の前髪を右手で押さえながら、くだんの船を冷静にみやると、一瞬青緑の瞳を細め唇を噛み締めた。


「何者かに襲撃を受けたようだね」

「ええ」


 ジャーヴィスは短く返事をした。疑問と怒りを抑えながら。

 ここはアスラトルから約一週間ばかり南下した海域でエルシーア海軍の縄張りともいえる。

 そこでエルシーア国籍の商船が何者かに襲撃され、船が沈みそうになるほどの被害を受けたのだから、いい気持ちなどしない。

 シャインが商船を見て眉間をしかめたのは、ジャーヴィスが感じたものと同じことを彼も感じたからだろう。シャインは沈みかけた商船から視線を引き剥がし、ジャーヴィスに命じた。


「船体が左舷側に傾いて船首から沈みそうだが、中に入って調べる時間はありそうだ。クラウスをロワール号に残して、俺と君、それからシルフィードとエリックでシスリアル号に乗り込もう」


「そうですね。でも急いだ方がいいと思います」


 ジャーヴィスはシャインと視線を合わせると、直ちにシスリアル号へ乗り移るための準備をシルフィードに告げた。





 ◇◇◇





 シルフィードがその大柄な体格を生かし、長い腕を伸ばしてシスリアル号の転向索ブレースから下がる上げ綱を掴む。それを頼りに雑用艇をシスリアル号へと寄せて、最初はシャイン、次はジャーヴィス、エリックの順番で甲板へと乗り込む。


 ジャーヴィスはやや左舷側に傾いた甲板に戸惑いつつ、船縁を掴んで倒れないよう体勢を整えた。

 まるで人間があげる呻き声のように、ぎしぎしと足元の板がしなった。

 火災も発生していたのだろうか。いぶされた煙のようないがらっぽい臭いが鼻をつく。足元は帆の上げ綱が至る所に散乱しており歩きづらい。

 やはり甲板に人の姿はなかった。乗組員は全て殺されてしまったのだろうか。



「ジャーヴィス副長。君は船首まえを見てきてくれ。俺は船長室うしろに行ってみる」


 シャインの声にジャーヴィスは慌てて後方を振り返った。

 青い航海服のケープを翻してシャインが船尾へ向かおうとしている。


「艦長、お一人では危険です。私も行きます」


 ジャーヴィスは内心ため息を高速でついていた。

 シャインはとかく一人で行動する事を好み、その結果いつもジャーヴィスは振り回されるのだ。

 けれどジャーヴィスの心配をよそにシャインの声は落ち着いている。


「俺は大丈夫だ。でも船首は沈みかけていてそっちの方が危険だ。だから早く行ってくれ」


 やれやれ。

 またいつも通りになってしまうのか。


 そう思いながらもジャーヴィスは、振り返ったシャインの瞳が、一瞬凄みを帯びて光るのを見た。まるでついてくることを絶対に許可しないといわんばかりの鋭い眼光だった。


 ひとりでやりたいのならやればいいでしょう。

 確かに危険なのは、波を被っている船首こっちの方だ。


「艦長、一人で船尾に向かいましたよ。俺がついていきましょうか?」


 ジャーヴィスはシルフィードに首を振った。


「船尾は艦長に任せて、お前とエリックは私についてこい」


 ジャーヴィスは歯軋りしながらシルフィードとエリックを連れて、フォアマストの後にある開口部ハッチから船首の下甲板へと降りた。立てかけられた梯子を降りたジャーヴィスは、ブーツを履いた右足が水音を立てたことに内心驚いた。くるぶしのあたりまで海水が溜まっているのだ。下甲板は開口部ハッチから入り込む光しか光源がなく薄暗くて視界が悪い。


「滑らないように気をつけろ。シルフィード、エリック」

「はい」


 小柄で動きの素早いエリックが小鼻をひくつかせながら辺りを見回す。


「そこ、水夫が倒れてるぞ。足をひっかけて倒れないように気をつけろ」

「……へい」


 シルフィードが大柄な体のくせに、それを縮こませて足元に倒れている商船の水夫と思しき男の死体を避けて歩く。水夫達が食事をしたり、ハンモックを吊って仮眠をとる大船室には、他にも六人ほどが事切れて床に倒れていた。


「皆、刀傷を受けてるな」


 若い水夫の体を仰向けにしたジャーヴィスは、その胸からばっさりと斜めに走る大きな傷を見て頭を振った。その時だった。


「ジャーヴィス副長、前見て下さい! 誰か、倒れてる」


 ジャーヴィスはあきれながら立ち上がった。

 そこらじゅう倒れた水夫の死体だらけだ。


「エリック、落ち着け」


 その時エリックがジャーヴィスの航海服の裾をぐいと引っ張った。


「ほら、あそこにいるのは女性じゃないですか?」

「何?」

「もう! ほら、こっちです」


 ジャーヴィスはエリックが袖口を引っ張るままに任せて船内を歩いた。倒れた樽や帆布をかきわけるとその合間から、青白い肌をした長い黒髪の少女が、乾いた床の上に仰向けで倒れているのが見える。


「生きているのか?」

「確認します!」


 エリックが身軽さを生かして少女の所まで先に行った。

 棚から落ちた帆布の山と角材の間に身を滑り込ませ、少女が倒れている僅かな空間へ入り込む。

 エリックは軽く開かれた少女の口元に手を当て、生命のしるしを確認する。


「副長! 息があります!」

「わかった。シルフィード、お前はこの木材をどかせ。このままでは瓦礫が邪魔で彼女を引っ張り出す事ができない」

「は、はい!」


 ジャーヴィスとシルフィードは夢中で目の前の帆布や角材、水兵たちが使っていた衣装箱などを引き抜いた。すると人一人が通れるほどの空間が確保できた。


 エリックとジャーヴィスは慎重に少女の体を瓦礫から引きずり出した。

 外傷があるかどうかは船内が薄暗いせいもあってわからない。

 けれど息はあるし体も温かい。

 ジャーヴィスは内心安堵しつつ、彼女を雑用艇に運ぶようにシルフィードとエリックに命じた。

 自分は生存者の少女がいたことをシャインに報告するため、一旦上甲板に出てから、船尾にある船長室へと向かった。




 ◇◇◇




 シャインは迷わずに船長室へたどり着くと扉を開き、中には入らず、その場で立ち止まった。部屋には一人の男が壁に寄りかかるようにして、座り込んでいるのが見えたからだ。


 体格は中肉中背。緩やかにうねる髪は黒。頭を胸にうずめるようにがっくりと落とし、黒いブーツを履いた両足を広げた体勢だ。

 シャインはその男が身動きしないことから、すでに事切れていると思い近寄った。


 恐らくこのシスリアル号の船長だろう。室内は荒らされたせいか、それとも襲撃を受けて戦ったせいか、棚から本や小物が落ちて床にそれらが散乱していた。壁に寄りかかる男は微動だにせず、脇腹の白いシャツは真っ赤な血で彩られていた。恐らく致命傷となる弾丸をそこに受けたのだろう。


 シャインはふと男の上着の内ポケットから、油紙で包まれたものが飛び出ている事に気付いた。着ている上着と同じような色をしているので、よくよく見ないとわからなかったが。

 シャインは船長室に入った。男の傍に近づいて、上体をそっと屈める。

 右手を伸ばして男の上着を探り、その包みを手にして引き抜こうとした時だった。

 事切れていたと思っていた男の目がカッと見開かれた。

 獣のような低いうなり声をあげながら。


「……!」


 シャインは自分でも驚く程冷静に、死にかけた船長と思しき男を咄嗟に手で突き飛ばしていた。

 男はそれで最後の力が尽きたのか、がくりと再び胸に頭を埋めた。その右手に短剣が握られているのをシャインは見た。


「……」


 シャインは身構えつつ手にした油紙の包みを航海服の内ポケットに収めた。

 いつまた男が襲い掛かってこないだろうか。

 それを懸念しつつ船長室を後にする。


「グラヴェール艦長!」


 背後でジャーヴィスの声がした。

 ジャーヴィスはシャインのそばに駆け寄ると嬉しそうに半ば頬を緩めつつ報告してきた。


「船首にて生存者の少女を発見、本船へ運びました。こちらは……」


 シャインは首を振った。


「船長室に船長がいたが、腹部を銃で撃たれすでに死んでいた。もうこの船で調べる事はないだろう。浸水も進んでいることだし、ロワールハイネス号に戻ろう」

「はい」

 



 ◇




 シスリアル号は日没を待たずして沈んだ。

 それを見届けてからシャインは甲板に集めた水兵たちに、今回の任務が完了したことを告げた。


「シスリアル号は残念な結果だったけど、かの船を見つけることはできた。よってロワールハイネス号は、これよりアスラトルへ戻る」


 シャインの言葉に乗組員達はただうなずいた。

 ただし、かの船が何故あのような姿になり海に沈んでしまったのか。

 皆疑問には思っていたが、その場では誰も口にしなかった。


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