岬け家訓第44条『死を想ったら今を生きよ』

 緑ちゃんの肩をかり、やっとのことで前に進むことができるようなありさま。

 足に力がまったく入らない。前に進もうとしても、どろの中にはまったようにからだが言うことを聞かない。

「優依ちゃん、なにが起きて……」

 ゴオオオオ……ドラゴンのうなりごえのような振動が校舎全体をゆらす。

 緑ちゃんも、実感はできていないけど、どうやら危ない状況だということはわかっているようだった。

 しかし、肝心のわたしがこんなありさまなので、遠くへ逃げることはむずかしい。

 そこに、「7-1」というプレートが目に入ってくる。

 わたしと緑ちゃんはうなずきあい、いったんそこに避難することに決める。

 わたしがまだなんとか言うことを聞く腕でドアにタッチすると、ピッと音が鳴り、あき教室はべつの空間へとつながる。

 教室に入ると、わたしと緑ちゃんは、思いきり床に倒れこんだ。

 からだが動かせないわたしを、一生懸命ここまでひっぱってきた緑ちゃんも、そうとう大変だったらしい。

「どうしたんですか、ふたりとも」

 七つの席のひとつには、6年生で生徒会長の飯田紫苑先輩が座っていた。

 ちなみに、背後にはシオン先輩の死神であるロックもひかえていた。

「シオン先輩、ミナミさんが……」

 緑ちゃんがそう言っただけで、シオン先輩は苦い顔をする。

「それで、ヨルさんとレーコさんが食い止めているんですね?」

「えっ? は、はい。そうだと……思います」

「ロック、行ってきてくれる?」

「はあ? いやだね。あんなやつとまともにやりあうなんて、いくらオレでもやるわけないだろ」

 シオン先輩のお願いを断固拒否したロックだったが、シオン先輩はそれを責めることはしなかった。

「優依さん、ミナミさんの『気』をまともに受けてしまったんですね。わたしもいちどだけ、経験があります」

 シオン先輩は立ち上がってわたしのもとまでかけよってくると、やさしくわたしの背中をなでてくれた。

「だいじょうぶ。だいじょうぶです。ゆっくり息をして」

 言われたとおりに呼吸を意識して、シオン先輩のやわらかな手の動きに身を任せる。

「あ、ありがとうございます……うおっと」

 かなり楽になってきたので立ち上がろうとしたのだが、まだ足がぶるぶる震えて、よろけてしまう。

「無理はしないで。しかし、困ったことになりましたね……」

「あの……なにがどうなってるんです?」

 緑ちゃんがそう言うと、シオン先輩はちょっとだけ笑った。

「わたしはなんでも知っているわけじゃないんですよ。なにがあったのかは、ふたりに話してもらわないと」

 それもそうかと緑ちゃんと顔を見合わせる。

「えっとですね、まず美砂ちゃんが……」

 緑ちゃんが短く、だが正確にさっき起こったことを説明する。

 それを聞くとシオン先輩はううむ……とむずかしい顔になっていく。

「そうですね。まず、目の前の危機として、レーコさんとヨルさんが消滅させられてしまう可能性があります」

「は?」

「はあ!?」

 緑ちゃんが見たこともない形相で、シオン先輩につめよった。

 本気でびっくりしたというより、怒っていると言ったほうが正確な、今にもシオン先輩の首ねっこをつかんでしまいそうな勢いだ。

「落ち着いて。ミナミさんは、それだけおそろしい相手だということです。もちろん、わたしたちが知っているとおり、ミナミさんはおだやかでやさしいかたですが……」

 こういうとき、わたしは自分が転校生なんだなあとしんみりする。

 っと、いけないいけない。今はそんなふうにしんみりしている状況じゃなかった。

「ミナミさんは……本物なんです」

「本物……?」

「そう。ミサキ小学校にとりつく死神のうち、ただひとり、『本物の死神』なんです」

 ヨルさんやイッペンさんは、自分たちは「死神」を名乗っているだけだと言っていた。

 つまり死神と言っても、それはわかりやすい肩書きのようなもので、ひとの生死を操れるような力は持っていない。

 だけど……本物?

 それって……。

「ミナミさんには、ミサキ小学校の全員がたばになっても勝てません。本物ですから」

 あっさりそう断言するシオン先輩。だからさっき、ロックが助太刀に向かうことを拒否してもなにも言わなかったのだ。

 本物だから。

 だれも、勝てない。

「ど、どうするんですか! ヨルルンとレーコさんはその、勝てない相手と戦っているわけなんでしょう? それなら、すぐに止めないと!」

「まちなさい。美砂さんが、ミナミさんにお願いしたことは……優依さんをやっつける、ということだったのでしょう」

 わたしはこくりとうなずく。

「ミナミさんは本物であるために、ゆうずうがきかないというか、契約に強くしばられてしまうんです。つまり、お願いを達成するまで、ミナミさんは止まりません」

「それって……」

 緑ちゃんが青い顔で、青を通り越して白くなっているわたしの顔を見つめる。

「そして、死神の価値観で、『やっつける』ということがなにを意味するのか……これは、ミナミさんに直接聞いてみなければわかりませんが……」

 死神が、やっつける。

 そんなもの、すぐに思いついてしまう。

 だって、死神だ。本物の、死神だ。

 命を、うばうくらい……するでしょ。

「……岬け家訓第44条」

 かみしめるように、腹の底から、気合いといっしょに、しぼりだす!

「『死を想ったら今を生きよ』!」

 からだの中でぐるぐる回っていた、恐怖や震えも、ぜんぶまとめてはきだした気分。

 ふん! と、鼻息荒く立ち上がったわたしを、緑ちゃんが静かに見上げていた。

「……あのですね、優依さん。気合いを入れたところ悪いんですが、さっきも言ったとおり、ミナミさんに勝つ手立てはこちらにはないんですよ?」

 がっくし。

 そうでした……わたしが命を張ろうが、ミナミさんにだれも勝てないんじゃ、がんばり損じゃないですか……。

「じゃ、じゃあ、どうすれば……」

 おろおろとあたりを見わたす緑ちゃんに、シオン先輩は真剣な顔つきで、きびしく問いかける。

「緑さん、あなたに、優依さんのために命をかける覚悟は……ありますか」

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