影放師~日陰最強君と、狐耳高校デビュー女子~

白星 敦士

日陰最強君と、狐耳高校デビュー女子

――拝啓、田舎のお父さん、お母さん。


――私は今、あこがれの東京にいます。


――建物は全部が首が痛くなるほど見上げないと天辺が見えないほど高いです。


――歩く人たちも地元とは全然違って速くて目まぐるしいです。


――東京駅の中はとっても近代的な感じなのに、赤レンガの外観はまるでそこだけ別世界で、本当に同じ場所なのかと不思議な感覚にとらわれてしまいました。



「わっ……っとと!」



ビル風、という奴かな。


被っていたフードが脱げそうになるほど強い風が吹いて慌てて抑える。



「う~……まだ来ないのかな?」



スマホを見れば、もう待ち合わせの時間を五分過ぎてる。


都会の人って五分前行動が当然だって聞いたんだけど……


周囲を見回しても、いまだに人は来ない。



「……もしかして騙された?」



あり得る。


だって、まぁ……こんなの普通じゃないし……いくら他に当てが無かったからって、やっぱりあんな胡散臭いものに頼るべきじゃなかったんだ。



「帰ろう……」



この際、用意していた依頼料を神社でもお寺でもよって、ご利益のありそうなお守りとか一通り買い集めた方が建設的な気がする。


そう思ってその場を離れようとした、その直後――



百知美月ももちみつきさんでしょうか?』



やけにくぐもった声で、名前を呼ばれた。


――もしかして、本当に来た!


そんな期待を胸に、私は振り返る。



「は、はいそうで――……す……!」



直後、私は絶句した。


言葉も出ない、なんて表現はまさにこんなものなのだと実感した。


今は春のうららかな午後


確かにまだ少し肌寒いが、長袖を着ていれば十分な陽気だ。


だというのに、だというのに……



――今、私の目の前には頭にツバ広の帽子、サングラス、大きな風邪用マスクにマフラー、さらに厚手の生地の黒いコート、手袋、ブーツ、さらには日傘まで刺したどこからどう見ても不審者がそこにいた。



『初めまして。


依頼内容を伺いにまいりました倉持心霊相談事務所の……って、あれ?』



話を聞いたりなどしなかった。


私はすぐさまその場から踵を返し、目の前の不審者がいる方向とは反対方向にダッシュで走り出した。



『あの、百知さーん、待ってくださーい!!』


「ひ、ひぃいーーーーーーーーーーー!!」



追ってくる! あの不審者が追ってくる!!


春は不審者が出やすいとどこかで聞いたことがあるけど、まさかそれが目の前に現れるなんてぇーーーーー!



「うぇーーーーーーーーーーーー! 東京怖いよーーーーーーーーーーーーーー!!!!」



兎に角、急いで逃げなければならない。


そう思って走るのだけど……



『百知さーん』



あの不審者、あんなに着込んでるのに意外にも速い。


このままじゃ追いつかれる。


そう思って私はふと暗い路地裏の前で足を止めた。



「……!」



このまま真っすぐ進んだんじゃいずれ追いつかれる。


でも、暗い道は…………ううん、考えてる場合じゃない。


まだ明るい時間だから大丈夫なはず……!


私は自分にそう言い聞かせて暗い道へと足を踏み出す。


――踏み出して、足が動かなくなる。



「え」



恐怖で足がすくんでしまったのか、そう思って足元を見たら、違った。


私の足元に、黒い何かが絡まっている。



『そこは奴の縄張りなので、それ以上踏み込むと襲ってきますよ』


「ひっ」



声がした方向を振り返ると、あの不審者がそこにいた。


しかしその男は何をするでもなく、私が進もうとした方向を指さす。



「? …………ひっ」



そして気付く。


私が進もうとした路地裏。


その奥底で真っ黒な大型犬が牙をむいて佇んでいた。


さ、さっきまでいなかったはずなのに……



「――失せろ」



先ほどと違ってハッキリと聞き取れる、冷たい男の声。


振り返ってみると先ほどの不審者がマスクを外していた。



――GRRRR……



路地裏の黒い犬は、唸り声をあげるとそのまま姿を消して去っていく。


その呆気ない幕引きに、私は呆然として、その場で座り込んでしまった。



『いらない手間、かけさせないでもらえませんか』



そう言いながら日傘を持つ方とは別の手を私に差し出す彼


いつの間にか足に絡まった黒い何かはもうなくなっていた。


そして立ち上がろうとした時、風が吹いた。



「あ……」



隠そうと思ったときには、もう手遅れだった。


被っていたフードが外れてしまう。



『……なるほど、やけに犬の警戒が強いと思ったら』



慌ててフードを被り直したけど、ばっちり見られた。


彼は驚きもせず、むしろ納得したような目で私を見る。



『ここまではっきり見える“狐憑き”は珍しい。


一体何をやらかしたんですか、君は?』



私の変化した、人間のそれとは違う動物のような毛の生えた耳を見て、彼はそう言ったのだ。






場所は変わり、私たちは近くの喫茶店にいた。



『もう少し奥の席が良いんですけど……』


「……暗い所より、日向がいいです。


一応……私、お客様ですよ。こちらの意向は、汲んでください」


『はぁ……わかりました』


「あと……その格好どうにかしてください」



室内であるにもかかわらず、目の前の人物は相変わらずのフル装備の不審者である。


店内ではほとんどの客が彼? を見ており、店員なんかは通報の準備をしてるっぽい。



『……脱げと? こんな日向で?』


「日向でも日陰でも、空調の聞いてる店内なら関係ないでしょう。


できないというなら、帰らせていただきます。


あなたみたいな不審者と、本当は一瞬でもいたくないんです」


『このアマ…………ちっ、わかりました、脱げばいいんでしょう、脱げば』



そう文句を言いつつ、ようやく彼は来ていたコートを脱ぎ、帽子をサングラス、マスクと一通り外した。


出てきたのは、街中で見かけても不自然ではないシャツとカーディガンにスキニージーンズの若者になっていた。


……初めからこっちの格好でくればよかったのにと思う。


見た目は短めの髪に、整った顔立ちで…………まぁ、結構イケメンだと思う。


でも、さっきの不審者のイメージが強すぎてとても恋愛対象には見れそうにない。




「……自己紹介が遅れました。


自分は土屋晴彦つちやはるひこ


倉持心霊相談事務所の社員で、今回のあなたの担当を受け持つことになっています」



言葉は丁寧だが、表情が凄い嫌そうだった。


――私だって嫌なの我慢してるのに……なんなのこいつ、さっきから自分のこと棚に上げて……!


という不満はぐっとこらえる、大人な私。


手渡された名刺は、名前と事務所の名前が載っている。だけど電話番号も住所もない、本当に名前だけの名刺だった。


怪しいけど……でも、さっきのあの黒い犬に対処したり、私の耳を見て驚いたりしなかったのを見る限り……今までで一番頼りになる人かもしれない。



「あの……先ほどは、逃げたりしてすいませんでした」


「ええ、まったくもって迷惑千万でしたよ。」


「っ~……」



彼はそう言って、アイスコーヒーを飲む。


……確かに逃げた私も悪いけど、もう少し言い方ってものがあってもいいんじゃ……


私は出されたカフェオレを飲もうとして……



「あちっ……」



ちょっと熱かった。もう少し冷ましたほうがいいかもしれない。



「猫舌ってやつですか?」


「……狐なのに、とか思ってるんですか?」



この耳のことを知ってる人はみんな同じことを言うから、正直飽き飽きしてるのに……



「狐はイヌ科に該当しますけど、習性はかなり猫と近いらしいですよ」


「え……そうなの?」


「夜行性で、光で眼が細くなったり、木に登ったり、単独で狩りをし足り、狐を好んで狩ったり……むしろ犬とはあまり仲良くないですかね」


「へ、へぇ……」


「それで……依頼の内容の詳細の確認をしたいのですが……最初は、御祓いと伺っていましたが……反応を見るにあの黒犬についても何か知ってますよね?」


「あの犬は……上京してから割と暗い時に出てきます。


でも……少し逃げたらそれ以上は何もしてこないので。


あと、まだ明るいから、きっと大丈夫だと思ったんですけど……」


「そりゃ、あのあたりに住み着いてるのは一際強い奴ですから、今まで百知さんが会ったやつとは比べ物になりませんよ」


「……はい?」



思わず耳を疑った。



「その言い方だと……まるで、私がさっき見た奴と今まで遭遇したのが別のもののように聞こえるんですけど……」


「別物ですよ。ただ同じ種類ってだけで、あの手の動物霊は都内にわんさかいます。


で、さっきの通りはその中でもひときわ強いのが住み着いてるってことでうちの業界ではちょっと有名なんです。


霊感の無い人でも、あの通りは無意識で避ける位力が強力な霊で……普通はあそこを通ろうなんて本能的に考えないはずなんですけどね」


「あれって……一体何だったんですか?」



これまで何度か遭遇してるけど、地元にいた時は見たこと無かった。


……一体あれってなんだったんだろう?



「具体的にこれっていう固有名詞は特にないので見た目通りに黒犬とか、影犬とか、闇犬とか好き放題呼んでますけど……大別的には“犬神”の一種とされてますね」


「犬神……神様なんですか? あれが?」


「神の定義は色々ありますけど……日本の八百万やおよろずの考えで言えば神と言えなくもありませんね。


発祥は諸説ありますが、メジャーなのは西日本、とくに四国で有名な呪詛により作り出された怨霊です」


「呪詛の、怨霊って……えっと、あの藁人形に五寸釘……みたいな奴ですか?」


「丑の刻参りですか……あれは色々と有名でお笑いとかのネタにされることもありますけど、専門家として言わせてもらうと冗談抜きで危ないのでやめて下さいね」


「やりませんやりません……!」


「まぁ、犬神もそういう類でして……飢餓状態の犬を拘束してその前に食べ物を置いて、餓死寸前まで放置。


で、死ぬ直前で首を切って、斬られた首だけになった犬が食べ物に食らいついて絶命する。その首を燃やして灰にしたものを奉るというものです。


あまりに残酷なので平安時代ですでに法律で禁止されたものです」


「それは……どうしてそんな酷いことを?」


「一応、犬神に憑かれた家は富と繁栄がもたらされるという認識があったからですよ。


まぁ……基本的にそういうのは犬神にした後かーなーり手厚く奉った場合で、大体は恨まれて子々孫々ししそんそんと犬神に祟られて噛み殺されるパターンがほとんどです。


そもそもそんな死んだ犬を奉るのなんてできるの、よっぽど裕福な家庭なわけですから、犬神なくても普通に富と繁栄があったのでしょうけどね」


「それは……なんか身も蓋もないですね」



平安って言うと、貴族で犬神として殺されてしまったワンちゃんも可哀そうだし、貴族の道楽を信じて犬神を奉って殺された貧しい人たちも……なんか可哀想。


でも……そうなるとちょっと不思議というか……今時わざわざそんな呪術をする人がいるのかな?



「……じゃあ、あの黒い犬はなんなんですか?


もしかして、その呪詛をまだやってる人がいるんですか?」


「いえ、黒犬は保健所とかで処分されたり、生前虐待されたりした飼い犬とか、そういう犬の霊の集合体ですよ。


犬神の呪詛のような手順もなく、純粋に人間の都合で命を奪われた動物たちの怨念なので……本家本元より人間への敵意はありますね。というか、人間へは敵意しかもってません」


「……もしかして、私、そうとう危ないことしてました?」



恐る恐る私が尋ねると、土屋晴彦さんはコーヒーの入ったグラスのストローをくわえながら赤い目を半分開いてこちらを見る。



「ちょっとシャレにならない怪我はしてもおかしくはありませんでしたよ。


ですので、不本意ながらちょっと能力を日向で使わせてもらいました。


……おかげでちょっと怠いですよ、まったく」


「えっと……ご、ごめんなさい?」



能力って、あの黒い何かのこと?



「本来なら追加料金を請求したいところですけど…………………………まぁ、こちらの格好が原因なのでそこはお相子ということで」



物凄い不満そうだ。


……話す分には普通かと思ったけど、この人絶対に守銭奴だ。


油断しないようにしなくちゃ危ないかも。



「……まぁ、黒犬は人間を憎んでいる一方で生前の記憶から同じくらい怖がってるので、基本は縄張りに入らない限りは襲ってこない連中ですよ。


それでも百知さんが襲われた原因は……狐が自分たちの縄張り迫ってきたからと、余計に気を荒立てたのが原因ってところでしょうかね」


「え……じゃあ、この耳がどうにかなれば犬の件も解決ってことですか?」


「少なくとも、近づかなければ襲われないはずですよ」


「よ、よかった……!」


「ですがその前に……そもそもどうしてあなたは狐憑きに?


誰かに呪われた心当たりでも?」



その質問に、私は「うっ」と言葉に詰まる。



「……その、実は……」


「実は?」


「……小学生の時、こっくりさんっていうのが私の地元で流行っていて」


「はぁ~……」



土屋さんはそこまで語っただけで、すべてを察したような飽きれた目で私を見ていた。



「もしかして、終了の手順を守らなかったんですか?」


「……はい、そのやってる最中に、先生に怒られてそのまま……」



こっくりさん


複数の友達と一緒にやる、ちょっとしたゲームだった。


五十音、はい、いいえ、男、女、そして鳥居を欠いた紙を用意し、コインを置く。そのコインに参加者全員が人差し指を力を込めずにおく。


「こっくりさん、こっくりさん」と呼んでから質問をする。


すると、誰も動かしていないはずのコインが勝手に動いて、質問に答えてくれるという遊びだった。


そして質問が終わったら「こっくりさん、こっくりさん、ありがとうございました。お帰り下さい」って言うと、コインが鳥居のマークの方に動いて、それで終了する。


その時、私はこれができなかった。



「呪詛の類は始めるより終わらせる方が十倍手間がかかるのに……最近はネットとかでさらに簡易化した方法が広まってしまうんですよね。


……しかし、本当にそれだけですか?


なんかもっと罰当たりなことしてません?」


「してません」


「本当に? 狐を奉ってる神社や祠の前でやった、とか、もしくは壊したとか、御供え物盗み続けたとか」


「してないですよそんなの。こっくりさんのあと、翌日にはこうなってたんです」


「……ふぅむ」



土屋さんは何か考えるように空になったグラスを置く。



「……ちなみに、耳以外の症状はありましたか?」


「…………自分でも、気付かないうちに夜中に遠吠えしたり……木に登っていたり…………あと……鼠を捕まえようとしてたり」


「うわぁ……がっつり狐ですね、それ」



ドン引きした目で私を見る土屋さん


その視線が、地元の人たちを思い出させる。



「………周囲からは私のそういう異常な行動が目立ってし……周りの人たちもどんどん離れてしまって……孤立してしまったんです」


「今もその症状は?」


「一昨年くらいから、抑えられるようになりましたけど……耳だって、消せてたんですけど、この街に来てから耳だけ戻らなくて……ずっとこの調子で…………もうすぐ入学式なのに……これじゃあ折角上京したのに、またあの頃に逆戻りで……」



語っていて物凄く悲しくなってきた。


いつの間にか私は泣いていて、体も震えていた。



「うち……あんまり裕福じゃなくて……でも、こっちの高校入学するため、凄い頑張って……親に迷惑かけないようにって、優秀な成績なら入学金免除っていう私立、頑張って合格したのに……なのに、こんな……こんな耳で全部台無しにされるなんて……!」


「……しかし、本当に何もしてないんですか?


明らかに症状を見ると、よっぽど狐に恨まれてもない限りそこまで強く疲れることはありえないですよ」


「っ! だから、私は本当に何もしてないって言ってるじゃないですか!」



――今まで、似たような相談を心霊に関してプロという人たちに話したことがあった。


その度に、今みたいなことを何度も言われた。


しっかり謝って、許しを請え。


そんなのもう、本当に飽き飽きで、何度も何度もやった。


だけど、それでも解決しなくて……なのに私が悪いみたいな言い方ばっかりで、そのくせ、お金だけはせびってくる最低な連中ばっかりで……!


そんな怒りから、私は思わず机を思い切り叩いてしまう。



「いってぇ!?」


「え?」



……すると、何故か彼は突然自分の頭を抑えながら悲鳴をあげた。



「おま、え……ふざけんな、いきなり……ホントふざけんなよ……!」


「え、ちょ……な、なんですか急に? 私、叩いてないですよ!」



そう、全然叩いてない。


私が叩いたのは、机であって、間違っても彼を直接叩くなんてことはしていない。



「ああもう……だから日向は嫌なんだ……!


とにかく……いったん机から手を放してください。


というか、僕の影に触らないで」


「影……?」



そう言われて気付く。


私が机をたたいた手を、よく見たら土屋さんの影に少し触れていた。


――えっと……もしかして……


ものは試しと、私は軽く、本当に軽ーく彼の影をもう一度叩く。



「ごはっ!」



それに呼応するように……というか、過剰なほどに土屋さんは前のめりになった。



試しに、通路の方に伸びている肩あたりの影を踏んでみた。



「いでででででででっ!?」



グリグリやったら、その通りに痛がった。


……これは……もしかして……というかしなくても……



「……影と、感覚がつながってる?」


「い、いいから離せ!」


「あ、はい……」



あまりにもありえない事態で呆然とした私は、怒鳴られるまま言う通りに彼の影から離れる。



「ああくそ……だから日向は嫌なんだ……!」


「……私も人のことは言えませんけど……土屋さんも呪われてるんですか?」


「これは生まれつきです。


はぁ……僕が厚着してたのは、こういう理由です。


影を踏まれるとその痛みが通常の数倍になって伝わってくる」



「何倍持って、そんな大げさじゃ……」



「実際に、普通に叩かれるより影を叩かれた方が痛いんですよ。


ただ、直の影より帽子とかコートとか被ってれば、その分だけ痛みが軽減するんです。


あと、ああいう格好してれば人が避けてくれるんで影を踏まれることもありませんし」



苛立った様子でそう語る土屋さん。


ギロリとこちらを睨んでくる。



「というか、痛いって言ったのに続けて叩くとかどういう神経してんですか?


やっぱりなんか余計なことして起こらせたから、そんな目に遭ってるんじゃないんですか?」


「なっ……だから、私はそういの全然してないから!」


「どーだかねぇ~


世の中、いじめとかもやってる本人たちは悪気はなかった~、とか言ってますし。


百知さん、あなたもそういう口なのでは? もっと自分の行動をちゃんと一から振り返るべきでは?」


「っ~~~~……!」



土屋さん……ううん、もうこの男の言動に我慢できなくなって、私は思わずまた机、というか影を叩く。



「いってぇ!?


何すんいだだだだだだだだだ!?」



グリグリと影をグーの手でこすりつけると、目の前の男は過剰に痛がる。


周囲からは奇異の視線を向けられるけど、もう知らない。



「もう結構です!


あなたみたいな変人に頼ろうとしたのが初めから間違いだった!


これ、コーヒー代! お釣りは結構です!」



財布から千円札を取り出し、これまた影の影に目掛けて叩きつける。



「ごはぁ……!」



彼は悲鳴とも言えない悲鳴を発してそのまま動かなくなった。


……もしかして気絶した? この程度で?


……カッとなって思わずキャンセル宣言したけど、正しかったかも。


この程度で動けなくなるような人が、私を助けられるとは到底思えないし……



「……はぁ……帰ろう」



私は動かなくなった土屋晴彦を放置して、陰鬱な気持ちのまま喫茶店を出た。


太陽が少し、傾いていた。





「はぁ、はぁ、はぁ……!」



どうしてこうなったの?


頭ではそんな混乱が渦巻く。


いつのなら、道を通せんぼして唸ってくるくらいで、私が別の道を通ればそのまま問題はなかった。


だけど……どうして?


あの黒犬が、私を追いかけてくる。


それも複数。


周りからは見えていいないから、私がタダ走っているようにしか見えないのだろうけど、今私は、少なくとも五頭の黒犬に後を追われている。



「なんで、なんで……なんで……!」



フードが外れないように抑えながら必死に走る。


どうしてこんな目に……どうして私ばっかり……!


そんなことを考えながら無我夢中で黒犬から逃げ続ける。



逃げ続けて……気が付けば、私は人気のないどこかの通りにいた。



「……はぁ、はぁ、はぁ……」



いつの間にか、追いかけてきていた黒犬がいなくなっている。



「……逃げ切れた……のかな?」



呼吸を整えながら、そんなことを呟く。


特に周囲から犬の唸り声とかは聞こえてこない。


もう安心だと、そう思った。



――GRRRRR……



「……え」



思った直後、また黒犬の唸り声が聞こえてきた。


声のした方を見ると、いた。


それも、今まで追ってきた奴とは違う。


明らかに大きくて…………というか、これ、あの路地裏で見た黒犬と同じ奴なんじゃ……!


そう思って周囲をよく見回すと、少し離れたとおりに見覚えがあった。


間違いない、土屋晴彦に止められた路地だ、ここ!



「誘導、されてた……どうして、なんで……!」



ゆっくりと下がっていくと、その分だけ……ううん、その分以上に目の前の巨大な黒犬はこちらに近づいてくる。


早く逃げないと危ない。


頭ではそう理解しているのに、足がもつれてその場で尻餅をついてしまう。



――GUOOOOOOO!!



それを待っていたと言わんばかりに、黒犬が飛び掛かってくる。


私の身体なんてあっさりとかみ砕いてしまうように思える、鋭い牙をむいて迫る。


――どうして私が、私ばっかりこんな目に……!


――誰か……誰か助けて、お願い、誰か……!



必死に、祈るように……ううん、私は必死になって祈った。


でも、私のその行動自体無意味だと言うように、黒犬が迫ってくる。



「い、や、いやああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



恐怖に耐えられず、悲鳴をあげた。



「――ピーピー騒がないでくださいよ、頭に響く」



不機嫌そうな声した。



――GUO!?



驚いたような黒犬の声。


思わず目を瞑ってしまっていたので、ゆっくりを開いてみると……あの巨体の黒犬が空中で静止していた。


ただし、その手足や胴体に、体毛とはまた別の黒い何かが巻き付けられている。



「大人しく帰ったと思ったら……なんで近場に、それもこんな路地裏にいるんですか、あなたは?」



近づいてきたのは、間違いなく土屋晴彦だった。


表情は呆れと怒りが半々という具体で私を見ている。



「ち、ちがっ……私、他の黒犬に、追いかけられて……それで、気付いたらここにいて……」



私がそう言うと、土屋晴彦から納得したような表情で、今度は黒犬を見た。



「……まんま狐狩りされたわけですか。


なるほど……まぁ、よく考えたらこいつってこの辺りの黒犬どものボスだったし……もともと百知さんの存在は知っていたんでしょうね。


それが目の前に来て、狩りの対象に選ばれたわけですか」


「そんな……私、何もしてないのに……」


「ボスの縄張りに、弱者の分際で近づいた……野生動物なら十分な理由でしょう」



彼はそう言いながら、黒犬のボスの額に触れた。



「一応、こちらのクライアントに手を出したわけだし…………そっちも狩られたって文句言えないよな」



――GUOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!



拘束されたままだったが、黒犬のボスが突如吠え出した。


そのあまりの迫力に私は肌が粟立つような感覚を覚えた。



――BOW!!

――GRRR!

――GUAAA!



どこに潜んでいたのか、私を追いかけてきていたであろう黒犬がいたるところから飛び出して来て、土屋晴彦の方へと殺到した。



「あ、危な――」

「ちょうどいい、そっちから来てくれて楽で助かる」



暢気な声でそう言うと、彼はパチンと指を鳴らした。


それを合図に、彼の足元から黒い何か――ううん、あの影が伸びてきた。


そして一瞬。


黒犬の姿が消えた。



「……………え」



何が起きたのか、まったくわからなかった。


ただ、その感情は私だけでなく、黒犬のボスも同じだったらしい。


犬ならが、目を見開いて唖然としているのがわかる。



「悪いけど、日陰はお前たちの領域じゃない。


なぜなら――日陰で、自分より強い奴は存在しないからだ」



淡々と、土屋晴彦は再び黒犬のボスの顔に手を触れる。



「お前たちは間違いなく被害者だ。


人間を恨むのは至って当然のことだ。


それを甘んじて受け入れるのが人間の義務だ。


だから積極的にお前たちを排斥はしないが……流石にこれは見逃せない」



――G、GRR……!



「狐狩りは、山でするんだったな」



そういうと、黒犬の身体に絡まっている黒い何か――土屋晴彦の影が膨張し始め、黒犬全体を包み込む。



――G



悲鳴すら上げられない。


黒犬のボスは、一秒とかからずに土屋晴彦の影に呑み込まれて、消えた。


残ったものは何もなく、ただただ静寂だけが残る。



「百知さん、自分、気絶してしまったのでまだ聞いてなかったんですけど……確認していいですか?」


「え、は、はい……なん、ですか?」


「依頼、キャンセルってことで処理して問題ありませんか?」



彼はじゃっかんうんざりした顔で、そう訊ねてきた。



「……どうにか、なるんです……か?」


「なりますよ。日陰にいれば、僕にできないことの方が少ないので」



あっさりと、そう言い放つ。


……もしかしたら、やっぱりこの人なら?


そんな考えが頭によぎる。


そして、私は…………






あの、忘れられない日から三日が立った。


うららかな陽気


温かな風が頬を撫でる。


私は今、フードも被らずに堂々と通学路を進んでいた。


田舎と違って満員電車とか人の多さにちょっと辟易とさせられるけど、この中学時代ずっと悩まされていた狐の一件が完全に解放された私にとっては些末なことだった。


そして今日は待ちに待った入学式。


ちょっと早い時間だけど、待ちきれずについつい早く教室に来てしまった。


クラス表を確認し、自分の教室へ入る。



『やぁ、百知さん』



物凄く見覚えのある不審者がそこにいた。


思わずその場でずっこけた私は悪くないはず。



「つ、土屋さん……ど、どうしてここに?」



そこにいたのは、間違いなく土屋晴彦さん。


三日前に私の長年の悩みだった狐を払ってくれた人だ。



『いや、ちょっと手違いがありまして……その弁償というか、保証という形で君の傍にいるように上司に言われて、緊急で入学してきたんです』


「手違い、保証って……あの、意味がわからないんですけど?」


『君の狐、自分が祓ったじゃないですか?』


「は、はい。


おかげさまでもう無事元通りですけど……」


『実はあれさ、守護霊だったんですよ』


「……はい?」


『いや、悪霊とかそういうのじゃなくて、むしろ神聖な霊験あらたかな狐さまだったそうです。


……なんか、もともと君に巫女の素質的なものがあってね、こっくりさんの影響で活性化してたらしくて』


「は、はぁ…………えっと……何か、問題でもあるんですか?


むしろ私にとっては邪魔なものがとれたって感じなんですけど……」


『ああ、まぁそういう反応になりますよね


守護霊って言っても生活に実害あったわけですし。


自分も能力のせいで普段着こうなのでよくわかります』


「あはは……お互い苦労してますね。


まぁ、でも気にしないで大丈夫ですよ。


守護霊とか別にいなくても全然」


『それがそうもいかなくて……この間みたいな黒犬とか、それよりヤバいのに狙われることになりましたけど……大丈夫ですか?』


「…………え?」


『いえ、ですから……三日前の黒犬も、あの狐様がいれば、自分が何もしなくても守ってもらえてたんですよ。


あの耳も、君を守るために狐様が力を強めた結果の副作用だったわけで。


ぶっちゃけ君は普段から凄い強い結界に守られ続けていたんです』


「……それが無くなると、どうなるんですか?」


『さっきも言いましたけど、君は巫女としての素質が凄く高くて…………霊媒体質、という奴ですかね。


まぁ、ざっくりいうと……悪霊怨霊悪魔に怪物、魑魅魍魎の類から狙われ続けます。


ぶっちゃけ放置したら一週間くらいで死ぬんじゃないですかね』



この時、私は自分の意識が遠くなるのを感じた。



『頼まれたし知らなかったとはいえ、命に関わる損害を百知さんに与えたとして、もう一度狐様か、同等の守護霊様が付いてくださるまで、自分が護衛としてこれから行動を共にすることになりました。


……はぁ……よろしくお願いします』



若干うんざりしたようなため息を吐く土屋さん。


私は大きく息を吸い込んで、気持ちを落ち着かせようとして……



「いぃぃいいいやああああああああああああああああああああああああああ!!」



落ち着けず、絶叫した。



――ようやく、ようやく普通の生活を手に入れたと思ったのに……!


――こんな不審者ルックの人と四六時中ずっと一緒にいるなんてぇ!!




『いやぁ、まさか神霊レベルの守護霊を祓えるとは……我がことながらびっくりですね』



一通り叫んだ私に、この一言


全力で彼を殴った私は、やっぱり悪くない。



――そして、この時の彼との会話や行動が他のクラスメイトたちに目撃されてしまい、私は見事にクラスメイトで浮いた存在となってしまうのでした。

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