第7話 虚無
彼女の心の中の闇。
心のページを捲り、鍵を使い記憶に触れてみた。
人は誰しも、心の中に誰かがいる。
心に残った大事な人。
例えばそれは、一生を共にしたパートナー。
例えばそれは、憧れていた高根の花。
例えばそれは、憎しみをぶつけた敵。
どんな人であれ、誰かそういう特別な人がいるものだ。
しかし、彼女の中には誰もいない。
そこにあったのは、夜のネオン街。
建物に明かりはついているが、誰かの気配は一切ない。
心象風景の中でさえ、誰もいない。
恐らくだが、生前の彼女は人を認識していなかったのではないだろうか。
今までも大なり小なり、人嫌いな人の心に触れたことはあったがまさかこれほどとは。
そこに彼女を取り巻く闇の一端を垣間見たような気がした。
***
誰かの心に触れるたび、心は何てもろいものなんだと思う。
この程度のものでしかないのならやはりそんなものは必要ない。
もし、心と定義されるものが喜怒哀楽。雑多な感情が入り混じったものだとするならば。
今の私が欲するのは、怒りや憎しみ。
私を必要としなかった者たちに対する憎悪。
私を認めなかった運命に対する憤怒。
私に味方しなかったものすべてに対する復讐心。
誰かの心に介入し、ありもしない未練を植え付けても私の負の感情が無くなることはない。
割れたグラスにどれだけ水を注いでも器が満たされることのないように。
人間時代から抱えていた私の闇は晴れない。
「…ははっ」
何の意味もない乾いた笑いを浮かべて、私はまた誰かの心をめちゃくちゃにした。
***
「随分と派手にやっているようじゃないか」
戻ってくると彼にそう言われた。
「止めろとでも言うつもり?」
「そんなことはないさ。でも気にはなるね。一体君はどうしてそこまでするのか」
「…別に、あなたには関係ない」
「つれないね」
「あなたこそ、最近はどこかに行っているようだけど?」
「僕?」
「まぁ、別に興味ないけどね。気分でも変えているのかしら?」
「…今日は随分と機嫌が悪いね」
「苛立ってるの?私が?」
「違うのかい?」
「…さっきの心のせいかな。不快な感情が私の中にあるから」
「…へぇ、どんなものだったんだい?」
「夢を叶えて幸せな人生を送っていたようだったから、その夢が叶わなかった人生に書き換えておいた。多分心の持ち主だった奴は次の人生でも存在せず、叶いもしない夢を追い求めて破滅する人生を歩むんじゃないかしらね?愉快だわ」
これは未練を与えているうちに気づいた鍵の使い方の一つ。
人生で心に深く刻まれた記憶に干渉することができる。
奪ったり与えたり、増幅させたり減少させたり。
自分で言ったように事実を変更したり。
「なるほど」
「とはいっても、実際は何も感じてはいないけど」
心が無いから、愉快というのも口からでまかせだ。
そこにあるのはただの虚無だけ。
「…あぁそうだ。少しいいかな。君にやってほしいことがあるんだ」
少し話すと、唐突に彼がそんなことを言い出した。
「何?」
「一緒に来てほしい。この心を見に行こう」
「はぁ?」
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