第8話 「 生き残り 」

 握りしめたドアノブをゆっくり回しそっと少しだけ引き開けて外の様子をうかがう。


「あっ! クリスタ!」


 猫の頭ひとつ分開けたときクリスタがするりと走り出て皐月は慌てた。


「待って!」


 素早く周りに目を走らせ確認し、外へ滑り出て背後で扉を閉め後を追った。

 クリスタを見失わないようにしながら周りに気を配り皐月は走る。


 廊下のあちらこちらに血溜まりと血を引きずる跡があり、転々と落ち固まった血の滴の跡もあった。


 先を行くクリスタが階段を下りて行く。


「待ってよ!」


 皐月の言葉が分かったのかどうか、クリスタが階下まで降りて立ち止まった。さっさと降りてこいと言うように見上げている。


 階段を数歩降りかけて、皐月は階下の光景に釘付けになった。


 ロビーと言うより大広間のような広い空間が広がっていた。

 その広い場所にもおびただしい血が流されていた。やはり、ほとんどの死体はそこにはなく、あるのは体の一部ばかり。


 所々に腕や足、肉片が飛び散っていた。頭と胴が切断されて転がっているゾンビも数体あった。ここでゾンビとの攻防が繰り広げられたことが見て取れた。


 皐月はおずおずと階段を降りながら、目の届かぬ所に殺戮者さつりくしゃが隠れていないかと目を凝らした。


 皐月が床に足を付けるのを待って、クリスタはさっさと歩き出す。

 クリスタは片方が開いたままになっている外への大扉へは向かわず、逆に建物の奥へと続く廊下に向かって歩いて行った。


「クリスタ、どこに行くの?」


 広い廊下は大人6人が横並びで歩いても余裕がありそうに見えた。

 幅の広い廊下を白い猫がしっかりとした足取りで歩いて行く、その後をびくびくとしながら皐月は付いていった。


 ゾンビの襲来がよほど急だったのか、廊下に面した扉がどれも開け放たれていた。


 長い廊下の途中。左側の最初の扉にクリスタの姿が消え、皐月も慌てて扉をくぐる。


 長い長いテーブルが配置された部屋だった。

 貴族の出るドラマで見るような豪華な食器が配膳され、綺麗に盛られた花が要所要所に飾られて、パーティーの最中だったと思われた。


 皐月が着ていたドレスのように、着飾った人々が集い華やかな食事会が開かれていたであろうこの場所は乱れ血にまみれていた。

 どれだけ慌てていたのか。どれほどの恐怖が渦巻いたのか。


 割れた食器の破片と肉片が散乱していた。

 テーブルに残った皿に盛られた料理はそのままで腐り始め、倒れたコップが白い布に赤黒い染みを付けている。いくつかの花瓶は倒れ花は散り、枯れて色あせ始めていた。


 人々の感じただろう恐怖を思い、皐月はひとつひとつ目を向けて歩く。それとは対照的に、クリスタはさくさく歩いて奥にある扉を通り抜けて行った。


「クリスタ!」


 声を抑え気味に呼びかける。

 姿の見えなくなったクリスタを追って皐月も扉を抜けると、その先には渡り廊下があった。

 廊下には腰までの高さの壁があり、風通し良くするためか窓のようなくり抜きがいくつもあった。


(ここから奴らは入ってきたのかな)


 皐月はチラチラと外に目を走らせながら廊下の先の部屋へと向かった。




「わぁ! クリスタ! 生きてたの!?」


 皐月が足を踏み入れる前に、中から子供の声が聞こえてきて足を止めた。そっと中を覗くと、少年がクリスタを抱き上げて頬ずりしていた。


 一見して厨房だと分かる広い場所。


 少年を驚かさないように、皐月はゆっくり入り口の中央に立って見つめた。


「・・・!」


 少年は皐月に気付いて立ちすくみ、クリスタを強く抱きしめる。


「や、やぁ」


 皐月は笑顔を作って片手を上げたが、それが合図のようにぱっと逃げ出す少年。


「待って! 何もしない! 大丈夫よ、信じて!」


 皐月の声を聞いて、少年は凍り付いた顔のまま振り返る。


「襲ったりしない。 本当よ、約束するわ」


 一歩も動かず両手を上げて少年にアピールした。


「・・・ゾンビじゃ、ないの?」


 うわずった声で問う少年の目が、皐月を上から下まで観察する。

 皐月は曖昧な表情で軽く首を傾げた。


「・・・分からない」


 少年に抱かれていたクリスタが手をすり抜けて飛び降り、皐月の足下までやってきて体をすり付けた。


「違うの? 僕を襲わない? 本当に?」


 少年は落ち着きなくそう問いかける間も辺りに目を配っている。


「違うかどうかは私にも分からない・・・。でも、襲ったりしない。それだけは確か」


 少年は小さく息を吐いて緊張を解いたが、まだ落ち着いていないことは皐月にも分かった。

 皐月と距離を取ったまま少年はじっとこちらを見ている。


「私・・・ゾンビっぽい?」

「・・・ぽいけど。 喋るゾンビは聞いたこと無い」

「そっか」


 皐月は苦笑いした。


「ゾンビ・・・。ここに来るまで見かけなかったけど、何処かに行っちゃったのかなぁ?」


 努めて軽く明るく少年に声をかけた。少年は口ごもり、皐月を本当に信用していいのか迷っているようだった。

 机に飛び乗ったクリスタが少年との間を取り持つように、彼の前に立ち頭をすり付ける。


「急にいなくなったんだ・・・」


 クリスタを撫でながら少年がぽつりと言った。


「昨日、獣が唸り声をあげてたでしょ?」

「え?」

「すっごく大きな恐ろしい声で・・・。それを聞いたらゾンビが何処かに行っちゃった」

「獣が? 唸って、た?」

「聞かなかった? とっても怖い声で、ぎゃぁああああ! ってもの凄い雄叫びあげてたの」

「そ、それって・・・」


(もしかして・・・)


 皐月は口の端をひくひくさせながら笑顔を作った。


(私じゃ・・・?)


「とても怖かったけど、助かった! 逃げ場が無くなってすっごく危ないところだったんだ」


 そう言って、少年は初めて笑顔を見せた。


「そ、そう。それは良かったわね」


 場が和みかけたその時、


「フーーーッ!! シャァーー!」


 クリスタが威嚇いかくの声を上げ、


「後ろ!!」


 少年が指さして叫んだ!


 彼の指し示す先は皐月の後方の床!


 灰かき棒を手に振り向きざま床に目を落とす。


 両腕両足が少ししか残っていない姿の女ゾンビが、唸り声を上げて犬の様に走り込んできていた!




 ビュウ!!!  ガキッ!!



 見事なゴルフスイングがゾンビの顔面にクリティカルヒットした!!


 その勢いのまま宙を舞い渡り廊下をピンボールの様にガンガンとぶつかって、ころころと転がって行った。


「ーーー 快、感・・・」


 胸のすく思いがした。


 病気もこんな風にやっつける事が出来ていたら、どんなに気持ちよかっただろう。やっつける事が出来ていたなら・・・・・・。今更どうにもならない事を思って、歯を食いしばった。


「やったぁ!!! 流石、お嬢様!!」


 少年が両手を上げて何度もジャンプしながら大喜びしていた。

 ゾンビを撃退した灰かき棒はくの字に曲がり、もう武器として使えなさそうだった。皐月は少し困り顔で握りしめた棒を見つめた。


 ちゃんととどめを刺せているか近づいて確認してみる。

 ゾンビの頭がパックリとふたつに分かれ、確実に終わらせたと確信した。


「お嬢様、剣じゃなくてもゾンビやっつけられるなんて凄い!」


 頬を上気させて皐月を見上げる少年の目がきらきらしていた。


「お、お嬢様って・・・」


 呼ばれ慣れぬ言葉が皐月には気恥ずかしかった。


「約束守ってくれてありがとうございます」

「え?」

「森の中で、約束したでしょ?」

「・・・森の中で?」


 少年の顔に不安がよぎる。


「ゾンビが来たら・・・守ってくれるって・・・・・・」


 瞳に影を落としてじっと見上げていた。


「・・・ごめんね。 私、何も覚えてないの」


 言い逃れやごまかしは利かないような気がして、皐月は隠さずにそう言った。


「・・・そう」


 先ほどまできらきらと輝いていた瞳から光が消えた。


「ーーーゾンビになったら・・・。全部忘れちゃうのかな・・・」


 少年は皐月を、この体の持ち主を知っているのだ。

 

 皐月がこの世界で得た体には、別の魂が入っていた。

 この少年と時を共にし、会話を交わした魂はもうこの体の中にはいない。 離れた魂は、天国へ着いただろうか。それとも近くに居て体に戻りたいと思いながら、皐月が入ったために戻れずにいるのか・・・。


「ごめんね・・・」


 少年はうつむき気味に、黙って首を振った。


「お父さんやお母さんは?」


 皐月の質問から逃げるようにくるりと背を向けて、少年はしばらく黙っていた。



「・・・・・・ゾンビにやられた」




 迂闊うかつな質問をしてしまったことを皐月は後悔した。









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