第7話 「 外の世界への一歩 」

 皐月さつきは体中に力を込めて、全身全霊で声を振り絞り泣き叫んだ。



 家具の中身をぶちまけ、椅子を投げ捨てて。このままバリケードを解いて部屋の外へ飛び出して、奴らに食われて人生を終えようかとまで思った。


「はぁはぁ・・・、はぁ・・・・・・」


 どれくらい暴れていただろうか。

 息が切れ体の疲れを感じて皐月はへたり込んだ。そして、力なく笑った。


「ーーーなんだ・・・疲れるんじゃない」


 重い体を引きずってベッドに倒れ込む。

 眠れるだろうか。眠れたら気持ちがリセットされて、明るい気持ちで一日を過ごせるだろうか?


(ゾンビで?)


 クスクスと笑って天井を見上げた。そして、すぐ真顔に戻る。


(私、ゾンビになるの? ゾンビになっちゃうの? 本当に?)


 皐月は初めてクリスタに声をかけた時のことを思い出していた。

 声をかけられて寄ってきた猫の戸惑う目、表情。


(中身の違いに気づいたんじゃなかったんだ・・・。ゾンビになり始めてたから戸惑ってたんだ・・・・・・)


 体を起こして辺りを見回してみたが、クリスタの姿は見あたらなかった。恐れをなして何処かに隠れてしまったのだろう。


(振り出しに戻っちゃったな・・・)


(明日の朝、クリスタは顔を見せてくれるかな?)


 心配な思いを抱いたまま皐月は夜を過ごした。体の疲れを感じたのは一時のこと、夜が深まるほどに目は冴えた。


(眠れたら不安な時間をショートカット出来るのに・・・)


 窓辺に立って、皐月は黙って月を見上げた。

 冴え冴えと輝く月は彼女を優しく照らしていた。





 昨日の乱心がよほど怖かったのか、朝になって名前を呼んでもクリスタは姿を見せなかった。


 皐月はまた悲しみが込み上げてきてベッドに沈み込んだ。友達を失ったような気分だった。会話にならなくても、声をかける相手がいてくれて気が紛れていた。自分のした事の結果がダイレクトに返ってきて切なかった。


(・・・ん?)


 何か気配を感じて体を起こすと、クリスタが少し離れた床の上から皐月を見つめていた。


「何処に隠れてたの? ーーー昨日はごめんね・・・」


 クリスタは餌の入った引き出しを軽く叩いて皐月に目をやった。


「餌をくれるなら・・・許してやろうって感じ?」


 皐月がいそいそとベッドを降り近づいていくと、クリスタは少し離れた。

 餌を食べている間も皐月を見つめ、彼女が安全な状態になったか確認しているようだった。


「ごめん。 もう大丈夫、あんなことしないから安心して」


 食べ終わり体の身支度を整えると、クリスタは皐月の足下まで来てちょこんと座り彼女を見上げた。


「どう? 大丈夫だって、分かった?」


 明るい表情を作りクリスタに笑顔を向ける。


 クリスタは皐月の笑顔より彼女が手にしている缶が気になっていた。軽い身のこなしで皐月の膝に飛び乗ると、餌入れの缶に軽く手を触れた。


「あぁ、これね。餌、後1回分くらいしかなさそうなの」


 蓋を開けて見せるとクリスタはじっと中を見つめ、皐月に目を向けた。

 皐月がそっとクリスタの背を撫でてみると、クリスタは目を細めてグルグルと喉を鳴らした。その姿に皐月はほっとして目頭が熱くなるのを感じた。


 しばらく撫でられていたクリスタは、急にぱっと皐月の膝から飛び降りて部屋の隅の箱の中に入っていった。

 皐月が中を覗くとクリスタが出てきて臭いを残したまま走り去った。猫のトイレだった。


「あはは、あぁ、ごめん。見られたくないよね~」


 トイレを後にしたその足で、クリスタはバリケードのされた扉へ走って行き、扉に爪を立てカリカリと音を立て始めた。


「外に行きたいの? 餌の置いてある所知ってる?」


 皐月の問いかけに「知ってる!」と言わんばかりの大きな声でクリスタが鳴いた。


「餌を取りに行ってあげたいけど、外にはゾンビみたいな怖い人達がいっぱいいるんだよ」


 困った顔をする皐月をクリスタはじっと見つめている。

 どうしたものかと皐月は窓の外を見つめた。襲う相手がいなくなったからか、ラビリンスの中にゾンビの姿は無かった。


 ゾンビは昼間の動きが鈍いように思える。

 見る限りゾンビ達の数は減ったようにも思える。そして・・・


( 私はもうゾンビなのかもしれない )


 と、認めたくない現実を心で言葉に変えてみる。


( 自分がゾンビになっているなら、奴らは襲ってこない可能性がある )


 しかし、本当にゾンビ化しているのだろうか・・・と、自分へ疑問を向けた。

 ゾンビはこんなに色々考えたりするものなのか、人としての心を持ちながら人を襲っているのかと次から次へと疑問が湧いてくる。


(もしも襲ってきたら?)


 ゾンビ化が途中だとして、完全にゾンビになりきれていない者を襲ってきたりするのか・・・。襲われたら闘えるのか。


 まだ美しく保たれたこの体に傷を付けたくない・・・チラリと保身が頭をよぎった。


 様々な葛藤かっとうが皐月の心の中で渦を巻く。




 悩んだ。


 悩んだが、いずれは外に出なければならない。

 自分が空腹を感じることが無いとしても、クリスタはお腹を空かせるし餌は後わずかしかないのだ。


 意を決してなるべく動きやすそうな服を探した。

 ちょうど馬術で着るような上下の服を見つけ着替えた。真っ白なズボンにはサイドに細く赤いラインが入り、上着は落ち着いた赤色で、金のボタンが6個付いていた。袖は黒い折り返しが付き金のカフスで留められている。


 動きは申し分なかった。

 既にほつれていた髪を綺麗に解き、編み込んで飾り櫛で差し止めて「よしっ」と気合いを入れた。皐月のやり慣れた編み込みは高校生にはぴったりだが、20歳頃の女性には子供っぽく感じられた。




 支度を整えた皐月は、再度、庭園に目を凝らす。

 ラビリンス以外の目の届く範囲にも、やはりゾンビの姿は無かった。不思議に思ったがこれは好機に違いないと皐月は思った。



 皐月はクリスタに目を向け頷いてみせる。

 灰かき棒を手近な床に置き、なるべく音を立てないようにしながらバリケードを解いていった。


 灰かき棒を握りしめ、ドアノブに手をかけて、


「さぁ、クリスタ。行くわよ」


 見下ろす皐月の目をしっかり見返して、クリスタがひと鳴きした。







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