Ⅱ-Ⅲ shion ②


「柊木さんって、『しおたん』だろ!」


 俺がそう指摘すると、柊木さんの顔が青ざめていく。

 そうだよ、しおたんだよ。何で俺気付かなかったんだろう。


「だ、誰のことかしら。あっ、ああああんたは私をレモン汁でもつけて食べるつもり?」


 明らかに動揺している。

 ツンもいつものようなキレがない。

 これは……クロだ。しかもこの人多分俺が指摘する前からこの事実に気付いていたな。何故に誤魔化すのかは分からないんだけれども。


「俺の目はごまかせないからな。あの頃よりもスマートになって気付かなかったけど、目鼻立ちをよくよくみたらしおたんにしか見えないんだよ。しおたんの名前も確かしおんだったし。名字は覚えてなかったけど」


 なんせ名前を覚えるのが苦手なもので。


「なんでよっ! 会う度にしおたんじゃなくて、柊木って名字で呼べって言ってたのに……」


「はい、ダウト」


「あ」


 柊木さんってホント嘘をつき通すのが下手くそだなぁ。

 これぞ、孔明の罠……なんつって。でも名字を覚えてなかったのはホント。ごめんね柊木さん。


「ぐぬぬぬぬぬぬ」


 柊木さんは顔を真っ赤にして悔しそうにうめいている。


「しっかし、柊木さんも冷たいよなー。気付いていたんなら教えてくれてもいいのに」


 自分がしおたんだと言ってさえくれれば俺もすぐに気付いたのに、何で教えてくれなかったんだろう?

 そんな疑問から柊木さんに問いかけたのだけれど、どうやらこの一言が彼女のマジギレスイッチをオンにしてしまったようで……。


「は?」


 という一言から彼女の目から光が失われ、とてつもなく冷たいものに変わる。

 それはまるで、人を殺めることに対して躊躇がない冷徹な機械人形のよう。

 あるいは、凍てつく極寒の地で男を待ち受ける雪女のよう。

 そんな氷点下の視線は、文字通り俺を凍らせる。圧がすごくて動けませぬ。


「あんた一回、いや千回ぐらい死ねば?」


 会心の一撃。佐和涼太に999のダメージ。

 柊木さんの言葉はいつもよりも何倍にも研ぎ澄まされて、俺の心を突き刺してきた。

 そして気付く。これはツンじゃなくて、マジギレってやつだと。

 だって、柊木さんはツン状態だったとしても、死ねとかって絶対に言わないから。


「えっと、なんかごめん」


 とりあえず謝っておく。自覚はないけど俺が怒らせたのは間違いないから。


「理由が分かってないのに謝られても逆にイラつくだけだから」


 もうやだ、この人コワい。

 次にどう返せば良いか分からず、あたふたしながら考えを巡らせていると、目の前の柊木さんはやれやれとため息をついて、ちょっと顔を赤くした。


「……悔しかったからよ」


 さっきまでとは違い、消え入りそうな声で何かをつぶやく。


「えっと」


「だから、悔しかったからよ! だって、そうでしょ? 私だけが覚えててあんたは忘れてる。バカみたいじゃない私」


 ホントバカみたいと、今度は少し涙声になって言った。

 えっ、泣く? 泣いちゃうの? なんで? 女の子の情緒について理解が追い付かない。


「涼太君?」


 すると、今度は背後から別の冷気を帯びた言葉が聞こえてくる。

 なんでこのタイミングなんだよと思いながら振り返るとそこにはやっぱり碧依が居た。もちろん闇の微笑を浮かべている。


「どうして、ひーちゃんを泣かせてるのかなぁ?」


 ゆらゆらと何かに取り憑かれたようにこちらへやってくる。


「あ、いや、これはえっとですね……」


 やばいなと思いながら言い訳を考えるけれど、どう説明すればいいんだろう。


「佐和は悪くないわ」


 最悪アイアンクローを甘んじて受けようと思っていた矢先、ずいっと俺の前に柊木さんが出た。


「ひーちゃん?」


「というか関係ないくせに途中で割り込んでこないでよ」


 柊木さんがズバッと碧依に切り込んだ。

 碧依は急な出来事に目を白黒としている。けれど、その言葉の意味することに気付き、少しイラッとした表情に変わった。


「私はひーちゃんが泣いてたから、だから心配したんだよ」


「別に頼んでないから。親切にしてるつもりかもしれないけど、押し売りは迷惑なだけよ」


 おや?


「そんな言い方ないんじゃないかな?」


「そう言わせてるのは碧依でしょ?」


 あれ? ちょっと雲行きが怪しくなってきてない?


「ひーちゃんはもうちょっと人の気持ち考えるべきだと思うよ」


「何でもかんでも首を突っ込む碧依に言われたくないわね」


 目に見えてバチバチと二人の間に火花が散り始める。

 え、修羅場? マジで!?

 これは止めないとヤバいと思って、俺は二人の間に立つ。


「ふ、二人ともちょっと落ち着いて……」


「「涼太君(あんた)は黙ってて!」」


「うぃ」


 すごい気迫の二人に一刀両断されたのですごすごと引き下がった。

 しょうがないじゃん! 圧のユニゾンやべえよ。


「あら~? どうしたの~?」


 するとそこへ瀬戸さんが戻ってきた。どうやらサーバールームでの報告が終わったらしい。

 しかしこれは渡りに船。藁にも縋る思いで瀬戸さんに泣きつく。

 神様仏様瀬戸藍那様だ。


「じ、実はかくかくしかじかで。二人が一触即発に……」


 ふんふんと聞いていた瀬戸さんがニコッと笑って俺を見た。


「佐和君、自業自得って知ってる~?」


 ああ、この世に神など居ない。


「でも~、このまま放っておく訳にはいかないしね~」


 しょうがないな~と、瀬戸さんは碧依の方へ。おお、やはりあなたこそ救世主

メシア

だ。

 そして彼女に何かボソボソと囁くと、碧依は「あっ」と漏らして何かを思い出したように声を発すると、一度だけ柊木さんを無言で睨みつけ、総務部の部屋を出て行った。

 何て言ったんだろうと思うと同時に、瀬戸さんへまずは感謝。とりあえず一旦の危機は脱したというところだろうか。

 瀬戸さんは碧依を見送ると、今度は柊木さんの方へ。

 ボソボソと何かを耳打ちした。すると、柊木さんもまた慌てた様子で総務部の部屋を出て行った。


「ま~、とりあえずこんなものね~」


 瀬戸さん、マジぱねえっす。同い年とは思えない敏腕ぶりでした。

 とりあえず今からこの人を心の中で師匠と呼ばせていただくこととしよう。


「でも一時的に離しただけだから~、ここからは自分で解決しなきゃだよ~」


 そんな、師匠。それはあまりに殺生ですがな。

 とは言いながらも、こうなった要因は100%俺にある訳だし……俺ってそんな悪いことしたのかなあ?


「ありがとうございます。とりあえず何か考えてみます」


「まぁ~相談ぐらいは乗るから~」


 瀬戸さんは笑顔でそう言ってくれた。うーん、困ったら本当に相談しよう。


 俺はそのまま自分のデスクに戻る。

 結局しおたんのことも宙ぶらりんになっちゃったし、何だかごちゃごちゃしてきたなあ。

 ただ俺の責任だしと、二人をどう仲直りさせるかを考えながら、先ほどまでやっていた仕事を再開する俺だった。



 あと、柊木さんの発信機どうしよう。

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