第22話 X・物質波<クロス・マター・ウェーブ>

「や、やった……。勝った……」


 どうにか絶体絶命だった状況を切り抜けたリーゼルは、安堵感と貧血でその場に崩れ落ちる。それを見た岩平は、慌てて膝枕で彼女を受けとめた。


「リーゼルッ!? 大丈夫かッ!?」


「……アタシは心配ない、がんぺー……。だが、すまない。こっちの命が危なかったとはいえ、あの二人ごと消し飛ばしてしまった……。おそらくは、二冊の本も消失してしまったかもしれない……」


 その言葉を聞いて岩平は、苦虫を噛み潰したような複雑な気持ちになる。どう考えても今回のは正当防衛だし、加減なんてできる余裕は微塵も有りはしなかったが、それでもかつての教師及川を殺してしまったのは、いい気分ではない。岩平は、これが真理論争の現実なのだという事を、否が応でも思い知らされてしまったのであった。


「……ところでリーゼル。俺もちょっと血を使い過ぎちまって、どうにも立てねぇんだが、どうすればいい……?」


「なっ、やっぱりアンタ、おバカ演算者(オペレーター)ね! そんな無茶するからよ!」


「こ、今回のは仕方ないだろ! 俺が出なきゃ、お前は死んでたかもしんないんだし、いずれは被害者だって増えたかもしれない……」


 安心した途端、いつもの罵倒しあいに戻る二人。岩平がリーゼルに膝枕している様子は、端から見れば仲睦まじい恋人同士だと誤解を受けかねん状態だったが、二人とも動けないのでなんともどうしようもない。


 動けない岩平は、このままどうしようかなと考え始めていたその時、視界の遠くの端の方で黒い人影が動く。


「ぐ……、よくもわたし達をこんな目に……。次こそは必ず……」


「なっ……!? まだ生きていたのかアイツら!?」


 その人影の正体は、グラウンドの土だらけになっていた及川だった。なんと、X(クロス)・物質波(マター・ウェーブ)を喰らう寸前に、フェルミたちは地面に穴を掘って逃れていたのである。及川の背には、及川を庇ったらしき黒焦げのフェルミがおぶられており、ヨロヨロとした足どりでこの場から逃げ去ろうとしている。既に二人は、運動場の壊れた柵を乗り越えて、裏山の繁みの中へと消えようとしていた。


「そんな……、ならまた、早く奴らを仕留めないとっ……」


 その様子を見て焦ったリーゼルは、無理にでも起き上がって追撃しようとする。


「もうよせっ、リーゼル! 深追いは禁物だ、無理をするな。俺らももう動けない」


「でもっ……、せめて奴らの本だけでも奪わないとまた……」


 岩平も確かにその脅威は感じていた。フェルミの狙撃の能力でまた狙われたら厄介だし、気の休まる暇が無い。


 だが一方で、ここで無理に深追いすれば、また何か別の脅威にさらされるのではないかという直感も、岩平は感じていたのである。


「岩平の言う通りじゃよ。今は深追いをするべきではない」


 突如として、辺理爺さんの声が上から聞こえる。見上げてみると、そこには学校の屋上から顔を覗かせている辺理爺さんの顔があった。目が合わせた後、辺理爺さんは人間業とは思えない速度で、雨どいのパイプを伝って地上へと降り立つ。


「じッ、ジジイ!?」


「てかアンタ、今まで何してたのよ!?」


 リーゼルが、今回全く加勢に来なかった辺理爺さんに抗議の意を唱える。しかし、むしろ爺さんはそんな抗議に逆ギレし返した。


「何って、そりゃあ……お前らが散々、ドンパチ暴れてくれた跡の後始末じゃよ! 近隣住民への騒音をノイズキャンセリング回路で消したり、学校から避難の人払いをしたり……、裏方はすごい大変じゃったんじゃぞ!」


「……そ、そうでしたか……。なんかすごいごめん……」


 言われてみればそうだった。気付けば、校舎のあちこちには穴や裂け目が開いて崩落寸前で、グラウンドは黒焦げである。むしろ、これで大騒ぎにならない方がオカシイ。一応、辺理爺さんの物理演算(シミュレート)とやらで直せる技があるみたいだが、早いとこ対処しなきゃ、誰かに見つかって大騒ぎになるのは時間の問題だった。


「まぁ、その件については後でたっぷりお説教するとして……、それとは別に、儂らには今、追撃に出れない理由があるのじゃよ」


 そう言って、辺理爺さんはグラウンドの南外側にあるマンション群たちを指さす。


「向こうに、儂らの隙をうかがっている奴がおる。儂の結界スレスレの距離で、バカでかいネゲントロピー反応が二人もじゃ。もし結界の外に出たり、結界の感度を少しでも緩めたりでもすれば、即攻撃してくるじゃろうな。つまりは、第三者の敵って訳じゃよ。だから儂は加勢には加われなかったのじゃ」


「なんだってっ……!? また新たな敵が!?」


 爺さんに衝撃の事実を聞かされた二人は、慌てて指さした方角を見る。二人にはただのマンションしか見えなかったが、もしこの事が本当なら、非常にまずい状況にあるのは確かだった。


こんな疲弊しきった状態では、まともに戦える筈などない。


 二人は焦りと困惑の表情で、向かいのマンション群を見つめるしかなかった……。






  ※※※






 松ヶ丘のイトーピアというマンションの一室、そこでは二人の女と男が居座り、窓から双眼鏡で、先程行われた学校での戦いの観察がされていた。


「あらま、勘付かれちゃったかなぁ? 思っていたよりは馬鹿ではないみたいじゃない……」


 女が右手の双眼鏡を上げ、諦めの伸びする。その女はどこか変わった女だった。ピンクの髪にピンクの服。まるでどっかのコスプレ魔法少女みたいなフリフリのドレスを着ている。左手には何やらボールのような物をクルクルと回転させていて、指はバスケットボール遊びのような事を続けていた。たいそう可愛らしい女子大生くらいの女性だったが、その眼に宿る光は、どこか狂気を帯びているようにも見えた。


「アナタもそう思うでしょ? 所長ちゃん❤」


 そう言って、女は男の方へと話を振る。その男はかなりの年寄りだった。顔から見て、80歳くらいだろうか。だが、その黒い博士帽に黒いガウンを着ている背格好は割としゃんとしていて、杖を持ってはいるものの、腰も曲がってはいない。何より、一番特徴的なのは、その顔だった。右側に酷いケロイド状の火傷の痕があり、右眼にはゴツい機械的なレンズが嵌められている。


「いつでも踏み潰せる蟻の存在など、どうでもいいだろう? 戦力の見極めが済んだのなら、さっさと帰るぞ……」


 あまり興味なさげに、ぶっきらぼうに答えた男は、死角側のベランダから外に出てさっさと帰り支度をしてしまう。


「わかってないなぁ、所長ちゃんは……。そういうアリンコの巣穴に熱湯をぶちこんで、のたうち回る様を観察するのが一番楽しいのにさ……」


 男のつれない態度に、女は半ば残念そうな声を出す。そうしてやがて、諦めがつくと女はそのボールのような物を傍のテーブルに置いて、渋々と立ち上がる。


「まっ、いいか。実験の楽しみは後に取っておかないとねぇ♪」


 ボールのように見えたそれは、生首だった。髪をむしり取られた首は、眼を見開いた醜い苦悶の表情を浮かべ、引きつった顔は男か女かも分からない。


「それが、ワタクシら―――――――『ロスアラモス学派』のモットーでしょ❤」


 それだけ言い残すと女は、一家惨殺された跡の血まみれ部屋を出て、振り返る事も無く去っていった―――――。

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