第6話

「部活ば、入らんと?」


「ん~、今からっていうのもね……弥生は?」


 あれから一月が経ち、通院が生活の一部ではなくなったころ、すっかり仲良くなった彼女と下校するため、スクールバック片手に私は下足場で靴を取り出しているところだった。


「文化系に興味はあるっちゃけどね。私、運動音痴やし」


 柔和な表情で、彼女は恥かしそうに言う。そして、「得意なん?」と、問い掛けてきた。


「……」


 下を向くと、装着したままのサポーターが目に留まった。


(こげなことさえなければ)


 そんな仄暗いものが、また、すっと浮かんできた……と、


「そこの一年! 部活入っとらんなら、サッカー部のマネージャーばせんね!!」という、圧のある声が廊下してきて、私達が驚き振り向いてみると、声の主と思われる男子が睨むような目つきで私のことを見ていた。


「お前……中牟田か?」


 体躯。まさにその言葉がピッタリなその男子は、サッカーウエアをタイトに着ている。


「は、はい……」

 

「おお、やっぱり! 俺のことば憶えとらんね?」


「えっと……」


 先輩と思われるその人は、そう言って大股で近づいて来た。ソフトモヒカンに吊り上った目。団子っ鼻と日に焼けた……ううん、焦げた肌。

 私は迫力に押されつつも、小刻みに視線を動かして思い出そうとしてみた。結果、「憶えてません」と、仰ぎながら絞り出すようにして答えた。


「かぁー! 中学の頃、お前の隣でよく試合ばしとったやろうが!?」


「……もしかして、無駄にガッツポーズばして、煩か坊主頭やった人ですか?」


「なんか、微妙な思い出し方やな……」


「 栞、なんかしよったと?」


「知らんとか? こいつは中学のころ、硬式テニスで中々の実力者やったとぞ。しかし、そのお前が何でここにっとか?」


「先輩は、何でですか?」


 質問を質問で切り返す私。心の傷に必死で触れさせまいとする自分が惨めだ。


「俺か? まあ、他のスポーツにも興味あったしな……。ケジメみたいなもんたい。今は心機一転、ソコソコの偏差値のここでサッカーばい」


「よく入れましたねぇ……」


 ポロリ私が感想を口にしたことで、その勢いに拍車が掛かってしまい、「なんちゅう失礼な!? 詫びとしてよかろうもん、マネージャーにならんね!!」という、九州男児の押しの強い説得に弥生と二人困り顔になると、「――お待たせ。帰ろう!」という、響きのある声が先輩の後ろからしてきた。


(あ!?)


 体を傾けて先輩越しに見てみると、あの日あの公園で壁打ちをしていた少年が笑顔でそこに立っていた。 


(高校生。しかも、同じ学校やったんやね)

 

 姿勢の良さが男子の平均的な身長を補っているよう。

 

(なんか……)


 儚げ。そんな言葉が浮かんできた。紺のブレザーを着る彼は、こうして改めて見てみると、とても繊細そうだった。私は先日してしまったことが蘇り、気まずさで心がざわつく。そしてそんな中で、目に映すものがあった。それは、向かって右の彼の前髪。荒れた感情の所為だろう、この間は気付くことのなかったその白髪。


(生まれつき?)

 

 私は敏感に反応した。 


(……)


 最近になって分かったことがある。それは、松葉杖を使っていた方が、相手の反応を我慢しやすいということだった。可哀想、大変そう、頑張ってね……そんな視線は耐えられた。けれど、今は駄目。松葉杖を使わなくなった今、膝のサポーターでソックスを押さえ込むだけでは足りない。そんなの必要ないんじゃないかと、そう思われているような気がしてならないからだ。


 ――素直に見せたら?


 醜い痕。さぞ哀れむ視線が向けられることだろう。それだけじゃない。嘲笑とも優越感ともつかない瞳も目にすることになるだろう。

 そんなの見たくないし、耐えられそうにない。それに、女子の間で話題になるなら、現状の方がマシ。だって、想像の域を出ない以上、大したことないって思われる可能性だってあるのだから。


(ほんと、どう思っとっちゃろうね)


 逆から見ている弥生は今のところ、松葉杖を使わなくなって「よかったね」ということを伝えてくれた以外は、特に話題にすることはなかった。それが気遣いなのか、興味ないだけのことなのかが私には分からない。なぜならその時の彼女は、表情のない彫刻のようになるからだ。そして今も、完成度の高い姿でいる。


「誰ね?」


 大きな背中を見せた先輩が、腕組みして値踏みするようにして言った。


(先輩も、直ぐに見たっちゃろうね)

 

 人は見慣れないものを目に映すと、見てしまうものだからだ。少なからずそれに耐えなければならないことを知っている私は、直前に自分もしたのを棚に上げて、彼も不快に感じたんじゃないのかと、そう思った……けど、


「――1年A組の、甘露寺かなたと言います」


 崩れることのない表情、芯のある声……。


(私とは、違うっちゃね)


 両の頬に浮かべている笑窪に卑屈さを感じさせるものは何もない。引きずり込むように同じと思ってしまったことが心の中で冷笑を誘う。そして、もういちど彼女彫刻を盗み見て、自虐的に笑いそうにもなる。


「俺は、小永吉慶太たい。で、こいつらのなんね?」


 詰問のように訊ねる先輩。その言葉に彼は言い淀む。少し目尻が下がっているところや、愛嬌のある鼻の形に何故か見覚えのある気がして、私は不思議に思った。そして、そんなことを考えながら成り行きを見守る私の視界に彼の視線が飛び込んできて、「彼氏です」と、戻すなりサラリと答えたのを見た。うん、そうか。彼氏か――。


「……………………はぁぁぁぁっ!?」

 

 先程までの思考が吹っ飛んだ。そして、『彼氏』という言葉の意味を履き違えてないかどうか頭の中のコトバンクで検索して自信を取り戻したとたん、言い知れない感情に気がれそうになる。

 もしかしてこれは、先日の仕返しなのだろうか。だとしたら、絶対に謝らない……。


「彼氏か。別にナンパしとるわけやなかけん、ちょっとあっちで待っとかんね」


「でも、嫌がってますよ? 止めてあげた方がいいんじゃないでしょうか?」


 問題発言について、私は片手を伸ばして抗議してる。でも、顔面が痙攣するだけで声になってない……。


「大丈夫ね?」


 いつもの弥生がキョトンとした表情で言う。私は硬直してしまった体の所為で、彼女の方を満足に向くことすら出来ない……。


「せからしか男やね。そんなに女の前で恰好つけたいとやったら、勝負せんね」


 どうしたらそうなってしまうのかと、蒼ざめながらも不思議に思っている本人を他所に、「サッカーとかバスケトとか、苦手なんです……」と、彼は先輩のウエアを確認しながら困ったように告げる。


「運動やったら、なんでもよかぞ」


「そうですか……。じゃあ、テニスでもいいですか? 硬式」


「はっ!? テニスか! お前、こう見えても俺はテニスが一番得意とぞっ!?」


 先輩は呆れたようにして笑っていたけれど、「お願いします」と一礼した彼の肩から黒のラケットケースとシューズケースがずれて見えると、「準備よかやっか」と薄ら笑いで讃えて、「道具ば取ってくる」と、そう言って動き出し、そして、場所を移すこととなった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君の彼女でよかったとよ。 ひとひら @hitohila

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ