1-23 近づいてるような、遠ざかってるような……

 あれから特に何もなく、あったのは体育祭の準備くらい。ちなみに体育祭の出場種目は俺の希望通り八十メートル走と障害物競争になった。そして本番を四日後に控えた今日は例の佳那芽さんとの……デートの日だ!本人がデートって言ったんだし、俺もそう言ってもいいと思いません?

 という訳で今現在、佳那芽さんの家に向かっている途中だ。お小遣いも食費も持ってきた。スマホにハンカチ、ティッシュもある。服装は七分丈の紺のズボンに黒と赤のボーダーのT-シャツ。最低限おかしくない服装だと思う。

 近づいて行くと同時に自分の心音がどっどっとペースを上げていくのがわかる。落ち着きのおの字もない。

 一歩、また一歩と確実に近づいて行き、そしてようやく佳那芽さんの家にたどり着くことができた。何だか無性に疲れた気がする。俺は一つ、二つと深呼吸をしてインターホンを鳴らした。


「はい、どちら様?」


 聞こえてきた声は、佳那芽さんによく似ている、けれども少し低めのゆったりとしている声だった。お母様だろうか。

 ……お母様!?


「え、えっと、佳那芽さんとその、遊ぶ約束をした天篠巽と申します……」


 てっきり佳那芽さんが出てくれると思っていたので、慌てふためいてしまう。落ち着け俺、きょどり過ぎだ。


「あら、佳那芽のお友達ね?佳那芽ー?天篠巽さんがいらっしゃったわよー」


 インターホンから聞こえるお母様の声。微かに聞こえた佳那芽さんの声。声が似ているのもそうだが、佳那芽さんの普段家族に使うような、砕け切った言葉遣いの時のしゃべり方も似ていて、親子だなーとか思っていると、ガチャリと玄関が開いた。


「あはは、おはよう巽君」


 佳那芽さんは少し決まりの悪そうな様子だ。何かまずいことでもしたかな?


「おはよう佳那芽さん。それで、俺はここで待ってればいいかな?」


「うんん、上がって。少しお話もあるから」


「そっか、じゃあお邪魔します」


 家の中に通され、佳那芽さんの部屋に行く。あの日と同じように。すぐに出かけなくてもいいのだろうか。話があるから早めに呼んだのならそれでいいんだが。


「それで、お話とは?」


「……大変言いにくいんだけど」


「うん」


「女装しない?」


「しない。で、何で?」


「もう拒否してるじゃん!」


「したね。でも一応理由を聞いておこうと思って」


「それ次第で……」


 佳那芽さんが期待の眼差しを向けてくる。ああ、なんてキラキラした瞳だろうか。早々にその期待を折ってやらねば。


「答えは変わらないです」


「えぇ……」


「それを言いたいのはこっちだよ。何で俺が女装しなくちゃいけない?」


 そう問うと、佳那芽さんはすーっと目線を逸らしながらぽそりと呟くように事情を話し始めた。


「実はですね、今日行くのがBLのちょっとしたイベントでして」


「うん」


「それも結構エロいやつ。だから女装した方が周りの目は気にせず行けるよって言う私なりの配慮でして」


「うん」


「お一人二つまでしか買えない限定グッズがあるし」


「なるほどね」


 つまり佳那芽さんは俺に女装して限定グッズを買ってほしいってことか。そして女装は俺が周りの目から守るものであると。

 男のプライドを捨てて周りからのダメージを防ぐか、男のプライドを守って大きな精神的ダメージを食らうかの二択を迫られている。

 二択?ふざけるな。俺は傲慢なんでね、男のプライドを捨てずに精神的ダメージを防ぐ!


「とりあえず、女装は絶対できない。似合わないだろうし。ただ、一度家に戻っていい?」


「何するの?」


 佳那芽さんは訝し気な様子で俺に尋ねる。それに対して俺はドヤ顔で答えた。


「変装するんだよ。『天篠巽』がダメージを受けないようにね!」


 ***


 今現在、我が家には佳那芽さんがきている。咲哉は部活、両親は仕事だ。俺は佳那芽さんにリビングでくつろいでもらっている間に自室で着替えている。俺が普段着ないような服に。

 少しばかり、父親の持ち物も借りつつだが。自前だけでは足りない。

 普段履かない紺のダメージジーンズに、なんか形がかっこいいチェーンを付け、ベルトも金属キラキラの奴を付けている。

 上は歪んだ紫の髑髏がでかでかとプリントされている袖が七分の黒T-シャツ。袖も部分は黒と濃い紫のボーダー。

 髪は眉間にかかる髪を上げてワックスで軽く固め、一応ヘアピンでとめておく。そして仕上げに何故か似合うグラサンをかけた。

 ……これ大丈夫?やばくない?


「……佳那芽さん、お待たせ」


 俺の声に反応して、佳那芽さんがこちらを向いた。そして驚いた表情をする。まあでしょうね。


「……これ、大丈夫かな?一緒にいられる?」


「ん?大丈夫だよ?かっこいい」


「そ、そっか」


 いつの日か、女の子の褒め言葉は素直に受け取っちゃダメってじいちゃん言ってたなぁ。でもごめん。かなり嬉しかったので素直に受け取っておきます。

 馬鹿者ーっ!とじいちゃんの声が脳内に響くのを外に追いやって一息つく。


「それなら行こうか?」


「うん!行こっ!」


 いい笑顔を見せ、玄関に向かう佳那芽さん。今から行くBLイベントがよっぽど楽しみらしい。


 ***


 そして、とうとうやってきてしまった。例のBLイベント。全国有数のアニメショップ内での開催なのでドンと大きいイベントではないように思うが、かなりの人がきている。

 もちろん、というべきか女性の姿しか見受けられない。そして俺を見る視線も、中々に集まっているように感じる。


「やっぱり見られてるね、巽君」


「あー、うん。感じるよ、視線」


 もう男がーとかそいう言ことでなくグラサンがダメな気がする。この場に不似合いだ。ちなみに精神的ダメージは全くない。別の人になれているような感覚が、ダメージを防いでいるのだろう。


「それで、俺は何を買えばいい?」


「限定イラストの色紙!」


「色紙ね」


「うん。欲しいのが四枚あってね。なのにお一人様二枚までって言うもんだから」


「なるほど」


「だからこれとこれ、買ってくださいな!」


 取って渡される二枚の色紙。そこに書かれている絵を見て、そして佳那芽さんが取った色紙の絵を見て、頭を抱える。


「なんで俺に上半身裸の奴を押し付けた?」


「たまたまだよ」


 けろっとした顔で言って、他のグッズを楽しそうに物色する佳那芽さん。それを見ているとくどくどというのも憚られる。

 若干放置されてる感があるけれど、まあこれはこれでいいかなと思う。

 しばらくして、一緒にレジに並ぶ。佳那芽さんの手にはグッズがいっぱいあった。


「それ、全部買うんだ」


「うん。久しぶりにきたから勢いでいろいろ手に取ってたよ」


「まあわからなくもない」


 俺は佳那芽さんの推しの話などに耳を傾けつつ会計の時を待つ。内容はむつかしかったので覚えてないです。

 そしてついに会計の時間。俺は次の方どうぞーという男性店員のもとに向かった。どんな顔で見られてるかは怖くて見れなかった。ただ淡々と会計を済ませ、邪魔にならないように外で待つことにした俺は、佳那芽さんの後ろを通る際に外で待っていることを伝えてから出る。

 日が照っていて、暑さを感じる。もうすぐ六月だし、格好的にも暑いのは仕方ない。視線に関してはさほど気にならなくなった。というか周りが俺を気にしなくなったというべきだろう。


「巽君、お待たせ」


 トンと肩を軽い衝撃と、佳那芽さんの声がした。


「ん、ほかに見に行きたいところはない?」


「あるにはあるけど、見に行くと買いたくなっちゃうからなあ」


「止めてほしいなら止めるけど」


 佳那芽さんはうーんと唸って、首を横に振った。俺はそっかとだけ言って歩き始める。


「ありがとうね、巽君」


「んーん、俺も楽しかったし」


「BLを見て?」


「違うから。だからキラッキラした目を向けないで」


 グラサン越しなのに眩しいってどういうことよ。太陽超えてるじゃん。


「まあ、巽君がBLで楽しんだか楽しんでなかったかは置いておいて」


「いや、それははっきりしてるんだが?」


「次は巽君のお買い物だよ」


「ああ、本当についてくるんだ」


「もちろん」


 何故か楽しそうな笑みを浮かべている。そんなに楽しいようなものでもないだろうに。


「それじゃあまあ、行きますか」


「うん!」


 ***


 スーパーで買い物を済ませ、俺は佳那芽さんを家の近くまで送ることになった。その間、俺は佳那芽さんの話をずっと聞いていて、相槌を打つ。全部BLの話だったけど、俺と玲司のことは一つも話さなかったのが、ずっと聞いてられた要因でもあるだろう。

 そんなことを思っていると、不意に佳那芽さんがBL語りを止めた。


「どうかした?」


「こんなにBLの話したの、同じ腐女子の友達を除くと初めてかもって思って」


「……俺でよけりゃ聞くよ」


「巽君……それってレイ×タツも?」


「あ、それ以外で」


「ですよね」


 佳那芽さんは頻りに笑う。そして


「やっぱり好きだなぁ」


 と、呟いた。俺がその言葉をうまく飲み込めないでいると、佳那芽さんはニッと俺に笑いかけてきた。


「巽君はやっぱり一推しだよ」


「……ああ、そっか。そりゃ光栄だ」


 ですよね、と思う。その上げて落とす感じ、悪くない。おかしいな、俺はMじゃないはずなのになあ。


「あ、巽君、ここまででいいよ」


「ん?ああ、もう近くか」


「うん。だから、またね。巽君」


「ああ、またね」


 ……なんだろう、佳那芽さんとの距離は近づいている気がするのに、目標からは凄く遠ざかってるような感覚は。

 もっと精進しなければ。そう思った俺であった。

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