5日目「和室」

葛藤

 誰か助けてくれ。意識が混濁して、同じことを五秒以上考えていられない。頭の中をマドラーで攪拌されてるような気分だ。こんな状態が続けば確実に気が狂う。昨日生まれた謎の不安もいまだに収まる気配がないし、鳩尾あたりの鈍い痛み……まさか腸炎じゃないだろうな……。


 とにかく思考を整理するぞ、そのための日記だ。そのための言語だ。朦朧とした意識に活を入れてやるんだ。


 お決まりのテーマ:今日の仕事について。現場は和室。実施作業は空間の測量・イアの観察・物品の目録作り・事物の命名。自室でこの仕事を開始してから、もう五日も経つのか! よくもまあ飽きもせず、無益な作業を五回も繰り返せたもんだ。


 今日だって仕事の間中、「なんて無益な作業だろう。なんて無益な作業だろう」と心の中で唱え続けていたくせに、それでも作業を止めないんだから、もはや強迫観念の域だね! 過去の俺に偏執的な傾向はなかったはずだから、病気のラインナップに新しいのがまた一つ加わったのかもしれない。ようこそ我が肉体へ! 他の病気達とも仲良くしてやってくれよ!


 まあ、空間の測量だとか物品の目録作りなんて中身のない仕事、精神をやられてもおかしくないわな。


 いや待て。俺は仕事の内容に不満があるから、作業が無益だと感じているのか? 測量や目録作りを止めて、もっと有意義な仕事に切り替えれば、問題は解決するのか?


 いいや違うね。仕事の内容が何であれ、体の底から巻き起こる吐き気と嫌悪感を抑えることはできないはずだ。そういうのは直感で分かる。これは、そんな生易しい問題じゃないんだ。


 なら、どんな問題だ? 


 この問題の本質はどこに潜んでいるんだ?


 俺はどうして不安を感じている? 


 俺は一体何を恐れている? 


 作業に疑問を抱き始めたのはいつからだ? 


 誰がこの問題を解決してくれる?


 誰も解決してくれない! 忘れたか、この世界の定住民は俺一人なんだぞ! 思考も行動もまともにできない病人の俺が自分で解決するしかないんだ、クソったれ!


 考えても考えても答えの出ない疑問と戦っていたせいで、今日の仕事は全く身が入らなかった。一応、ルーチンワークは終わらせたが、形式的に仕事を済ませただけのこと。和室に何があったか、実際ほとんど覚えていない。畳は六畳だったか? それとも七畳だったか? 知るか!


 やりたくもない仕事を無理してやったから体調が悪化したんだ。自然な欲求に逆らったのが、全ての元凶なんだ。だから食欲も無くなって、夜の義務で半分以上の食糧が手つかずになるんだよ。


 だが、一つだけ。和室の北東角で位牌を見つけた時のことだけは忘れもしない。


 誰のものかも分からない、金文字が書かれた黒い位牌。それを見た瞬間、私はいびつな連想をした。



 位牌――悟り――修行



 そして、なぜか深く心を動かされたのだ。私には、位牌が暗室をまばゆい光で照らし出す蛍光灯のように思えた。この位牌が暗示するものの先に世界の真理が待ち受けているような、そんな観念を抱いた。



 位牌――悟り――修行



 気まぐれな連想のおかげで、突拍子もない考えが頭に浮かんだ。その思いつきは明日の午後に実践するつもりだ。うまくいけば、意識のぐらぐらが収まるかもしれない。明日の試みは、私の救済を懸けた荒療治になるだろう。不安も葛藤も取り除かれ、清浄な精神が帰ってくることを願っている。心の平安こそ、私が一番望んでいるものだ。そのためなら、命以外の全てを捨てても惜しくはない。


 ああ、日記を書くのが嫌になってきた。この不快感の正体も謎だ。怒る理由など何もないのにイライラが止まらない。もういい。今夜は睡眠導入剤の力を借りて早めに寝よう。消費期限が切れた錠剤が何粒か薬箱に残っていたはずだ。どうせ翌朝立ちくらみを引き起こすのだろうが……もう、どうとでもなれ!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る