3日目「階段とトイレと浴室」

運動、義務、娯楽

 昨日の自分と今日の自分。


 今日の自分と明日の自分。


 同じ「自分」であるはずがない、俺は生物なのだから。


 三年前に一日だけハマったジグソーパズルが良い例だ。ある日、物置きにしまってあった1000ピースパズルを偶然見つけ、何としてもこれを完成させたいと異常な熱に取り憑かれた。義務の時間以外を全てパズルの組立に充て、就寝時刻までに約5分の1の面積を埋めることができた。続きは翌朝に回すつもりで組立を中断し、その日は寝た。


 そして、翌日……目覚めると私はパズルへの情熱を完全に失っていた。


 熱しては冷め、冷めては熱せられる冷暖房機のように、激しく浮き沈む気分。過去に躁鬱病を経験しているが、その名残なのかな? 症状的には注意欠陥多動性障害や統合失調症ではないはず。まあ、何だって構わないんだけど。病名や病状が何の意味も持たないのは百も承知だ。


 問題は、一貫性を保てない現状にどう対処するか、この一点に限る。


 そして、それはそんなに難しいことじゃない。


 「自分」を維持するのは難しい。それなら、ありのままを受け入れてやればいいんだ。自己同一性なんて捨てちまえ! その瞬間その瞬間で湧きあがる直感に身を委ねろ! 今の意識だけに全神経を集中させろ!


 それこそが「自分」だ、「自分自身」だ!


 変化に抗う必要はない。無茶はするな、お前は病人なんだから。この日記だって体裁を整えたりせず、意識のおもむくまま適当に書き殴ればいい。どうせ誰にも読まれないんだし、将来自分で読み返すこともないんだろ? 


 だったら自由に書くのが一番だ。ストレスを感じて、鬱病になってもしょーがない。これ以上自律神経を乱したら、ほんとに狂っちまうぜ?


 さあ、現実を受け入れよう。私の体は「反復」や「継続」に不向きだという悲しい現実を。「自分」を保てない者が、習慣を続けられるわけがない。私は同じではいられない、私は同じではいられない、私は同じではいられない、私は同じではいられない……。


 だからこそ、日記を四日間、仕事を三日間続けたのは、ほとんど奇跡に近い偉業だといえる。誰にも読まれない日記、報酬ゼロの仕事……どうやら俺は役に立たない無駄な作業ほど、やる気が出る性分らしい。


 仕事は六日間で終わらせる予定なので、これで全タスクのちょうど半分が完了した計算になる。不遜な考えかもしれないが、今回の仕事「世界の再定義」は無事に完遂できるような気がしている。この仕事に対する異様な熱情が、全身で沸き立つのを感じるのだ。もはや偏執レベルにまで高められた熱意が、世界の再定義へ私を駆り立てている。


 それでは、今日の仕事の報告を行う。現場は三ヵ所――階段・トイレ・浴室だった。仕事内容は前二日間と同じ――空間の測量・イアの観察・物品の目録作り・事物の命名――以上四つを各現場で行った。


 仕事の感想を現場ごとに記しておく。



【その1:階段について】


 階段は、自室の扉から直線距離1.63メートルの場所に位置する。種類は折り返し階段、手すり付き、踊り場はなし。私は一階に行くためにこの階段を利用する。一階には朝・昼・夜の義務を行う食卓と、不定期の義務を行うトイレが存在するので、生きていく上でこの階段を避けて通ることはできない。階段は通食路及び通便路の一部なのである。


 また、体力維持の観点からも、階段の果たす意義は大きい。高低差のある場所でのウォーキングは筋肉への負荷が大きいため、運動効率が高いのだ。健康が向上している実感は得られないが、階段運動が心身の衰弱に多少なりとも歯止めをかけているのだと私は信じたい。なんたって、毎日欠かさず運動してるんだからね。


 そして! これが一番書きたかったのだが、階段で世紀の大発見を成し遂げた。なんと、階段の段数が十四段であることを突き止めたのだ! 生まれてから優に一万回は往復してたはずなのに、ずっと見逃してたんだなあ。真理はいつも目の前にあるってのは真理ですね、いやマジで。



【その2、トイレについて】


 階段を降り終え、左折してすぐのところにトイレがある。


 トイレのメイン設備は便器だ。便器は三つの役割を兼ね備えている。


 陰茎から排泄された尿を処理する役割。

 肛門から排泄された糞を処理する役割。

 口から排泄された吐物を処理する役割。


 とりわけ最後の役割が重要で、急性胃炎に罹患した日には便器が大活躍する。ご丁寧に、便器の周りには補償スペースまで設けられている。口から撒き散らされる胃液のスープを便器に収めるのは至難の技なので、ナイスな心配りだ。 


 つくづく思うよ。トイレと寝台と食卓さえあれば人間は生きられる、ってね。



【その3、浴室について】


 階段を降りて右折すれば浴室だ。トイレや自室に比べると重要度は圧倒的に劣る。


 そりゃそうだろう。風呂がなくても人間は死んだりしない。お湯で垢を洗い流したり体を綺麗にすることは、義務というよりむしろ娯楽の領域だ。体が清潔になると気持ちがいいし、水浴びは皮膚に快楽をもたらす(まあ、後で保湿クリームを塗らないと逆効果だけど)。


 必然、浴室を「娯楽室」に改名する案もあったのだけど、私は脱衣所と洗面所と風呂を一括して「浴室」と総称しているので、娯楽一辺倒とは言えない点を鑑み、名前に手は加えなかった。


 重要度が低いとはいえ、浴室はお気に入りの場所だ。なんたって、俺の唯一の娯楽は「洗浄」。毎日、深夜の義務の前に入浴と歯磨きを行うのが、たった一つの純粋な楽しみなわけで。別に体を洗うのが死ぬほど好きなわけじゃなく、これ以外の娯楽が身体的に封じられてるだけなんだが。他に選択肢がないと、人間はどんなことでも貴重に思える生き物らしい。これも環境に適応した結果かな。



 感想、終わり! 明日の現場はリビングとキッチン、仕事量は過去最大と予想される。きっと忙しくなるだろうから、今日はもう寝ます。おやすみ!


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