第36話 おばあちゃんからの手紙

 怖い、怖いおばあちゃん行かないで。

 いつも元気でいてくれた。だから私は安心しきっていたんだ。

 仕事も恋愛も上手く行っていると調子に乗って、大切な家族の異変に気づかないなんて最低だ。

 離れているとか関係ない。高速を走ればすぐの距離なのに、なんで帰らなかったんだろう。

 私のことを理解してくれる唯一の家族がいなくなった。


「ううっ、怖いよ。一人になるのが、怖いっ」


 両手で自分の体を抱きしめて、廊下の床に頭をつけた。

 そんな時に、慌ただしく玄関の扉が開かれた。


「おわっ! 奏!」


 未だ部屋に上がってなかった私に、亮太がぶつかりそうになったみたい。

 何か言わないと、でも声が出なかった。


「奏、ちょっと触るぞ」


 亮太がそっと私の靴を脱がせた。その後、自分の靴を脱いで私の横に座った。

 優しい手付きで髪を撫でている。そして、


「ひやっ」

「動かないでくれよ?」


 脇に手を挿し込み私を起こすと、今度は横抱きにしてリビングに入った。

 私はされるがまま、ショックで力から抜けていたので凄く重かったと思う。

 亮太は私をソファーにゆっくり下ろして、私の前に膝をつき下からそっと覗き込んできた。


 亮太の方が今にも泣きそうな顔をしていた。


「りょ、う、た」

「奏っ!」


 亮太が私をきつく抱き締める。息が詰まるほどに強くて驚いた。

 彼が背中に回した腕は震えていた。いや、私の体が震えていたんだ。

 抱きすくめられたまま、ただ亮太の温もりを感じている。


「おばあちゃんが」

「うん」

「逝っちゃったの。私を一人に、してっ」

「奏」

「怖いよ。怖いよ」


 何が怖いのか分からない。でも、全部が怖かった。

 お父さんも、お母さんも私を置いていった。一人っ子の私を置いて二人仲良くいなくなった。


「俺がついてる。俺が、俺が奏の側にいるから」

「りょうた。りょうたは行かない? 私を置いて行かない?」

「行かない! 奏を置いて行ったりしない」

「うああっ。亮太ぁぁ、家族がいなるって凄く怖い! 帰る場所なくなっちゃったよぉぉ」


 亮太は私をソファーから下ろし、私を包み込んだ。

 私は縋るように亮太の背中に腕を回して、彼のジャケットがクシャクシャになる程強く握り締めた。



 暫くそうしていると、私は徐々に落ち着きを取り戻していった。

 亮太の胸の音を聞いていたからかもしれない。


「ごめっ、私っ取り乱した」

「ううん。それでいいんだ。感情は殺してはいけない」

「あ」

「どした?」

「手、外れなくなっちゃった」

「え? ああ。自然に外れるまでそうしとけよ」

「うん」


 強く握りすぎて指が固まってしまった。でも、亮太の胸の中にいるととても安心する。


「こんな時にする話じゃないけど、俺たち家族になろう」

「え?」

「俺、おばあちゃんの孫になりたいんだ」

「亮太」

「いい?」


『奏、亮太さんを離すんじゃないよ』


 その時、おばあちゃんの最期の言葉が蘇った。


「うん」

「よかった。じゃあ、おばあちゃんを迎えに行こう」


 私たちは荷物をまとて、亮太が運転する車で病院に向かった。途中で父方の親戚から電話があった。何年ぶりだろうか。葬儀の事とか、家の事とか聞かれたけど分からなさすぎて答えられなかった。


「奏、大丈夫。先ずはおばあちゃんの顔を見てからだ」

「はい」


 それに比べて亮太は私よりもずっと冷静だった。彼が居てくれて本当によかった。私ときたらまだ、唇が震えている。

 時々、亮太が気遣うように私の顔を見る。でも気づかない振りをした。

 見たらまた泣いてしまうから。


 田舎だった事が幸いし、近所の人や区長さんが駆けつけてくれて通夜と葬儀の手配をしてくれた。私たちは、おばあちゃんを家に連れて帰った。

 お布団に寝せて、冷たく固くなった手を握った。


「おばあちゃん。遅くなってごめんね。地区長さんが手配してくれるって。おばあちゃんの人柄だね」

「奏、これ!」


 そんなとき、亮太が手紙を持ってきた。リビングのテーブルの上にあったと言う。


「私宛にだ」


 それは、おばあちゃんからのものだった。


『奏。ばあちゃんはそろそろ逝くよ。じいちゃんが痺れを切らしたらしい。葬儀の費用は私の貯金から使うこと。適当でいいからね? 立派にされたって死人には関係ないから。手間を掛けるけど宜しく頼むよ。それからね、亮太さんと結婚しなさい。これはばあちゃんの命令だ。あの人は間違いない。後のことは弁護士に任せてある。たぶん私が死んだ途端に親戚が増えるかもしれない。厄介だねえ。ま、適当にあしらっておくれね』


「おばあちゃん。ふふっ」

「奏?」

「ごめん。なんか、おばあちゃんらしい内容で笑っちゃった」


 おばあちゃんは自分の死期を悟っていた。

 さすが、おばあちゃん。おばあちゃんの霊感は自分のことも分かるらしい。



 その晩、通夜がしめやかに行われ、翌日には葬儀も終った。

 おばあちゃんは小さな白い箱になった。

 亮太は葬儀が終わると一旦仕事に戻り、初七日にはまた戻って来て一緒に過ごした。


 そして初七日が終ったのを見計らって、私宛に弁護士から書留が届いた。


「亮太。このお家、私にくれるんだって」

「そうなのか!?」

「残った遺産はぜーんぶ森川奏に与えるだって。どうしよう、突然富豪になった気分」

「ばか」

「へへっ」


 おばあちゃん、私にこの家を守れるのかな。

 嬉しいけれど荷が重くて、不安になる。


「おばあちゃん......」

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