第31話 君が帰る場所は俺の腕の中

 目の前には会いたいと願った人が立っていた。でも、だからって今すぐ会いたいわけではなかったので正直言うと戸惑っている。

 もう少し気持ちを落ち着かせて、自分の頭を整理してから帰ろうと思っていたから。なのに目の前の亮太はめちゃめちゃ不機嫌な顔をしていて、拳まで握っている。


(えっ、私なにかした? まあ、電話は無視したけど)


 なんだかとても嫌な予感がする。


「あれ?」

「あれって何だ、あれって!」

「やだ、なんで怒ってるの?」


 亮太は仕事帰りか、仕事中なのか不明だけれどスーツを着ていて首から例の紐が見える。例の紐というのは警察手帳を下げている皮ひもの事だ。

 無造作にスマホを内ポケットにしまった亮太は、今度はその手を腰の後ろに回した。

 何かの捜査途中だったんですか? と聞きたくなるような装備をしていた。

 腰のベルトは普通のそれじゃなくて、無線とかその他もろもろ警察グッズがついているものだ。


 ―― チャリッ 

 鉄が擦れる音がした。

 ―― ジャカッ 

 なにその、不謹慎な音は!


「えぇぇー! なんで、どうして亮太っ。こ、これっ」


 亮太は慌てる私に冷ややかな視線を向け、私の荷物をベンチから乱暴に持ち上げた。そして私は、無理やり引き起こされて立たされる。

 私の右手には銀色の冷たい輪っかが嵌っている。反対の輪っかには亮太の左手に嵌っていた。


「て、て、手錠!」


 亮太は右肩からジャケットを脱ぎ、手錠がかけられた左腕に巻き付けてそれを隠した。

 私は亮太にぐいぐいと引きずられて公園から出た。大股で進む彼に置いて行かれないよう、私は小走りになった。手は繋がれているので置いて行かれる事はないけれど、距離が開くと痛い。あっと言う間にマンションに帰って来た。


 玄関のドアが開くと、押し込まれるようにして自室に戻った。


「待って、待って! 何これ。私、何もしてない。むしろされた方だし! なのになんで」


 私はパニックと恐怖で、気付けば泣いていた。手首は擦れて赤くなっていて痛い。でも痛いのは手首じゃなくて心だった。


「奏、ごめん! 許してくれ!」


 亮太はそう叫んで私を正面からきつく抱きしめた。構えていなかったせいもあり、ドンと顔が胸に当たる。「苦しい」と訴えても体は離してもらえず、「離して」と言うと更に力を入れられた。

 その強い力とは反対に亮太の体と声は震えていた。


「ごめん、ごめんな……」


 こんなに謝ってもらうようなことを、彼にされた覚えはない。


(なに? どうしちゃったの亮太)


「亮太。ねえ……顔見せてよ。見えないと不安になる」

「……」

「お願い」


 亮太は抱きしめる力を緩めて、顔を私に向けた。相変わらずのしかめっ面でちょっと笑えた。


「んふっ」

「笑うなよ」

「だって、なんでそんな顔をしてるのよ。怒りたいのはこっちです」

「ごめん」

「だから、ごめん以外が聞きたいんだけど」


 亮太は困ったように笑って、ちょっとだけ顔の強張りを解いてから静かにベッドに座った。手は繋がれたままなので私も一緒に隣に座る。


「俺、警察官なのに奏を監禁しようとした。手錠して動けなくして、鍵かけて何処にも行けないようにしようとした」

「うん」

「奏が帰って来なかったらどうしようって考えたんだ。そしたら俺の中に眠っていた、どす黒い感情が湧き出て来て、奏のことを誰の目にも触れないように俺だけのものにしてしまいたいって思ったんだ。一人になりたくない、奏だけは傍に居て欲しいって」


 亮太は手錠で繋がれた腕を上げて「ごめん痛かったよな」って言って鍵をさした。パキッっとあっけなくそれは解錠されて私は自由になった。隣で亮太は項垂れている。


「とんだ警察官だわ。監禁って、すごい世間を騒がせるニュースになっちゃう」

「ごめん」

「でも、同意のもとなら、ちょっと変わったプレイになって罪は問われないね」

「え?」


 亮太が私にだけは傍に居て欲しいって言った。それがとても嬉しかった。

 こんなに感情的に彼が表現してくれた事に、私は喜びを感じていた。もう変態とでも何でも呼んでもらってかまわない。


「亮太の事が好きだから、許してあげる」

「奏」

「私の彼、そう言うプレイが好きなのって言っちゃうからね」

「そういうプレイって」

「ねぇ、私の事好き?」

「っ。俺、奏が、好きだよ」

「ふふっ。やっと言った」

「俺っ、奏の事、愛してる」

「うわぁっ!」


 最後の「―る」の所で、おもいきり後ろに押し倒された。幸いベッドの上だから痛くはない。

 でも驚いて変な声を出してしまった。亮太は私の肩に顔を埋めたまま動かない。ただ、穏やかな息が私の首にかかっている。


「俺、ダメだな」

「なに弱気になってんの。私は何処にもいかないよ」

「ここがおまえの家だから。奏が帰る場所だから」

「うん」

「俺の、腕の、中」

「うん」


 なんかちょっと感動して涙が出てきたじゃない。

 私は亮太の背に腕を回してギューッて、大丈夫だよって気持ちを込めて抱きしめ返した。

 しばらくそうしていると、腕が力なく落ち、ずっしりと重みを感じはじめる。


「ん? 亮太? ねえってば。おーい。ちょっと、嘘でしょ」


 スースーと穏やかな寝息を立てて、亮太は私の上で眠ってしまった。なんてことだ。もしかしたら眠れなかったのかもしれない。あるいは、仕事で夜通し走り回ったあとなのかもしれない。


(それとも私の事を考えて眠れなかったの? そうだったら嬉しいな)


 頑張って亮太を隣に転がした、ゴロンって勢いよく転がったけれど起きる気配はない。


(なによ、本当に憎めないやつ)


 寝顔を見ていたら私まで眠くなってきた。だって、私もほとんど眠れなかったから。もちろん亮太の事を考えて。

 投げ出された亮太の手首にはまだ手錠が付いたままだった。

 なぜか私はもう片方の手錠の輪っかを取って、また自分の手首に嵌めてみる。


 取りあえず目が覚めるまでプレイ続行という事で。


「あー、真希さんに謝らないとなぁ」


 そんな事を考えながら、私も目を閉じだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る