第9話 監視下に置かれる

 カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。ゆっくりと目を開けて驚く。


「ここ自分の家じゃなかったんだよ……寝てるし」


 二度寝は気持ちよく、ぐっすり眠ってしまった。

 慌てて起き上がってそっと部屋から出ると、伏見さんはリビングのソファーで寝ていた。

 二、三人は座れるはずのソファーだけど、彼の脚は長いから見事にはみ出していた。「申し訳ない」と心の中で深々と頭を下げる。

 それにしても、遠目から見ても彼はスタイルがいい。私は出来心から、イケメンだけど口の悪い男の寝顔が見たくなった。そろりと近づいてその寝顔を上から覗いた。


「はっ」


 私は思わず声が出そうになったのを両手で押さえる。

 男なのに寝顔が綺麗ってどういうことだ。整った眉毛、閉じられた瞼には長い睫が生えていて、少し高めの鼻とキュッと結ばれた薄い唇。モデルと言われても疑わない顔立ちだ。


(本当にあの、口の悪いドSな警察官ですか⁉︎ ヤバい人に手を出してしまったわ!)


 私は心の声を大にして叫んでいた。


(帰ろう!) 


 私は再びベッドがある部屋に戻り、自分の服に着替えた。

 因みに自ら脱ぎ捨てたと思われる服は、とても綺麗にたたまれていた。自分のたたみ方と明らかに違うので、これは間違いなく伏見さんがたたんでいる。


「すごく、丁寧な仕事をするんですね」


 私は音を立てないように、伏見さんが寝ているソファーの後ろを忍び足で通り抜けて玄関に向かった。


 そして、ドアに手をかけてふと気になった。


(これ、私が出たら誰がカギをかけるんだろう。開けっ放しはまずいよね。いくら男の家で、彼が警察官だとしても危険よね。それにしても泥棒も開けてびっくりよ。警察官宅に窃盗って、ある意味かわいそう)


「あんたの頭の中って、マンガだな」

「きゃぁぁ!」

「まさか黙って帰ろうとしたのか」

「え、ええ。だって気持ちよさそうに寝てたし、お疲れだろうなって思って」

「忘れたのか。あんたは俺の監視下に置くって言ったのを」

「それ、やっぱり有効ですか」

「だって俺、手出されたんだろ。しかも年上の女に」

「だー! それ言いますか! ってか、本当は私そんなことシてないんじゃ」

「どっちなんだよ。シてないっていう証拠は?」

「ううっ」


 どうしてしていないとキッパリ言えないんだろう。


(シてないよね。うん絶対にシてない!)


 でももしかしたら、大変失礼なことを致してしまったかもしれないじゃない。それを思うと言えない。


「今日休みなんだろ? 俺も休みなんだよ」

「なんで私の休み知ってるんですかっ!」

「昨夜言ってたぞ。私明日は休みだから X X Xなんちゃらって」

「ちょ、その X X Xなんちゃらって何っ」


 伏見さんはニヤリと感じの悪い笑顔を見せた。やっぱり私は、何か至らぬことをしてしまったのだろう。


「腹減った」

「はい?」



 ◇



 私は台所に立ち、包丁を握りトントンと葱を刻む。葱があったことには驚いたけど。それよりも包丁がよく切れて怖いくらいだ。

 本当に男の一人暮らしだろうかと疑うくらいに、キッチンは充実していた。私はごはん、お味噌汁、卵焼きに野菜炒めを作った。


「どうぞ……」

「悪いね」

「いえ」


 簡単な会話で朝食は始まった。

 難癖つけてくると身構えていたけれどそれはなく、伏見さんは黙って私が作った朝ごはんを食べている。しかも「おかわり」とお茶碗を出されてちょっと驚いた。

 二十七歳、まだまだ食べ盛りなのだろうか。


「あの、監視下に置かれた私は今後どうなるんですか」

「まず、定期的に連絡する事。で、勤務表が出たら写メして送る事。取り敢えずはこんな感じだな」

「私、伏見さんの連絡先知りませんけど」

「ああ、もう交換済みだから確認してみろよ」

「はあぁっ⁉︎ いつ交換したんですか!」


 どうも私が寝ている間にデータ交信した模様。プライバシーの侵害だと言ったら「スワイプひとつで解除できる方が悪い」と痛い所をつかれた。直ぐに、ロック掛けねばっ!


 私のスマホの電話帳に【伏見亮介】という名前が追加された。


「これって職権濫用なんじゃ」


 思っていた事を口にしただけななに、伏見さんからきつく睨まれる。

 あまりにも不愉快なので食器を洗うために席を立つと、伏見さんは俺が洗うと言って、手際よく片付けをしてしまう。


(もうすることないよね!)


「じゃあ、私は帰ります」

「……」

「いいですよね」


 許可を求めることや、彼が年下なのに敬語を使ってしまうことが腑に落ちない。でも、昨夜の記憶がないのだから仕方がない。下手に強く出て万が一ぼろが出たら、それこそ一大事だ。


(居酒屋から出た所まで何となく覚えているんだけどなぁ……)


「あ、お金! 昨夜のお食事代、まだ払ってませんよね? 払いますので」

「いいって、大した額じゃねえし」

「え、でも」

「あーもう、イライラすんなぁ。要らないんだって」

「イライラするって。ん?」


 なんかこのフレーズ聞いたような?

『あんた見てるとイライラする』

『じゃあ見ないで下さい!』

 確か、そのやり取りの後に抱きしめられたような......。


「はっ!」

「なんだよ」


 どうしてその場面だけ思い出してしまったのだろう。確かにあのとき私は、久しぶりにときめいたし、なんともいえない恥ずかしいような、心地いいような気持にはなった。

 だって、黙っていたらすごくイケメンなんだよ、この人。


「おい、なんでそんなに顔が赤いんだよ」

「え? 嘘っ、赤い? やだー!」


 私は思わず両手で顔を隠してしまった。

 このオレ様警察官にいいように遊ばれている私って、残念過ぎる。


 ―― キィーーン!

(来た、耳鳴り!)


 耳鳴りと同時に映像が見え始めた。これから起こるであろうその風景に、私は自分の能力を疑った。


(これは無いわ。ないない、伏見さんがそんな事する訳なっ、い)


「あんたさ」

「はいっ」


 いつのまにか伏見さんがもの凄く私に接近していて、驚いた私は後ろに下がった。でもすぐに壁に背中がぶつかってしまう。それを見た伏見さんが壁に右手をトンと突いて不敵に笑った。俯く私を彼は下から覗き込むように屈んで目を合わせてきた。


(ふわぁっ! こ、これはかの有名な壁ドンでは? え、なんで......)


 近すぎる距離に私の心臓は大きな音をたてはじめた。合わせて目を不自然に逸らしてギュッと瞑った。視覚を閉ざしたせいか、嗅覚と聴覚が敏感に彼をとらえようとする。空気が動いてジャンプ―のいい匂いがしたその瞬間、伏見さんの「ふっ」と笑う声がして頭に重みがかかった。


 伏見さんが私の頭に手を乗せて、子供にするようにポンポンと触れてきたのだ。


「え?」


(待ってよ......キスしてきたんだけど、違ったの?)


 私が見た映像では、確かに伏見さんは私の唇を奪った。


「本当にすげえよ。そんな能力があるなんてな」

「そんな能力って?」

「なんでもない。いいよ帰って。明日から報告忘れんなよ」


 私は伏見さんが心変わりしないうちにと、逃げるように彼の部屋を出た。

 明日から報告しろと言われたけれど、やっぱり納得できなかった。それより昨夜わたしは彼に何をしたのか!


(思いだせー、思い出すのよ!)

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