第8話 まさか、朝チュン!?

「じっとしてろって、言ってるだろ」

「んー。やだっ」

「おいっ! あんた誘ってるのか」

「苦しっ.....これ、とってぇ」

「おまっ、知らねぇぞ。おいおい、泣くんじゃねーよ」


 ◇


 ほわほわとした気分、心地よい温もりに包まれてなんだかホッとする。寝返るといい匂いが鼻をついて、まるで我が家じゃないみたい。


(え......我が家じゃない、みたい?)


 目を開けると辺りは薄暗く、まだ夜が明けていないようだった。アロマの匂いだろうか、ローズ系のいい香りがした。きっと私は無意識にアロマオイル入れたんだろうと考えた。

 ごろりと寝返りをうち、時間を確認しようとしたところで私の動きは止まった。


(待って! 私の時計じゃない。え? カーテンが......ブルー。私の部屋のカーテンはオレンジだった、はず!)


 異常を感じて私は飛び起きた。


「うっ、痛い。頭が痛い......」


 今の状況を確認するために、脳をフル回転させた。私は仕事が終わってから一人で居酒屋に入った。ビールを飲んでいるところへ伏見警部が邪魔しに来た。


(伏見警部っ!? あれ、その後、あの人どうしたっけ。えっと......)


 ぐるりと頭を一周させて部屋の中を見た。分かったことはただ一つ、ここは我が家ではないと言う事だ。


(まさか、まさか、ひと様のお宅なんじゃ? そしてそのひと様って.....やだ違っていて欲しい)


「起きたのか?」

「ふひゃっ!」


 音もせずに開いたドアの向こうから顔を出したのは、やはり伏見警部だった。

 違っていて欲しかった私の願いは虚しく消えてしまう。私は思わず片手で額を抑え、項垂れてしまった。


「大丈夫かよ。なんか、おかしな所とかないか?」

「へ? ――っ!」


 私はとっさに布団を捲って確かめた。とくにその手の違和感や異変は認められない。


(い、い、致してない)


「よかったぁ、は、ははっ……」

「あんたはバカなのか」

「バカって、どう言う意味ですかっ! うっ、いたぁい」

「まったく。飲めないのに調子に乗って飲むからだ。ほら、薬」


 伏見さんは、水と頭痛薬を持ってきてくれていたのだ。どうして分かったのだろうか。いや、あのあと面倒を見てもらったのだとしたら、二日酔いになっているということは想像できる。


「すみません。イタダキマス」


 バツが悪くてまともに彼の顔が見られなかった。薬を飲むために自分の手元を見て気づいてしまったことがある。私は私のものではないシャツを着いる。


「飲んだな? 効いてくるまで大人しく寝てろ」


 伏見さんはぶっきらぼうにそう言って、部屋から出ていった。

 それよりも私は焦っていた。


(シャツ、私のじゃない!)


 私はドキドキする心臓を抑えながら、恐る恐るベッドから下りて確かめた。シャツワンピなんて持ってないから、これは確実に私のものではない。シャツの下はどうなっているのかと、確かめる。


(ブラしてない‼︎)


 さらに確認のためにシャツの裾を捲ってみたら、ショーツは履いていた!

 安心するもつかの間、自分は「彼氏のシャツ借りちゃいました」な格好になっていることに動揺する。


「いやー!」


 私は頭を抱えてその場にしゃがみ込んでしまった。そんな私の悲鳴が聞こえたのか、伏見さんが部屋に入ってきた。


「おい、どうした」

「わっ! ご、ご、ごれどーいうごどぉ?」

「……は?」


 私は酔っ払って、ついに年下男子に手を出してしまったのだ。四年、たった四年彼氏がいなかっただけでこんな事なるなんて!

 そう言えば前に変な夢も見た気がする。確か『俺の女になれよ』的なものを……。

 恐るべし三十歳、悲しすぎる彼氏なし四年!


「あの、ごめんなさい!」

「いや、そんなに謝る事でもないだろ」

「でも、でも、私最低です。恥じらいもなく、そのっ」

「まあな。アレは無いわ」

「ですよね。忘れて下さいませんか! お願いします」


 恐らく人生で初の土下座をした。

 そう言えばこの人、警察官だったと脳裏をよぎった。


(まさか前科なんてつかないよね)


 付いたとしたらなんの前科になるのだろう。それって、まさかの【強姦罪】ではないのだろうか。酔っ払っていたとは言え。同意なしに無理やり相手に身体の関係を強要した。

 人生が終わったと、思った。


「あんたさ」

「はいっ」

「もう酒を飲むのやめろ」

「はい」

「あんなんじゃ、襲われても文句は言えない」

「仰る通りです。すみません」

「ったく、あんたの家知らねえし。まさか、カバン漁るわけにも行かねえし。ま、職業柄何てことはないんだけどさ、一応プライベートだったし」

「本当に申し訳ありません」

「久しぶりに人をおぶって歩いたよ」


 私は自力で歩いていなかったようだ。


「仕方なく俺の家に連れてきた。そしたらあんた、苦しいって服を脱ぎだすから」

「キャー! それ以上は言わないで。私が悪いのはよく分かっています。いくら伏見さんが年下でイケメンだからって、節操もなくその、手を出してしまって……。反省しています! だから、警察沙汰にはしないでください。ううっ……」


 なにをお願いしているのだろう。考えると泣けてきた。自分の身の始末もできないなんて終わっている。もう能力うんぬんの問題ではない。


「泣くなよ。ってかさ、あんたっマジでヤバいやつだな。ぐはははっ!」


 伏見さんはお腹に手を当てて笑い始めてしまった。しかし、いつものように失礼だと反論なんて到底できなかった。


「警察官に向かって、警察沙汰しないでくれって……ぶはははっ!」

「あ、そうですね。伏見さん、警察官だったし」

「どうする。あんた俺に手、出したんだろ?」

「どうするって、もう謝る以外に」

「責任、取ってくれないの?」

「せ、責任って」


 男の人に責任を取れと言われる日が来ようとは思わなかった。これが逆の立場ならきっとそう言うと思う。だから、言われても仕方がない。


「私にできることなら責任取らせてください。でも、お金はそんなに無いです」

「じゃあさ、身体で払うってこと?」


 そう言って伏見さんは私の顎に指をかけ、顔を上向かせた。


(わ、格好いい……じゃなくって!)


 彼の焦げ茶の瞳の奥は私が映っている。それくらい近くで私は見つめられているのだ。


(私、この人に、今から……身体を?)


「決めた。あんたを当面、俺の監視下に置く。その間、他の男との接触は禁止する」

「えっと?」

「仕事以外でと、付け加えておく。あんた、彼氏はいるのか」

「彼氏は、いませんけど」

「ならいい。取り敢えず、寝ろ」


 そう言い放って伏見さんは部屋を出ていった。しかも、去り際にほんの少しだけ、ほんの少しだけだけど笑った。


 あの嫌味な笑顔じゃなくって、ちょっとだけ優しい笑顔だった。


 ああ、警察官恐るべし。そんなことを考えていたら、薬が効いてきてのか強烈な睡魔に襲われた。


 私は逆らうことなく目を閉じた。

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