駅から始まる物語

佐伯瑠璃(ユーリ)

本編

第1話 私は駅員です

 ここは在来線や新幹線、そして地下鉄の乗り換え地点でもある地方都市の駅。

 私は鉄道マンならぬ、鉄道ウーマンとして働いている。森川かなで三十歳。そこそこベテランの在来線ホーム担当の駅職員だ。


 この仕事に憧れて入社してから、もう八年。当初、この駅には女性職員はひとりも居なかった。だからだろうか、「男性職員にナメられてたまるか!」という精神で、なんとかここまでやってきた。

 たったひとりの女性職員の配属という事で、ロッカールームや仮眠室が改装された。その分、男性職員の休憩室が狭くなり、心苦しい思いもしたけれど、今では女性職員が十名にまで増えた。

 切符販売窓口だけではなく、駅ホームに立つ女性はもう珍しくない時代。運転手と共に常務し、車掌として働く女性も増えたことを思うと、あの頃よりずいぶんと心強くなった。


 私は駅のホームでの立ち仕事がメインだ。実際は走ってばかりのような気もする。


 私が所属する鉄道会社は全国でも有名な旅客鉄道で、勤務して数年が経つと異動がある。

 それこそ畑違いの場所へ行くことだって珍しくない。

 昨年度の人事異動では、長年新幹線の運転士だった方が、系列のホテルマンになっていて驚いた。それだけではない。駅構内のコンビニ店長から切符販売の窓口に異動になったりと驚きの連続で、ハラハラドキドキが止まらない刺激的な会社である。


 そんな驚きのさなか、私はまだ異動をしたことがなかった。その理由のひとつは、あまり大きな声では言えないけれど……実は見えるんです。

「え? 何が?」と聞き返されると思いますが、見えるんです……ナニが」


 私にはほんの少しだけ先の未来を覗くことができる。その能力のお蔭でずいぶんホームの転落事故を防いできた。上司ははっきりと口に出しはしないけれど、私が異動にならない理由はそのせきもあると思っている。

 私はそれを、隠すつもりも公にするつもりもなく、しかし敢えてそれには触れずに生きてきた。

 だって説明するのが面倒なんだもの。それに時々、誰の未来なのか分からなくなる時があるから胸を張って「シックセンスの持ち主です!」なんて言えない。

 どの世界にも上には上がいるものです。


「おい、森川! 交代の時間だぞ」

「はい。すぐに行きます」


 今日の勤務は午後六時に開始し、翌朝の始発までとなっている。

 とくに金曜日の夜は何かしら事件が起きる。お酒の入った人が多いので、仕方がないことではあるけれど。


 ―― 一番線、列車が入ります。黄色い線まで下がってお待ちください。

 ―― まもなく一番線より列車が発車いたします。駆け込み乗車は大変危険です。次の列車をお待ちください。


 何度放送しようとも、耳を貸してくれる人はほとんどいない。


「ピピーッ、ピピピ!」


 笛で警告しても無視するし、階段を走っ上ってきては飛び乗る、飛び乗る。

 設置された鏡を見てみると、まだ数名が必死の形相で走ってきているのが分かった。


 私は時計を確認し、車掌にドアクローズのサインを出した。

 そして、静かに列車は発車した。


「最悪だ、乗り遅れたぁぁ! あの駅員、見えてたよね私たちが走っていたところ」


 大声で若い女性がお怒りのようすだけれど、定刻を三十秒も過ぎてしまったので、こちらとしては待てない!

 電車の時刻表は、分刻みだと思っているかもしれないけれど、大間違い!秒刻みなんだから、潔く諦めてほしい。数分も待てば後続列車が入る恵まれた土地に住んでいるのだから。もっと、大らかに生きようよなどと、心の中で愚痴る。


 そして、次のホームへ向かおうとした時、激しい耳鳴りがした。


(きたっ、誰? どこ!)


 この耳鳴りは私に対する非常ベルみたいなもの。何かが起きるぞ要注意! という意味がある。

 かなり近くで鳴ったので、一番線か二番線だと思うけど……。


『落ちたぞ、男の子が落ちた!』

『キャーッ、ゆう! イヤァァー』


 どこだろうと声がする方を見ると、小さな男の子が二番線ホームをにこにこ笑顔で走っている。その後ろを母親が追いかける。


「ゆうくん、待ちなさい!」

(あの子だ!)


 黄色い線の上を走る男の子は、すばしっこく母親はとうてい追いつかない。

 するとその時、男の子が足を踏み外しホームへ転落する映像が白黒で見えた。


(ダメっ、もうすぐ回送列車が通過するから!)


 私は迷わず【非常停止ボタン】を押し、ホームから線路に飛び降りた。そして男の子の方へ向かって走った。

 そんな私を見て騒ぐお客様の声を背に、とにかく男の子のもとに急いだ。すると、男の子はものの見事に足を踏み外してホームへ落下。


「おお!!」


 ホームに唸り声が響く。

 私はそのお子様を、なんとかキャッチしたところだった。


 私が事前に非常停止ボタンを押していたので、駅に入る直前の信号は赤。入線予定の回送列車は信号に従い、停車したもよう。その事態に気づいた他の職員も慌てて走ってきた。


「森川っ、大丈夫か」

「はいっ。大丈夫です! すみませんがこの子を先に引き上げてください」


 火事場の馬鹿力でしのいだので、今は子供を肩よりうえに持ち上げることができない。自分の身をホームに上げるだけでも一苦労な状態だった。

 なにを隠そう私は「小柄」の代表みたいな体つきだから。


 身長一五二センチ、体重四十三キロ、制服はもちろん特注。だけど、学生時代に陸上で培った短距走のお蔭で、細かい動きと走りには自信があった。


「あ、ありがとうございます」

「元気なお子さんですね。何もなくてよかったです」


 母親は泣きながら私に何度も頭を下げた。ホームで一瞬でも目を離せば、取り返しのつかないことになる。でも、母親はそれを身をもって体験した。だから決して責めてはいけない。


 一度停止ボタンを押したら、解除するまでにいろいろな確認や報告などがありとても面倒だ。でも、決してそれは人の命には代えられない。面倒な処理は上司に任せて、私は報告のためにに事務所へ戻った。


「森川のお陰でうちの駅の事故率はかなり下がったってさ。すごいなお前」

「先輩。だから私はずっと異動がないんですかね?」

「どうだろうな。おまえの不思議な力は口には出さないが、上司も感じてるだろうよ」

「やっぱりそうですよね」

「でも、大変だな。変に使命感とか背負わされてストレスにならないのか」

「もう慣れっこです。それに全員を助けられるわけでは無いですから……」

「まあ、な」


 二年前、一人のサラリーマンが転落し、急行列車にはねられた。

 もちろん私のせいではないけれど、転落する人物の特定ができなかった事には責任を感じてしまう。どうしてもっと強いサインが出てくれないんだろって。


「そうだ! 明日、何処かのVIPがここで乗り換えするらしいぞ」

「VIPって誰ですか」

「詳しくは知らん。さっき聞いたんだよ。本部は大慌てで応援を頼むとか何とか言ってたぞ。そのVIPはSP付らしい。珍しくよな」

「へぇ、凄い。見れるかな」


 そんな会話をしながら報告書に記入をし、私は再びホームへ戻った。


(SPかぁ……勤務上がりにちょっと覗いてみようかな。ハリウッドスターだったりして! なわけないかぁ)

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