5. たまにはゆっくり

 夕食のあと紅茶を飲んでいる。あたしは、ふたり分用意してお茶っぱが膨らむのを眺めている時間が好き。この時間が一番落ち着く。窓を開けていると涼しい風が流れ込んでくる。一体こんな建物マンションのベランダにどこからくるのか虫の声、忍ぶようにかすかに聞こえる。

 ひとくち紅茶を口に含む。修治にお願いして手配してもらった、プレミアムな紅茶「プリンスオブウェルズ」のまろやかな香りが口の中にひろがる。この紅茶はミルクは入れないか、薄めにした方が香りを楽しめる気がする。


 この体はものを食べる必要はないけど、世の中にはいろんな性癖の人がいる。つまり、食べたら出さなければならなくなるってこと、それを好きな人がいるからね。そんな趣味の人に出会ったことはあるけど、あたしはちっとも楽しくないのよね。

 修治はそんな趣味はないけど、一緒に食事を摂るのが好きらしい。


 今日の紅茶も美味しく入って、とても気分がいいわ。ひとりニコニコしているとソファの隣で本を読んでいた修治がオットマンから足をおろし、あたしに向き直った。なんだろう、いつもの自信に溢れた顔じゃない。なんだか、自信なさげなのが可笑しい。

「どうしたの?何か言いにくそうだけど」

 声をかけると、意を決して紙袋をあたしの方に突き出してきた。

「これを、着てもらえないか。そして、お願いだ。膝枕をしてくれ」

「なにそれ、あたしは修治のして欲しいことはなんでもやってあげるよ」

 ニコニコしながら袋を開けてみてちょっとびっくり。中にはこの間買い物した服が入っていた。それも、しっとりした大人の女性向けの落ち着いたデザインのブラウスと長めのプリーツのスカート。言ってしまえば修治の母親の年代の女性が着そうな服だった。

「えっ、なに。修治そんな趣味あったっけ」

「あ、違う違う。そんな意味じゃない」

 修治は慌てて否定する。珍しく顔が上気していた。

「その、俺って母親の顔を知らないんだ。俺が生まれてすぐに亡くなって。だから、母親の膝枕をして欲しくて」

 あたしはうれしくなった。こんな修治は初めて。エッチなことするのもいいけど(だって気持ちいいし、お腹も満足する)彼が喜ぶのが、いまの私には一番の楽しみだった。

「いいわよ」

 あたしはその場で着替えようと立ち上がる。すると修治が手を上げ声をかけて来た。

「すまないけど、別の部屋で着替えて来てもらえないか。いまのサキュと違うと意識したい」

 なるほど、人の心は微妙だよね。夢魔として人と共に生きてきて幾百年、エッチなことはいくらでも経験してきたけど、そうじゃない事はあまり経験してないなぁ。

「ちょっとまっててね」

 修治に声をかけて寝室に向かう。あたしも新しいプレーの予感に足取りも軽い。


 寝室で服を脱いで、体を四十五歳くらいに変化させる。今までの宿主は皆若い子が好みだったので、これくらいの年齢の体はあまり経験がないのよね。鏡で姿を確認して少し修正する。おっぱいを少しゆるい感じにして、大きいほうがいいかなあ。でもそうするとたれちゃうし。よし、ちょっと大きめでたれないくらい。

 体全体をより柔らかい手触りにした。お腹が少し出た感じの方が膝枕も気持ちいいかな?なんて、考えながら微調整した。最後は服を着て、腕の感じとか腰回りを調整して終わり。

「んーと、修治が求めているのは母親なんだから」

 そう呟きながら、体臭もまた若い子と違う香りに調整する。自分にこんなことができるなんて知らなかった。自分の夢魔としての能力にはこんなこともできるんだと感嘆してしまった。男は大抵あたしを見て、抱くだけで本能に溺れるから、使うこともなかったしね。


 なかなかいい感じ、見た目の年齢なりの色気もでてるかな。こんなあたしに修治が興奮して、新たな扉が開いたらどうしよう。うふ、それはそれで嬉しいかも。


 居間に戻って見ると、修治はソファにまっすぐ座ってた。

「修治、緊張してる?」

「いや、そんなことはないぞ」

 肌に触れて感情を読まなくても丸わかりなんですけど。修治はこっちを見ようとしない。

「なんだか可愛い」

 ゆるやかな笑顔を浮かべ隣に座るとももをぽんぽんと手のひらで叩く。修治は頷くと照れ臭そうに横になりあたしのももに頭をのせた。修治は身動きもせずじっとしている。

 修治の顔は見えないけど、触れる肌から感情が流れ込んできた。

 思慕の念、寂しさ、憧れなどの感情がまぜこぜになってあたしに伝わって、あたしもしんみりしてしまった。彼の頭を優しく撫でる。してもらった事はないけど自然に撫でていた。


 あたしは親を知らない。夢魔がどうやって誕生するかも知らない。気がついたらこの世界にいた。生まれてすぐさまよい歩き、最初に出会った人間に保護された。その時は子供の姿をしていた事は覚えている。人の精(命)を吸い取る事は最初からできた。いま思えば、かわいそうだったな。気の毒な子供を保護したら、一家離散の憂き目に会うなんて。


 膝に冷たいものを感じる。かすかな声が耳に届いた。どうしてるのかな、気になって彼に意識を向けた。


 突然、意識の中にあることが浮かぶ。判ってしまった。夢魔が子供を作る方法が……

 命の色の相性が良い相手と深く心を繋いで行為をおこなう。行為自体には必然性はないけど、心のつながりが大切。そして、相手の全生命力を。そう、相手の命を代償にこの世に誕生するの。単に肉欲に溺れ生命力を搾り取るのは摂食(食事)と同じで生きていくための行為。そして、心が繋がる相手の命を受け取るのが生殖だということを、夢魔の本能が教えてくれた。

 あたしの目から涙がこぼれる。生まれて初めての経験だった。夢魔ってなんて罪深いモノなのか、狼狽えながら手を動かしていた。


「サキュ。どうしたの?」

「ううん、なんでもない。あなたの心が伝わってしんみりしちゃった」

 修治が仰向けになり声をかけてきた。いつもより幼く見える顔には涙の跡がある。子供のように不思議そうな顔でこちらを見ていた。あたしは、いままでみたいに無邪気に誘ったりできなくなった。きっと、きっといつか本能に突き動かされて彼の命を吸い取ってしまう。

「あなたが、満足するまでこうしていてあげる」

「うん。たのむ」


 それが、いつかはわからない。あたしはここを出て行かなくちゃならない。そうしなければ、修治は…… 作家としての名声より、彼には生きていてほしい。


 きっと、あたしは夢魔としてできそこないなんだわ。

 

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