幕間 西地区の路地裏にて 〜これまでの《不幸》の軌跡〜

 西地区の路地裏で、ダンは何かを探すかのようにキョロキョロ周りを見回しながらゆっくりと歩いていた。しばらく彼は進み続けていたが、やがて意地の悪い笑みを浮かべて足元にいた《何か》を拾い上げる。


「ああ、こんなところにいたんですか」


 ダンがつまみ上げたのは、真っ白な毛玉、のような不思議な生き物。その可愛らしいクリクリした両目がダンを認識した瞬間、毛玉はキューキューと鳴きながら離せというように暴れ出す。


「つれないなあ、少しくらい私とお話ししましょうよ? 毛玉のままじゃ会話できませんし、少しの間だけ私の力を分けてあげますから」


 そう言ってダンは毛玉をぽいっと正面に向かって投げ捨てる。それは地面に叩きつけられる寸前、パッと金髪の男の姿に変わった。


「投げ捨てるなんてひどいよ、ダン!」

「すみません、ついイラっとしてしまって。無様ですねえ、グリュック。ほとんど力を失ってしまったんですね。もう誰も、貴方なんか必要としていないと思い知りましたか?」


 ダンの力を借りてかろうじて人の姿は取れているが、今にも消えそうなくらい透けているグリュックを見てダンはあざ笑う。いつもならダンの酷い言葉に反論するはずのグリュックも、今度ばかりは肩を落として俯いた。


「そう、かもしれない。ここで起きていることは、私が考えていたよりずっと恐ろしいことなのかも。ダン、教えてくれないかい。あのお茶会の後、何が起きていたのか。私も彼らのことを見ていたはずだけれど、君の方が客観的に語れるだろう?」


 懇願するようなグリュックの様子にダンは満足げな表情を浮かべる。今のグリュックには以前のような輝きも強さもない。そんな哀れな姿を見るのが楽しくて仕方がないらしかった。


「いいですよ、教えて差し上げます。知りたいという願いを叶えるのが私の役目ですからね」


 彼が常に右手に持っている本が宙に浮き、ひとりでに開く。開かれた白紙のページから、蜃気楼のような映像が浮かび上がった。映し出されたのはボロボロの廃墟となった、かつては立派だったのだろう屋敷。


「私の手引きでスラムを訪れた王都の姫・ランと貴族の息子・ブラッディは、元々王都で育った貴族だったベルとソルに再会します。

 ベルはランたちを受け入れようとしますが、ソルには痛烈に拒絶されてしまいました。二人は彼が大事にしている少女・キティにも会わせてもらえません。


 戸惑うランたちはベルとソルが歩んできたスラムでの十年がどんなものだったのか尋ねます。そこで語られたのはあまりに過酷な二人の過去でした」


 次に映し出されたのは、真っ暗な空と果てしない湖が広がった、どこか寂しく悲しげな雰囲気を漂わせた不思議な世界の光景。


「ベルは信頼していた使用人に裏切られ、目の前で家族を皆殺しにされてしまいます。自身も殺される寸前でしたが、彼の強烈な《現実逃避》を願う心が特別な魔法となり、彼は《彼が逃げ込むためだけに生まれた異世界》へ行くことができるようになりました。


 ただし、《現実逃避》には代償が伴う。殺人者たちから逃れるためにスラムに逃げ込んだ彼は酷い傷を負います。その後も彼は《現実逃避》をするたびに傷を負うことになりました」


 《現実逃避》したベルの姿を間近で見ていたグリュックは当時のことを思い出したのか、悲しげな顔をする。そんな彼の様子を特に気に掛けることもなく、ダンは話を続けた。


「一方ソルはその純粋さゆえに騙されて、スラムに連れてこられてしまいます。彼はひどい暴力を受け、王都の人間に不幸を押し付ければ自分たちは幸せになれる、という思想を吹き込まれ続けました。

 その結果、彼は王都の人々を憎み、他人を憎み、幸せとは他人から奪い取るものだと考えるようになります。だから、彼はランたちのことも信用していませんでした」


 白紙の本は眩しく輝く太陽を映し出す。その太陽は地に墜ちて、今にも大地を焼こうとしているかに見えた。


「ソルの価値観の中心は、自分を暴力の嵐から救い出してくれたベルです。ベルのためなら、彼は何でもするでしょう。それがどれだけの人を傷つけるとしても、ね」


 本のページがパラパラとひとりでにめくられる。次に開かれたページに映し出されたのは、さっきまでのグリュックの姿によく似た、真っ黒な毛玉のような生き物だった。


「いまだにベルを守りたい気持ちと緋色の王様の願いを叶えてやりたいという気持ちの板挟みになったままのニックは、王様に《神様》とはなにかと尋ねます。


 王様によれば、《神様》とは元々真っ黒な毛玉のような生き物で、善意で助けたら懐かれた、と。王様の願いを叶えてくれるというおぞましい生き物、《神様》とは一体何なのでしょうね?」


 言葉とは裏腹に、ダンは面白がるような口調でグリュックに問いかけた。彼は気分を害したというように顔をしかめる。


「おぞましいだなんてかわいそうだよ。《あの子》だって、好きでああなったわけじゃないのに」

「そうですか? ああ、そういえば貴方、自分の正体をベル達に告げましたね。自分は《誰かを愛し、その幸せを願った人々の願い》そのものだと」


 ダンは非難めいた調子でグリュックに詰め寄った。珍しく焦った様子にも見えて、グリュックは意外そうな顔をする。


「知られたくなかった?」

「当たり前でしょう。せっかく私が最悪のシナリオを描いてあげているのに、想定外の状況を作るのはやめてください! 私は何としても知りたいのです、この物語の終わりに何が待っているのかを」

「そう、それはすまなかったね」


 グリュックは大して申し訳ないとも思っていなさそうに謝罪した。そしてダンにもう一つ問いかける。


「あの手紙はどうなったんだい? 教えてくれないか」


 教えてくれ、という言葉を聞いてダンはチッと舌打ちをした。彼はその言葉に弱いのだ。グリュックはそれを知っていてわざわざそう言ったのだった。


「いいでしょう、教えて差し上げます。ブラッディが亡くなった母親から託された、行方不明の兄に宛てた手紙はまだブラッディが持っています。ですが、ベルとランにその手紙の詳細を語りました。今後三人は緋色の王様について探しつつ、その手紙の宛先も探していくことになるでしょうね」


 ついでにもう一つ教えてあげます、とダンはページをめくる。現れたのは鮮やかな赤い髪と瞳が印象的な美しい青年の姿。


「緋色の王様が動き出しました。西地区に向かったベルたちを追いかけてきたソルとキティが王様に出会ったのです。王様は彼らを自分の教会に招待し、ソルはその手を取りました」


 それを聞いて、グリュックの顔色がみるみるうちに真っ青になっていく。彼は勢いよくダンに掴みかかろうとして——その瞬間ポフン、という音とともに真っ白な毛玉の姿に戻っていた。


「ふふふ、そんな無様な姿じゃ私の邪魔なんて出来ませんよねえ! せいぜいキューキュー鳴きながらこの物語を見守っていてくださいな。一筋の希望も見えない最高の終焉を見せてあげますからね」


 ダンは本を閉じ、毛玉の姿になってしまったグリュックを乱暴に蹴り飛ばす。そしてせいせいした、といった表情で路地裏を去っていった。蹴り飛ばされて吹っ飛んだ真っ白な毛玉は、悲しそうにキューキューと鳴くことしかできなかった。

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