第18話 《緋色の王様》

「すまなかった」


 穏やかなそよ風の吹く幻想的な世界の真ん中で、ベルは涙を拭った。


「お前たちに八つ当たりするべきことではなかったね。今の私の状況はお前たちのせいではない。それどころか私を救おうとここまで来てくれたというのに、ひどいことを言ってしまった」


 まるで先ほどの慟哭が嘘のように、彼は落ち着いた様子で謝罪する。けれど、ランは首を振った。


「いいのよ。それに、さっきのは貴方の本心でしょう? 平気な顔をしなくていい。貴方の心の傷が深くて痛むなら、隠さなくていいのよ。八つ当たりしたっていい。隠し続けていたら、いつまで経っても治らないわ」


 そう言われて、ベルはまた泣きそうに顔を歪める。今までずっと誰にも言えずにしまい込んできた醜い感情をさらけ出しても、彼女は態度を変えなかった。嫌われて、軽蔑されて当然だと思っていたベルは、そのことに救われたような気持ちになる。


「君は、天使みたいな人だね」


 ベル自身にとってはその優しさや清らかさを表現した他意のない言葉だったのだが、彼がそう言った瞬間ベルとランの間にブラッディが凄まじい勢いで乱入してきた。


「ベル! あー、ランはその……僕のだからねっ!?」

「は!?」


 ベルには渡さないという気持ちが先走って、とんでもないフレーズを口にしたブラッディは言った瞬間真っ赤になった。もちろん言われた方もりんごのようになっていたが。今まで普通に親友と思っていた相手への恋心を突然自覚してしまって、いまいち距離感がつかめない二人だった。


「ふふふふふ」


 それを見つめるベルは、今度は愉快そうに笑う。笑われた二人は顔を見合わせて一層赤くなっていた。その様子も可愛らしくて、ベルは温かな気持ちで心が満たされていくのを感じた。


 そう、他人の幸せを見たら、本当は祝福すべきなのだ。荒廃したスラムではそんなことも忘れ去られているけれど、自分は他人を羨み嫉妬するのではなく、祝福できる人間でいたい。ベルはかつてそう思っていた自分自身をもう一度思い出した。


 ひとしきり笑った後、ベルはある気がかりに思い当たる。そして肩を落として申し訳なさそうな顔をした。


「グリュックに悪いことをしたな……。それにしても不思議なやつだとは思っていたが、まさか人間ではなかったなんて」


 三人は彼が消えたときのことを思い出す。彼はこう言っていた。自分は《誰かを愛し、その幸せを願った人々の願い》そのものだと。


「もう一度彼に会えるだろうか。もし会える日がくるのなら、謝りたい」


 落ち込むベルの肩をポンと叩いて、ブラッディが珍しく優しい声で励ました。


「きっと会えるよ」

「……そうか」


 ベルは小さくうなずいて、それからキッと真剣な顔をした。


「戻ろう、現実に。ソルとキティが待ってる。早く、帰らなくちゃ」


 彼の言葉とともに、足元の湖からまばゆい光が放たれる。そのとき、ふとブラッディは気がついた。


「ねえ、もしかしてここから出るとき、代償が必要なんじゃないの?」


 すると、ベルはいたずらっぽく笑ってバレたか、と呟く。


「実はそうなんだ。これから隠れ家に戻るけれど、私は多分しばらく使い物にならなくなるから。面倒をかけると思うが、頼んだぞ」


 その言葉には確かな信頼がにじんでいて。ランとブラッディは揃って力強くうなずいた。


 そして全てが光に包まれて、目の前が真っ白になった。



※※※



 次に気がついたとき、ベルたち三人はあの廃墟の屋敷に倒れていた。ランとブラッディは目を覚ましてすぐ、ベルが血の海の真ん中で倒れていることに気づく。


「こんな、ひどい……!」

「ラン、君、魔法学校の演習で治癒魔法は得意だっただろ? どうにかできる?」


 ショックを受けるランの肩を抱いて落ち着かせながら、ブラッディは冷静に尋ねた。彼の様子にランはすぐ落ち着きを取り戻して答える。


「わからない。こんなに重傷の人を相手にしたことないわ。でもやってみる。補助お願いね」


 彼女の手から緑色の光が生まれる。それはベルの深い傷の元に集まり、その傷を優しく癒し始めた。


「うっ……ああああああっ!」


 治癒が始まると同時に、ベルが激痛に悶え叫ぶ。治癒魔法は自然治癒のスピードを無理やり上げるものなので、肉体への負担が相当かかるのだ。これほどの傷を負っていては、その負担は想像を絶する激痛となるだろう。


「ごめんなさい、ベル。どうか耐えてちょうだい! ブラッディ、ベルを抑えていて」

「了解」


 屋敷中にベルの苦痛に満ちた叫び声が響き渡る。それは屋敷のどこにいても聞こえたはずなのに、なぜかソルとキティは駆けつけて来なかった。それに疑問を抱く余裕ができたのは、ベルの傷の治癒が命に関わるほどではなくなったくらいに癒えてからだったが。


 ベルが体力を使い切って眠り込んでいる間に屋敷中を捜索して、ランとブラッディは最悪の結論に至った。二人がどこにもいない。ベル達がここに戻ってから既にかなりの時間が経っていたが、その間も二人が帰ってきた気配はなかった。


 二人とも、ランやブラッディのようにスラムをよく知らない人間というわけではない。勝手にスラムを歩き回っていても問題などないが、今西地区にはあの化け物がうろついているのだ。もし二人があれに遭遇していたらと思うと気が気ではなかった。


「探しに行きましょう」

「いや、もう外暗いよ? 暗くなくたって、僕らここの地理には詳しくないんだし。ベルの経過も見守らないといけないじゃない」

「そうよね……。ベルが起きても二人が戻っていなかったら、なんて言えばいいのかしら」


 絶望的な表情を浮かべるランをぎこちなく抱きしめて、ブラッディは気の利いたことを言おうとする。けれど、全く思いつかなくて、結局彼はため息をついたのだった。


「明日のことは明日考えよう」



※※※



「ベル、どこ行っちゃったんだろう……? すっかり、見失っちゃったね」


 ソルとキティはベルたちを追いかけて西地区へと足を踏み入れていた。不安げなキティの言葉にソルはイライラを募らせるが、なんとか微笑んで安心させようとする。


「大丈夫。俺がベルを見失うはずないだろ? キティは黙ってついてくればいい」

「そう、だね」


 キティがうつむきながら頷くのを確認して、ソルはキティと歩調を合わせることもなくスタスタと歩き始めた。キティは小走りになりながら必死にその後を追いかける。しかし、スラムはどの地区も非常に足場が悪い。キティは落ちていた瓦礫に足を引っ掛けた。


「あっ!」


 悲鳴が聞こえてソルが振り返った時にはもう遅い。キティは盛大に転んで、地面についた両手を盛大に擦りむいた。


「痛……!」

「大丈夫か!?」


 ソルは走り寄って傷を確認する。そこまで深い傷ではないが、病原菌など腐る程住み着いていそうなスラムで傷を放置するのは避けるべきだった。しかし、傷薬なんて持っているはずもない。ソルが判断に迷っていたその時、背後から突然声をかけられた。


「こんにちは。ここらじゃ、見かけない顔だね。怪我しちゃったの? かわいそうに」


 慌てて振り向いて、そこにいた人物の姿にソルもキティも思わず息を飲む。真っ赤な長髪に真っ赤な瞳、ぼろぼろのローブのような服を身にまとって微笑むその青年は、信じられないほど鮮やかで美しかった。まるでこの世のものではないかのような浮世離れした容姿に、ソルは目の前の相手を天使か悪魔だと思わずにはいられなかった。


「あんたは……?」

「僕はこの向こうの教会に住んでいるんだ。名前は……」


 ソル達が気づけないほどの一瞬、青年の顔が苦しげに歪む。けれど、すぐに元の優しげな笑顔に戻った。どこか子供っぽい仕草で、彼は自分の呼び名を告げる。


「みんなは僕のことを、《緋色の王様》って呼ぶよ」


 彼の口からベルが必死に探していた言葉が飛び出してきて、ソルとキティは顔を見合わせた。その様子がおかしかったのか、青年は無邪気に笑う。


「もし良かったら、僕の教会に来ない? 傷薬を分けてあげるよ。代わりに僕とお話ししてくれたら嬉しいなあ」


 《緋色の王様》と名乗った青年がソルに手を差し伸べる。その手をとっていいものか、ソルはしばし悩んでいたが。やがて覚悟を決めたかのようにうなずいて、ゆっくりとその手を取った。


 それが最悪の選択だと、知らないままで。




















 〜第3章『王様の願い』〜

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