シャーロットの首輪飾り

ヒトリシズカ

シャーロットの首輪飾り

 ある森の更の奥の西側、霧深い沼のほとりに建つ白い家に、シャーロットという貴婦人が住んでいた。


 彼女は闇夜のような瞳と髪に、白磁のような肌をもつ大層な美人だった。とても穏やかな性格で、いつも真っ白なドレスを身に纏い、毛足の長い白銀の猫を腕に抱いている。その猫もシャーロットに似合う麗しい姿をしていた。ピンクの鼻に、左右で異なる瞳をもつ金と水色のオッドアイ。ゴージャスな毛並み、優雅に揺れるふわふわの尻尾はまるでオーストリッチのようにたっぷりとしていて気品がある。

 美しいシャーロットと同じく美しい猫の組み合わせは大変絵になるのだが、ただひとつ、この一人と一匹の間には奇妙な物がついていた。

 シャーロットの細い首には細い黒のリボンのチョーカーが着いていて、そのチョーカーには華奢な鎖が繋がっていた。華奢な鎖は長く伸び、彼女の腕におさまる白銀色の猫の首に、シャーロットとよく似た黒のリボンが結ばれていた。黒いリボンと華奢な鎖で、一人と一匹は昼夜問わず繋がれていたのだ。


 そんな、少し奇妙だが素晴らしい彼女には、森の外に住む一人の妹がいた。シャーロットと違い、燃えるような赤い髪に澄んだ青の瞳をもつ彼女の名は、アデラインという。アデラインも大層美しい女性だったが、この国における美の基準からは外れていた。つまり醜いと言われるのだ。青の瞳はともかく、赤い髪が醜いという。顔の造作も姉と似て悪くないはずなのに、髪のせいで醜いと言われ続けた。その為、幼い頃からアデラインはシャーロットに対してとてつもないコンプレックスを持っていた。


 ある日アデラインは、姉・シャーロットの妙な噂を耳にした。なんでも、シャーロットに娘がいたらしい、と。

 いつの間に結婚をしたのか、いや、それより相手が居ただとか、そんな話は聞いたことがなかった。あまり仲が良くないとはいえども、二人きりの姉妹だ。結婚や子どもが出来たのならば便りの一つも来るだろうと思っていたアデラインは、酷く傷ついた。

 そして噂の真偽を確かめるべく、アデラインは森の奥、沼のほとりに建つ姉の家へと向かった。


 森の入り口から奥へと続く道は石畳が敷かれていた。だがその石畳は途中から獣道に変わり、やがて獣道でもないただ湿った土に変わる。かなりの悪路だ。

 アデラインは自身の赤い髪を隠すように外套を目深に被り、ぬかるみに足をとられながら目印の白樺の木を頼りに進んでいく。

 やがて踵の高い靴が三度ほどぬかるみにはまり、酷く悪態をついたところで、目的の沼に着いた。相変わらず、腹の立つ様子で姉・シャーロットの家が建っている。以前母が亡くなったおりに、一度だけ訪ねたことのある白い屋敷だ。沼の側にありながらも楚々とした佇まいの家が、まるで主人であるシャーロットそのものに見えて、アデラインは無性に腹が立った。

 イライラと口の端が引き攣るのを抑えながら、アデラインはドアノッカーを掴むと扉に乱暴に叩きつけた。程なくして、可憐な声と共に扉が開いた。

 十数年ぶりに会う姉・シャーロットは以前と変わらぬ風貌のままで、妹・アデラインを出迎えた。

 その姿に、アデラインは下唇を噛んだ。

 彼女はこの十数年の間に、年相応の年輪を顔や体に刻んでいた。だがその姉はどうだ。アデラインが一方的に嫌い、それを察して家を出たときとほぼ同じ姿でアデラインを見つめている。

 唯一、噂と異なるのは、その華奢な腕に白銀色の猫ではなく、真っ白のワンピースを着た銀髪の小さな女の子を抱いていることだけ。シャーロットと銀髪の娘の細い首には、繋がりを示すように黒いリボンが巻かれている。


 ……まるで首輪ね。


 歪む顔に笑顔を貼り付けて、アデラインはシャーロットに祝福を述べた。

 シャーロットは、十数年ぶりに顔をあわせたアデラインに極上の微笑みを投げかけた。

 シャーロットの腕に抱かれた女の子の、左右で異なる色の瞳が、不思議そうにアデラインを見つめている。

 じっと見つめてくるその金と水色の瞳が、妙に気になって落ち着かない気分になったアデラインは、あからさまに目を逸らした。そんなアデラインの様子に気づかなかったのか、シャーロットは上機嫌で彼女を家の中に招き入れた。

 アデラインの靴は泥だらけだったので彼女は躊躇したが、シャーロットは気にすることなく、アデラインの腕を引く。

 結果、シャーロットの家の純白の床は、アデラインの靴の泥で斑らに汚れた。

 案内された家の中は、シャーロットと同じく真っ白だった。

 壁も、床も、天井も。

 扉も、手摺りも、家具も。

 ソファーに置かれたクッションから、出された食器に至るまで、見事なまでの白、白、白。

 いっそ清々しいまでの内装に、アデラインは機嫌悪げに鼻を鳴らした。そんな彼女の態度を気にする素振りを見せず、シャーロットはにこにこと茶を差し出す。そんな態度がまたもアデラインを苛立たせた。

 応接間に通されたアデラインは、出された白磁のティーカップに手を伸ばしながら、ツンケンと切り出した。

 子どもがいたのね、私は結婚式に呼ばれなかったから驚いたわ、と。

 心からの祝辞などでは全くないにも関わらず、姉のシャーロットはにこにこと微笑みながらお礼を言った。

 ……全く気に入らない。その猫被りな態度がどうしようもなく鼻につく。ムカムカとイライラが止まらない。

 そんなイライラの最中。シャーロットによく似た可憐で、少し幼い声がした。


「シャーロット、この方もここで一緒に住んではどうかしら?」


 じっと、アデラインを見つめていたシャーロットの娘が突然そう言った。

 何を頓狂なことを言うのかとアデラインが唖然としていると、銀髪の娘は更に続けた。


「この方も、シャーロット貴女と同じなのでしょう?」


 ……冗談じゃない!!

 シャーロットと私が同じ?!目の前でニコニコと微笑む姉は、子宝に恵まれて美しい白亜の屋敷で優雅に暮らしているが、私は自分の髪をひた隠しにしながら地味な暮らしを村で強いられている。どこをどう捉えれば、こんなに腹の立つ姉と同じというのか?

 カッと頭に血が上ったアデラインは、持ち上げていた白いカップを投げつけるようにソーサーに戻すと、椅子を蹴立てて立ち上がった。ガチャンッ、と耳障りな音が白い応接室に響く。それでもシャーロットは微笑むことをやめず、座ったソファからピクリとも動こうとしなかった。怒りに燃えながらも、奇妙な違和感を覚えたアデラインを可憐な声が引き留めた。


「帰ってしまわれるの?」


 ドカドカと淑女らしからぬ靴音を響かせて扉へ向かうアデラインに、銀髪の少女が、金と水色のオッドアイを瞬かせて尋ねた。


「貴女が望むなら、貴女はこの場所で理想の姿を得られるのですよ?」


 理想の姿だと?何も知らないくせに、母親シャーロット同様、腹の立つガキだ。

 アデラインが鼻の頭にシワを寄せて睨むが、娘は構わず続けた。


「髪の色が嫌いなのでしょう?わたくしが変えて差し上げましょう、そうしましょう?」


 何を馬鹿げたことを。この髪の色は変えることなど出来ない。出来たらとっくの昔に変えている。


「美しい瞳の色ね、まるで澄み渡る朝露のよう」


 銀髪の少女はそう言ってその陶器人形ビスクドールのような手を伸ばしてきた。

 するとアデラインは、自分の髪を乱暴に掴んだ。その拍子に美しく結い上げた髪がぼろりと解けた。緩く波打ち、燃えるような赤髪は、まるで彼女の怒りを表しているようだ。

 解けた髪を炎のように振り乱す。


 ああ、うるさいうるさいうるさい!!!


「うるさい!黙れ!」


 アデラインは吠えた。


「お前には、お前なんかには分からないさ、分かるわけがないっ!!顔や瞳は決して悪くないのに、この!醜いっ!赤髪のせいで全てがぶち壊されるんだ!!」


 今までずっとそうだった。

 美人の姉の噂を聞きつけたどこぞの馬の骨が、妹もさぞ美しいだろうと勝手に期待しては私に容姿に失望し、暴言を吐いて去っていく。


 顔の脇に垂れた髪を引っ張りながら、美しい顔を歪め、呻く。


「変えられるわけがない。だってこの髪は……!」


「魔力を帯びているのでしょう?薬ごときでは変えることなぞできないでしょうね。しゅがかかっているんですから」


 銀髪の少女はアデラインの慟哭に静かに返した。

 涙で濡れた青い瞳を揺らしたアデラインは押し黙った。


「わたくしがもっと強いまじないを掛けてあげましょう。きっと素敵な髪色に変わるわ」


 手を伸ばしてくる可憐な少女の顔が、瞳が、まるで猫のように見えた途端、アデラインは凍りついたかのように動けなくなった。


 自分の頬を両手で包む少女の顔を茫然と見つめながら、アデラインの頭にふと疑問が過った。

 姉が連れているという猫は、どこに行ってしまったのだろうか、と。

 しかし声にならない疑問に答えてくれる者はおらず、アデラインは何か抗えない力によって膝から崩折れた。目線の高さが逆転した銀髪の少女が、上から覗き込むようにアデラインに顔を寄せる。


「願いを叶える代わりに、わたくしに貴女の寿命いのちを分けてくださいな」


 シャーロットによく似た美しい唇が三日月に微笑う。

 直後、銀髪の少女の影が、白い床に黒く伸びた。

 その影の先端には尖った三角の影が二つ、まるで耳のようについていた……。



 ‡



 ある森の更に奥の西側、沼地のほとりに美しい貴婦人が二人、小さな娘と共に暮らしていると噂が流れた。

 一人は闇夜のように黒い髪と黒い瞳、もう一人は朝焼けのような淡いピンクがかった幻想的な金髪と青い瞳。それはそれは、美しい二人だが、その二人の首には奇妙な首輪飾りがついているらしい。その首輪飾りについた細い鎖を、小さく可憐な銀髪の娘が小さな小さな手でしっかり握っているんだそうな。

 さらに噂好きな人によれば、二人は同じ屋敷に居ながら顔を合わせるのは一日に二回だけらしい。なんでも、昼間に屋敷にいるのが黒髪の貴婦人で、日が暮れるのと共に金髪の貴婦人と入れ替わりで屋敷を出るとのこと。そしてまた、夜が明けるのと共に金髪の貴婦人が黒髪の貴婦人と入れ替わりで屋敷を出て行く。どこへ出掛け、何をしているかは全く分からないが、とにかくそうなのだそうだ。

 また、化け猫が住んでいるという話もあったがこちらはかなりの眉唾物で、他にも小さく可憐な銀髪の娘の姿が見事な毛並みをもつオッドアイの猫の姿に見えたという話もあった。

 真偽はともかく、そんな様子からその屋敷は、夜の女神ニュクス昼の女神ヘメラの家とも、化け猫の屋敷とも呼ばれ、人々は安易に近づかなくなった。


 余談だが、あれだけ美しく噂の的になっていたシャーロットとその妹・アデラインの名前はいつの日にか全く聞かなくなった。まるで、……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シャーロットの首輪飾り ヒトリシズカ @SUH

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ