危機

 咲良と別れた俺は家への道で幸せを感じていた。

 懐かしい友との再会。何だか最近ツイてないとか思ってたけど、そんな出来事を全て忘れてしまうぐらいに心が温かかった。


「ただいまー」


 家に着いた俺はすぐにキレイの電源をつける。


「お帰りなさい」

「今日ね、映画館で咲良に会ったよ」

「え? あの小学生の頃のお絵かき友達の?」

「そうそう。大人っぽくはなってたけど中身はあの時のままだった」

「会えて良かったね」

「うん。それから公園で色々と話してさ。楽しかった。生きてて良かったなーなんて思っちゃった」

「へー」

「しかも、急に抱きつかれてびっくりしちゃった」

「そう」


「……なんか、今日のキレイ冷たくない?」


 少しの間。


「別に。冷たくなんかないよ」

「やっぱり冷たいな。何かあったの? それとも俺、悪いことしちゃった?」

「いや、何だか咲良ちゃんのことを話している天馬さん、いつもよりキラキラしてるなーって思っただけ」

「それがなんでテンションが低い原因になるの?」

「天馬さん、咲良ちゃんのこと好きなんじゃない?」


 まさか、これってヤキモチ!?

 今日の咲良の言葉を思い出すとそうだとしか思えない。

 急に胸がドキドキしてきた。


「いや、咲良は昔からの友達であって、恋人じゃないから」


「本当に?」


 なんだか、いつもは可愛い声が低く刺さるような声に変わっている。


「ホント、ホント。それより俺、キレイのことを漫画にしたいんだけど」

「私のこと!?」


 急に声色が明るくなる。わかりやすい。


「どんな漫画?」

「キレイが主演で恋に落ちるんだ」

「嬉しいわ。私、小さい頃から恋愛漫画の主人公に憧れてたの。えっ、それで相手は誰なの?」


 俺は自分に重ねてしか考えていなかったのでそれを聞いて焦ったが、平然を装った声で「それはまだ考えてない」とだけ言った。


「えー! そこが大切なところでしょ」

「完成してからのお楽しみー。ということで、主役はオッケーってことだね?」

「うーん。まあ良いわ」

「よっしゃ。決まり! じゃあ、今日から早速描くよ」

「あーでも……」

「ん? どうしたの?」


 短い沈黙。


「私、天馬さんが描いた漫画読んでみたいなー。私にもこの世界が見えたら良いのに」


 そうか、モデルである彼女には世界が見えないんだ。夢の中の世界と今見えている真っ白な世界しか。


「大丈夫。見えるようになるさ。そうだね、漫画の中の君は目が見えることにしよう」

「本当? ありがとう」

「何か希望があればまた言ってね」

「うん」

「じゃあ、またね」


 その日から、俺は彼女についての漫画を描いては彼女と話し、また漫画を描いては彼女と話すという生活を送った。

 漫画は自分でも驚くような展開が生まれた。それもこれもキレイのおかげだ。

 彼女が教えてくれる夢の話には優しさ、勇気、賢さが詰まっており、いつも漫画を描くヒントになった。

 もう売れるために描いてはいなかった。描くことそのものを楽しんだ。


 キレイのことだけを想って描き続けた。


 話せば話すほど、俺は彼女の魅力に惹かれていき、それに連れて彼女のことを洗濯機として見なくなっていくのだった。

 彼女は真の人間だ。



 彼女はある夢の話の中でこう言った。


『終わりは唐突にやってくる。でも、終わりを怖がる必要はない。終わりは次の始まりの準備だから』




 ある日の夜、俺は物音で目を覚ました。

 ベッドから起き上がり、耳をそばだてると隣の部屋からガサゴソと何かをあさるような音がする。

 俺は近くに置いてあった鉛筆を武器にして、音のする方向へ忍び足で向かった。

 壁に隠れて見ると黒い影がタンスの中をあさっていた。床の散らかり方を見て、俺はそれが泥棒であることを悟る。

 俺はすぐにベッドに潜り込んだ。


 警察に連絡しなくては。


 俺は震える手で枕元に置いてあった携帯電話を掴むと、すぐさま一一〇番を押した。


 プルルル プルルル


 電話の音が鳴り響く。

 しまった、音量が最大にしてあったのだ。

 俺は携帯電話のスピーカーを手で塞いだ。プルルルがくぐもった音になる。

 俺は布団の外に近付いてくる人影を感じた。


 ドクン ドクン


 俺は目をつぶって深呼吸をすると、戦うことを決意した。


「うおりゃあああぁぁぁぁぁ!」


 叫びながら布団を飛び出し、黒い影に鉛筆を突き刺す。


「いでぇ゛ぇぇ!」


 黒い影が怯んだ隙に何かもっと武器になりそうなものを探す。

 広くて動きやすいリビングへ飛び出し、電気をつけた。突然の明かりに目の前がくらっとする。

 リビングに男が入ってきた。金髪で二十代前半だと思われるチャラい男。前歯が一本ないのが特徴的だ。

 俺は手元にあった花瓶を投げつけた。男はそれを華麗にかわす。

 男は作業机の前にあった椅子を持ち上げた。


 椅子が顔に飛んでくる。


 俺はぶつかるギリギリでしゃがみ、それを回避する。

 背後でガシャンという音。


 振り返ると椅子は洗濯機に直撃していた。


「キレイ!!」


 俺の中で何かが爆発した。


「キレイに手を出すなぁ!」

「はあ!?」


 俺は男にタックルした。男がバランスを崩して倒れ、俺はその上に馬乗りになって男の顔面を殴りつける。


「キレイによくも……よくもっ!」


 拳が痛くなってきて我に返る。

 男は顔を腫らして動かなくなっていた。


「はっ、警察……、警察を呼ばないと」


 携帯電話を探す。


「どこだ、どこだ……あった! もしもし」

「こちら警察です。先ほどお電話がかかってきた際、こちらの呼びかけに対して返答が無かったので異常事態と判断し、警察官をそちらへ送りました」

「部屋に泥棒が入りました。今、気絶しています」

「あと二分ほどでそちらへ到着しますので、身の安全を確保してください」

「はい」


 電話が切れたのと同時に頭に衝撃が走り、俺は床に倒れた。

 背後には男が立っており、その手にはカッターナイフが握られている。


「死ね」


 男がそういうと間もなく、外からサイレンが聞こえてきた。


「くそっ、お前ポリ呼んだのかよ! ふざけんな。次会ったらぶっ飛ばす!」


 そう吐き捨てて男は去って行った。


「キ、キレイ……」


 俺は立ち上がろうとしたが、体が動かなかった。


 視界がぼやけて遠のいた。



 *****



 あの事件で盗まれた物は何も無かった。

 だが、何が盗まれたってそんな事どうでも良かった。俺が一番心配していたのはキレイのことだ。

 俺は病院にいる間もずっとキレイのことが心配でならなかった。

 洗濯機は壊れていないか、という質問ばかりしたせいで、病院では脳を損傷したと勘違いされた。


 ようやく家に帰ってくると洗濯機へ駆け寄り、電源をつける。

 

 ピンポロリン


「キレイ! 大丈夫!? 怪我はない?」

「うう……何か変な感じがするわ」

「ごめん、俺は守ってやれなかったんだ。泥棒が入ってきたのに」

「泥棒? 何か盗まれた?」

「あいつは椅子を投げてきた。俺はそれを避けたんだけど、君に当たってしまったんだ。俺がそのまま受け止めて君を守るべきだった」

「そんな抱え込まないで。私は平気。痛くもかゆくも無いわ。むしろ、何だか気分が良いわ。こんなの記憶にある限り初めての感覚よ」

「無事なんだね良かった。良かった……」


 俺はキレイに抱きついた。肌は冷たかったけれど心は温かかった。


「もしかして、抱きついてる?」


 キレイがからかうような声で言った。


「抱きついてなんかないよ」


 俺はそう言って、より一層腕に力を込めた。




 大きな満月が町を照らす、静かな夜だった。

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