映画館にて

 俺は映画を観に行った。今日見た映画は火星人と宇宙飛行士の恋を描いた物語。

 映画を見終えた俺は、号泣していた。

 

「何ていい話なんだ」

「これは感動しますね」


 俺の独り言にどこからか言葉が返ってきた。

 声の方に顔を向けると、横に座っていた一人の女性客がこちらを向いてハンカチで涙を拭いていた。

 眼鏡をかけていて髪の毛は茶色。端整な顔立ちの女性だ。

 俺が突然の出来事に戸惑っていると、彼女は笑顔を浮かべて聞いた。


「映画、よく観るんですか?」

「ああ、そうですね。二週間に一回ぐらいは来ますかね」


 実際はお金の問題もあって、二ヶ月に一回ほどの頻度で通っていたが俺は何故か小さな嘘をつく。


「私もよく映画観るんですよ」


 そう言って笑う彼女の顔は何だか懐かしい物を感じさせる。

 思い出そうと俺が彼女の顔をじっと見つめていると、彼女は不思議そうな顔をした。


「私の顔に何か着いてます?」

「あっ、いや違うんです。なんか、以前どこかでお会いしました?」

「えーっと、もしかしたらこの映画館で会ってるかもしれないですね。私、ここ結構来てるので」

「そうかもしれないですね。俺は坂口天馬っていいます」

「――えっ、天ちゃん!?」


 この呼び方……。

 俺の頭の中で彼女の声が反響する。


 思い出した。

 それは小学校の時の――


「えっ! 咲良ちゃん!?」

「そうだよ! 木下咲良だよ! えー! 久しぶりだね!」


 彼女は小学校の絵描き友達、咲良だったのだ。


「まさかこんな所で会えるとは思いもしなかったよ」

「うそー!? 大きくなってて全然わからなかった!」

「最後にあったのは中学生だもんな。それは変わるよ」

「びっくり。元気にしてた?」


 彼女は目をキラキラさせて、今にもぴょんぴょん跳ね出しそうな勢いだった。


「相変わらず。そっちは?」

「元気、元気。今も絵を描いてるの?」

「実はね、漫画家なんだ」

「えーっ! すごい!」


 より一層、彼女は目を輝かせる。


「まあ、まだそんなに有名じゃないけどね。そっちは絵描いてるの?」


 彼女は笑顔を見せて手を後ろに組んだ。


「実はね、私、画家になったの!」

「画家!? 信じられないよ。てっきり中学から絵を描くのはやめちゃったんだと思ってた」

「そういえば、小学校の時は一緒に絵を描いてたねー。懐かしいなあ」


 彼女はそう言って宙を見つめた。


「ちょっと、そこの公園を歩かない?」




 彼女のお誘いで俺らは映画館近くの公園を歩くことにした。あの公園を。

 出来れば来たくなかった。ここで琳菜と鉢合わせしたらと思うと、冷や汗が止まらない。

 しかし、幸いにも公園に人の気配は無かったので俺は胸を撫で下ろす。

 俺らは池の周りを歩きながら話した。


「あのさ……」


 彼女が言いにくそうに口を開いた。


「何?」

「実はさ……。ずっと謝りたかったんだよね」

「え? 何に対して?」


 全く検討も付かない謝罪に俺は困惑する。


「私、中学になって、天ちゃんと一緒に絵を描かなくなったじゃん」

「ああ。池林さんのグループに誘われた頃か」

「そうそう、利美に誘われたのが最初だったね。あの時、私は天ちゃんと一緒に絵を描くのがとても好きだったの。でも、それと同時に女の子同士でおしゃべりをして、恋バナとかをしてるのにも、ものすごい憧れを感じてた」

「わかるよ。そういうお年頃だもんね」

「でさ……、私は利美達と遊ぶようになって、天ちゃんと遊ばなくなったじゃん。しばらくは新しい友達との関係に夢中だったんだけど、その友達との生活に慣れてきた頃、天ちゃんが教室で一人、絵を描いてるのを見かけて、また一緒に描きたいなと思ったの」


 彼女がそんなことを考えているとは、考えたこともなかった。

 目の前にある生活に一生懸命に取り組んでいる彼女の目に、自分はもう映らなくなってしまったのだと思い込んでいたのだ。


「もう絵を描くことに興味がなくなってしまったんだと思っていたよ」

「絵は描きたかったわ。家でも時間がある時は描いてたし。でも、私は天ちゃんに話しかけられなかったの。少し離れていたうちに、天ちゃんとの間に見えない壁ができたしまったように感じて……」


 彼女は池の中に視線を落とす。


「あの時、勇気を出して話しかければ良かったと思ってたの。……寂しい思いをさせちゃってごめんね」


 俺はその時、心から悲しそうな彼女の横顔を初めて見た。




「……俺は絵の世界に没頭してたから寂しくなんかなかったよ。それに、君の人生は君の物なんだから、俺に振り回される必要はないよ。君が進みたい道を進み、明るい笑顔を浮かべているのを見て、俺は安心してたよ」


 彼女の目の下がキラリと光って池に波紋が広がった。


「天ちゃん」池に映る彼女の顔が優しい笑顔に変わった。「大きくなっても、優しいところは変わらないね」


 俺は池に映る彼女の顔を見つめた。


「咲良ちゃんも人の気持ちを大切にするところ、変わってないね。そんな優しさが俺は好きだよ」


 咲良が顔をあげて俺に抱きついた。

 少し驚いたが、俺は優しく彼女を撫でた。


「俺は君の絵がとても好きなんだ。中学校の時もずっと、今ならどんな絵を描くのかなって気になってた。今度、描いた絵を見せてくれないかな?」


 彼女は俺の目を見つめて、今までで一番の笑顔を見せた。

 その顔は小学生の頃の彼女の顔と少しも変わらないように感じた。


「私も天ちゃんの描く絵、好きだよ。そうだ。今度、展覧会を開くからおいでよ。勿論タダで入れるようにするからさ」


 そういうと彼女は持っていたバッグの中をガサゴソし始めた。


「はい、これ」


 そう言って彼女に渡されたのは展覧会のパンフレットだった。

 パンフレットには「木下咲良 展覧会」と大きく文字があり、その下に美しく壮大な風景の絵がいくつもある。


「すごいね。是非、行かせてもらうよ。やっぱり今でも風景画を描いてるんだね。昔から咲良ちゃんは風景画を描いてたもんね。そういえば、俺もあの頃から人物を描いてたな」

「天ちゃんの漫画も見てみたいな」

「今に売れるから、それまで待ってて」

「わかった」


 そう言って、彼女はふふっと笑った。


 それから、彼女と俺はそれぞれの歩んできた道を語り合った。

 彼女も色々と苦労していたようで、何よりも印象が強かったのは彼女の親友で俺の初恋の人――池林利美が入院したという話だった。

 咲良と利美は中学一年で出会い、親友になった。二人は高校も同じで、ずっと仲良くやっていたらしい。


 そんなある日、利美は事故に遭って病院に運ばれた。

 そして、そのまま目覚めることはなかったのだという。いわゆる植物状態だ。

 咲良は今でも月に一回、病院へお見舞いに行っているらしい。

 十年ほど経った今でも意識が戻らない現状からして、もう回復の見込みは限りなくゼロに近いという。


 初恋の人が動いている姿をもう見ることは出来ないのだ。そう思うと何だかとても寂しい気持ちになった。


 不意に俺の意識は中学生へと戻っていた。

 昼下がりの騒がしい教室。俺は教室の端で一人、絵を描いている。

 その脇を元気な生徒が走り抜けてゆき、机の上から描きかけの絵がひらひらと舞った。

 机の向こう側に落ちたその紙を取ろうと腰を浮かせかけたとき、一人の女子生徒が紙の元へと歩いて行き、それを拾い上げた。


 その女子生徒こそが池林利美だった。彼女は手にした絵をまじまじと見た。

 奇抜なキャラクターの絵だったのだが、彼女はそれを俺に渡しながらにっこりと微笑んで言ったのだ。「この絵、好き」と。

 俺が恋に落ちるには、その一言だけで十分だった。

 彼女が去ってからもしばらくその状態から動けなくなった。

 体の中を何か熱いものが走り抜けていく感覚。



 俺は咲良の横顔を見ながら甘酸っぱい記憶に浸っていた。

 その絵は今でも、作業机の引き出しの奥深くにしまってある。




 それからも、あれこれ話しているうちに俺はキレイの話をしだしていた。

 キレイとの出会い、キレイとの会話、全てをそのまま話した。

 咲良はそれを聞いて小説のネタだと勘違いしたらしい。


「なんか、面白いわね。恋する洗濯機? 良いと思うわ。ロマンチックだし」

「あ、いやー、その……」

 冷静に考えてこれが事実だと信じてもらえるはずがなかった。俺は諦めて咲良に話を合わせることにした。

「面白いと思う? 良かった。ところで、恋する洗濯機っていうのはキレイが俺に恋をしてるってこと?」

「そうよ」


 彼女は子どものように笑った。


「咲良ちゃんはキレイが俺のこと、好きだと思う?」

「もちろん。あなたから聞いた話だと完全にあなたの事を想ってるわ。それが乙女の恋心よ」


 何だろう。それを聞いて俺の胸は激しく鼓動を打っていた。胸が締め付けられて息が苦しい。


「天ちゃん、顔赤くなってるよ。面白いの」

「えっ、ああ、これは我ながら良いネタを見つけたなと興奮しちゃって……」

「やったね。これで近いうちに天ちゃんの漫画が見れそうだね」


 そう言って彼女は空を仰いだ。

 俺もそれにつられて顔を上げた。

 太陽が傾いて世界をオレンジ色に照らし出す。

 

 自分の影がいつもより長く感じた。

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