第7話 天文部

「改めまして、天文部部長の十時璃呼子です。まあ、その、なんだ、よろしくね」


「あっ。はい、よろしく、お願いします……?」


 いろりさんは頭を下げながら、段々とその表情が難しいものになっていった。顔を上げると人差し指で自分の顎に触れながら、首を捻った。


「天文部……ですか……?」


「そう、天文部」


「……そんな部活あったっけ…………?」


「……大会の無い文化部だし、影が薄いから知らなかったんじゃないの?」


 当然のことながら、僕はこの学校にどんな部活があるかは知らない。決して小さくは無い学校だし、元女子高ということもあり、文化部は大小様々な部活があるという話は耳にしたことがある。いつだれから聞いたのかは分からない。


 実際に全校集会での部活動紹介はそれなりに長かった記憶がある。時間は分かっても、その内容は一切覚えてない――どころか聞いていなかったけれど。


「いや、そうじゃなくて……部活動紹介の時にいなかったの。……ですよね?」


 いろりさんの質問に、十時さんはブイサインで答えた。


「わがままを貫き通して周りを動かせば、それはもう革命なの」


 何やら名言っぽいセリフに仕立て上げる十時さんだった。


「まあそのせいで新入部員は今のところゼロなんだけどさあ。でも活動なんて、やってることはお昼寝部だからさ、紹介できることなんて無いし」


「やっぱりお昼寝部じゃないですか……」


「やっぱりお昼寝部だったよ」


 十時さんはてれてれと頭を掻いた。どうしてかは分からない。


「適当に紹介でっち上げても良かったんだけどねー。本当に天体観測をしたいコが入ってきちゃったときにこっちは何にも教えることもできないから、それは申し訳ないなあって」


 十時さんは上靴のつま先で、先程いろりさんが剥がした苔をちょんちょんと突く。やがて器用に、つま先だけで苔をボール状に成形した。

 それをコロコロ弄びながら、「そうだ」と何かを思いついたように明るい声を上げた。


「提案というか……単刀直入なお願いなんだけど。二人とも、天文部に入らないかしら?」


「……えっ?」


 いろりさんは面食らった様だった。僕も、突然の申し出に驚いた。

 だけれどきっと、表情にはほとんど出ていないんだろうな。どうも僕はポーカーフェイスが得意というか、感情が表に出ないタイプらしい。その薄い感情を補うかのように、心中で必要以上に考えを巡らせる悪癖があるのだ。


「部員はわたしと幽霊部員が一人だけ。だけど、校則だと部員は最低でも四人いなきゃいけないのよ。だからこのままだと廃部になっちゃうの」


「活動をしてないのなら廃部になっても構わないんじゃないですか?」


「え、ええー。伝統のある天文部を残してあげたいとは思わないのー?」


 呆れるほどの棒読みだった。

 じゃあその伝統をちゃんと受け継げよ、と思ったのは言うまでもない。


「でも屋上で空を眺めるだけなら、天文部じゃなくてもできるじゃないですか」


「ま、そうなんだけどね。だけど、部活が残ってた方がちょっとだけ都合がいいのよ。廃部になっちゃったらそれはそれで構わないんだけど」


「……構わないんですか?」


「うん。まあ、できる限り残したい、みたいな感じかな。だから、ちょっと協力してくれないかなあと思って。この時期に屋上でぷらぷらしてるってことは、どうせ部活まともにやる気ないのよね?」


「その通りですけど……。うーん」


 僕は首を捻った。確かに僕は丁度幽霊部員として所属しなければいけない部活を探していた。ベストタイミング。願ってもない申し出だ。

 だけれど臆病者の僕としては、「タイミングがいい」ということに対して疑ってしまうのだ。


 例えばいろりさんと十時さんが裏で手を組んでいて、僕を天文部へと誘導している――とかそういうことを言っているのではなくて。

 目の前に訪れたチャンスに、勢いのまま乗ることができないのだ。


 じっくりと思考して思考して思考して――路頭に迷ってよく分からなくなって、それでももう一度思考をして――それでようやっと結論を出して行動に移せる。それが僕だ。

 だから、これまでに何度ともなくチャンスを逃して来たのだけれど。


「……確かに急な誘いだから悩むのはしょうがないわ。そんなあなたに、ジャン、わたしからいくつかの特典を紹介しようと思います」


 ぱちぱちぱち、と自分の口で効果音を付ける十時さん。呆気にとられている僕たちが視界に入っているだろうに、一切気にした風もなく言葉を続けた。


「まず一つ目。なんと部室が使えます。わたしは基本的にはここでぼんやりしているので、部室は割と無人です。ですから君たちがそこで何をしようと自由。ラブコメしようと乳繰り合おうと自由です――あ、お得な特典は一つしかなかった。でもこの一つで十分だと思うけど、どう?」


 ……乳繰り合うとかそういうのはともかく。

 それはなるほど、僕たちの目的に迎合した魅力的なリターンに思える。

 いろりさんはどうだろうか。視線だけを向けて様子を窺う。


 いろりさんは、もう十時さんのセクハラ発言には反応することはなく(それでも頬はほんのり赤くなっていたけれど)、真剣にその提案について考慮しているようだった。


「二幹くん。わたしは入部しちゃってもいいと思うんだけど……」


「……僕もそう考えてた。いろりさんがそういうのなら、僕は文句は無いよ」


「じゃあ入部ってことでいい? それじゃあ、うん、歓迎するよ。ぼちぼちね」


 そういうことになった。


*


 天文部の部室は、屋上のすぐ近く、具体的には四階の一番端にあった。僕は屋上に入り浸る時に何度も前を通り過ぎたはずだったけれど、あの寂れた扉は今まで倉庫の様なものだと思っていた。まさか部室だったとは。

 というか、もともとは倉庫だったのだろう。扉も他の教室とは違って、横開きではなくて引き戸だし、覗き窓も付いていない。


「この部室はあんまり使ってないけど、本当に使ってないから、あんま汚くないと思うわ」


 そう言いながら十時さんが扉を開く。きぃぃぃと、立てつけの悪い扉が耳に障る音を生み出す。いろりさんはそれに眉をぴくりと動かした。


「……あ、胡桃ちゃん。丁度良かった、新入部員」


 僕たちの先頭に立って天文部の部室に入った十時さんは、部室にいたらしい「胡桃ちゃん」とやらに話しかけた。だけれど……もう一人の部員は幽霊部員という話じゃなかったっけ?


「――は? え? 新入部員?」


 甲高い――凄い悪い言い方をすれば耳に障る――声が聞こえた。そのかん高さの要因は、「新入部員」というワードに驚いて素っ頓狂なものになってしまった、という理由も何割か含まれているようだった。


「うん。……さあ、入って。ようこそ、天文部へ」


 振り返って緩く笑う十時さんに誘われるようにして、僕たちは天文部へと一歩足を踏み入れた。


 天文部の部室は……何というか、端的に言ってしまえば「活動していないんだな」という感じ。望遠鏡や三脚、そして古い型のカメラなどが部屋の隅に追いやられていた。ずさんに管理されているという訳ではないけれど、それらを使用していないのは明らかだった。


 そして部屋の中心には、古ぼけた二人掛けの皮張りのソファが鎮座していた。ソファのすぐ傍には小さなテーブルと赤いフォルムの小型冷蔵庫が備えてある。


 その「胡桃ちゃん」はソファでごろごろ、スマートフォンを横向きに持ってだらけきっていた。ぽかんという様子でこちらに視線を向けていた。


「よろしく、お願いします……」


「……どうも」


 僕といろりさんは簡単な挨拶をしながら、十時さんと一緒にそのソファの前に並んだ。「え、あ、ああ……。どうも」と「胡桃ちゃん」は動揺を隠せないまま挨拶を返して、そして続く言葉は、自分のこめかみを指でさしながら「お前たち正気か?」というものだった。


「正気ですけど……」


「大丈夫か? 脅されたりとかしてない?」


「ちょっと胡桃ちゃん。わたしがそんなことする訳ないでしょ?」


「いや……どうだかな…………」


「胡桃ちゃん」は慰撫傾げに十時さん、そして僕といろりさんを交互に見てから、それでも別に脅されたりしている訳ではないと判断したらしく、「……うしょっと」と気だるさを隠そうともせず姿勢を起こした。


 さて、その「胡桃ちゃん」だけれど、彼女はこの学校の生徒ではなかった。じゃあ誰なのかと聞かれれば、その答えは簡単。教師だ。この星陵学園の教師の一人。

 僕たちはどの教科も教えてもらっていないけれど、その姿は知っている。集会や廊下で何度か見かけたことがあるだけだけれど。


「あたしが天文部の諏訪部胡桃。ただあたしが何かを教えたりすることは無いから、さっきの『よろしく』は『初対面でのあいさつとしてのよろしく』であって、『これから一緒に部活を頑張ろう的なよろしく』じゃないから、その辺は勘違いしないでくれ」


「……その辺の事情は、十時さんから聞いてます」


「ん、そうか。じゃあ特に話すことは無いな」


 胡桃ちゃん諏訪部先生はテーブルの上にいちごミルクのストローを加える。薄くルージュの引かれた唇に挟まれた白いストローが、やがて薄桃色に染まっていく。


 何というか、色っぽいな、と考えた。考えた――そういう感想を抱いた訳じゃない。冗長な表現になってしまったけれど、つまり「色っぽく感じてもおかしくないはずなのに僕はそう思わなかった」と、そういう訳だ。


 その理由は、諏訪部先生の容姿にある。諏訪部先生は、なんというか――身もふたもない言い片をすれば小っちゃかった――いや、これもやはり、正しくないか。


 確かに身長はかなり低い。一五〇センチ無いくらいだろうか。だけれど諏訪部先生は幼い容姿な訳ではなく、顔はどちらかと言えば大人っぽい顔つき。十時さんの方が幼い容姿をしていた。


 だけれど諏訪部先生は、何というか、雰囲気がちっちゃい。うん、これがしっくりくるな。論理的な答えじゃないけど、感覚的に正しい表現だ。大人だけれど、子供のオーラ。


 諏訪部先生は紙パックのイチゴミルクを飲み干すと、紙パックを握りつぶしてゴミ箱に放り込んでから、先程と同じようにソファに横になってスマートフォンを弄りだした。

 スマホの画面が明るくなると陽気な電子音が寂れた部室に流れて、諏訪部先生はむすっとした仏頂面で画面に指を滑らせる。


 諏訪部先生はスマホのゲームをしている、というのは分かる。だけれど教師が何故、部室でごろごろしながらゲームをしているのかというのかは分からない。しかし、そこに僕が「なるほど」と頷ける理由がないことは分かっていた。


「あの……」困った様な表情で、いろりさん。「なにか……ないんでしょーか?」


 あまりにも漠然とした質問だけれど、その意図はこの場にいた誰もが汲むことができただろう。なにか、とは、……僕も具体的な言葉にできないけれど、入部に伴うサムシングだ。


「ん? ……ああ、入部届か、忘れてたな」スマホから顔を上げずに、諏訪部先生が呟いた。「いや……今は仮入部期間だから、……えーと、その辺の諸々はどうだったかな…………」


 ぶつぶつともう少し何かを呟いてから、「その辺は調べとくから、分かったらまたなんか持ってくるよ」と僕たちに告げて、もうそれ以上話すことは何もないとばかりにスマホの小さな画面の中に完全に意識を溶け込ませた。


「歓迎会とか、やる?」


「あるんですか?」といろりさん。


「まあ、できる」


「開いてくれるのなら嬉しいですけど……。ね、二幹くん?」


「うん、嬉しくなくは、ない……」


 こんな調子で、僕たちは天文部に入部することになったのだ。

 もちろん活動なんてする気はなかったけれど。

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