第4話 ポジションがずれる

「私がいつから死にたいと考えてたと思う?」


 こういうの苦手なんだよな。僕は心の中で苦笑しつつ頭を掻いた。

 答えをオーバーしたことは言ってはいけない。例えば僕が十年前って言って、そしたらいろりさんは「五年前です……」と答えたとして、その時いろりさんはなかなかどうして言い辛いだろう。


 問題形式にして訊ねて来るという以上、相手は多少なりとも「自分のそれが一般と比べて変わっている」という自覚があるからであって、それを超えたものをこちらが提示してしまうときま付い感じになってしまう。


 ……こういった感じで、やり取りの一つ一つに変にあれこれ考えて気楽に接することができないから、人間関係に苦手意識を感じてしまうんだろうな。


「……一、二年前くらい?」


 脳味噌をぐるぐる廻らせて、僕は無難だと思われる答えを口にする。死とか考えるようになるのは思春期、中学二年生くらいだと一般的に言われてる。だから一、二年前。


 だけれど、いろりさんは僕の答えに首を振った。しかしその表情に気まずそうな色がないのを見て、僕はほっと胸をなでおろした。とりあえず失敗の答えではないらしい。


「ううん、もっと前です」いろりさんは壁の一面に比較的綺麗なところを見つけると、そこに背中を預けた。「物心ついたころから、死にたいのです、あたしゃ」


「……へえ」


 いろりさんがこの体勢になってくれたことは大変ありがたかった。僕としては彼女の隣に並んで立てばいいので、顔を合わせなくて済むからだ。


「あんまり驚かないんだ」


「……いや、これでも結構驚いてる方なんだけど」


「……クール系?」


「リアクションが薄いだけ。でも――」僕は咳払いで閑話休題を示す。「物心ついた時って……いろりさんとしては人生ってのはずっと死にたいものだったってこと?」


「うん。私にとって生きることってのは、死にたいって気持ちと戦うことだった」


「なるほど…………」


 死にたいって思うようになった理由ってなに?

 僕はその質問を口に出そうとして、咄嗟で飲み込んだ。物心ついたころ。そのころから死にたいという鬱屈とした感情を持っているということは、その要因は彼女の家庭環境にあるのではと思い至ったのだ。

 だからそれは、彼女が自分から口を開くまで待つことにする。


「理由、気になるでしょ?」


 僕の心を見透かしたように、いろりさんが言った。僕はなんだかそれが恥ずかしくて、「まあ……」とあいまいに頷いた。


「だよね」


「うん」


「……だよね」


「うん……」


 しかしいろりさんはなかなかその答えを言わなかった。

 まあ言いたくないことならそれでいい。気にはなるけど聞きはしない。僕はあくまで聞き手で、いろりさんが話し手。話し手は自分のしたい話をするのが役割で、聞き手は相手の話したい話題を掘り下げるのが役割なのだ。


 だけれどいろりさんは、ややためらったような素振りを見せてから「私の死にたい理由はね」と切り出した。


「それが、私にも分からないのだー!」


「……。えっと……」


「分からないの。自分の死にたい理由が」


「…………死にたいのは確実なんだよね?」


「うん、死にたい。ずっと死にたい。でも、その理由は私にも分からないの」


「…………はあ」


 僕は返事に困ってしまって、そんな気の抜けた返事しか返すことが出来なかった。

 幼い時から死にたい、でもその理由が分からない。それって……別に死にたい訳じゃないんじゃないのか?


「死にたいのは確実なんです」またもや僕の心を読んだように、いろりさんは強い口調で言った。「証明は出来ないけど……かまってちゃんとか、ただちょっとネガティブなだけとかそういうのじゃなくて、本当に死にたいの」


「ただ漠然と死にたいの?」


「そう、漠然とぼんやりと、強く強く死にたいと思うの」


 そして彼女はその場で深く俯いてしまった。

 しかし俯きながらも、ぼそぼそと続ける。


「常に漠然とした不安とか、世界からの疎外感とか、息苦しさとか……そういうのを感じてるの。酸素の薄い場所にいるような、ここが自分のいるべき場所じゃないような、『生きることは出来るけど適していない』みたいな感じがずっとあって…………」


「それが辛い?」


「辛いって言うか…………うん、辛い」


「……僕も昔っから人づきあいがうまくないし、女の人が滅茶苦茶苦手だし、今もクラスに馴染めてないから、いろりさんの言わんとすることは、……なんとなくは理解できる。でも……ごめん、僕にはいろりさんの気持ちは分からない。僕は本気で自殺を考えたことは無いし、僕はいろりさんじゃあないから」


「それは……当たり前だよ。ごめんね私こそ、急にこんな話をして」


 彼女は顔を上げると、首を僕の方に向けてニコッと笑った。だけれどそれは可愛らしくなかった。頬が引きつって、苦しそうに笑っていた。


 ……こっちが本物か。

 今までの可愛らしかった彼女の笑顔は作り物で、こっちこそ彼女の心からの笑みなのだ。


「全然、構わないよ……。一方的に喋るならともかく会話はあんまり得意じゃないけど、聞いているのは嫌いじゃないから。ただ、アドバイスとかそういうのは全然できないけど…………」


「……もう少しだけ話を続けてもいいですか?」


「勿論」


「ありがとうございます。…………私がずっと死にたいと思っているにもかかわらずこの年まで生きているのは――生きてしまっているのは、死ぬのが怖いって言うのもあるんだけど、よく分からないまま死ぬのが嫌なの」


「死にたい理由をはっきりさせたいってこと?」


「そう。……だけれど定期的に、それすらも嫌になって死のうとするんだけど、でもやっぱり、死ねないのですよ。私の人生はずっとこの鬱屈とした感情に台無しにされてきたのに、その理由も判らずに死んだら『生』だけじゃなくて『死』までもが台無しにされる感じがして」


 これも、いろりさんの言っていることは理解できる。頭では、理論では分かる。だけれどやはり、感情の部分では理解できなかった――共感できなかった。


「死ねば全部おしまいだから関係ないとも思うんだけど――全部おしまいだからこそちゃんと清算したいんだよね。二幹くんもそう思いやしません?」


「なるほどね……」なるほどなるほど。「まあ……いろりさんの悩みは、分からないけど、分かれないけど、分かれないなりには分かったよ」


 死にたいという苦悩。死にたいという理由が分からないという苦悩。それらは、やはり僕には心で理解することは出来なかった。彼女の闇の深さはうかがい知れないけれど、でも普通の女子高生が抱えるべきではない闇を抱いているということは分かった。


 だけれど、これもやっぱり、僕は彼女に何かしてあげれることは無いのだけれど。


「少し……楽になりました」


 いろりさんは「ふう」と大きく息を吐いてからそう言うと、へろへろとその場に立ち上がった。そして、ふにゃっと緩い笑顔を見せた。力は無かったけれど、無理をして笑ったという風でもなかった。


「死にたい理由が分かるまで死なないって決めてるけど、それでもたまに辛くて辛くて死んじゃおうと思う時はあるのです」


「……今日もそうだったり?」


「うん」いろりさんは奥情を見渡した。「そしたらとてもじゃないけど飛び降りれるような感じじゃなくて……ちょっと安心したけど」


「そっか」


「それに、こうやって話せてよかったです。二幹くんにはよくなかっただろうけど……」


「別に……大丈夫だよ。自分が弱ってる時は、相手の迷惑とか考えなくていいんだよ。……まあ迷惑でもなかったけどさ」


「……ありがとう。親しい人ほどこういうことは話せないしさ。本当に助かったというか……嬉しかった。二幹くんと会えてよかったですよ」


「そ……そ――」そこで僕は、自分の声が少し上ずっているのに気付いて咳払い。「―そっか。ならよかったよ」


 僕は顔を伏せた。

 お礼を言われるのは、悪くない。感謝されるのは、そりゃ嬉しい。だけれど、僕は心の中で「やめてくれ」といろりさんに訴えていた。


 そういう、野渡二幹という個人に対しての感謝はやめてくれ。誰にでも向ける普遍的な「ありがとう」じゃなくて、「君だから助かったよ」的な、僕個人に特別性を見出してそれにありがとうというのはやめてくれ。


 そういうのは――期待してしまう。勘違いしそうになる。冴えないやつが自惚れはじめる。だから、やめて欲しいのだ。


 いろりさんと話してるのは割と楽しかった。

 僕は女子は苦手だけれど、彼女みたいなグイグイ来ない言葉も丁寧なタイプなら、まだ自分で距離感を調節できるから関われる方ではある。

 女子と話したことがあまり無い僕にとっては良い体験だった。良い経験だった。まあ、うん、下心的な意味で。


 でも。だから。この辺りにしておくべきだろう。僕の脳味噌の冷静でドライな司令塔みたいな部分がそう結論付ける。


 身体的接触をしてしまうという事故でちょっと浮かれてるだけ。その話のテーマが自殺という重めの内容についてだったから。そういった理由でまだそこそこ話せているだけで、後日いろりさんに廊下とかでであっても挨拶すらまともにできないだろう。

 野渡二幹とは、そういう人間だ。


 こういった「たまたま上手くできてる日」に調子に乗って勘違いするのは不味い。

 いろりさんとのなんやかんや――とか、「実は僕は女子と全然話せるんじゃないか?」とか、錯覚するのは不味い。


 だから、僕はこの辺にしておくべきだった。勘違いしない内に切り上げて、退散するべきだ。身の丈に合った、僕の役割に許されたことで留めておくべきなのだ。


 だけれど――。


「ねえ二幹くん。最後にもう一つ、いいかな?」


 だけれど、彼女はそれを許してくれないらしかった。


「なに……かな?」


 なるべく彼女が視界に移らないように俯いて、僕は聞き返した。

 彼女は「えっとね……」という言葉を何回か繰り返してから、「お願いがあるの」と続けた。


「お願いがあるの、二幹くん。何回も、ごめん」


「……」


 嫌な予感が体中を駆け巡る。だけれど、これはきっと僕の第六感が優れていたから感じ取れていた、という訳ではない。遅すぎた。これは彼女と対面した時から感じていい物だった。

 自分のポジションが、崩れる。役割がずれる。そういう悪寒。


「もしよければ――よければなんだけど、私の死にたい理由を探すのを手伝ってくれないかな?」

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