第二話 無色眼の元勇者、新入りに世間の厳しさを教える。

 翌朝。旅立ちの時を迎えた俺は、村の前で父と母に別れの挨拶を交わしていた。


「……本当に行くの?」


 母がどこか不安そうな顔で言う。


 俺は小さく頷く。


「出来ることなら魔王レヴィアスはこの時代の人間たちに倒してほしかったけど、どうもいまいち頼りなさそうだしな。俺が一肌脱ぐよ」


「そう……。わかったわ。それなら私もセインちゃんの魔王討伐が成功するよう全力で応援するわ」


 母は屈託のない笑顔を見せる。


 父も賛同して力強く頷く。


「男が一度決めた道ならとことん突き進みなさい。だが、辛くなったらいつでも帰ってくるといい。ここはお前の家だ」


 そう言い、手に提げていた一本の鞘を差し出す。


「我が家に代々伝わる家宝の剣だ。役に立つだろうから持っていきなさい」


 俺は鞘を受け取り、中から剣を抜く。一応性能ステータスが気になるので、下位スキル《鑑識眼》を使用。


 すると、虚空に小さな文字の羅列が表示される。


 固有名 ブロードソード レア度 ★☆☆☆☆☆☆ 攻撃力 8 魔法付与 なし


 このように全ての武器や防具、装飾品には必ず神々の恩寵ギフトによる性能ステータスが付与されている。レア度は最大七段階まであり、星が多ければその分だけ性能も上がる。攻撃力とは、文字通りその武器が有する強さの度合だ。こちらも数値が高ければ高いほど武器を振った時の威力が上がる。対し魔法付与とは、その装飾品に付与されている特殊能力のことだ。この武器には残念ながら付与されていないが、一つあるだけで性能が大きく向上する大事な要素だ。家宝の剣……その辺にあるただの《ブロードソード》だが、まあ何もないよりはいいか。


 すると、母がまくし立てるように訊いてくる。


「お弁当と水筒は持った? 野菜は毎日欠かさず食べるのよ? 歯磨きはちゃんと五分以上するのよ? 悪い女の人にホイホイついていっちゃ駄目よ?」


「う、うん。気をつけるよ」


 彼女の強烈な圧に押され、俺はぎこちなく頷く。


「坊主頑張れよな!」


「冒険者になって俺たちの代わりに魔王レヴィアスを倒してくれ!」


 自慢したがりの母が言いふらしたらしく、今日は村の住人たちも見送りに集まっていた。前世でも故郷を出る時はここまで人が集まることはなかったので、こんなに注目されるとなんだかむず痒くなってくる。早いところ村を出て、こんな肩身の狭い思いから解放されたいものだ。


「――朝からこの騒ぎは一体なんなのざます?」


 突然、村人たちの人垣を割き、二人の熟女と青年が悠然と歩み出てくる。


 肉団子のように酷く肥えた熟女のほうはショッキングパープルの豪奢なエレガントドレスに身を包み、対照的に棒のような細い青年のほうは艶のない金髪に青いジュストコールに袖を通している。見る限りいかにもお偉いさんといった雰囲気だ。


 父が代表して挨拶する。


「これはこれはファウスト卿、それにジーク様もおはようございます。――セイン、この方たちはフィル村の領主のファウスト男爵家だ。ちゃんと挨拶しておきなさい」


 それに従い、俺は一応挨拶しておく。


 父は嬉しそうに声を弾ませ、ファウストという熟女に告げる。


「実は昨日産まれた息子が、今日から魔王を倒す旅に出るんです。これからリース村のほうまで冒険者認定試験を受けに行く予定でして」


「……は?」


 ファウストは呆けたような顔でこちらを見る。


「息子さんというのは……」


「彼です」


 父にそう言われ、俺は軽く会釈する。


 すると、ファウストは口元に手を当てて面白おかしく笑う。


「オッホッホッホ! これは一体なんの冗談ざますか? 昨日産まれた子供が一日でこの大きさに急成長したと? しかも何かの聞き間違いかと思ったのざますが、魔王を倒すために冒険者になると?」


 父は困ったように言い淀む。


「いえ……冗談でもなんでもなく、神様に授かった力によって成長しまして……。神様から魔王を倒す使命を授かった息子がどうしても冒険に出たいと言うんで、今日から早速出発させることにした次第です」


 一応全て事実だが、ファウストは当然納得しかねる顔で適当に話を流す。


「……話はよくわかりませんが、まあそういうことにしておきます。そもそも魔王を倒しに行くとおっしゃっていますが、冒険者になるには属性魔力を扱えることが前提ざますよ? 彼は魔力眼を使えるのざますか?」


「えー……属性魔力は一応使えるのは使えるのですが、その……曰く付きの無色眼でして……」


 父の弱々しい言葉に、ファウストとジークという青年は一瞬呆気に取られた様子で顔を見合わせると、突然何を思ったのか大爆笑する。


「息子さんが冒険者を目指すと言い出すざますから一体なんの魔力眼かと思えば、まさか無色眼なんて! 無色眼は属性魔力が使えないというのが最大の欠点なのに、そんなくだらない嘘をついてまで見栄を張りたかったのざますか!?」


「しかも無色眼っていえば、魔力眼の中で唯一属性魔力が使えないことで冒険者認定試験の受験条件から除外された最弱の魔力眼じゃねぇか!」


 口汚く罵倒し、青年はずかずかこちらに詰め寄ってくる。


「だいたいさっきから聞いてりゃふざけたことばかり言いやがって! 無才の無色眼が冒険者になれるわけねぇだろ! この村で最初に冒険者になるのは天才貴族のこの俺ジーク様だ!」


「……? あんたも冒険者を目指してるのか?」


 ジークは得意げに胸を張って言い放つ。


「そうだ! 七歳の頃から十年修行を続けてまだ通常魔力しか使えねぇが、いずれ俺がこの村初の冒険者になって魔王を倒すつもりだ! それをお前は突然ぬけぬけ出てきたかと思えば、冒険者になるとかふざけたこと抜かしやがって! 冒険者舐めてんのか!?」


「いや、別にそんなつもりないけど……」


 というか、十年も修行して通常魔力しか使えないならさすがに冒険者になるのは諦めたほうがいいような……。


 そんな俺の気の抜けた態度が余計に癪に障ったのか、ジークは苛立ちを露わに歯ぎしりする。


「どうやらお前は冒険者になる過酷さがどういうものか全くわかってないようだな……! だったら俺がその厳しさを直接体に叩き込んでやる! 今から俺と勝負しろ!」


 うーむ。こういう口で言ってもわからない馬鹿には、一度体に教えてやらないとわからないか。


「別にいいけど、後悔することになっても知らないぞ?」


 少々面倒事に巻き込まれ、俺はジークと村の中央の広場で決闘を行うことになった。


 決闘の噂を聞きつけた村人たちが続々と広場に集まり、まだ朝だというのに辺境の村は異様な盛り上がりを見せていた。


「ジークちゃん、そんなお調子者コテンパンにしちゃうざます!」


「セインちゃん、手加減なんかしなくていいから全力でやっちゃいなさい!」


 それぞれの母親たちが外野から野次を飛ばしてくる。自分の息子に注ぐ愛情というのは、時にはここまで人を豹変させてしまうのか……。


 ジークは狂犬のような醜貌で不気味に笑いを漏らす。


「ヘッヘッヘ、痛い目見たくなかったら降参するのは今のうちだぞ?」


「そっちこそ、負けても子供みたいにぎゃんぎゃん泣かないようにな」


 俺の強気な言い返しに、ジークは忌々しげに舌打ちする。


「……いい気になりやがって。その余裕がいつまで続くかな!」


 途端、全身から紫色のオーラを勢いよく放出させる。


 ありとあらゆる生物に等しく流れるエネルギー、《通常魔力》だ。通常魔力は無属性魔法を行使するための魔力でもあるが、主な用途は身体能力を向上させるものだ。手や足にまとえば何倍にも攻撃力が上がり、全身にまとえば防御力を底上げすることもできる。


「まだ属性魔力は使えないが、テメェみたいな世間知らずの雑魚には通常魔力で充分だ!」


 それに対し、俺も挨拶代わりに通常魔力を解放。


 敵が魔力を使用するならば、こちらも魔力で対抗するのが戦闘の基本中の基本だ。魔力を駆使する相手に生身で立ち向かうのは、素人が素手で熊を倒そうとする愚行に等しい。


 ジークは少し意外だったように感嘆の吐息を漏らす。


「ほう。世間知らずの雑魚でも一応魔力を引き出すことはできるか。だが、所詮それもにわか仕込みの技。俺が本当の魔力ってモンを見せてやるよ!」


 そう言った瞬間、ジークは勢いよく前へと飛び出してくる。


《速度強化》の魔法か。両手で上段に剣を掲げ、ジークは勢いよく振り下ろしてくる。


「オラッ!!」


 俺は柔軟に半身を捻り、ひょいと剣を躱す。即座に左切り上げで返してくるが、素早く身体を反ってこれも軽々と回避。


 魔力とは、言わば殺気のようなものだ。魔力の感覚に慣れれば、その気配に反応して目をつぶった状態でも相手の攻撃を避けることができる。


 みだりに殺到してくる刃を、俺は準備運動をするような感覚で立て続けに躱す。


「どうしたどうした!? 俺の攻撃の前に手も足も出ないか!!」


 威勢よく煽り立てながら、ジークは無茶苦茶に剣を振り回す。


 魔力同士の勝負は、最終的にその本人の魔力の質で決まる。質とは、魔力の純度だ。ある程度の術者になれば、相手の魔力を見るだけで互いの実力差が判る。


 ジークは全く気づいていないようだが、この勝負は﹅﹅﹅﹅﹅すでにやる﹅﹅﹅﹅﹅前から勝敗﹅﹅﹅﹅﹅は決している﹅﹅﹅﹅﹅﹅


「な、なんで俺の攻撃が一発も当たらねぇんだ!?」


 ようやく異変に気づいたように、ジークは動揺を露わにし始める。


 もはや見ることもなく剣を避けながら、俺は涼しい顔で指摘する。


「《速度強化》の魔法を使ってるみたいだけど、それじゃ本来の5%も使いこなせてないな。いいか、本当の速度強化っていうのはこうやるんだぜ」


 そう言い、《速度強化》の魔法を使用。


「へ?」


 全力で打ち下ろした剣が虚しく空を切り、ジークはぽかんと呆気に取られる。


 俺の身体が霞むほどの勢いで加速し、彼の周りを脱兎の如く駆け回る。たちまち最高速に達すると、青年の周囲の空間に縦横無尽に無数の残像が発生。


 これには村人たちはおろか、ジークも顎が外れんばかりにあんぐり口を開けている。


 ――そろそろ決めるか。


 俺は間抜けに硬直した青年の背後に、一瞬にして回り込む。


「ちょっと吹っ飛ぶから、舌噛まないようにな」


「え?」


 丁寧に忠告し、人差し指の先端にほんの少しだけ魔力を溜めると、デコピンでジークの背中を軽く弾く。俺の微弱な魔力が、彼の全身にまとった魔力を無慈悲にオーバーキル。


 次の瞬間、青年の身体が冗談みたいに吹っ飛び、近くの小屋の杉板の外壁を派手にぶち破る。


 村人たちが呆気にとられた顔で、一斉に静まり返る。


「きゃああああああああああ!! じ、ジークちゃん!?」


 遅れて、ファウストが我に返ったように悲鳴を上げる。全身の贅肉の塊を揺らして何度もけつまずきそうになりながら、小屋の中に慌てて駆け込んでいく。


 さすがに少しやりすぎてしまったか……と俺は内心で反省する。


 程なくして、無様に失神したジークが小屋の中から村人たちによって運び出されてくる。


 ファウストはこちらにずかずか近寄ってくると、怒りに顔を真っ赤にして喚いた。


「うちのジークちゃんによくもこんな酷い真似を……! 次会った時は覚えてなさい!!」


 悪役のような捨て台詞を言い残し、その場からそそくさと去っていった。まあ次に会うことはもうないと思うが……。


 母と父が、興奮冷めやらぬ様子でこちらに駆け寄ってくる。


「す、すごいわセインちゃん! 冒険者を目指してる相手にあっさり勝っちゃうなんて!」


「さすが神様に選ばれた神童だ!」


 まあ、あそこまで弱い相手に勝って褒められても逆に虚しくなるだけなのだが……。


 俺は改めて二人に別れの挨拶を告げる。


「それじゃ、今度こそ行くよ」


「うん、気をつけてね」


 数歩前に進むと、手を上げて後ろを振り返る。


「そんじゃ行ってくる!」


 最後は元気よく言い、俺は新たな決意とともに村を飛び出す。


 近くの森の中に入り込み、疾風のごとく颯爽と山を駆け下りる。


 いい感じだ。この速度なら昼までには山を下りてリース村に到着するだろう。生い茂った枝葉を突き破り、節くれだった木立を縫うように疾駆し、軽快に草むらを飛び越える。


 不意に、正面の草薮から小さな何かが勢いよく飛び出してくる。俺は反射的に身を捻りそれを躱すと、思いきりブレーキをかけて停止する。


 突如姿を現したのは、ぴょこぴょこと飛び跳ねる青い小さな液体生物だ。


「スライムか」


 スライムは、下位・中位・上位の三つのクラスの中で一番下に属する下位モンスターだ。ほとんど人間に害は及ぼさないものの、このように悪戯をしたり作物を荒らすなど迷惑なことこの上ない。


 すると、周囲の茂みから大量のスライムたちが続々と湧き出てくる。


 俺は素早く奴らに視線を走らせると、やる気満々に腕を回す。


「ちょうどいいや。リハビリとレベリングを兼ねて相手になってやるぜ」


 そう言い、全身から通常魔力を解放。両腕を前に出し、無造作に構えを取る。


 次の瞬間、スライムたちが一斉に殺到してくる。


 俺はその場から一歩も動かず、最小限の動きだけで奴らの体当たりを躱す。スライムたちの攻撃を柔軟な身のこなしで避けながら、右手に魔力を集約。縦横無尽に目にも留まらぬ速度で手刀を払う。鋭利に研ぎ澄まれた魔力に裂かれたスライムたちが、水風船のように立て続けに弾け飛ぶ。


 すると、スライムの一匹が背後から勢いよく突っ込んでくる。


 だが、俺は反射的に背中に魔力を集めると、スライムの体当たりをガード。逆にスライムが強かに跳ね返され、木の幹にぶつかり潰れる。


 このように、魔力は使い方次第で矛にも盾にも成り代わる。魔力は全ての生物が己の身を護るための最大の武器だ。時には身体能力を強化したり、時には魔法の行使にも扱われる。魔力には魔力で対抗することが戦闘の基本中の基本であり、このような魔力が扱えないスライムなどもはや赤子の手を捻るようなものである。


 俺は手刀を払い、最後の一匹も鮮やかに葬る。気づけば、辺りはスライムの残骸で一面溢れ返っていた。


「まだ魔力の瞬間的な解放とコントロールは本調子じゃないな」


 自分の掌の感触を確かめながらそう言い、俺はドロドロとしたスライムの液体を拾い上げる。


「うーん、売れるかどうかわからないけど一応拾っとくか」


 呪文を唱えると、ボンと白煙を上げて素材が掌から消える。


《収納》の魔法によって俺の魔力空間に素材が収納されたのだ。収納する量が多いほど魔力量最大値は下がってしまうが、生物以外で手に乗せられるほどの質量のものであればなんでも収納可能なのでとても便利なスキルだ。


 一通りスライムの残骸を拾い集めると、俺は少し気分が変わる。


「このまま山を下りるのは面倒だな……。それに、久しぶりにあいつにも会いたいな……」


 再び呪文を詠唱し、上位スキルの《召喚》の魔法を使用。地面に魔法陣が描かれると、盛大に爆発して白煙を上げる。


 中から出てきたのは、小さな猪だ。


「百年ぶりだな、ウリ。俺のことがわかるか?」


 転生して外見も声も変わったはずだが、なぜかウリ坊は俺のことを理解したようにじゃれ付いてくる。


「うりーい!!」


「おお、俺のことがわかるのか! やっぱり俺たちは深い絆で結ばれてたんだな!」


 彼はウリ坊のウリ。前世の時に誰よりも長く旅を共にした、数少ない仲間のひとりだ。


 相棒との感動の再会に少し目頭が熱くなりながら、俺はしゃがんで彼と目線を合わせる。


「あの時はすまない。お前だけを置いて死んぢまって。元気にしてたか?」


「うりぃ!!」


 百年前と変わらぬ明るさで、ウリは元気いっぱいに返事をしてくれる。


 俺は申し訳ない顔で今の事情を伝えた。


「色々と事情ができて新たな魔王を倒さないといけない羽目になっちまった。こんな俺だけど、また冒険に付き合ってくれるか?」


「うりうりぃ!!」


 ウリは快く同意を示してくれる。


 相棒の背中の鞍に跨がり、俺は威勢よく言った。


「よーし、それじゃ新たな冒険に出発!!」


「うりぃ!!」


 ウリは勢いよく走り出し、再び山を駆け下り始めたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る