第22話 アルバイターと社会人4

「ええぇぇー!! 桃子彼氏できたのー!?」


 自販機のある休憩所。

 そこでジュースを飲みながら話していると、突然夏美が大声で驚いた。

 その声がすごく大きかったので、休憩所の隣の喫煙室でタバコを吸っていた男性社員たちが、不思議そうな視線をこちらに送って来ている。


「しかも同棲してるって……それはマジですか!?」

「え、別に彼氏じゃないけど。ただ一緒に住んでるだけ」

「それ彼氏じゃん! じゃなかったら一緒に住まないから!」

「ねえ、声大きい」

「あ、ごめんごめん」


 私が一言そう言うと、夏美は辺りを見渡し、えへへと笑った。

 と思ったら今度は手を口元に当て、小さな声で質問してくる。


「それっていつぐらいから?」

「ん、多分2、3週間前とか」

「てことは割と最近だ。付き合い始めたのは?」

「だから彼氏じゃない。あの人はただの同居人」

「ええー、ホントかなー」

「ホント」


 私が説明しても、夏美の顔色は疑いの色。

 どうやら私の話をあまり信じていないみたい。


「ちなみにその人って年上? それともタメ?」

「え、年下だけど」

「年下!? 年下っていくつ?」

「いくつ……」


 そういえば私、あの人の歳知らなかった。

 初めて会った時だって名前くらいしか聞かなかったし。

 確か大学生とか言ってた気がするけど、あの人って今何歳なんだろう。


「歳はわからないけど、多分大学生」

「大学生って……。桃子、それ本気で言ってる?」

「え、本気だけど」


 すると夏美は顎に手を置いて、難しい顔で私のことをじっと見つめてくる。

 喉を「んー」と鳴らしながら、まるで何かを鑑定しているかのように。


「よしっ、決めた」

「え、なに」


 そして何かを閃いたかと思えば、ビシッと私を指差してこう言った。


「今日、桃子のうちに行く!」

「え」



 * * *



「ねえ、桃子まだー? 荷物おもーい」

「もう少し。それに私も重いから」


 仕事が終わったのは午後7時半くらい。

 そこから電車で30分かけて、うちの近くの駅まで帰って来た。


 今は途中のコンビニでお酒を買って、うちに向かっている最中。

 私も夏美もお酒が好きなので、ついついたくさん買っちゃった。

 仕事で疲れてるし、これを持ちながら帰るのは結構大変。


「私お腹すいたー。ねえ、ご飯てどうするんだっけ?」

「ご飯は多分うちにある。だから大丈夫」

「うちにあるって……もしかして同居人の子が作ってくれるの?」

「うん」


 私が小さく頷くと、夏美は驚いた顔をして、


「ええー! そんなことまでしてくれるんだ! いいなー」


 と、いつもの調子で一言。

 そんなに羨ましそうにされても、あの人は私の同居人だし。

 だから私の分の夕飯も一緒に作ってくれるだけだし。


「私もそんな同居人ほしーなー。ねえ、今度私にも貸してよ! 1週間くらいでいいから!」

「いや。それじゃ私生活できないし」

「桃子なら絶対できるって! だからお願い!」

「無理」

「ええー、いいじゃん少しだけだから!」

「絶対いや」


 私が断り続けると、夏美はわかりやすく頬をぷくっと膨らませた。

 そんな態度を取られても、あの人を夏美に貸すわけにはいかない。


 そもそも私が生活できなくなっちゃうし。

 あの美味しいご飯も食べられなくなっちゃうし。


 それに——。


 多分夏美に一度でもあの人を貸したら、もう絶対に帰ってこないと思うから。


「ねえ、お願い! 5日、いや3日だけでいいから!」

「いや。いくらお願いされても貸さない」

「ええー」


 あの人は私の同居人。

 だから絶対誰にも貸さないしあげない。

 いくら仲の良い夏美にだって、絶対——。


「じゃあさ、後で紹介してよ」

「紹介って、しなくても今から会うけど」

「いいからいいから。桃子の同僚ですって」

「まあ、それくらいなら別に」

「よしっ、決まりねっ」


 そう言うと夏美は、鼻歌を歌いながら私の先を歩いていく。

 さっきまですごくだるそうだったのに、急に機嫌が良くなった。

 もしかしてあの人に会うのが、楽しみだったりするのかな——。


「あ、夏美。もう通り過ぎてる」

「えっ?」


 そんなことを考えているうちに、もうアパートに着いていた。

 私より先を歩いてた夏美は余裕で通り越しちゃってたし。

 こうやって2人で歩くと、意外と駅から近いかもしれない。


「桃子の部屋どこ?」

「一番奥。あ、でも多分鍵しまってる」


 同居人はすごく用心深いので、いつも鍵をかけている。

 休日でも、お昼でも、家の中にいても。

「都会は危ないんですから」って言いながら、絶対鍵を閉める。


 ——めんどくさいから開けてていいのに。


 いつも私はわざわざカバンから鍵を出して、玄関を開ける。

 どうせうちの中にはあの人がいるのに。

 何で私が帰って来るまで鍵を開けててくれないんだろう。


「あとで言っとこ」


 そう思いつつ私は、玄関の鍵を開けた。

『ガチャ』という音が鳴ったのを確認してから、ゆっくりとドアを引く。


「あれ」


 するとうちの中は、なぜか真っ暗なままだった。

 いつもいるはずの台所に、あの人の姿はないし。

 もしかしてどこかに出かけているのかな。


「靴もない」

「えっ? 同居人の子いないの?」

「いない。多分出かけてる」

「ええー」


 でもそのうち帰って来るだろうし。

 とりあえず私たちは部屋で何かしていよう。


「あ、そうだ。この前ゲーム買ったから一緒にやろ」

「えっ、桃子ゲームとかするの? ちょっと意外」

「普通にする。それに強い」

「言っとくけど私もゲーム上手いからね」


 自慢げにそう言う夏美。

 やっぱりゲームって、誰でもやるよね。

 あの人がやらないから、私がおかしいのかと思ってたけど。


「それじゃ早くやろ。部屋こっち」

「おっけい。それじゃお邪魔しまーす」


 そうして私たちは、暗いままのうちに上がった。



 * * *



 家に帰ってきてから随分と時間が経った。

 なのに私の同居人は、一向に帰って来る気配がない。

 連絡もないし、もしかして今日は帰ってこなかったりするのかな。


「ねえ桃子。この部屋暑くない? クーラーつけようよ」

「暑いけど、クーラーつけたら同居人に怒られる」

「ええー、いいじゃんそんなの。いいからつけようよ」

「怒られたくないからだめ」


 待ってるうちにどんどん部屋が暑くなってきた。

 多分ゲームをやっているせい、というのもあるとは思うけど。

 それにしてもあの人……遅い。


「涼しくなれないと私死んじゃう。桃子何とかして」

「何とかしてって」


 と、ここで私の中に一ついい案が浮かんできた。

 暑くてクーラーが付けれないなら、服を脱いじゃえばいい。

 どうせここはうちだし、今までもずっとそうしてたし。


「それじゃ服脱ごう。そしたらだいぶマシになる」

「えっ? 服脱ぐって……同居人の子いるんでしょ?」

「あ」


 そうだった。

 下着姿でいると、同居人に怒られるんだった。

 それで今までに何回服を着せられたかわからない。


 それにこの間、服を脱いだらあまり良くない目にあったし。

「もう安易に下着になるのはやめてください」って同居人にも言われてるから、ここで下着姿になるのはちょっとまずいかも。


「じゃあ、やっぱり脱がない。窓開ける」


 クーラーもつけちゃダメ。

 服も脱いじゃダメ。

 なら涼しくなるには窓を開けるしかない。


 本当はもっと涼みたいけど。

 あの人を怒らせちゃうのも、なんだか嫌だし。


「ねえ、網戸つけた方がいいよね」

「そりゃまあ、虫が入ってくるからね」


 窓を開けた私は、少し動きの悪い網戸を力強く引く。

 虫が入ってくるのは嫌なので、閉めた後も隙間がないか念入りにチェック。


 ——よしっ。


 普段はあまり窓を開けたりしないから、勘違いしていたけど。

 思っていたよりも涼しい風が部屋に入り込んできている。


「意外と涼しいけど。これでいい?」

「うん、まあ涼しくはなった」

「なら解決。ゲームの続きしよ」

「うん、次こそは桃子抜かすから」

「絶対無理。私強いし」


 本当はクーラーをつけたかったけど、これはこれで悪くないかも。

 出かけているであろうあの人も、流石にそろそろ帰って来るだろうし。

 それまではこうして、時間を潰していよう。



 * * *



「ああもう、桃子つよーい」

「え、今のは夏美が弱いだけでしょ」

「それでも私頑張ったし。もうちょっとで桃子抜かせたし」

「抜かせないから。クリアタイム13秒も差あるし」

「ええー? そんなにあったかなー?」

「あった。だから私を抜かすのは無理」


 私が試合に勝つと、毎回夏美は同じことを言った。


 もうちょっとで抜かせたとか。

 バナナ踏まなければ勝てたとか。

 アカこうら引けば勝てたとか。


 でもそんなことを言っても結局勝ったのは私。

 つまり夏美よりも私の方が上手いってことだ。


「ねえ、私そろそろお腹限界。桃子何か作ってよー」

「いや。そもそも私料理とかできないし」

「ええー、なら何か食べ物ちょうだい」

「めんどくさい。自分で取って」

「もー、じゃあ勝手に冷蔵庫開けるからねー」


 私が適当にそう言うと、夏美はコントローラーを置いて立ち上がった。

 そして冷蔵庫がある台所に向かうため、部屋の扉を開く。


「あれ? もしかして君……」


 不意に聞こえて来た声につられ、私は夏美の方を見た。


 するとそこには同居人であるあの人の姿が。

 それもどこか拍子抜けしたような顔で、ドアの前に立ち尽くしていた。

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