暁 睡蓮

第1話 雨

雨が降っていた。

少女は窓の外を見ながら、憂鬱そうにため息をついた。

ここのところ、毎日毎日雨ばかり。六月、梅雨。

せっかくの日曜日だというのに、雨のせいで、友達との約束も取りやめになってしまった。

窓の外では、アジサイの花の上を、カタツムリがゆっくりゆっくり歩いていた。

家の中にいてもつまらないので、少女は外に出ることにした。

赤い長靴に赤い傘をさして、少女は家の外へと飛び出した。

肩まであるお下げ髪を揺らしながら、少女は雨で濡れたアスファルトの上を歩いている。


つまんないなー。なにかいい事ないかなー。


暗い顔をしながら、道路を歩いていると、道の向こうから、大きなトラックがやってきた。

道路の幅は狭かった。少女に嫌な予感が走った。

道路の幅ぎりぎりによけたのに、トラックは少女の服に勢いよく雨水を引っかけると、何もなかったかのように通り過ぎていってしまった。


ちょっと、何よこれー。


少女のお気に入りの水玉ワンピースには、泥ハネが点々とついていた。

少女が服の泥を気にして歩いていると、不意に体のバランスが崩れた。

バシャアアアンという派手な音がして、少女は勢いよくすっ転んだ。

足元に落ちている空き缶に気付かず、つまずいてしまったのだ。

赤い傘が弾みで飛んで行ってしまった。

少女は起き上がると、足がジンジンするのを感じた。

膝を見ると、擦りむいて血が流れている。


あれ、傘がない。


はっと気が付くと、目の前には、赤い傘をかぶった犬が低い声でうなっている。

犬は、いまにも噛みつきそうな勢いで、こっちを睨んでいる。

少女は真っ青になった。そして、犬にそっと背を向けると、全速力で駆けだした。

犬が吠えながら追いかけてくるのが分かる。

少女は無我夢中で走った。


雨の日なんて、大嫌い!


気が付くと、少女は大きな木の下に来ていた。

傘もなく、ずぶ濡れなので、少女は雨宿りをすることにした。

全身が雨に濡れて寒い。少女は震えながら木の下にうずくまった。

膝を抱えながら、少女はふっと小さい頃のことを思い出した。


小さい頃、この木の下で、誰かと遊んだっけ。

それが誰かは思い出せないけど。

うれしいような、ちょっと切ないような、幸せな思い出。


少女が大きな木の下でそんなことを考えていると、にわかに雲行きが怪しくなり、雷が鳴り始めた。

その時、道の向こう側から、サッカーボールを蹴りながら一人の少年が走ってきた。

ウインドブレーカーのフードをかぶって、雨に濡れないように。

少年は、木の下に少女が佇んでいることに気が付くと、急に怖い顔をして怒鳴った。

「おい、お前バカなの? 何やってんだ、こんなトコで。」

少女も少年の姿に気が付くと、驚いて目を丸くしながら、

「あんたこそ、この雨の中でなにやってんのよ。」

と、負けずに答えた。

少年はちょっと偉そうに、

「オレは、雨でもサッカーの練習をしてんだぞ。どうだ、えらいだろ。」

と、言った。

少年は、少女と同じ小学校に通う六年生。ちなみに一年生の時から少女と同じクラスで、現在は少女の隣の席にいる。

気が短いけど、クール。そして、口は悪くてぶっきらぼうだけど、根はいいやつである。

少女の事は、昔からトロくて危なっかしくて放っておけないやつだと思っている。

「そんなことよりさあ。」

と、少年は言うと、木の下まで全速力で走ってきて、少女の腕を掴むと、道まで引っ張り出した。

「こんなトコで雷落っこちたら、死ぬぞ、お前。」

と、少年は少女の顔を見ながら怒鳴った。

少女は怯えた顔をしながら、

「だって、途中で犬に追いかけられて、傘なくしちゃったから、雨が止むまでここで雨宿りしてたんだもん。」

と言った。

少年は、呆れたようにため息をつくと、

「ほら、風邪ひくぞ。」

と言って、首に巻いていたタオルを少女に手渡した。

「ありがとう。」

少女は、タオルで、すっかり濡れた髪の毛を拭きながら、なぜかほっとするのを感じた。

少年は少女の顔を見ながら、

「このままここにいるわけにもいかないしな。

一緒に来いよ。」

と言って、少女の手を引っ張ると走り出した。

「どこへ行くの?」

と少女が尋ねると、少年は、

「いいから黙ってついてこい。」

と、生意気な口をきいた。

少女は内心ムッとしながら、少年と一緒に雨の中を走った。

空は黒い雲が立ち込め、雷の音が鳴り響いていた。

その時、急に空が光って、ズドーンという雷の大きな音がしたので、少女は思わず、

「ぎゃっ。」

と言って少年にしがみついてしまった。

その時だった! 少女が雨宿りしていた木にさっきの雷が落ちたのだ。

木は黒焦げに真っ二つになって無残な姿を晒している。

少年に引っ張ってもらわなければどうなっていたか。少女はぞっとして

顔が真っ青になった。

少年の蹴っていたボールが、いつの間にかどこかへ行ってしまった。

「ごめんね、ごめんね。」

少女は混乱していた。


すると少年は、優しい目をして、

「落ち着けよ。大丈夫だから。」

と言って、少女の肩をポンポンと叩いた。

「もう少しだ、頑張れよ。」

と、少年は言うと、少女の手を引っ張って走った。

間もなく、目の前には一軒の小さな古い店が見えてきた。

屋根瓦の上には、駄菓子屋の看板が立てかけてある。

「入れよ。」

と少年が言うので、内心、指図するなと思いながら、少女はしぶしぶ店の中に入った。


古びた店だった。たくさんの駄菓子が置いてある。どれもが懐かしい。

今どき珍しい、土間の床。そして、梅雨特有の湿った香りがした。

店の中には、レジの所に一人の老婆がいた。

その老婆は少年を見ると、

「おや、お帰り。すごい雨だったろ。」

と声をかけた。

「ばーちゃん、ただいま。」

と少年は言った。

二人のやり取りに、少女は思わず、

「あれ、ここ、あんたの家だったの?」

と言った。

その声に老婆は、

「お客さんかい?おやおやずぶ濡れじゃないか。風邪でも引いたら大変だね。ちょっと待っておいで。」

と言って、店の奥へと入っていった。

「ばーちゃん来るまで、ストーブ当たっとけよ。」

と、少年は少女に手招きした。

季節外れのストーブが、赤々と燃えている。ストーブの上には、古びたやかんが、シュンシュンと湯気の音を立てている。

ストーブにあたりながら、少女はあたたかい、と感じた。

「ここ、おれの家だって、知らなかった?」

と、少年は尋ねた。

「うん。」

「通学路なのに? どうせ、毎日ぼーっとして通ってるんだろー。」

「何よー。」

少女がムッとしていると、店の奥から再び老婆が現れた。

「ほらほら、お風呂の支度をしておいたから入りなさい。」

老婆はそう言って少女の方を見た。

「すみません、ありがとうございます。」

老婆の優しい心遣いに、少女は胸があつくなるのを感じた。そして、わざわざ自分の家まで引っ張って来てくれた少年の優しさに気が付いた。

「ごめんね。」

と、少女は少年に向かって頭を下げた。

すると少年は照れくさそうに、

「え、何がだよ。早く風呂に入って来いよ。」

と言って笑った。

「ほら、あんたも次入んなさいよ。」

と、老婆は少年に向かって言った。

「分かったよ、ばーちゃん。」

と少年は答えた。


シャワーを浴びて汚れを落とし、湯船の温かいお湯に浸かっていると、少女は今日一日の最悪な出来事が、まんざらでもないように思えてきた。

風呂から上がると、少年のものらしいトレーナーとズボンが置いてあった。

ちょっと恥ずかしかったけれど、少女は我慢して借りることにした。

「ありがとうございました。」

少女は老婆にお礼を言った。

「悪いねぇ、あんたの服が乾くまで、ちょっとそれで我慢してねぇ。」

と、老婆が言うと、少年はびっくりして、

「ちょっとばーちゃん、おれの服貸したのかよ。」

と、真っ赤な顔をした。

しかし、すぐに真顔に戻ると、わざと咳払いをして、

「ま、まあな。かっこいいだろ、その服。」

と、もごもご口走った。

すると、老婆は少年のお尻を叩きながら、

「ほら、ぐずぐずしてないで、お前も風呂入ってきな。」

と言った。

「しょうがねえなあ。」

と、少年は風呂場に駆けだした。

ドライヤーで髪を乾かすと、老婆が髪を結い直してくれた。

そして、老婆は少女に温かいお茶とお菓子を勧めた。


少女が老婆にお礼を言ってお菓子を食べ始めると、老婆は

静かな声で、

「あの子はね、小さい時に両親を亡くしてる

不憫な子なんだよ。でも口は悪いけどいい

子でしょ。これからもあの子と仲良くしてや

ってね。」

と言った。

「今日は雨の日で最悪だったけど、思いがけ

なく助けてもらって、とてもうれしかったで

す。こちらこそ、これからもよろしくお願い

します。」

と、少女は心を込めて言った。

その時、少年が風呂場から飛び出してきて、

「ばーちゃん、出たぞー。」

と叫んだ。

「出たぞー、じゃないだろ。この子は。ほら、

頭、びしゃびしゃじゃないか。早く乾かしちゃ

いな。」

と言って、老婆は少年の頭をこづいた。

二人のやり取りが面白くて、少女は思わず声を

出して笑った。

老婆と少年は、同時に少女の方を見た。

そして、三人とも思わず吹き出してしまった。


少年はドライヤーで髪を乾かし終えると、さっ

ぱりとした表情をしていた。

ウインドブレーカーで隠れて顔が見えなかった

けれど、ベリーショートに凛々しい顔つきをし

ていた。

少年は店の売り場にある菓子を、幾つか持ってく

ると、

「ほら、これ土産に持って帰んな。」

と言って少女に手渡した。

「ありがとう。」

と言って、少女は少年ににっこりと微笑んだ。

「いいね、その顔。あんた、笑顔が可愛いよ。

暗い顔なんかしてちゃだめだよ。」

と、老婆が言った。

その時、少年が、

「あ、雨が止んだぞ。」

と叫んだ。

「ほら、見てみろよ。」

と、少年は少女の手を引っ張って外へ出た。


少女が見上げると、すっかり雨が止んで、太陽が顔を出していた。

「あ、虹。」

と、思わず少女は叫んだ。

少年は、少女の指さした方を眺めると、眩しそうに目を細めながら、

「きれいだな。」

と、ぽつりと言った。

その時、二人の様子をにこにこしながら見ていた老婆が、

「ほら、ちょうどあんたの服も乾いたよ。」

と言って、少女の服を持ってやって来た。

「ありがとうございます。」

と、少女は老婆にお礼を言った。

少女は服を着替えると、晴れ晴れとした笑顔で少年に、

「今日はどうもありがとう。おかげで助かっちゃった。」

と言った。

少年は照れくさそうに頭を搔きながら、

「こっちこそ、思いがけず楽しかったよ。また来いよな。」

と言った。

「うん、またね。」

と、少女は、少年と老婆に手を振った。

少年と老婆は、少女の姿が見えなくなるまで、手を振っていた。

帰り道、少女は真っ黒こげになった木を見つめてぽつりと呟いた。

「あの子だったっけ・・・。」

と。


ーENDー



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暁 睡蓮 @ruirui1105777

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