第11刻:朱莉%《アカリパーセント》の慈愛なり

「お帰り~~京。テスト期間中なのに遅くてお姉ちゃん心配したんだよ~~」


 家に帰ると、玄関にはオロオロしながら弟の帰りを待っている姉の姿があった。目は涙目になっていて、ありえないレベルの心配を本気でしていたようだ。


「ただいま朱莉あかりねぇ。今からリビング使ってもいいか?」


「いいけどお姉ちゃんは~~~~っ!」


 朱莉姉はさっきからオロオロしつつ、自分がどれだけ心配していたのかを主張している内に感極まってしまったのか、泣きわめきながら抱きつこうと両手を広げて駆けてくる。

 抱きつかれる寸前のところで朱莉姉の顔面を掴み、『バカ姉、嫌がる弟を無理やり抱擁する事件』を未然に防いだ。


「ああ! もう! 鬱陶しい! いちいち抱きつこうとすんな! 友達も来てるんだよ! 恥をかかすなバカ姉!」


「でも心配したんだよ~~、――………京の友達?」


「そうだよ!」


 俺のその苛立った返事に続いて綾黒、荒木、水戸が各各々かくおのおののコメントを言いつつ、入ってくる。


「………こんにちは、お邪魔します」


「………紅智のお姉さん美人で羨ましいなぁ(魂の慟哭)」


「おし、お前の部屋に案内しろ。エロ本探して恥をかかせてやるぜ」


「………………紅智君、………エロ本なんか持ってるんですか?」


「おい、水戸ふざけんな! 綾黒が本気で信じて俺に侮蔑の視線を向けながら誤解しやがったぞ!?」


 何とか綾黒の誤解を解くことはできたが、水戸には後で天誅を下すべきだろう。朱莉姉に至っては日常茶飯事の一つなのでスルー。

 そう言えば、俺が綾黒としばらく口を聞けなかった割には普通に話していると思ってる人がいると思う。

 そこは本気で俺も不思議に思ったので道中聞いてみるとこんな返答が返ってきた。


「さっきまでは慣れない感情に焦ってカッとなってしまいましたが、後々紅智君には何も非がないのだと反省しました。

 何より、紅智君は友達なんですから私が意地になる程度の理由で仲違いなんかしたくないのはずっと思っていたことです」


 そんな誤解を生みかねない台詞を平気で告げてくるので、ドキッとしてしまった。

 正直、綾黒はいずれ自分の意思を大切にできるようになった時、『天然男オトし』の才能に目覚めるのかもしれないなどと思っていた。



 ちなみに話を戻すが、俺の部屋にエロ本はない。

 エロ本自体は一度だけ、荒木に無理やり見せられたことがある。その時、エロ本に興味が湧いてくるどころか、むしろ生々しすぎて吐き気しか湧いてこないので持たないようにしている。

 それに、そうじゃなかったにせよ、俺はエロ本を部屋に隠したりしないだろう。何故ならば今さっきのやりとりをまったく気にしないほどのマイペースさを持つこの姉――、


「私は京のお姉ちゃんの紅智あかさと朱莉アカリ

 皆の一年先輩でもあるよ。宜しくね」


 紅智朱莉。俺の一つ年上の姉だ。

 この姉、さっきのやりとりを見ていればちょっとは察せると思うが、血縁関係のある俺にお節介をやきすぎる。

 かなり心配性なのだが、明らかに度を越し過ぎていて、ブラコンの領域にも余裕で足を踏み入れられるレベルだろう。


 そんな姉がいるのにエロ本を部屋に隠すとか自殺行為に等しい。実際、何度か俺の部屋が荒らされていた形跡があるが、朱莉姉の部屋を掃除している時の散らかり方とモロ被りしていたというトンデモエピソードまで備えてある。


 そして何より、


「………京がR-18のエロ本買うのはお姉ちゃんオススメしないけど、姉弟きょうだいモノなら喜んで許します」


「なんで近親相姦を容認できるんだブラコン発情期。その病気を一度、専門家に矯正してもらった方がいいんじゃない?」


 というやり取りを一度交わしていたことが一番の理由だろう。


 だが、それでも美人なのは確かだ。美しい深紅の地毛ストレートロング、顔立ちは整いつつ大人びている。

 そんな美人姉がブラコンであることを世間の弟は羨望しているらしいが、それを体験している思春期の弟である俺からすればそんな姉が少し怖い。


『よろしくお願いします』


「私は紅智君のご学友の綾黒瑠璃です。どうも今後とぞ宜しくお願い致します」


「いや、重い重い重い! わざわざ朱莉姉にそんな丁寧に挨拶しなくていいから!」


 荒木と水戸が軽く挨拶を済ませているが、綾黒の挨拶は相当重い。だから反射的に突っ込んでしまったが、流石にしょうがないだろう。

 だが、家族というものが関わってくる事柄において綾黒にそんなことを言ってしまったことは俺に対しての致命打だと知ることとなった。


「…………わざわざご家庭に首を突っ込むことではありませんが、紅智君はお姉さんに対して些か態度が冷たすぎませんか?」


「……………うっ!」


 こいつ、変なところで正論をかましやがった………っ!


「そうなのよ~~。京ったらお姉ちゃんにだけ冷たいの~~。

 お姉ちゃんのお弁当に京の分まで紛れ込んでたから教室に届けに行ったら、すぐに追い返されるし。お姉ちゃんが京に甘えさせてあげようとしたら京ったら引きこもりみたいに自室に籠ってお姉ちゃんのこと無視してきて、お夕食自分で作ったら失敗して…………よよよよよよよ」


 そしてまた泣き出してしまう朱莉姉。かなり泣き癖があるのは知っているのだが、それにしても、この人本当に面倒くさい………と、思う俺なのであった。


 すると、朱莉姉がさっき泣き出したかと思うとコロリと表情が一転、朱莉姉が呑気な表情で聞いてくる。


「………ところで、リビング使って何するの? UNOウノとか? お姉ちゃんも混ぜてよ京~~」


「あんた………今がテスト期間中だって分かってて言ってるのか…………っ! 勉強会だっつーの!」


 俺だって要領が悪いからテスト期間中は勉強に集中してなきゃいけないのに、UNOウノなんかやってる余裕なんざある訳がないだろ。


「ん~~、そういえばテスト期間中だったね~~。

 でも、結局お姉ちゃん成績伸びないしな~~」


「やっぱり成績なんか簡単に伸びませんよね。紅智のやつ張り切って何を言ってるんだか…………」


 確かに朱莉姉は当たり前のことを言ってるように思えるが、何も知らずに朱莉姉に便乗してしまう荒木に対して一応忠告することにした。


「おい、荒木。そいつは死亡フラグだぞ」


「…………へ?」


「――だって、私いつも100点しか見たことないからさ、いまいちやる気が湧かないんだよねぇ~~」


「ぐはっ!?」


「え、いつも100点ですか!?」


 照れ臭そうに述べた朱莉姉の発言に、喀血したように倒れる荒木。何か綾黒がめっちゃ食いついているのは…………まぁ、まだ分かる。


「そうだよ~~。そんな訳で未来学園高等部第2学年主席の私が皆に勉強教えてあげちゃう~~」


「…………ありがたいです!」


「まぁ、紅智先輩がいいなら是非………」


「だな。主席ならハズレじゃねぇはずだしな」


 皆結構乗り気のようだ。が、今回は別に朱莉姉に勉強を教えてもらうために勉強会を開いた訳じゃない。


「………いや、今回は悪いけど朱莉姉の役目は綾黒に任せてあるんだ実は」


「………え、紅智先輩なら間違いないのにどうしてなんだ………? 普通に綾黒でも大歓迎だが」


 荒木が訳を問いただしてくる。本当に心の底から申し訳ないが、今回ばかりは綾黒がやらなければいけないのだ。


「詳しくは言えないけど、綾黒のためなんだ。どうか、何も言わずに協力してくれたら嬉しい」


『………………』


「………まぁ、いいか」


 そう言ってくれたのは水戸だった。


「ぅし、そうと決まれば早速だ! 綾黒頼む!」


「…………え、え………あ、はい!」


 張り切る荒木に応じるように準備に取りかかる綾黒。

 俺は朱莉姉の隣に行き、小声で謝罪する。


「悪かったな、朱莉姉」


「いえいえ~~。綾黒ちゃんがあの二人を教える訳だし、お姉ちゃんは京に勉強を教えてあげよう」


「ああ、よろしく頼むぞ、朱莉姉」


 と、言ったのはいいが、実は朱莉姉は人に物事を教えることが下手くそだからなぁ………。上手くやりくりするか。


 ***


「おし、何か自信が少しだけ湧いてきたぞ」


「ありがとな、綾黒」


「いえいえ、お気になさらず。私も分からなかったところを学習できましたから」


 先ほどまで帰る準備をしながら水戸と荒木の相手をしていた綾黒がこちらに向き直ってくる。


「それではそろそろおいとまさせて頂きます」


『お邪魔しました』


 三人が帰るので、少し見送りしようと表に出る。すると、さっきまで何をしていたやら、朱莉姉が何故か俺の数学の参考書を持って表に現れた。


「ねぇ、綾黒ちゃん」


「はい?」


「どうしたんですか、紅智先輩?」


「荒木君と水戸君は先に帰っててもいいよ。少し綾黒ちゃんに用事があるだけだから」


「私に用事、ですか?」


「“2のa乗+3のb乗+1=6のc乗”を満たす自然数(a,b,c)の組み合わせを全て求めよ。また、いくつあるか」


「………は?」


 朱莉姉のいきなり出した問題に驚く俺。

 実はこれ、高校数学の最初にやる内容で充分、人によっては解ける問題だ。

 だが、数学オリンピックや超難関大学に入れるレベルの応用力が必須になるため、こんなもの大抵どこの高校でもどこの大学入試扱わない難問なのである。

 即ち、当然ながら分からない。


「『1,1,1』、『3,3,2』、『5,1,2』の3つです」


「正解」


 考える素振りも見せず、秒で解答する綾黒。その上、正解だったのだからそりゃ驚く。

 それにこの問題に必要な基礎知識って………。


「………その時の授業内容、お前まだノート取ってなかったよな?」


 確か綾黒はその時、先生に当てられて珍しく問題に答えることができなかったはずだ。少し気になって時々後ろを見ると、授業中ずっと上の空のようだったのを覚えている。

 そして、俺がそこまで回想したところで綾黒は頷いた。


「はい。丁度今日の勉強会ついでに紅智君にノートを見せてもらおうと思ってました。この後見せてもらえないでしょうか?」


「…………それはいいけど、よくもまぁ今日学習した内容の応用問題を解けたな」


「その部分は荒木君と水戸君の二人とも、まったく分からなかったようなので、そこら辺を集中して学習したからだと思います。

 すぐに公式が頭に浮かびました」


 さらりとすごいことを当たり前のように口にする綾黒は理路整然と説明を加えるが、どうしてもそれだけでここまでのレベルになるとは到底思えない。

 ………素直に感心し、呆れる。何と言えばいいのやら、とりあえず頭が痛ぇ。


「――それだけじゃないよ」


『朱莉姉〈紅智先輩〉?』


 俺が頭を抱えていると、朱莉姉が話に割り込んでくる。そして持ち前のマイペースさが原因なのか、頼んでもないのに勝手に説明をしてきた。


「京が綾黒ちゃんに講師役をやらせた意味がこれだね。

 人に教えるっていうのは、その人が知識を身につけるだけじゃなくて教える側の知識の再確認っていう効果もあるのは知ってるよね。

 それだけじゃなくて、教えるために必要なことだけを割って話す――つまり、内容をまとめることが自然とできるようになっていくトレーニングにもなるの」


「そこまで…………すごいです。紅智君はいきなり私にこんなことをさせてどうするんだろう、と疑問にまで思いましたが、これはとても効果のあるものでした。これはこれからも続けたいものですね」


 俺に対する変人評価をしつつ、感想を述べるところを聞くと、いつもの綾黒が戻ってきたように思えたし、実際に活気も出てきたように思える。

 個人的にはこの毒的な言い方を嗜めたいところだが、綾黒っぽいので今回は見逃す。


「うん、いい心がけだね。自分のためになって皆のためになるっていうのは素晴らしいことだから」


「…………皆のために」


「………綾黒?」


 ふと、綾黒の口から聞きなれず、これからもずっと聞かないだろうと思われた単語が出てきたので、少し怪訝な気持ちになる。

 が、綾黒はそんな俺など気にする様子もなく、何かを決心したように力強く立ち上がった。


「私、友達を増やします!」


「――え、」


 簡潔に要件をまとめる――綾黒の成長速度は恐ろしく早いが、それじゃあ要件だけしか伝わらず、要件の上で何がしたいのか読み取れない。

 元々、何がしたいのかが読み取れないのは入学式の日からずっとだったが、いい加減時期的にもそろそろコミュ力を向上させるべきなのだろう。


 綾黒がどういう意図で友達を作ろうとしているのかは分からないが、便乗することにしよう。


「で、どうやって友達を増やすつもりなんだ?」


「それに関してはちゃんと考えてありますよ」


 まぁ、綾黒がどうやって友達作るのか全く想像できないあたり、少し怖いのだが。

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