第10刻:綾黒%《アヤクロパーセント》の迷いなり

「お前は俺のこと、どう思ってる?」


「………え」


 綾黒の冷たい瞳が、大きく見開かれた。

 戸惑っているのが伝わる。


「……………………」


「………………いきなり言われても、私には分からないです…………」


 綾黒にしてはやけに自身のない返答。綾黒ははっきりと物事を言う人柄だ。この返答は綾黒の本心ではないことが分かる。

 つまり、綾黒は俺に対してはっきりとした評価を持ってる。だから――


「………嘘だな」


「……………っ」


 綾黒が次に浮かべたのは苦しい表情だった。心が揺れていることでいつものように冷静になれないのだろう。


「はっきり言ってくれていいから教えてくれ。それは俺が干渉できないお前の意志だ」


 俺が綾黒を苦しめてるのだと分かってるのに突き詰める。我ながら意地が悪い。

 でも、それでも俺は――


「………紅智君がどうなのかは本当に分かりません。でも私は紅智君を“友達”、と思っています」


「――――!」


 こいつも、俺と同じだったことに今度は俺が驚く番だ。


 俺も綾黒を友達と思っているから悩みを少しでも、心の弱さを少しでもさらけ出してほしかった。

 だって綾黒はずっと一人で生きてきたから。


「………なら、その友達とやらに少しは相談してくれよ」


「…………流石にその理屈は分かりません」


「…………」


 あ、こいつそういう奴だった………。

 まったく感情論を理解してやがらないためか、感情論だと正論以外、まったく受け付けない。

 俺に打ち解けてくれたのだって、それがきっかけなのだから。


「…………確かに両親がいないのは寂しいです。

 でも、そう思ってしまった私の身勝手さをきっと両親は怒ります」


「……………厳しすぎるな、そりゃ」


「私情で他の人に迷惑をかけてはいけない、そう教わりましたから」


「………とことん娘への愛情の欠片もないな」


 そう悪態をつくとともに納得した。だから綾黒は誰にも頼ろうとしないのだ、と。

 次に沸いたのは綾黒の両親への苛立ち。確かに綾黒への教えはある種の正論だが、人として間違いしか生まないその冷たさに、心底腸が煮え繰り返りそうだった。


「………なぁ、綾黒。お前は自分の両親が狂ってるって思うか?」


「…………思いません」


「………そっか」


 そこだけは、確固たる自信が伝わってきた。

 そうでなければ、今ここにいる綾黒瑠璃の人格は成立していないのだから、納得しかないが。


 しかし、綾黒瑠璃の時間は動き続けている。当たり前のことだが、その前提があるからこそ、彼女にもきちんと感受性や間違いを正そうと学習する力が備わっている。


「……でも、両親とは違う正論を持っている紅智君を見てきたからこそ、一人一人違う正しさがあるべきなんだって理解しました。

 だから、最近はちょっとだけ迷っているんです。私はただ父と母を愛していて、誉められたいからというだけで、両親のようになりたいがために正しいと思える道を迷わずに突き進んできました。

 けど、私にとって、本当は両親の正論は正しいのかどうか………分からないんです。考えたこともない事柄ですし、物事に迷うのも初めてだから、分からないことだらけなんです」


「……………………」


 ………そこら辺のさじ加減は度合いが難しく、深刻なのだ。

 そういったことに、人は迷う。心が不器用な人ほど特に。


 俺もそうだったから、分かることだ。


「…………紅智君、今だけですから、あなたに頼ってもいいなら、私に教えて下さい。私の正しさって何ですか?」


 綾黒には難しいものであり、人に答えを求めるのも無理はない。

 確かに俺はこいつに人間味のあるものを教えられる確信がある。だが、その質問の答えを俺が示すわけにはいかない。


「――知らない」


 だから、敢えて突き放す。

 その質問への返答を拒んだ。


 綾黒の求めるべき正しさの答えは、彼女自身が見つけるべきだから。

 どれだけ路頭に迷っても自分のことは自分で導いてやらねばならない。両親に依存してきた綾黒には酷すぎるだろうが、彼女の誰かへの依存が終わらない限り、彼女の呪縛も彼女自身の正しさも答えとして出てくることはない。


 そして俺の発言からその結論を見出だしたらしい綾黒ですら、しっかり理解していた。

 彼女は希望を断たれたかの如く、見据えるべきで見えない未来を見ようと、大きく目を見開いた。直後、俺は言葉が足りていなかったと後悔した。


「…………そう、ですよね」


 感傷的な乏しい声で一言、そう言った。


「そういうのはお前が考えて決めることだからな」


 タイミングが遅すぎた。結論を告げてからの理由や説明は後付けのような印象になりかねないからだ。


 綾黒は追い込まれているけど、ここで手を差し伸べる訳にはいかない。

 これはこいつが考えて見いだすべき問題。俺に手出しする権利はない。


 けれど、俺はここで間違えたのかもしれない。どうして何もしないことを選んでしまったのか、不思議でならない。


「………こんなこと聞いてすみません。」


 その謝罪を聞いて、そう痛感し、そして後悔したのだ。

 それから、俺は綾黒のために何ができるかを考えることとなる。


 綾黒の迷いが晴れることはなく、彼女が俺に口を聞いてくれることはなくなった。



















 ***


 時は少し流れて5月中旬。

 綾黒は俺が来るよりも早く学校にいるのに、迷いを抱き始めたあの時から俺よりも遅かった。


 あれからも綾黒の迷いは晴れず、何度か俺からもコンタクトを取ってみたが、まったく返事はなかった。関係は以前のように戻ってしまい、綾黒はクラスで再び孤立した。

 そして、綾黒が勉強しているところを見ていない。ずっと考え事をしているのか、授業のノートもまともに取ってはいなかった。


 俺も綾黒のためにできることを模索したが、結局何も思い浮かばず、今はもはや半ば諦めてしまっていた。

 だからその間、俺は綾黒と打ち解けることに費やしていた時間を水戸や荒木と話すことに使っていた。


「そろそろ中間考査だなぁ………」


「ああ…………かったるい」


「いや、勉強すればいいじゃん」


「それがかったるいんだよ………」


「分かってねぇなぁ………」


「……………駄目だこいつら」


 こいつらもこいつらで活気がない。綾黒と比べて随分お気楽そうな悩みではあったため、いっそのこと俺が勉強を教え殺して、このうざったいお気楽憂鬱野郎共をぶっ飛ばしてやろうと思いかけた。

 ふと、綾黒が気になった。あの頃は既にきた綾黒の席、今はまだ綾黒は来ていない。


 中間考査、綾黒は大丈夫かな……――、


「……………あ!」


 少しいいことを思い付いた。

 上手くいけばいいのだが。


 ***


 翌朝。


「……………」


 俺よりも遅く登校してくるようになっていた彼女は自分の席を見て一瞬、立ち止まった。

 何故ならあの数日間のように彼女の机と向い合わせにして、俺が勉強しているから。


「………おはよう綾黒」


「………………」


「…………少し頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」


「……………」


 ここまできても返答なし。けど、一瞬立ち止まったのだから、完全に無視されてる訳ではないだろう。

 俺のやりように左右されるところだ。


「お前、まだ迷ってるんだな」


「……………っ!」


「分からないことをそれだけ真剣に考えられることはいいことだけど、答えが分からないなら一旦考えることを諦めればいい」


「……………何を言っているんですか? まったく理解できません」


 かなり毒の入った言い方だが、久しぶりに綾黒からの返答だったからか、失礼にも無意識に微笑んでしまった。


 とは言え、こいつの言い分には納得できる。俺が綾黒だったら、間違いなく『何言ってるんだコイツ?』と思うからだ。

 しかも綾黒の質問への答えを否定しておきながら、今さら返答しておいて、更にはその内容も綾黒の苦悩を完全否定した内容な上に理解不能ときた。そりゃ毒も入る。


 けれど、俺も何も考えずにこんなことを言い出すことはしない。


「つまり、トライアンドエラーだ」


「……………はい?」


「俺もお前の迷いの解決方法なんて知らないし、お前が見いだすべきだと考えてる。

 けど、そのサポートくらいしなきゃなって」


「………返答の経緯は分かりましたが、その意図は分かりかねます」


「どっかのバカが言うような台詞だけどさ、『考えるより先に体を動かせ』って意味だよ」


「はぁ……………で、私は何を?」


 一応は納得してもらえたようだし、ほんのちょっとは乗り気にもなってくれた。

 俺はそれが嬉しくて、つい人差し指を天に掲げて意気揚々と高らかに告げる。


「俺ズ主催、本日開催の中間考査対策勉強会の講師に任命する!」


「………………」


『………………』


 丁度、クラスが静まり返ったタイミングでのその発言に、綾黒含めクラスの連中の視線が俺が天に掲げた人差し指に集中する。

 その目はまさに、『いきなり何言い出したしコイツ』のような意味が込められた死んだ魚のような目をしていた。

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