第2話 犬人間

 

 二



 コンビニへとビールを買いに向かっている俺の背後に居たのは、全身が毛に覆われた人間だった。……猿の仲間じゃねぇのかって? 断じて違う!

 何故かって、顔が犬だったんだよ! その時点で猿じゃねぇし、ましてや犬でもねぇ。言うなれば、犬人間ってところだな。ハッハッハッハッて呼吸してるし。


 ともかくその犬人間は、俺の振り向きざまの回し蹴りを、軽々しく飛んであっさりと避けやがった。それも、後方に二メートルも飛んで、だ。それだけで、人間の力を軽く凌駕してる事が分かった。

 俺の回し蹴りを後方に飛んで避けたそいつは、空中で体を一回転させると、四つん這いの姿勢でこちらを向いて着地した。その着地した場所が丁度街路灯に照らされた場所だった事もあり、そいつの姿をハッキリと確認する事が出来たって訳だ。


 そいつの顔は正しく犬。横に大きく開かれた口には鋭い牙が並び、その口からは涎がダラダラとだらしなく滴り落ちている。時おり、犬特有の長い舌が口の周りを舐めまわしていた。

 体は全身が茶色い毛に覆われ、腰の辺りには左右に揺れるフサフサの尻尾も見えた。剥き出しの下半身から、雄だという事も分かる。



(な、なんだ、こいつは……!? 明らかに人間じゃねぇ! ……逃げられるか?)



 その犬人間と目を合わせながらそんな事を考えていたが、俺の本能はそんな事を望んじゃいない。戦え、壊せ、滅茶苦茶にしてやれ。そんな言葉が次々と心に湧いて来やがった。



「グルルルルルルゥ……ワオォォォォンッ!!」


「っ!? ちくしょう! やるしかねぇ!!」



 戦うか逃げるかの葛藤をよそに、犬人間は正に犬の様に吠えながら突っ込んで来やがった!

 低い姿勢からの尋常ではない突進速度の上、口を大きく開き牙を剥き出しにしながらも右腕はテイクバックしている。つまり、剥き出しにした牙は威嚇で、本命は鋭い爪が生えた右手での突きって事だ。

 瞬時にそれを悟った俺は、敢えて前に出た。

 するとそいつは俺の行動が予想とは違ったのか、咄嗟に体を捻った。だが、もう遅い。俺の狙いは、その左へと捻ったそいつに右足での蹴りを叩き込む事なんだからな!

 体を左へと捻ったそいつの頭に、俺の右足での渾身の蹴りを叩き込んでやった。

 やつの頭に接触した脛が少し痛むが、手応えは十分だ。突進の勢いとカウンターで入った蹴りによって、奴は後方に大きく仰け反ると、そのまま倒れた。



(……やったか?)



 狸寝入りをして、倒したと思い込んだ俺が近付くのを待ってるかもしれないと、俺はそいつの様子を窺った。……心でテンプレ発言をしながら。



(今の内に警察を呼んだ方が良いか……? でもなぁ。何て説明すりゃ良いんだよ。犬人間に襲われたから来てくれ? 馬鹿にするのもいい加減にしろって言われるのがオチだ。どうする?)



 更にそんな事を考えながらも、もしかしたら本当に気絶させたかもという気になり、警戒しながらそいつに近付こうとした。するとそいつは、やはり狸寝入りだったのかガバッと起き上がると、俺の事を睨みつけながら一声吠えた。



「ワオォォォォンッ!!」


「まだ、やるか!?」



 吠える犬人間に一層の警戒をし、どんな動きにも対応出来る様に重心を低く構えた。

 だが犬人間は一声吠えるとクルリと後ろに振り返り、そのまま逃走。攻撃して来た時は二足歩行だったのに、逃げる時は四足歩行。正に犬の様に走り去って行った。



「……何だったんだ、あれは……? まぁいいか。さっさとビールを買って帰るか」



 思わずそんな事を口にした俺だが、内心ヒヤヒヤだった。

 だって、そうだろ!? 犬人間だぞ、犬人間! 科学の発展した現代、それもこの日本にあんな化け物が居たんだぞ!? あー、怖かった!


 その後、俺は平常心を装い、コンビニでビールを買って家に帰って来た。

 そして家に入ると、子供達から一斉に怒られた。……頼まれてたアイスとポテチ、見事に買い忘れていたからだ。

 結局、明日の遊園地で好きな物を何でも一つだけ買ってやるという約束をする事で、何とか子供達の怒りは収まった。だが、小遣いの少ない俺にとっては痛い出費になってしまった。……はぁ。泣いても、良いですか?


 ともあれ、美代が作ってくれたツマミを食べながらビールを飲み、明日の遊園地が楽しみだねぇって話をしながら眠りに就いた。

 ちなみにだが、犬人間の事は話さなかった。あんな事は話しても信じてくれはしないだろうし、むしろ馬鹿にされる。だったら、俺の胸に仕舞っておいた方がいい。



 翌朝。寝室の窓から射し込む朝日と、外から微かに聞こえる小鳥のさえずりによって俺は目覚めた。何か夢を見た様な気がするが、夢なんて起きた途端に忘れるもんだから、当然覚えちゃいない。……ん? 変だな……覚えてるぞ?

 背中の中ほどまである真っ白な髪の幼女の夢だ。瞳が深紅で、顔は幼いながらも整った顔立ちだ。着ている服が何故か白と黒の十二単だったが、それはいい。

 それで、その幼女の言葉もハッキリと覚えてるみたいだ。確か「やっと見つけたでしゅ! あなたは、ボクの半身でしゅ!」だったかな?

 ……と言うか、俺って実はそんな趣味だったのか!? いやいやいやいや。待て待て。

 俺は美代を愛してるし、至ってノーマルだ。するのは、大人の女性だけだぞ?

 そんな俺が何で幼女の夢なんぞを見たのか。……不思議だ。


 それはともかく、今日は家族総出での遊園地。久しぶりなんだから、楽しまねぇとな!

 気分を切り替えた俺は着替えを終え、洗面所で顔を洗って歯を磨き、寝癖を直してからリビングへと入りテーブルに着いた。

 テレビのリモコンのスイッチを入れながら、既に出来ていた朝食を摂り始める。ちなみに朝食は、トーストを二枚と一つ目の目玉焼き。それと、ポテトポタージュだ。ポテトポタージュには、細かく切ったパセリの葉が表面に軽く振られていた。



「次のニュースです。昨夜都内で、相次いで犬人間を見たとの通報が有り、警察では夜通しの捜査が行われ――」


「いやぁねぇ。犬人間ですって。怖いわぁ〜」


「コハ、見てみたいなぁ♪ 可愛かったら家で飼いたい!」


「やだよ、僕。ご飯減らされちゃうじゃん……」



 朝食を食べながらテレビのニュースを見ていた美代達は、それぞれ思い思いの感想を言っていたが、俺はそれどころじゃなかった。何と言っても、犬人間と遭遇した当事者だからな。

 だけど、やはりこいつらには黙っておく事にした。分かるとは思うが、セリフの中に不穏な言葉が混じってただろ? あんな凶暴な犬人間はダメです! 絶対に、飼いません!



 朝食を食べ終え、トイレを済ましていざ出発。戸締り、よし! 持ち物、よし! ガスの元栓、よし!



「忘れ物は無いか?」


「そう言うあなたが一番忘れ物するんじゃない……」


「…………さ、行こうか」



 そんな微笑ましい会話をしながら、バスと電車を乗り継ぎ、辿り着いたのは可愛いネズミのキャラクターがマスコットの、某遊園地。名前の頭に『東京』と付く、あの有名な遊園地だ。

 入口で予め購入してあったフリーパスを提示し、いざ中へ。



「うわぁ〜! 素敵〜♪ コハ、大きくなったら、あんなお城に住んでみたい!」


「僕は美味しい物が食べられるんなら何でもいいよ」


「あらあら。コハは王子様に迎えに来てもらわないとね♪ 大和は、頑張って稼ぎなさい? そうすれば、何だって美味しい物が食べられるわよ?」



 入場して直ぐの場所でそんな会話をする美代達。頼むから止めてくれ。……恥ずかし過ぎる。



「そんな事はどうでも良いから、早く行かないとアトラクションを楽しめねぇぞ?」



 俺の言葉に「そうだった! 急がなくちゃ!」と急に急ぎ始める子供達。その様子は平和な家庭そのものだ。

 二人の子供達に俺と美代はそれぞれ手を引かれ、人気のアトラクションなどを次々と楽しみ、少し早いが店が混む前にと、昼食の為にレストランへと入った。



「何を食べるんだ?」


「コハ、ランチプレート! あの可愛いやつ!」


「僕もそれでいいや!」


「それじゃあ、ママもそれにしよっかな?」


「みんな一緒かよ!?」



 仲が良いにも程があるだろ!? ……なんて思いながら注文した物が出て来るのを待っていると、他のテーブルに着いている客が変な事を話していた。



「ねぇ、見た見た!? すっごいリアルよねぇー!」


「見た見た! あれでしょ? コボルト! いつの間にあんなキャラ出来たのか分かんないけど、口から垂れてる涎なんか、すっごくリアル! なんて言うの? 獣臭さって言うのかな? 匂いまでリアルだったもんねー!」



 ネズミのマスコット『ネッキー』のシルエットを象った帽子を被り、アトラクションに出て来た新キャラの話を夢中になって話す二人連れの若い女性客達。話の内容から、俺が昨夜遭遇した犬人間の事を言ってる様だった。

 しかし、俺が見た犬人間が居た場所は、この遊園地から最低でも50kmは離れている俺たち家族が住む地元だ。いくら人間離れしていても、一晩でそんなに移動する筈は無いし、そもそも遊園地のアトラクションの中に入り込むなんて事は無い。

 この手の遊園地はキャラクターが命だから、俺の知らない間にきっとそんなキャラが生まれたんだろう。……と、思いたい。


 そんな事を思ってる内にランチプレートが運ばれて来て、気付けば食べ終わっていた。考え事をしていたせいか、子供騙しの可愛い盛り付けぐらいしか印象が無い。

 ともあれ、昼食を食べ終わった俺たちは、午後は各キャラクターの着ぐるみを探して記念撮影をしようと、園内を散策する事にした。



「ちょ、ちょっと休憩! 休憩しましょ!」


「えー!? まだ早いよ、ママ! まだ一時間くらいしか歩いて無いよ!?」


「ぼ、僕も休憩に賛成……。疲れた」


「あっはっはっはっは! だらしないなぁ、ママも大和も! 普段から動かな…………っ!? な、何でもないぞ? うん、何でもない!」



 太って……ゴホンゴホン。ぽっちゃり体型の美代と大和がベンチに座って休憩を主張し、そんな二人へと小桜が愚痴を零す。美代と大和に向けて余計な一言を言いかけた俺は、その美代に殺気を込めた視線を向けられ、慌てて口を噤んだ。


 しかし良いもんだよな。家族って。こう、落ち着くって言うか、平和って言うか。この何とも居心地の良い雰囲気の為に、俺は頑張って働いてるんだなって実感するよな。


 美代達の話に笑いながらそんな事を思っていた俺はふと視線を感じ、その視線の方向を何となく見たんだ。そして俺はそこに、有り得ない人物の姿を目撃してしまった。

 まさか!? いや、そんな事は無い。そう思いながら、何度も目を擦ったり、まばたきしてみたが、その人物は確かにそこに居た。

 その人物とは、夢で見た十二単を着た白い髪の毛の幼女だ。俺の事をジッと見詰めて、口元には笑みも浮かんでいる。

 正直、背筋がゾッとした。だって、そうだろ!? 夢で見た幼女、それも、この世の者とは思えない程の雰囲気を身に纏っているんだぞ? 恐ろしいと思わない奴なんて居ないだろう。

 ……なんて、俺がその幼女に気を取られている、正にその時だった。辺りに女の悲鳴が響き渡ったのは。



「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 誰かぁ!! きゅ、救急車……! 救急車をお願い!! 助けてぇ!!」


「ぐわぁぁぁぁぁ! あ、頭が、割れる……! 身体が……熱……!? グオォォォォォォルルルルルルルゥ!!」



 幼女から目を離し、悲鳴の方へ視線を向けると、一組のカップルが目に飛び込んできた。だが、様子がおかしい。聞こえて来た言葉からも分かると思うが、男は頭を抱え凄く苦しんでる。一方の女の方は、何がどうなったのか、頭から血を流し、近くにいる奴らへと助けを求めている。

 何かが飛んで来て、女の頭に当たり、その後男の頭に当たったのか? 例えば、絶叫系アトラクションの部品が走行中に外れたとか。

 だが、違和感を感じる。何だ? 何かがおかしい。そのまま様子を見ていると、違和感の正体に気付いた。頭を抱えて苦しんでる男の腕だ。その男の腕は焦げ茶色の毛に覆われている。しかもよく見ると、指の先には鋭い爪が伸びている事も分かる。

 つまり、苦しんでる男が何らかの原因であの様な腕となり、それで女を傷付けたって事か。


 俺たちが固唾を飲んで見詰める最中、その男の異変はまだ続いていた。苦しむ男の顔が前に迫り出し始め、それと同時に口が耳元まで裂け始めた。そして顔中に毛が生え始め、いつの間にか耳が頭の上の方に移動していた。

 その変化を見るに従って、昨夜の事を俺は思い出していた。昨夜の犬人間……つまりコボルトは、人間から変化した化け物だったという事だ。それを裏付ける様に、そこで苦しんでる男は変化の最終段階を迎え、盛り上がった全身の筋肉で服が弾け飛び、その醜悪なコボルトの姿へと完全に変貌した。

 昨夜見たのとは毛の色が違うが、昨夜の犬人間と見た目は瓜二つ。つまり、ここに新たなコボルトが誕生したって事だった。


 そしてこれこそが、本格的な異変の幕開けだったんだ……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る