第37話 見方次第で

 「ん? いいけど。どうしたの克己? 」

突如として克己先輩に呼び止められ、さすがの由香里先輩も少々面食らっているようだ。振り返って話す声にも戸惑いが混じっている。俺達8人の演劇部員は、緊張の中に佇んでいた。ふと時計を確認すると、次の電車まではまだ時間がある。駅の中は帰宅時間の喧騒に包まれているようだった。二人は、駅の隅のベンチが置かれた一角へ移動していく。

「あのさ、由香里。本当に、ごめんなさい。」

ゆっくりと克己先輩から絞り出されたのは、謝罪の言葉だった。先程とはまた別種の衝撃が、演劇部の者たちの中に駆け巡る。克己先輩は更に続けた。

「ごめん。俺が言い過ぎた。人のことを言えなかったな。今日みたいな失敗をした俺が由香里の間違いを責める権利なんてなかったんだ。しかも、あんなにひどい言葉まで使ってた。」

俺はなんのことか分からず首をひねる。俺が知らない間に、二人の間に何かあったのだろうか。その時、理解し難いように固まっていた由香里先輩がうなずき、声を発した。

「いや、もう気にしてないよ。あれは私も言い過ぎてた。さすがに、あの後まで言う必要はなかったよね。克己の人格否定するようなこと言っちゃったよね。あの時には、だいぶ国之も傷つけちゃったし。」

俺!? 俺は突然の登場にかなり驚く。俺が傷つけられたこと。何があっただろうか。………あ。夕暮れ、胸の痛み、俺の叫び、二人の論争、気まずすぎる空気。一つだけ強い衝撃とともにフラッシュバックしたものがある。でも、あれは俺が叫んだせいで二人の喧嘩が始まったんだ。あの二人は悪くない。全てはあそこで我慢できず大声を出した俺が悪い。俺の胸に、あのとき感じた罪悪感が蘇ってくる。激しい頭痛ともに迫るそれは夢に出てきたモノにも似ていた。

「確かにそうだ。由香里のことばっかり意識が行ってたけど、あのとき俺は一番お前を傷つけたのかもしれないな。ごめんな、国之。」

長い沈黙を破り、克己先輩が言葉を紡ぐ。彼は俺に向き直り、とても神妙な面持ちだった。こっちが情けなくなってくる。俺はあの場をめちゃくちゃにした。俺には謝るべき理由こそあれ、謝られる筋合いはないはずだった。俺は慌てて言葉を返す。このままおめおめと謝られるわけには行かない。

「いや、あの、先輩が謝るようなことじゃないですよ!! だって、我慢できずに叫んじゃったのは、あの場の空気と先輩方の仲を壊したのは明らかに僕なんですよ!! 」

俺は思わずまた叫んでしまう。克己先輩は少したじろいでしまった。また傷つけてしまうかも知れない。俺は言葉を選びながら先輩に語りかけた。

「ごめんなさい。だから、その、僕には謝んなくて大丈夫です。それよりも、由香里先輩にちゃんと言いたいことを言ってきてくださいよ。」

「わかった。また気を遣わせたようでごめんな、国之。ありがとう。」

そう言って彼はもう一度由香里先輩の方を向いた。なんとかそらすことが出来たみたいだ。

「国之は大丈夫なの? 結構克己から言われてたけど……。いいの? 」

「ええ。僕はすべての元凶ですから、謝られる訳には行きません。今の僕にとっては、先輩から言われた言葉よりも、先輩達の仲を悪くさせてしまったことの方が心に残ってますから。水差しましたね。大丈夫です。」

由香里先輩まで心配してくれたが、俺はそんな慈愛を受ける権利はない。いつしか顔には無意識に引きつり笑いが浮かんでいた。まさかこんな卑屈な笑みを大好きな先輩相手に浮かべるときが来るとは思わなかった。由香里先輩は俺の顔を心配そうに見やって顔を歪めている。そんなにしてくれなくてもいいのに。

「由香里、ほんとにごめん。やっぱり、お前が言うとおりあのとき止めとけばよかった。帰り道にまでグチグチ言うことはなかったよな。多分、ああ言うのが一番だめだったよなって今考えれば思う。」

「いや、そのことはもういいよ。全部ホントのことだから。私こそ、色々言っちゃってごめんね。」

どうやら、彼らは俺がいない帰り道などでも結構衝突を繰り返していたらしい。その中で色々とあったであろうことは想像に難くない。きっと相当言い争ってしまったのだろう。あの場でエスカレートしなかった話し合いが、その後に火種を残し、それが燃え盛ることで更に互いに傷ついてしまった。ある意味、俺のせいで二人の考え方の違いが明るみに出てしまったというべきだろう。俺は更に情けなくなってきた。半ば白州と化したベンチのそばを見ると、由香里先輩がまた優しげな目になっていた。疲れが透けて見える体の奥から笑みが絞り出されてくる。

「克己の言いたいことはわかったし、傷つけちゃったのかもって言うのもわかる。私も同じだし、いつか謝らないとって思ってた。だから、その、勇気出して謝ってくれてありがとう、克己。」

ありがとう。思わぬところからの言葉に克己先輩は目を見開いて呆然としている。俺もここからありがとうという言葉が出ると思わなかった。漫画ならば克己先輩の頭には大きなハテナマークがつくところだ。

 由香里先輩と克己先輩、2つの白州から外れた所で俺達はほとんど何も言えず、帰ることもできずに立ち尽くしていた。俺自身、今までこのような謝罪などは見たことが無かったし、そもそもここまで大掛かりになるような問題に出くわしたことも無かった。先輩もそうなのかもしれない。由香里先輩の発言を最後に二人の間は沈黙が支配していた。二人とも何も言わない。何も言えないのかもしれなかった。ただ、二人の間の雰囲気がなんとなく優しげなものになっているというのは俺達の共通認識だった。彼らも過去の諍いをいつまでも引きずるほど子供ではなかったということか。

「二人、大丈夫そうだな……。」

小さく佳穂先輩がつぶやく声が聞こえた。彼女も二人を彼女なりに気遣っていたようだ。安心したような表情で見守っている。

「やっぱり、この部活っていいなぁ。」

健太先輩が唐突に口に出した。彼は清々しさすらたたえた笑顔を浮かべている。沈黙を破る一撃に克己先輩や由香里先輩二人すらも声の方を向く。

「急に……どうしたの? 健太。」

「いや、だってさ、考え方が全然違うような二人がおんなじ部活でこうして出来てるんだよ。実は俺もあの時いたんだけど、考え方がここまで変わってるとは正直思わなかった。そりゃたまにこんなふうにぶつかることがあるかもしれないけど、それってすごいことじゃないか? 」

少し言葉の意味を解りかねたのか、頭を押さえる美智。でも、俺はなんとなくわかった気がした。今回たまたま知ったのかも知れないが、普通は考え方のかなり異なる人が同じ所にいてはなんとなく落ち着かず、邪険にしたりして仕事をうまく進められなくなるだろう。でも、その仕事が演劇部ではきちんと回ることができている。そこに健太先輩はすごいと言ってるんじゃないか。彼はさらに言い募る。

「しかも、その互いの違いとか、言ってることとかをちゃんとわかろうとしてるじゃん。そういう寛大さが、うちの部活のすごいところなんじゃないかなって思う。」

それはたしかに常々感じていたことではあるが、それを今急に言い出すだろうか。もしかすると健太先輩もどこか狂ってしまったのかもと不安になってしまった。

「それで、先輩結局何が言いたいんですか? 」

美智が疑問の表情でつぶやく。

「あぁ、ごめん。たまに思ったこと止まらなくなるんだよね。で、結局何が言いたいかって言うと、この論争を完全なマイナスとして片付けないほうがいいんじゃないかってこと。今さ、二人とも言い合ったこと後悔してるでしょ? 」

二人揃ってうなずく。俺にとってもそうだ。あれが無かったらあの二人を傷つけることもなかったのだから。

「でもさ、聞いてて思ったんだけど、今は傷つけられたことじゃなくて傷つけたことを気にしてるよね? そして、傷つけられたことは特に気にしてない。」

それもそのとおりだ。傷つけてしまった以上、自分が傷つけられたことはどうだっていい。

「だったらさ、いい面だけ見ていこうよ。傷つけちゃったけど、相手ももう忘れてるなら繰り返さないようにだけして忘れてさ。お互いの違いに気づけて良かったって思おうよ。この言い争いが無かったら、由香里も克己もお互いの考え方のタイプに気づけなかったかもしれないんだよ。」

彼ははっきり言うと部外者なはず。今回の言い争いには直接関係していない。しかし、健太先輩の言葉に異を唱える者は不思議といなかった。ふと二人の顔を見ると、何となく遠くを見るような目でうなずきながら聞いている。口もとには少しの笑みが浮かんでいたが、感情の深淵を知ることはできない。

「今の二人なら、お互いが大丈夫だってわかれば、傷つけた記憶よりも互いについて学べたことの方が記憶に残るはずだよ。そりゃ、きずつけたことを忘れちゃいけないけど、いつまでもこうしていられない。だから、前を向いていこう。」

健太先輩はすごく優しい顔で笑っていた。言葉を切った彼に由香里先輩が話しかける。

「ありがとう、健太。気持ちの整理がついた気がする。」

「そっか。ならよかった。」

克己先輩もどことなく吹っ切れたような笑いを浮かべていた。二人のいつもどおりの笑顔に、俺の心も温まってくる。

「みんな、いつまでもこうしちゃいられないよ!! 明日は本番なんだから! 」 

奏先輩の言葉で現実に気付かされた俺達は慌てて帰り始める。時計を見ると、5分もなく列車が来る時間だ。

「お疲れ様でした!! 」

いつも通りのあいさつで、俺は先輩たちと共にホームに上がる。明日はいよいよ本番だ。最後の公演として後悔しないよう、自分のできることを全てしなければ。ある意味、今回の公演に今後の演劇部の一つの命運がかかっているのだ。

 生暖かい風があたりを吹き抜け、俺達の声を乗せて空へと上がっていった。薄い雲が晴れた空には星が散りばめられている。覚悟とともに佇む俺達に、走行音が近づいてきた。

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