第22話 故意四球
ひたすらにバットを振り込む野球部員達と、校舎裏の校庭にこだます大きな声。公演まで残り練習期間一週間となったこの日は波乱含みのスタートになってしまった。朝の爽やかな風と差し込む朝日の中で、俺は何もできずに立ち尽くすしか無かった。朝練は基本的に場所の使用許可を取らないと前に先輩に聞いたことがある。それが災いしたのかもしれなかった。考えてみれば校庭ほど需要が大きな所もない。校庭は既に練習の人達と活気に溢れ、その脇のちょうど俺が立つ芝生部分には彼らの荷物と思しきかばん類などが置かれている。ふとすがるように腕時計を見ると、時刻はまだ7時30分。あと15分あるから何とかなるかもしれない。部員達はこちらのことには目もくれず練習に励んでいる。しかし、15分でこれが終わるというのも厳しそうだ。見れば、ケージを使った打撃練習を終えた部員たちは、バットをグラブに持ち替えてノックに向かおうとしていた。
刹那、その中の一人と目があった。揃いのユニフォームを着込み、練習する野球部員達にとって未だ制服のままでかばんも持つ俺はどう考えても異質な存在だ。気にかかるのも無理はないのかもしれない。
「おはよう、お前、こんな早くにここで何してるんだ? 特に他の部活の練習やらは入ってなかったと思うけど。山上(やまがみ)先生に用事あるなら呼ぶよ? 」
3年生と思しき引き締まった体。汗が滴る彼の顔には、純粋な疑問の表情が浮かんでいた。思ったより優しく声をかけてもらい、俺は少し安心する。彼らの顧問である山上先生には用は今の所ない。もしあるとすれば、それは最後の手段だ。向こうがこっちの朝練を把握していなかった以上、演劇部はただの闖入者でしかないし、大きく出ることは恐らくできない。
「いえ、先輩。特に先生に用があるとかでは無いんです。ただ単に、こっちの部活でも今日から朝練をやろうって話をしてて……。」
話が進むに連れ、彼の疑問の顔は驚きへとシフトしていった。
「え? 朝練ある部活他にもあったのか……。ところで、何部? 」
「演劇部です! 」
せめて部活名ぐらいは堂々と主張しよう。目をかっちり見て言ったセリフに彼は思わず驚くように身を縮め、次いで元に戻った。体勢が戻った時、彼は目を細め、少しだけ笑みを浮かべていた。その目線は普通なはずなのに、どこか俺の背筋を震えさせた。
「そっか……。悪いけど、こっちの練習もあるから別のところでやってもらえないかな……。いつもの演劇部はそうだったと思うんだけど。」
そういえば、言われてみれば学祭前も大会前も、夏なのに練習はずっと中だった。完全にこっちのミスなのだろう。
「わかりました。とりあえず、他の人達が来てから色々報告しておこうと思います。それまでは、ここの端を使わせてもらってもいいですか? 」
何をしようにも、人が集まらなければ話にならない。とにかく待たせてもらおうとした俺の提案は、無残に打ち砕かれた。
「ごめん、申し訳ないけど、これから校庭では投内連携の練習、ここでは自主練とかフォームチェックになるからここ使うんだよね。だから、待つのも他のところにしてもらえるかい? 」
「わかりました……。」
その返事を合図にしたかのように、彼は焦ったかのように仲間の元へ走っていく。彼を迎える周りも少し不思議そうな反応を返したが、じきに練習に向かっていった。一瞥された表情と目線がやけに胸に刺さり、辺りには汗の匂いと道具が雑然と残された。俺はあの先輩の言うとおり場所を変えることにした。と言ってもどこにするかなんて見当もつかない。ひとまずみんな、特に美智や奏先輩達を待とうと俺は生徒玄関前へ急いだ。段々と練習の喧騒が遠くなっていく。
見慣れた校門前に着く。朝7時半過ぎと早いせいか、登校する人影はほぼ見えない。時折響く楽器の音が朝の雰囲気をまた醸し出している。今は朝で、人が少ない。つまり、この時間帯に来る人々は演劇部員である可能性が高い。俺は登校してくる人影を遠くから眺め、近づき、いつもの影を探した。最初に来たのは、発声係でもある美智だった。
「おはよう! 国之。朝練は校舎裏だよ。早く行こう。後10分もないよ。」
いつもの元気のいい、屈託のない笑顔で挨拶をしてくる。でも、彼女が状況を知らないのも無理もないか。
「おはよう、美智! あのさ、朝練のことなんだけど、校庭は今は野球部さんが朝練で使ってるんだよね……。それで、他のところでやってくれって。」
当然のように彼女は驚く。少しばかり混乱してもいるようだ。
「え? だって基本的に………あ、」
彼女も先程の俺と同じことに気づいたようだ。
「あ……完全にやっちゃった何してんの私!! この時期、というか朝練は基本的に中だって由香里先輩も言ってたのに……。」
「そういうことなわけさ。それで、どうする? 他に中で使える部屋があるとも限らないし……。」
こういうトラブルシューティングが苦手な俺も何とか必死に案を見つけ出すしかない。悩む中でひらめいたのは、やはり俺でなく美智だった。彼女は嬉しさからか少しの笑みを抱えて語りだす。
「じゃあさ、こんなのはどうかな。とにかくこの場はある程度人が揃うまで待って、人、特に由香里先輩あたりが来たら清水先生に事情を説明して、できれば朝練をする。どう? 」
「いいじゃん!! それじゃ、とにかくみんなを待とう。」
結果的に二人の意見が集約される形になったが、特に問題はなさそうだ。
「おはようございます!! 」
そして、次に威勢よく入ってきたのは奏先輩と由香里先輩だった。彼女達はいつも来るのが比較的早く、早く来ることがこんなにも利益があることなのかと思いもよらず思い知らされた。
「おはよう! あれ、美智に国之。なんでここにいるの? っていうか集まり悪いな……。」
最初に口を開いたのは奏先輩だった。確かに、もう後5分だというのに来ているのは俺たち四人だけのようだ。野球部がいるということを差し引いても集まりが悪い感は否めない。俺はひとまず二人に事情と解決策を説明した。さすがは理解の早い二人だ。すぐさま判断して動き始める。
「それにしても、人がいないから、先に動いてもまだ来てない人が混乱するだけだよね。45分になったら、美智の言うとおりにやり始めよっか。」
「はい!! 」
由香里先輩の取りまとめに他の三人が賛じ、とにかく待つことになった。残り3分というところでぞろぞろと人が来始め、44分には全員が揃った。集合した校門前で、事情を話すべく奏先輩が口を開く。
「おはようございます。えーと、今みなさんがここにいるのは、野球部さんの練習で校庭が使えそうに無いからですね。発声係での場所確認が曖昧だったからだと思われます。ひとまず、発声については朝にできるところを私が探し、由香里と美智には野球部さんの方に情報の伝達と、向こうの今後の予定を聞いてくるのをお願いします。皆さんには、ひとまず部室の前で待ってるようお願いします。場所が確保でき次第呼びに行きます。」
「はい!! 」
早速移動を開始する。俺は、ふとあることに気がついた。かなり重要なそれは俺の心を大きく揺るがした。心臓がより大きく脈打つ。
「あの、ごめんなさい、野球部さんにグローブなどを一部借りるというのを忘れていました!! 皆様に募集をかけてはいたんですが、流石に集まらなくて……。僕も由香里先輩達の方に行きます! 」
移動し、再度校庭に着いた時、部員たちはグラウンドで二人一組でフォームチェックをしていた。今なら顧問の先生が空いているかもしれない。俺たちは顧問の山上先生のところへ急いだ。
「おはようございます。すみません、演劇部なんですけれど、こちらの確認不足でそちらの朝練の日程とこちらの朝練の日程がぶつかってしまって……。明日以降は校内でやろうと思うのですが、念の為そちらの予定を確認させてもらってもよろしいでしょうか? 」
代表するかのように由香里先輩が口を開く。流石に最初先生は面食らった顔をしていたが、話すと理解したような表情になって、
「こっちは基本的に毎朝朝練がある。」
それだけ簡潔に答えた。
「ありがとうございました。失礼しました。」
俺は下がっていこうとする由香里先輩を制し、山上先生に向き直った。
「もう一つ別件にはなるのですが、今回のこちらの新入生歓迎公演で野球物をやるんです。バットとグローブなどの募集をかけたのですが中々集まらず……。使わないものを野球部さんからお借りすることはできないでしょうか。」
祈るように先生を見ると、先生は長考気味からようやく答えを出した。少し渋い顔だ。まぁ、貸すのだからそれも当然なのかも知れないが。
「わかった。きちんと返してくれるのなら貸そう。こっちにあるから、来い。」
「はい。」
俺は先生の指示にしたがって、物の置き場へ向かった。多少薄汚れて、ホコリを被ってはいたが、十分に使えそうだ。
「ありがとうございます!! きちんと洗って返しますので、ご心配なく……。」
用事を済ませた俺はホッと息を吐いた。集合場所である部室に行くと、既に奏先輩が戻ってきていた。
「普段は合唱部の部室になってる部屋が空いてたので使わせてもらえそうです。行きましょう!! 」
借りてきたバットとグローブを置くと、俺は勇んで練習へ向かった。あの時の野球部員達の目線が少し気にはなったが、とにかく練習ができることは良かった。喜びのせいか、いつもより2割増で声の調子は良かった。
「こっちの手違いで外に集めてしまってごめんなさい! 明日以降は本番まで朝練はここになりますので、よろしくお願いします。」
美智の宣言で、波乱だった朝練は幕を閉じた。
「克己先輩、なんだか野球部さんの目線が痛かったり、先生の態度がちょっとそっけなかったりした気がしたんですけど、僕たち何かしましたっけ? 」
朝練の終わり、俺はなんとなく気になったことを克己先輩にぶつけた。疲れてるだろう奏先輩たちを更に疲れされるのも嫌だったし、先輩ならちゃんと答えてくれると思ったからだ。
「俺達は何もしてないぞ。ただ、世間的に、この学校的に演劇部ってものが少し敬遠されてるだけさ。」
敬遠されている……。俺はその響きに少し身震いを禁じ得なかった。そんな印象がどうとかは今まで考えたこともなかった。思い返せば、西脇や森田以外に積極的に公演を見に来てくれた人はいないし、自己紹介で演劇部だと言っても「何かやってみてよ」とよく言われる。嫌ではないのだが、少し隔たりを感じることも多い。
「きっと変人の集まりだとでも思われてるんたろ。まぁ、心配すんな。俺達は俺達のことをすればいい。周りの目なんか気にすんな。」
「はい……。」
「自分は自分の道をゆく」。今の俺には一番できないことかもしれなかった。しかも、さらに思い出した。今日は12日。部紹介の日。部紹介は一番部の良さをアピールでき、かつ、一番部の個性が出るものであるのだ。敬遠やら偏見やらが助長されることも大いにあり得る……。暗澹とした気持ちの俺を、更にめまいが襲った。
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