第六章 求婚劇・その4

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「シャ!」


 ヨーイドンの掛け声もなしで、気合一閃、ヒロキくんが間を詰めた。加減なしのローキック。普通の人間なら確実に倒れる破壊力を持った打撃である。それを、まさか魔人が半歩後ずさるだけで、やすやすと避けるとは。


「な!?」


 余力で一回転したヒロキくんが構えなおすよりも早く、魔人が駆けた。魔人から放たれた猿臂――肘打ち――がヒロキくんの胸を打つ。地味に見えたその攻撃は、どれほどの威力を内包していたのか。ヒロキくんは声もなく、五メートルも吹き飛ばされてすっ転んだのである。車に撥ねられたような具合であった。


 電柱に蹴りを入れて衝撃でスズメを眠らせたヒロキくんが、パワー負けしたのである。


「死んでても、このレベルの打撃は効くもんだな。生きてたら立てなかったぜ。たぶん」


 それでもヒロキくん、表情を変えずに起きあがった。そこは格闘技経験者お得意のポーカーフェイスである。なんでもない調子で胸の埃を軽く手で払ってのけた。


「いまの、ぱっと見は八極拳の震脚だったな。俺がやってた空手でも、極めの突きを打つときは同時に足で地面を突いて、その反動を腰から腕に運んで打て。重力を利用しろって教わったけど、同じ原理に見えたぜ。ボクシングのジャブとは違う。東洋武術の原点の打撃だ」


 ヒロキくんの独り言に、魔人がニヤリと笑みを返した。


「そっちもかなりのもんだぜ。なるほど、これが近代格闘技のローキックか。力まかせに打ってるようにしか見えなかったから馬鹿にしてたんだが、実際に近くで見ると、凄さがわかるな。あぶなく折られるところだった」


「初心者みたいなこと言いやがって。相当修練を積んだと見たが」


「いや、いまの震脚、はじめてやったんだぜ? 言っただろう。俺は、地獄界の釜で、いろいろと見てきたって」


「マジかよ。――それで、練習なしでいまの破壊力か。ガチで言ってるなら化物だな」


「俺と同じ不死のおまえがそれを言うのはおかしいと思わないか? なァ、おかしいと思わないか?」


「なぜ二回言う?」


「さァ。わからんねェ。わからんよ」


「とんだボケをかますんだな。こういうときは『大事なことなので』って返事をするもんだ。地獄の釜で人間界をのぞき見るだけじゃ、やっぱり限界があるみたいじゃないか」


「そうでもないぜ。『なぜ二回~』『さァ。わからんねェ。わからんよ』の流れは、ジャン・クロード・ヴァン・ダムとパット・モリタの会話だ。『ヴァン・ダム・INコヨーテ』だったかな。ネットの定石だけじゃない。もう少し映画も見ないと、こういうアドリブに対応できないぜ。ナタリー・ポートマンとニコール・キッドマン、どっちの名前が男らしいかで揉める友達もいるだろうに」


 笑いながら言う不死の魔人だったが、これはヒロキくんにとって致命的だった。目の前の男はクルクルパーズのことを知っている! この瞬間、不死の魔人はここには存在しないふたりも人質にとってのけたのであった。


「ついでに言うと、男らしさなら、俺はモーガン・フリーマンを推すな。デニスはいいバスケット選手だったけど、あの顔で女装癖があるそうだ」


「本気でやるしかないようだな」


「べつにかまわないぜ。じゃ、つづけようか? 無駄話の時間稼ぎでダメージも回復したころだろう?」


 ヒロキくんが押し黙った。考えてることは読まれていたらしい。無言で駆け寄るヒロキくんに、魔人も構えをとった。同時に双方が放ったのは右正拳で、しかも震脚によるパワー増幅つき。必殺の打撃で一気に片をつける腹だったらしい。それがお互いにヒットし、だが、鼻血を吹いてのけぞったのはヒロキくんのみであった。


「ヒロキ!」


 あからさまな実力差に、血相を変えて閻魔姫が走りかけたが、その肩をボタンが押さえた。


「いけません閻魔姫様」


「離してよボタン!」


「いえ、こればかりは、閻魔姫様の命令でも」


「だって、このままじゃ、ヒロキが」


「ご安心ください」


 閻魔姫を抱きしめるようにし、ボタンが小声でささやいた。


「いま、気づかれぬように、そっと結界を解いておりますから」


「俺が分析するに、生きていて武道を修得した人間と、そうでないものの差だな」


 鼻血をぬぐいながら無言で構えなおすヒロキくんを前に、魔人がつぶやいた。


「どれだけ我慢したって、生きていれば痛みを感じるし、恐怖は身体を硬直させる。思い切って前にでたつもりも、身体の動きに微妙なセーブがかかっているんだ。もう死んでるのに、そのときの記憶が枷になっているんだろう。俺にはそれがないから限界を超えて前にでられる。だからパワー勝負で俺に負けるんだ」


「ド素人が偉そうに講釈をたれるな。常人が、平時は三〇パーセントの力しか発揮できてない、なんて話は子供でも知ってるぜ」


「一〇〇パーセントを発揮できなければ、知ってても知らなくても同じことだ」


「俺が一〇〇パーセントを発揮できないと思ってるのか?」


「大見得を切って自分で自分に暗示をかけ、でるはずのない力を無理矢理にひきだす、か。格闘家が試合前の記者会見でよくやるパフォーマンスの手口だな」


 ヒロキくんの眉が寄った。すべて見抜かれてる。反論もできず、それでもヒロキくんが間を詰めた。体格は大して変わらないのに、基本パワーに圧倒的な開きがある。それでも引くわけにはいかなかった。閻魔姫の身の安全がかかっている。


「シャ!」


 あらためての気合は、自らを奮い立たせるためのものか。鬼の形相と化したヒロキくんが魔人に間を詰めた。右手は二本貫手。モロに眼球突きを意識した構えに、さすがの魔人も顔面をかばいに行った。その隙のローキック。今度もクリーンヒットはしなかったものの、避けそこなった魔人が尻餅をついた。


「こういうコンビネーションは通用するみたいだな」


 間を離しながらヒロキくんがつぶやいた。パワー勝負はともかく、顔に行くと思わせて足、というフェイント混じりの戦いなら、ヒロキくんに一日の長があるらしい。苦笑しながら魔人が起きあがる。


「こういうのは俺もやられる、か」


「やっぱり、平気な顔で立つか。これは長引きそうだな。それでも、少しずつダメージは蓄積するぜ。人類の生みだした格闘技を甘く見ないことだ」


「俺だって、一応は人類なんだぜ?」


「テメーのどこが人類だ――と言いたいところだけど、ま、人類だな。俺も人類だし。それは認めてやる」


 突っ込みかけて中断したヒロキくんが間を詰めた。今度は無言で魔人が襲いかかってくる。魔人がとった構えは右の二本貫手だった。ヒロキくんと同じである。ヒロキくん、魔人と同様に顔面をかばった。その隙にローキック? いや、こない。ヒロキくんが構えた指の隙間から前方を覗き見る。――そのまま驚愕に目を見開いた。


「この野郎!」


 ヒロキくんが怒鳴りつけたの仕方のない話であった。ヒロキくんが顔をかばった隙に、魔人は背中をむけて、一目散に走り去っていたのである。

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