第三章 アズサ・その4

「よう」


 近づいてくるユウキちゃんにヒロキくんが声をかけたら、ユウキちゃんが顔をむけた。――ほんの一瞬だけ、目を見開いてから、自転車のブレーキをかける。が、すぐに、相変わらずのボケボケ顔になった。かなりの美人なのに、惜しい話である。


「あ、ヒロキくん? 偶然ね。ひょっとしたら、驚いちゃったかも」


 自転車にまたがったまま、ちィとも驚いてない顔で言う。で、少しして、不思議そうに視線をずらした。


「ヒロキくん、その娘、妹さん? それから、その、お隣の、和服の人は?」


「この娘の名前は姫。一応、俺の親戚ってことになってるけど、本当は閻魔大王の娘で、現在、家出中だ。こっちの人は姫の世話をしてるお付きの死神だよ。名前はボタンさんだ」


「あら、お昼の冗談のつづき? じゃ、この娘が、お昼に言ってた姫ちゃん? こんなに小さい女の子だとは、夢にも思ってなかったって言うか、夢のなかでくらいは思ってたかもしれないけど。よろしくね」


 ユウキちゃんが閻魔姫に笑いかけた。


「私、大野裕樹って言うの。ヒロキくんと名前が似てるけど、親戚でも兄妹でもないから」


「わかってる。ヒロキはひとりっ子だから」


「あ、私もひとりっ子なのよ。でも、ヒロキくんのこと、よく知ってるのね」


「だって、一緒に住んでるから」


「へえ」


 と、ここまで笑顔だったユウキちゃん、ちょっとしてからボタンを見た。


「じゃ、ボタンさんも、ヒロキくんと一緒に住んでるんですか?」


「はい」


「念のために確認しますけど、ボタンさんは、ヒロキくんの親戚ですか?」


「いえ」


「そうですか」


 ユウキちゃんがヒロキくんのほうを見た。ヒロキくんは事情が見えてないからポケッとしている。


「ヒロキくん、ボタンさんと同棲してるんだ」


 ユウキちゃんが笑顔じゃなくて真顔で言ってきた。すごい勘違いに、慌ててヒロキくんが左右に手を振る。


「いやいやいや違う違う違う。そんなんじゃねーから」


「本当に?」


「本当だ。同棲なんかじゃない。マジで違う。ただの居候とか、それくらいの感じだから」


「そうなんだ。よかった」


 何がよかったのか、ほっと胸をなでおろしたユウキちゃんであった。こちらも誤解されないでほっとしたヒロキくんだったが、ふと疑問に思ったらしく、ユウキちゃんを見つめた。


「なんでこんな時間に外出してるんだよ?」


「え? あ、あの、ちょっと買い物に。欲しい本があってね。おまじないの本なんだけど、今日、新刊が出たり出なかったりするから」


「だったら、下校のときに駅前の本屋で買えばよかったんじゃないか?」


「それが、ちょっと特別なおまじないの本でね。普通の本屋さんには売ってないから。知り合いの占いの館があるんだけど、そこまで行かないと買えなくて。しかも夜七時にオープンだし」


「あーそういうマニアックな本か。ユウキって、本当にそういうの好きなんだな」


「女の子はみんな好きだよ。私は、そのなかでも結構こだわってるタイプかもしれないけど。て言うか、ひょっとして私、恥ずかしいところを見られちゃったのかな? って、少し心配しちゃったみたいな、そうでもないみたいな、きちんと判断できないって悩んじゃうことをアピールしたいくらいには、ヒロキくんから意見を聞きたいんだけど」


「いや、恥ずかしいってことはないと思うけど」


「だったら嬉しいなァ」


 ユウキちゃんがへらァーっとヒロキくんに笑いかけた。


「私、好きな人がいるんだけど、その人に恋のおまじないをかけたこともあるんだよ。そのときは、うまくいかなかったんだけどね」


 本気じゃなくて冗談ぽい調子で言うユウキちゃんを、ヒロキくんが少しながめた。


「誰が相手か知らないけど、うまく行くといいな」


 まだ気づいてないらしい。ボケに大ボケで切り返したヒロキくんが閻魔姫の手をとった。


「じゃ、帰るか。ユウキも、あんまり遅くならないうちに帰れよ。夜は物騒だからな」


「あ、うん。――あの、ヒロキくんは、どうしてここにきたの?」


「何、ちょっとあってな。夜の散歩みたいなもんさ」


 ユウキに会いにきたんだ、とはさすがに言えなかったようである。その代わりに、もうちっとシャレにならない真実を普通に説明した。


「それと、さまよう魂を導いて、寿命を横領しようと思ったんだよ」


 ユウキちゃんが、あらためて、少し不思議そうな顔をした。


「ヒロキくんって、冗談のセンスが少し変わったんじゃない?」


 誰も信用する話じゃないから、この反応は当然であった。

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