第42話

 優花のママは溢れ出る涙を拭おうともせず、ただ俯いて膝の上で強く両の拳を握り締めた。

「そうだったんですか。それでそのトラックは?」清架は訊く。

「優花が病院に向かったあと、現場を丹念に検証したらしいんですが、警察がいうには優花はトラックと接触した反動で跳ね飛ばされ、その拍子に地面で頭を強打したらしいんです。接触した際に車体の塗料が剥がれた可能性がないこともないけど、何せ朝からの降りやまない雨に側溝に流されてしまってどうしようもない、っていってました」

 少し落ち着いたのか、普通の話し声に戻っていた。

「それじゃあ、犯人は、いまだに?」

「はい」

「それは親御さんとしてはお辛いでしょうね。そんな奴絶対に許せない」

 清架は話を聞いているうちに徐々に憤怒が込み上げて来るのだった。

「……それできょうお願いしたいのは、これなんですが……」優花のママがトートバッグから取り出したのは、長靴だった。それもキティちゃんがついている赤いのだった。「それとこれも……」次に出したのは、黄色いビニールのカサだった。それにもキティちゃんがプリントされてあった。

「あッ、それは」

 清架が片手を開いて制止する仕草を見せたとき、

「いいよ。今回は特別」

 少し放れた場所にいた良壱が声をかけた。

 清架が止めようとしたのは、432宅配店では搬ぶダンボールのサイズに規定がある。何事にも決め事があり、もしそれがないとなるととんでもないものまで持ち込まれる可能性があるのだ。レインシューズはいいとしても、黄色いカサは寸法外になる。だが横ですべての話を聞いていた良壱は拒絶することができなかった。

「すいません、もうひとつお願いしたいものがあるんですが……」

 優花のママは申し訳なさそうに、二十センチほどの半透明のタッパーをデスクに置いた。

「これは?」

「生前優花が大好きだった鳥の唐揚げなんです。どうかこれもお願いします」

「わかりました。ちゃんと優花ちゃんに届けますから、安心してください」

 デスクの横まで来て良壱はいった。

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 優花のママは、安堵の表情を見せながら丸イスから立ち上がって頭を下げた。

 手続きをすませた優花のママは壁にかけてあったマフラーを丁寧に巻きつけ、ダウンジャケットを羽織ると、何度も丁寧にお辞儀をし、未練がましく赤いレインシューズ一瞥したあとそっと事務所を出て行った。

 外はすっかり暗くなっていて、どこかで寺の鐘が鳴っているような錯覚をした。


 きょうのふたりの夕食は、いつもの定食屋で良壱は鍋焼きうどん定食を、清架は味噌おでん定食を頼んだ。どの客も寒さを紛らすように湯気の立ち昇るものを注文している。

「きょうはありがとう」

 そういってから良壱はまだ熱そうな湯気のうどんを啜った。

「うん?」

 清架は何のことかわからないといった顔で、箸で崩した大根を口のなかに放り込む。

「きょうの依頼のことだよ。これまでにいくつも仕事をこなして来たけど、あのタイプの依頼がいちばん苦手なんだ。きょうは清架が相手をしてくれたから本当に助かったよ」

「そのこと? 私だって、老人の死に関してはそれほどでもないけど、あれほどの小さな子となると、いくら仕事だといっても簡単には割り切れないわ。だからもう我慢するのをやめて貰い涙をしてしまった」

 清架は話しながらふと少し離れた席に目を向ける。そこには四人で食事をする家族の姿があった。子供は丁度優花ちゃんと同じくらいの年格好の女の子だった。あの話を思い出したのか、清架は黙って下を向いてしまった。

「でも、結果的には、清架が相手をしてくれたことで先方も気安く依頼できたんだと思うよ」

 良壱は口先だけではなく、心からよかったと思っている。こういった依頼ばかりじゃないけれど、依頼人の話を聞くのはやはり女性のほうがいいのかもしれないと思いはじめた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る