第41話

「いま帰ったぞ」

 良壱はコンビニ弁当の入った袋をデスクに置きながらいう。

「サムイ、サムイ」

 バタやんは悲痛な声で叫ぶようにいう。

「あッ、ごめんごめん。 清架、そこのスイッチを入れてくれないか」

 良壱は天井からぶら下がってるスイッチを指差す。清架は急いで手を伸ばしてスイッチをオンにした。スイッチの先には100ワットの電球がついている。バタやん専用の暖房機だ。寒くなりかけたとき、良壱が即席で拵えたものだった。バタやんは余程寒かったとみえて、電球が明るくなると同時ににじり寄って行った。

 依頼人は夕方近くに来るといっていたので、ゆっくりと弁当を食べることにした。清架が淹れてくれたお茶で口を湿らせてから弁当の卵焼きから食べはじめる。まだ微かに暖かさが残っていた。

 ゆっくりと昼食を摂った良壱は、食後の散歩にと清架を日泰寺へ誘う。しかし清架は、お寺に興味がないし、それに外は寒いからやめておくわ、とあっさり拒絶した。所在のなくなった良壱は、コンビニで買ってきた週刊誌を読みはじめた。

――

 四時半になって先ほど電話のあった依頼人がドアをノックした。

 まだ四十に手が届くか届かないかといった年回りで、細面の綺麗な女性だった。ライトグリーンのダウンジャケットの下は薄手の白いセーターを着ていた。ハンドバッグとトートバッグを同じ手に提げている。

 清架がダウンジャケットとマフラーを預かって壁のハンガーにかける。コートを渡されたときの仕草から、この依頼は重い話になることを察知した。ここに訪ねてくる依頼人は皆同じ目的なのだ。清架が良壱の仕事に興味を示したときには、まったくそんなことを考えてもみなかった。悲しみを抱えている人に少しでも力になってあげたい、そればかりが急ぎ足となってしまい、現実を見失っていた。

「石本でございます」

「432の三戸みのへです、よろしくお願いします。どうぞおかけください」簡単に挨拶をすますと、早速用件に入る良壱。「で、今回石本さまのご依頼というのは?」

「はい、じつはですね……」

 そこまで話した時点でもう声が声でなくなっている。少し放れた場所にいる清架は推測が外れてないことを確信した。

「亡くなったのは私の子供で、優花ゆうかという九歳になるひとり娘なんです。優花はいまから二ヶ月ほど前に交通事故で死んだんです。それも私の目の前で……」

 優花のママはそこまで話しただけで涙が滂沱と溢れ、しばらく声が出て来なかった。

「そうなんですか」

 声をかけたのは清架だった。自ら発したのではなく、良壱が話を聞いていてこれは女性同士のほうが気持が落ち着くだろうし、斟酌なく胸の内を話すことができると踏んだのだ。いまは良壱と交代して優花のママの前には清架が腰掛けている。

 清架の声を聞いたからか、洟を啜るのをやめたママは、ハンカチで強く目頭を押えてから恥ずかしそうに正面に坐っている清架をそっと見た。

「それはお母さまとしては胸の裂ける思いでしょうね。心中お察し申し上げます」

 経験のない清架としては、こういった場合の最善の言葉を持ち合わせていなかったため、それだけいうのが精一杯だった。

「ありがとうございます。でも優花が交通事故に遭ったのはすべて私の不注意からなんです」

「そうなんですか、もしよろしければお話お聞かせ願えますでしょうか」

 この機会に思いの丈をすべて吐露することと、旅立ってしまった愛娘に届け物をすることでひとつの区切りとなればと思った。

「はい、その日は朝から冷たい雨の降る日でした。それでも小学校三年生の優花は喜んで学校に向かいました。なぜなら、ずっと前から欲しくて仕方なかったキティちゃんの赤いレインシューズを履くのがその日はじめてだったんです。そこまではよかったんですが、優花が学校から戻ったとき、私は夕飯の材料を揃えるのに近くのスーパーへ行くのに、優花に留守番を頼んだのです。いまから考えると、一緒にスーパーへ連れて行けばよかったと後悔してます。

 一時間して家に帰ると、留守番をしているはずの優花が家中探してもいないんです。ひょっとしてと思い、玄関まで行くとやはり赤いレインシューズと黄色いカサがありませんでした。おそらくレインシューズを見せたくて近所の友だちの家に行ったに違いないと思い、心当たりの家に電話を入れました。ところがどこの家も優花は来てないというんです。そうなるとあとは近くの公園くらいしかないと思い、私は優花が心配になって迎いに行くことにしました。

 公園の近くまで行ったとき、公園を出てこちらに向かって来る優花が目に入りました。私はその姿を見て思わず大きな声で優花を呼んだんです。その声に気づいた優花は黄色いカサを振りながらこちらに駆けて来ようとしました。私は『危ないから走らないの』と大きな声で叫ぶようにいいました。しかし、その声は左のほうから入って来たトラックの轟音にかき消されてしまい、次の瞬間優花の黄色いカサがトラックのフロントガラスのところに舞ったのが目に入りました。

「ヤーァ」それが私が聞いた優花の最後の声でした。

 あっという間にトラックは走り去り、道路の向こうに優花が雨に濡れて横たわる姿がありました。すぐに救急車と警察に電話をしました。でも救急車が到着したときにはすでに優花はだめでした。

 あのとき私が一緒にスーパーに連れてっていれば、あのときもう少し早く公園に迎えに行っていれば……そればっかりが胸を掻き分けるようにして思い出されるのです」


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