ふたりの夜


 ほとばしるアーサー様への想いの丈を散々叫んだ。内容はシャワーの音が掻き消しただろうし、最早遠慮はしなかった。幸い同居人となるミロード君はその辺寛容そうであったし、今更だ。最終的に泡と一緒に排水口に流れていってなんとなく落ち着いた。平常心を取り戻した。大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、髪を乾かした。とっくに部屋に戻ったミロード君は先に眠っているかもしれないので、なるべく音を立てないように着替えを済ませ最後に鏡を確認。よし。


 表情筋はちゃんと機能していつも通りを演じている。完璧な鉄仮面ポーカーフェイスだ。今誰かとすれ違ってもまさかさっきまで叫んでいたアーサーヲタクとは思われまい。


 シャワールームをあとにした。若干の余裕すら感じる。問題ない。


「遅いぞセレスト。僕をどれだけ待たす気だ」


 そう言ってミロード君が、ご機嫌ななめな顔で睨んできた。まだ起きてた。真新しいシーツが眩しい清潔感のあるベッドに横たわり、ご丁寧に一人分スペースを確保してある空白の枕を軽くポンポンと示す。お前の場所はここだと。そこか。ベッドはちゃんとふたつあるのに、よりによって同じベッドで隣で添い寝か。そうかそう来たか。


「彼氏か!?」


 ついさっきまでと同じテンションで叫んでしまった。帰ってきて平常心。僕を置いていかないで。セレストは一旦落ち着こうと深呼吸をした。


「だって今日は一緒に寝てやる約束だから」

「あーはいはい、さっきも聞いた。お気遣いありがとうだよ!」


 ヤケクソになってミロードのベッドにお邪魔する。もしかしたらミロードの方が一人で寝るのは淋しいお子様なのかもしれない。少し満足そうな顔をしている。


「昔、小さなこどもの頃、兄さんたちと母様のベッドで一緒に寝て以来だ」

「何人兄弟だ」

「三人だよ。僕が末の三男」


「母様のベッドは大きくて、普段は皆一人で寝るのに、あれは何か嵐の時だったり、争いごとのある時だったり、」──とにかく幼少時代の記憶だ。


「そうか。僕はむしろ初めてだ」

「え。大丈夫なの。寝れなくなっちゃうかもしれないよ。僕あっちのベッド使うから──」

「いや。いい」


 二人で横になっても狭くない大きさのベッドではあるけれど、人の気配とか気になって寝れない場合もあるだろうし、もしかしたら二人のうちどちらかが寝相が悪い可能性もゼロではない。


 だというのにミロードは涼しい顔で却下した。


「それよりセレスト」

「何だい」

「折り入って頼みたいことがある」


 ミロードはセレストの装備品アクセサリを順に指でなぞった。


「僕をアーサーだと思ってちょっとキスしてみ「あのちょっとすいません、ちょっと意味が、ていうかアーサー様にそんな大それたこと無理なので無理ですね!」「かぶせてくるな」「なんでここでアーサー様出したし」


 情緒。一気に崩壊して赤面しまくる顔を必死に隠しながらセレストは涙目でミロードを睨む。


「僕をからかうのもいい加減に」「からかってない」「からかってない?」「からかってない」


 いたって真面目な顔でミロードが言うのでセレストは困惑した。


「アーサーじゃなく、僕にキスしろと命じた方が親切だったかい」

「それはそれでどど、どういう」

「ただの実験だ。初手の回避だとレオは言った。多少納得がいかない」

「あー。それで」


 同じラッキーファーストを装備するセレストで、試そうというのだ。


「でも本当にいいの。ミロード君は回避できないんだよ」

「それを試すんだろ」


 セレストは体を起こしてミロードの頬に手を添えた。


「キスだけで終わる保証もないのに」


 ゆっくり近づくセレストの顔をミロードの手が遮った。


「何。まだキスしてないけど」

「そうだな。キスすら始まらないで終わったな。おつかれ」


「はあ?」


 アーサー様さえ絡まなければ平常心で行けると自負するセレストが狐につままれたように目を白黒させる。


「あくまで回避不可は初手だけだ。理解した」


「僕はまだ理解してない」

「レオが最初に手を伸ばして来た時も顔を撫でまわされた時もまだ様子見して回避しようとしていなかった。初手のカウントは仕掛けた側じゃなく回避する側の危機感が発動してからだ」

「つまり……今ミロード君は僕が顔に触れた時点で拒否してた」

「そう。そこで初手は終了した」


 セレストは無言で枕に顔を突っ込んだ。


「だから最初に言っただろ。ただの実験だ」

「思春期の純情を弄ぶなんて……」


 枕越しにくぐもったセレストの声が低く響く。


「キスしたかった?」

「本気でするつもりだった」


 ふふ。セレストの忠犬ぶりにミロードは笑う。真面目だな。


「ちなみに。ミロード君のあるじさんへのキスチャレンジの話はほんとなの?」

「ほんとだぞ。」


 一切悪びれる様子も照れる様子もなく真顔で答えるミロードに、セレストはちょっと引いた。ミロード君てそういうとこある。


あるじはなんていうかこう、すごく華奢で、線が細くて、可憐で繊細に見えるんだがどういうわけかめちゃめちゃ気が強くて可愛い」

「ベタ惚れか」

「色白で透けるような肌──というか実際普通の人より皮膚が薄くて透けてるんだろうけど毛細血管がよくぱっと色付く瞬間があって、耳とか目許とか頬とか。この人死にそうだけどエロいなという目でいつも見ている」

「それ本人にはぜったい言っちゃダメ」


 セレストの脳内イメージのあるじさんは病弱な伯爵令嬢だ。少し歳下くらいかもしれない。勝手なイメージだが。


「本人にはいつも思ったことを思ったままに伝えている」

「ジーザス」

「ゴミを見るような目で見下され毛嫌いされている」


 ミロードはセレストのアーサー狂に寛容なのではない。自身がそれを凌駕するレベルのレッドゾーンの住人だ。セレストは今更ながらに知った。


「ここへ来たのも、あるじが僕の顔はもう見たくないと癇癪を起こしたからで、あるじに会えないならあそこにいる意味はなくて」

「キスチャレンジするからだよ!」

「それもある」

「卒業したらちゃんと戻れるように僕あるじさんに手紙を書くよ。ミロード君を許してあげてくださいって。立派な功績をたくさんあげれば少しは」


「セレスト」


 レッドゾーンの住人を何とか救うべく必死に考えるセレストをミロードはじっと見つめた。


「真面目か」

「なんでこっちが呆れられてるの」


 そのうちいつの間にか眠ってしまっていた。別に誰か居ようと普段と変わらない快眠さ。ミロードはうっすらと目を開ける。


 早朝、セレストは品のいいパジャマの上にカーディガンを羽織った姿で、窓から射し込む陽光を頼りに静かにテキストをめくっていた。


「真面目か」

「おはようミロード君」

「ちゃんと寝たのか?」

「おかげさまでぐっすり」

「眼鏡似合うな」

「どうも」


 セレストはテキストの文字を追うばかりで一切ミロードを見ない。


「コーヒー飲みたい……」

「食堂はまだあいてないよ」


 購買部で買い物しようと心に誓いミロードは二度寝した。


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