椿が枯れたら(8)

 誰かに背負われ、運ばれているようだ。温かく、柔らかな感触に包まれていた。しかし、僕は眠ったままで意識は戻りそうもない。


 それからどれくらい経ったかはわからない。少なくとも、夜は明けていないと思う。目が覚めた時、外は暗かったから。

 そして中も暗い。明かりがなく、ひんやりしている。地面も冷たく、僕のシャツやズボンにほこりがついていた。ここは洞窟の中のようだ。

 しかし、僕の身体の上に毛布が掛けられていた。


 僕はあたりを見渡した。


 誰もいないがさっきまで人がいた雰囲気が漂う。

 目が慣れて周りが見えてくると、目の前の砂につい最近付けられた足跡が洞窟の出口に向かって続いていた。さっきまで僕を運んでいた人が付けたものだろうか。


 出口を見ていると、突如真っ黒な人影が見えた。誰かはわからない。


 足音も聞こえてきた。次第に大きくなり、一歩一歩が洞窟の壁に反響して、僕の鼓膜を揺らした。同時に心臓の拍動も大きくなる。

 得体の知れない恐怖が僕にのしかかり、心臓を軋ませる。


「気づいたのね」


 その一声で我に返った。同時に恐怖も消えてなくなった。

 聞いたことのある、透き通った明るい声。


「セイヤくん」


 彼女は、僕の前に現れた。


***


「チカさん……どうしてここに……」


 目の前に立つ薄緑がかった髪の女性。彼女は僕を見て微笑んだ。

 僕の視線は吸い寄せられ、固まった。


「気づいたんだね」

「ここ、どこですか?」

「キミの家の近くの山。名前知ってるでしょ?」

卯花うのはな山ですか?」


 チカさんは一つ頷く。


「この山はね、比丘尼びくにが最期に訪れた場所なの」


 その言葉が、僕の脳内で眠っていた昔話をよみがえらせた。


「比丘尼が入滅にゅうめつした、洞窟……」

「そう」


 にっこりとほほ笑むチカさん。

 しかし、僕は状況を理解しかねていた。なんで僕が目覚めたら卯花山にいて、目の前にチカさんがいるのか――

 僕は必死で脳をフル回転させる。

 誰かに殴られて、ここに運ばれてきた。そして、チカさんの言動――


「まさか、チカさんが僕を」

「あったりー。なんかキミ、探偵さんみたいだね」


 探偵? 確かに推理小説は好きだけど――いや、そんなの関係ない。

 チカさんは裏表のない純真な笑みを浮かべているが、僕はチカさんの裏にある “真意” を探ろうとしていた。


「なんで僕をここに」

「SENNで言ったじゃん。渡すべき時が来たって」

「……?」

「わかってないみたいだね。これを渡したいの」


 チカさんは重そうなリュックからとても古そうな木箱を取り出し、開けた。刹那、僕は硬直した。

 箱の中にある口が裂けるほど大きく開け、歯を見せ不気味に笑う顔。首から伸びる無数のうろこのある腹部。


「あなただけに渡した、人魚の箱よ」

「そんな……チカさんが……」


 そう、チカさんは僕の家から箱を持ち去っていたのだ。


「この箱、もともとは時間来たら開けていいって言うつもりだったんだけどね。で、今がその “時間” ってこと。ま、あなた勝手に開けちゃってるけどさ」

「それで……渡してどうするんですか」

「ふふ……それはね」


 チカさんは人差し指を立てて、口に近づける。

 同時に僕の心臓が、ゆっくりと強く脈打つ。

 動きとしては一瞬だが、僕には何十倍もの時間が流れていた。


――セイヤくん、人魚を食べて


 時間は、止まってしまった。


***


 チカさんの衝撃的な一言に、僕の身体は石のように硬直した。


「あら、びっくりしちゃった?」


 ささやくような声で僕の時間は動き出した。


 しかし僕は困惑していた。

 びっくりしたとか、そんなレベルで済まされる話じゃない。チカさん、いったい何を考えてるんだ?


「どうして……なんで……」

「ふふっ。あなたが人魚を食べられるからよ。知ってるでしょ?」


 スズミさんから僕が人魚を食べられる “適性” の持ち主であることを聞いていた。同時に、チカさんも。

 そして僕の中にあった謎が一つ明らかにされた。


「やっぱり、チカさんも知ってたんですね」

「まあ、ね。だってあなたは……あたしの子孫だもん」

「……」


――子孫


 一瞬、ガクッと身体が揺れた。

 だけど、いったん冷静になって考えるとその事実は納得できた。

卯花うのはな」に反応していたチカさん。あたかも数十年前から生きていたかのような彼女の言動。そして、おじいちゃんが話していた僕の御先祖さま――彼女も人魚を食べていた。


「チカさん、やっぱりあなたが僕の御先祖さんの一人だったんですね」

「ご名答! まあ、二百年位前の話だけどね。あなたの御先祖様にはお世話になりました!」

「そしてあなたの血を引いている僕には “適性” があった」

「そういうこと!」


 そしてチカさんは少ししゃがみ込んで僕に目線を合わせた。


「ねえ、一緒に食べない? 二人ならとっても美味しいとおもうの」


 チカさんの深緑の瞳は優しげだった――が、どこまで本当かはわからない。

 そして、僕は人魚を食べることを生理的に受け付けなかった。


「……嫌、です」

「どうして?」


 穏やかな瞳で僕を見るチカさん。

 しかし、僕の目は彼女から目をそらしていた。


「嫌、だからです」

「別にいいじゃん。死ぬわけじゃないんだし。むしろ、ずっと若いままよ? 誰も悲しまないし、問題ないと思うけど?」

「……」


 確かにそうかもしれない……でも、本当にそれが正しいのか?

 それよりも僕はチカさんに、僕が考えているシナリオが正しいか試す必要があった。いま、ここで。

 とりあえず、話を繋げる。


「ちょっと待ってくれませんか? そもそも……なんで僕が人魚を食べないといけないんですか?」

「え?」

「僕が “適性” を持っているから……だけじゃないんですよね」

「……」


 チカさんの目から笑みが消えた。

 瞳を隠し、地面に顔を向ける。

 沈黙が流れる。


――あたしの、仲間になってほしいのよ


 チカさんの口から漏れたひと言。彼女の顔からきらめく水滴がしたたり落ちた。

 顔を上げたチカさんの目から、涙がこぼれていた。


「一緒に……いてほしいのよ。ずっと……」


 声に嗚咽が混じる。

 次から次へと流れ出る涙をチカさんはハンカチで必死にぬぐっていた。

 僕はただ立ち尽くすだけだった。だけど、僕が心に秘めていた彼女を救いたい気持ちが急に高ぶり出した。

 聞いてはいけないことと思っていたが、勇気を振り絞って尋ねる。


「……一体、何があったんですか」

「……」


 チカさんは落ち着いたのか、泣き止んだ。


「教えて、くれませんか?」

「……わかった」


 それは悲痛な少女の残酷な物語であった。

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