26.小鳥の過去とこれからのこと

 リビングに戻ってみると、ティオとラァラは食器の片付けを終えていた。

 手伝いができたことでさっきまで落ち着かない様子だったティオも気持ちが落ち着いたらしく、椅子に座ってまったりとラァラと談笑していたようだった。

 扉を閉めると、ラァラが近づいてくる。


「リト、ラトは?」

「寝不足だから休んでいるそうだ。留守の間、ティオにずっと付き添ってくれてたんだろうな」


 彼にティオのことを頼んだのはリト自身だ。

 軽い返事で応えたものの、実際にはしっかりと彼女の面倒を見てくれたのだと思う。その前の日は、リトの診察にかかりっきりだっただろうに。


「そっか。じゃあ、寝せててあげた方がいいね」


 小さく微笑むラァラを見て、リトは穏やかに笑って頷いた。

 そのまま流れのまま、テーブルを挟んだ向かい合わせに座る。すでに座っていたティオは自分の腕を枕の代わりにして、静かに寝息をたてていた。


「さっきラトを話をしていたんだ。きみたちは住所が特に決まっていないみたいだし、宿を取るくらいなら、しばらくここに泊まっていかないか、と」


 まっすぐに向けてくるラァラの濃い藍色の両目が、ひとつ瞬く。


「リトはラトが嫌いじゃないの?」


 予想を超えた返し方をされて、リトは目を丸くした。

 どうして、急に好き嫌いの話になるのだろうか。


「嫌いじゃない。ラトは俺の命の恩人だから」


 ラディアスがいなければ、たぶん自分はここにいなかった。リトは本気でそう思っていた。

 先ほど、泣きそうに笑っていた彼を衝動的に屋敷にとどめようとしたのは、ラディアスに対する感謝の気持ちがあったからなのかもしれない。


「嬉しい。それなら、わたしもここにいる」


 にこ、とラァラは花が咲いたような笑顔を見せる。思わずリトは目を和ませた。

 彼女はティオほど感情が豊かなタイプではないものの、よく笑う。控えめな微笑みは、まるで夜空の下で小さな白い花を咲かせる月見草のようで。

 

 もっと、ラァラのことが知りたい。リトはそう思っていた。


「ラァラはラトとずっと旅をしているのか?」

「一緒に旅をするようになって三年くらいかな。その前はゼルスに住んでたよ」


 やっぱり、そうなのか。

 だから怪盗のジェイスとも接点があったのかもしれない。


「俺も前に行ったことがある。一年前までは旅をしていたから」


 ゼルス王国はティスティル帝国とは別大陸の国だ。海で隔てられているため、行くためには船に乗る必要がある。おまけにティスティルとゼルスは国交がないために、リトにとってゼルス王国は縁のない国だった。

 そんなリトが初めてゼルスへ行ったのは、ロッシェやルティリスたちの旅に同伴していた時だ。

 ティスティルとは違い真夜中まで街が明るくて、祭りが多い国だった印象が強い。


「こことは全然雰囲気が違うからびっくりしたでしょ。あそこの王様、元ヤクザなんだよ」

「へぇ、そうなのか。活気があって、いい国だと思うが」

「うん。最近やっといい国になってきたかな」


 頷いて、ラァラは目を伏せる。彼女の長いまつ毛が濃い藍色の目に影を落とす。

 少し、意味深な言葉のように思えた。


「以前は大変だったのか?」

「ラトが言うには殺伐としてたみたい。わたしは知らないけど、ジェイスも昔は酷い人だったって育て親が言ってたから」


 国内の政情が荒れていたということなのだろうか。ゼルスの国王が王族でないのなら、諍いも起きやすいのも頷ける。


 情勢が不安定になることは、どの国でも起きうることをリトは知っている。

 隣国のライヴァンも数十年前までは危うかったし、ここティスティル帝国だって今でこそ治安はいいが、昔は殺伐としていた。


 ラディアスは出奔してからゼルスに渡っていたのか。

 たぶん長い期間の間滞在しながら、ラァラを育てていたのだろう。

 彼女の口からラディアスとは別の〝育ての親〟という言葉から考えても、一人ではなかったのだろうが。


「〝育ての親〟って、ラトのことじゃないんだよな?」

「うん。わたしには育ての親が二人いるんだ。ラトと、もう一人は狼の部族のお兄さん」


 なるほど、もう一人の親も魔族ジェマの男なのか。

 しかし、それならなぜ、彼はラディアスやラァラと一緒にいないのだろう。


「その人とは旅をしていないのか?」

「ゼルスの王様にこき使われているから、置いてきちゃった」


 置いていかれたのか。今頃心配してるんじゃないのか。

 とは言っても、国王に近い場所で仕事をしているのなら、あてのない旅に同行できるはずもない。

 ラディアスはどうかは知らないが、ラァラはしっかりしているしたぶん連絡は取っているだろう。今日だってジェイスも一緒にいたんだし。


 それにしても、ラァラがゼルスの国王と顔見知りなら、ラディアスだって知り合いのはずだ。

 もう一人の〝育ての親〟が国王のそばで仕えているのなら、きっと城に滞在していたのだろう。その中で、よく旅に出て来れらな、と思う。


「ラトはこき使われないのか?」


 言ってから、結構失礼な言葉だったかもしれないとリトは後悔した。

 しかし、ラァラは嫌な顔をしなかった。


「あの人はラトを嫌っているから。ラトは嫌いじゃないみたいだけど、わたしのために一緒に旅してくれているの」

「ラァラは何か目的があって旅をしているのか?」

「よく分からない。ラトはそれを一緒に探そうって言ってくれたけど」


 形のないなにかを探す旅、か。

 心の中でつぶやいて、リトは懐かしい思いが胸によぎった。


「俺も似たような理由で旅に出ていたことがあるよ」


 自分の中に欠けているなにかを探して、埋め合わせるための旅。

 三年かけてゆっくりと、探したっけ。

 今ではいい思い出だ。


「そうなの? リトは見つかった?」

「三年くらい世界を巡ったけど、今でもよく分からないな。だけど、旅をしてたくさんのことを学べたから無駄じゃなかったと思ってる」


 そのカケラはいくつか見つかったが、完全に埋められるまでには至っていない。

 だが、得たものはかけがいのないもので、役立つ知識や経験になったと思う。


「わたしもおんなじ。気付いたことはたくさんあるし、いろんな人にも出会えたから。でも、三年経っても欲しい答えは見つかってない気がする」

「そうか。欲しい答えって、何なんだ?」


 問いかけると、ラァラは顔を上げてリトの顔を見た。

 出逢って初めて、彼女の両目が揺らぐ。


「わたし、初恋の人が両親の仇なの。復讐考えたこともあったけど、あの人強いから敵わないと思うし。育ての親の上司だから恩もあるし。どうしたらいいか分からなくて、ラト巻き込んで飛び出しちゃったんだ」


 それは、壮絶な過去だと思った。

 初恋の人が誰なのか、〝育ての親の上司〟という言葉で大体は察してしまう。しかし触れない方がいいだろう。

 きっとそんなこと、ラァラは期待していない。


 揺れる濃い藍色の瞳は頼りなく、まるで寂しさを宿しているかのようだった。

 しかも、それはリトが考えつかないほどの、海の底よりも深い孤独なのだろう。


 そう。

 彼女の目は、リトとは違う寂しがり屋の目だ。


「そうだったのか。嫌なことを思い出させてしまったな」

「三年経ったから、もうずいぶん吹っ切れたよ。今は恋心もないし」


 とくん、と心臓が波打った。

 込み上げそうになる感情を必死で押さえながら、リトはなるべく平静に装う。


「ラァラはこれからどうしたいんだ?」

「ラトのためにも、どこかに落ち着きたい。ラトにばっかりお仕事させてるのも悪いし」


 出逢った時からなんとなく気付いていたが、呼び捨てではあるもののラァラはラディアスのことを大切に思っているようだった。

 血は繋がっていないものの、互いを信じて気遣い合うその姿は、まるで本当の親子のような絆だ。


「じゃあ、働きたいのか?」


 翼族ザナリールの外見は魔族ジェマと同じく精神年齢に依存している。だから本当の年齢は見た目だけじゃ分からないけれど。

 ざっと見ても、ラァラは十代の半ばくらいの少女だ。その年頃といえば、リトはまだ学生だった。

 働けるような年齢だとは、とても思えなかった。


「他に思いつかないもん」


 それはそうか。そもそも養父の一人が家出中の旅医者では、学校なんて行けないだろうし。

 もともと生きていく目的を探す旅の途中だ。


 いや。それにしても、だ。


 今はともかく、昔はゼルスの王城にいたのなら、もう少しなんとかならなかったのだろうか?


「ゼルスに学校はなかったのか?」

「……学校?」


 どうやら聞き慣れない単語だったらしい。

 目を丸くして不思議そうに首を傾げるラァラに、リトは笑って頷いた。


「ああ、そうだ。たくさんのことを学んで勉強する場所だよ。ずいぶん前だが、俺も行っていたことがある」


 在学していた当時のリトにとって、学校は安らぎの場所だった。

 屋敷に帰ると、貴族の当主としてのしがらみや多くの責任、そして辛い現実に向き合わなければならなかった。だから、余計にいつまでも校舎に残って勉強していたかったものだ。


「楽しい?」

「楽しかったよ。楽しみ方は人それぞれだけど、俺は今まで知らなかったことを知るのが楽しかった」


 たくさんの友人と時間を過ごす人もいれば、単純に勉学に勤しむ人もいる。

 リトの場合は後者だった。


「そうなんだ。ゼルスにあったのかもしれないけど、わたしは行ったことないの」


 彼女の答えは予想通りだった。


 ひとつ息を吐いて、ラァラの瞳を見る。彼女はいつだってまっすぐにリトを見つめてくる。

 なるべく、違和感を感じないように。

 ごく自然に、リトは尋ねた。


「それなら、行ってみるか?」


 しかし、その問いかけは変な誤解を生んだようだった。


「ゼルスの学校に? わたしゼルスには戻らないよ」

「いや、ゼルスじゃない。ティスティルの銀竜学園だよ」


 正しくは、銀竜魔法学園。ティスティル帝国内の王都にある学園で、かつてリトが在籍していた母校でもある。


「他国の人でも入れるの?」

「ティスティルの女王陛下は他種族に寛容だから、きっとラァラも入れるよ」


 まだ迷いがあるらしく、ラァラは目を泳がせている。


「ラトがいいって言ったら行ってみたいけど……、ラトは反対すると思う」


 彼女の抱える心配はなんとなく想像はついていた。


 ラディアスは女王の兄で、今は家出中の身だ。

 入学するなら国民証が必要になる。ラァラから、ラディアスの居場所が女王にバレてしまう。


「ラトはラァラに働いてほしいのか?」

「ううん。保護者がラトだってバレたら、マズイことになっちゃうから」


 やはり、そうか。


 勝手に納得して、リトは口角を上げた。

 ふと浮かんだ考えだが、悪くないと思ってる。どのみち、ラディアスとラァラには滞在を許すわけだし。

 交渉してみる価値はあるだろう。


「要するに、ラトの身分がバレなければいいのだろう?」


 楽しげに言うと、ラァラは不思議そうに首を傾げた。


「リトは知ってるの?」

「さっき本人から聞いた」

「そっか、良かった。でも、バレないようにってできる?」


 心配そうに見上げてくるラァラを見返して、リトは悠然と微笑む。


「できるよ。学園に提出する書類の上でだけ後見人の名前を俺にすればいい。それなら、ラトの名前を出さずに済むだろう?」


 貴族の当主として身元ははっきりしているし、女王直属の研究所に在籍しているのだから立場上何の問題もないだろう。

 実のところ、リトにとって書類上の操作はそう難しくない。さらに、学園には頼りになる知り合いもいるのだ。


「じゃ、学校行ってもいいの?」

「ラァラが行きたいなら、俺は喜んで協力するよ」


 一番大切なのは本人の望みだと思う。なにかを学ぶことがラァラの探す答えにつながるかは分からないけど、なにかに取り組んで知識を蓄えるのは無駄なことではないだろう。

 彼女の助けになることなら、どんなことだって助けになってあげたい。さらに欲を言うならば、彼女のことをもっと知りたい。


 そのように自分自身を行動へ突き動かす感情の正体に、リトはとっくに理解していた。

 寂しがり屋の自分は、深い孤独を抱えた薄藍の小鳥に恋をしているのだ。


「うん。わたし、学校に行きたい」


 まっすぐに向けられた大きな瞳は、意志の強い光が宿っている。

 片膝をついて視線を合わせて、リトは穏やかに微笑んだ。


「そうか。一応、ラトにも話しておいた方がいいかもな。その上で手続きをしようか」


 明日の朝、起き出してきたラディアスに早速話してみよう。


 学園にはいつでも行けるし、久しぶりにに会うのも悪くない。

 ずっと長い年月の間、学園に籍を置く彼に。

 知り合いというよりは、家族——いや、もはや親に近い。かつて後見人として自分を育ててくれた、彼に。


 きっと喜んでくれるだろう。


 これから先の計画が頭の中で次々と浮かんできて、なんだか楽しい。

 いつの間にかリトは、もう寂しさなんて感じなかった。

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