第22話 越国公主

 馬に乗り、迎えとともに一路向かった先は、都の中でも契丹の皇族が邸や牙帳がちょうを構える区画であり、ある街路の中ほどで家令は大きな門を入っていく。


――やはり耶律やりつの一族、つまり皇族であったのか?


 それならば、彼女が身に着けていた琥珀と水晶の豪奢な首飾りも、上質の絹の服も合点がいくというものである。


――もし、本当にお姫さまであれば、あの偉そうな態度もむべなるかな。だが、それよりも、うかつに近寄ることもできないかな、残念だが……いやいや、万一の僥倖もあり得るではないか?諦めるのはまだ早い。


 失望と期待を行きつ戻りつ、邸の奥まった書斎に案内された朝慶は、そこで一人取り残された。

 ここは漢族の邸と作りはさほど変わらず、ただ弓と剣、そして水を入れる革袋が壁の目立つ場所に掲げられているところが、いかにも契丹族の血を高らかに歌っているように見えた。止まり木の鸚哥いんこがこちらを一瞥いちべつして、馬鹿にしたような声で啼く。寺での「お姫さま」たちの無礼な態度を思い出した朝慶は眉を寄せた。


「――あれ、こんなところで何をしている?」


 のんびりした声とともに入って来たのは、梅香の宅に同行した親友の郭文雅かくぶんが。朝慶は目をしばたたいた。

「お主こそ、どうしてここへ?」


 郭は頬をぽりぽりかいた。

「いや、ここの使いに呼び出された。え?そなたも同じだって?」

「うむ。例の梅香の事件について教えてくれると言ってな」

 侍女が持ってきた茶に、気もそぞろといった態で手を伸ばす朝慶である。彼は友人のために、開龍寺で起きたことをかいつまんで話してやった。


「――なるほど。さては、好奇心に負けて、のこのこ出てきたな」

「人の事が言えるか?」

 まあいいや、それにしても一体誰だろうな?呼び出したご本人は――鼻から息をふっと出すそんな郭の背後で、さらさらと薄絹のとばりが揺れる。


「私だ」

 低く、重々しい声に漢族の二人が振り向くと、そこには身の丈豊かな男が腕を組んで立ちはだかっている。おそらく歳は二十台後半であろう、黒い服に黄金の金具がついた帯を締め、腰には剣をさしている。顔はいかつく、眉は太い。

「あっ……」

 朝慶は文雅につられて立ち上がったが、はて、と首をひねった。


――どこかで聞いた声だが?


「この第の主人でいらっしゃいましょうか?おそらく金枝玉葉きんしぎょくように連なるお方と心得ますが、どなたで……」


 文雅が拱手きょうしゅしながら相手の顔色をうかがうかのごとく述べると、いかつい男は若干その表情をゆるめた。


「実は、私もまたここの主人ではないのだ。たしかにここは皇族の第ではあるが」

 漢族二人は、ちらと目線を交わす。

「とおっしゃいますと……」

「実は私と定婚した者こそ、第の主人にして、そなた達にぜひとももう一度会いたいと願った人物だ」


 長身の男は背後の帳に手をかける。薄物のそれがさっと開かれ、今度は若い女性が現れた。


 目尻のすっと切れ上がった細い目、広い額、紅をはいたかのような頬。黒々とした髪を結い上げ、珊瑚と青石で飾った髪飾りを揺らし、耳には紅玉の珠、薄青の絹の上着には水晶と琥珀を連ねた大振りの首飾り。青の帯からは白玉の佩玉が流星のごとく下がる。


 まだ少女と呼べるような若さだが、首をまっすぐに伸ばしたその立ち姿は貴人そのものである。

 朝慶は無礼とも思わず凝視したが、内心の疑念は晴れるどころか大きくなっていくばかりだった。


――開龍寺で会った貴人とはどう見ても別人だが、さりとて会ったことがないとは言い切れない。なぜ思い出せないのだろう。


 その少女は紅をさした唇をほころばせ、愉快そうに自分の呼びつけた客人を眺めているが黙ったままである。代わりに、彼女の婚約者と称する男が口を開いた。


「さて、そろそろ謎を解いて進ぜよう。はて、私の定婚者は『一目私に会えば先方はわかるはず』と言っていたが、見込み違いか?私は泰寧軍節度使たいねいぐんせつどし――といえば、わかるだろうか」


――泰寧軍節度使!ではこの男は蕭紹矩しょうしょうくか。


目を見開き口をぽかんと開けた漢族二人に、契丹の男は頷いてみせる。蕭氏は国姓たる耶律氏と代々の婚姻を通じて結ばれた、名族中の名族である。


「そうだ、官たる身であれば、私の名に聞き覚えがあろう?かたじけなくも太后さまの甥にして皇后さまの兄にあたる」

そして、蕭の咳払いを合図とするかのように、少女が一歩進み出る。


「――そしてこの方は、かの景宗さまのご孫女そんじょにして私の姪、越国公主えつこくこうしゅさまにあらせられる」

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