第21話 香と念珠

 三日後の呼び出しを待つ間、李朝慶りちょうけいは勤務の一環と称して、都の市まで足を伸ばした。

 

 地元の産品のほか宋からの輸入品も市で商われているのだから、その実態を把握するというのが名目だが、以前から何か考え事や気がかりな事があればここで雑踏に紛れ、あれこれ見て回りながら頭のなかを整理するのが彼の習わしだった。

 それに――。


「あら、お久しぶりですわね。この頃すっかりうちの酒家でもお見限りで、李の旦那さま」

「ちょっと、あんたの閑古鳥の鳴いてる酒家じゃありませんよ、李さまが贔屓にしてらしたのは。うちのお酒も肴も絶品だと褒めてくださったんですからね。何よ、旦那さまだなんて、馴れ馴れしい」

「ふん!馬鹿おっしゃいな」


 市に行く道すがら、寝ぼけ眼で遅くに起きだしてきた歓楽街での歌女うかれめたち、そのしどけない姿や嫉妬まじりのぼやき、他愛のない言い合い――彼はそんなものをにやにやしながら楽しみ、両手に華の状態を堪能して自分に己惚れなおし、宮仕えの憂さを晴らすのも忘れない。


「ねえ李さま、宋渡りのお香や念珠が欲しいの。今度、融通してくださらない?」

 以前から馴染みの、洗い髪もつややかな飛び切りの美女が袖に腕を絡ませる。


「私に頼まずとも、それこそ市に行けばいいじゃないか。上京じょうけい一高いそなたの花代はなだいであれば……」

「嫌だわ李さまったら、市に流れた二流、三流のものじゃなくて、国境で取引されて最初にお上の蔵に入るような、極上品のことですよ、私が頼んでいるのは」

「冗談ではない。そんな横流ししたら、私もこれだこれ」


 怖い顔をし、首を手刀で一文字に切って見せる朝慶に、また女たちがきゃあきゃあ騒ぐ。

「でもそんなおっかない李さまもまた素敵、男っぷりときたらみずちが竜になるみたいに上がる一方ね」

 浮草稼業の女の群れに飛び切りの笑顔で手を振って見せると、李は火の入っていない赤い雪洞に背を向け、目当ての場所に向かった。


――でもまあ、確かにな。


 市をぶらつき、屋台の品々や取引の様子を眺めた朝慶は、歌女たちの物欲もわかる気がした。


 市に流れた宋の品々、南海から来た香や薬、文房具、真珠などの宝飾品が、漢族や契丹族問わずにぎやかに売り買いされていく。契丹族の女性が、同じく男性に象牙の櫛を買ってもらったのか、それを握りしめ上気しているさまに、思わず朝慶もくすりとした。


――年々、この上京も人が増え、その分市も賑やかになっているな。それにどうだ、宋から来た品々を有難がり、争うように買っていく。決して安くはないはずなのに、契丹の国力自体がいよいよ強まっている証ではないか……。


 仇にも思う国の繁栄を積極的には認めたくない自分に苦笑しながらも、彼はどこか心の別の個所にひっかかりを感じた。


――漢族だけではなく契丹族も宋から来たものを有難がって……。何か、ぼんやりと見えてきたものがあるような。


****


 そうして開龍寺での約の通り、きっかり三日後、李朝慶の自邸を使いが訪れた。五十がらみの、立ち居振る舞いのうっそりした男で、ただ「さる方の家令」とのみ名乗った。


「怪しいな、私を拉致してどうにかするつもりなのではあるまいな?せめて主人の名を明かしてはどうだ」


 要領の得ない口上に朝慶は顔をしかめたが、相手はただ一礼したきり陰気に沈黙を守るばかり。とうとうしびれを切らしたのは、漢族の官僚のほうだった。


「ともかく、さっさと案内してくれ。似て食うなり焼いて食うなり好きにせよ」


 そう言いながらも、彼はうずく好奇心を抑えることができなかった。開龍寺で出会ったあの女性たちの正体――いかにも身分ありげで裕福なたたずまいの若き貴婦人が、なぜか密貿易に関わる事件を知っているというあの口ぶり。ひょっとすると何かの罠かもしれないが……。


――まあ、いい。なかなかの美女であったし。上手くすれば口説いて……。


 都を騒がせる色男の血がざわめくのか、身の危険よりも男女の駆け引きに勝手な期待をかけているのである。


――さて、行く手に待ち受けるのは何か。惨事か、慶事か……。

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