1ー4 不安だらけの初仕事

 変わらず晴天の下、春風と潮風の合流する丘の頂に建つシュローズ教会は、孤児院を併設した『聖サクリス教』の中でも大型施設である。同時に、隣接する灯台が街の最も高い位置から海に出る者たちの安全を祈る、名実共にポートアレアの象徴となる建物だった。

 街の建物と同じく、白い漆喰の塗装が施された石レンガ作りだった。正面には奥行きのある街中で見た三階建ての建物ぐらいの高さがある礼拝堂が建ち、海面となる正面向かって左の西側には、礼拝堂の倍ぐらいの高さがある白亜の灯台がそびえ立っている。

 また、孤児院を兼ねた宿舎は、礼拝堂から東側へ垂直に連結しており、上から見ればΓの形をした造りをしている。

 礼拝堂と宿舎の間には、教会の職員と孤児達で作ったような手作り感溢れる木の柵で囲われた菜園が広がり、その奥には数種類の果樹も花をつけている。礼拝堂と灯台が海風を和らげる壁となっており、建物の構造を利用して塩害対策を採っている菜園となっている。

 礼拝堂の入口は両開きの木製の扉となっており、先導していたラディスが数回叩くと程なくして「どなたですか」という女性のような声が聞こえてきた。

「ネストから来た“援軍”です」

 ジョージに言われたとおりにラディスが答えると、再び女性の声で「入ってください」と許可が出た。

 しかし、ラディスは許可を得たにもかかわらず、扉に手を掛けることなく、じっと扉を見つめている。

「……ダイン、左手で左の扉をゆっくり開けて」

 はじめは、何故そのような指示を出してくるのか、分からなかった。

 しかし、彼の表情が徐々に険しくなり、この扉の向こうから声を発した女性が依頼主ではない別の誰か……敵の可能性など、様々な懸念があることを示唆している。

 つまり、この瞬間……いや、ネストの建物を出たときから自分達の仕事は始まっている。場合によっては扉を空けた瞬間から誰かと敵対し、戦闘に発展する可能性も出てくる。

 左手で開けさせるのは、俺の利き手が右であるためであろう。食事など様々な場面から読み取る機会は何度もあった。その意味で合っているかは分からないにしても、指示のまま左手を扉のノブに手を掛け、右手は背負っているブロードソードの柄に指をかけた。カキョウもその意味を読み取ると、腰に刺している刀の柄に手を掛けた。

 指示通りに左側の扉を手前側にゆっくりと開けると、そこは自然光に近い色合いで照らされた物静かな礼拝堂が広がっていた。

 正面奥には、赤や青などの彩度の強い色を使わず、自然光に近い白や黄色、淡い緑などを主軸に、聖サクリス教が主として崇めている奇跡の少年サクリスを描いたステンドグラスと呼ばれる巨大な硝子絵が飾られていた。このステンドグラスのおかげで、礼拝堂は明かりが必要ないほどの光量がもたらされている。手前には祭壇が置かれ、更に手前には五人掛けの長椅子が中央の通路となる空間を隔てて左右に五席並んでいる。

 完全に扉を開け放っても何も起きない状況に、緊張感だけが膨れ上げって行く。

「……うん、大丈夫みたい。入ろっか」

 するとラディスは一人何か確信したようで、横をすり抜けて、礼拝堂の中にあっさりと踏み入った。

 突然の行動に慌て、彼の腕をつかもうと手を伸ばすと、寸のところで触れることが出来なかった。しかし、避けられた手のひらを見ると、皮手袋は色が変化するほど水分を含んでいた。

(魔法を使っていたのか?)

 魚人族(シープル)が使う魔法の中には、空気中の水分や空気の流れを利用して、周囲の様子を探知できる魔法が有る事は知っていた。これは水生生物である魚の特徴を有した種族であるために、水分を利用した魔法が得意であると言われている。つまり、彼も水分を利用した探知魔法を使ったのかもしれない。

 ソレが分かってしまうと、それまで張り詰めた緊張感が、空気を抜かれた風船のように急激にしぼみ、自分の胸の底も何か抜け落ちたように軽くなってしまった。

「おお? ラディスじゃんか。久しぶりだな」

 中に踏み入れた途端、扉の影の向こう、つまり一時的にできた死角から男性の声を発した人影が現れた。

(ッ!?)

 気が抜けた途端に現れた人影に息を呑み、背筋が凍りつく。心臓が突き抜けそうに痛い。

 依頼主が女性であり、扉の向こうから聞こえた声も女性。加えて、ラディスの言葉から敵勢反応が無いという答えのはずが、頭の中で件の女性しかいないと思い込んでしまったために、この男と思われる人物の出現は想定外だった。

 息を整えている間にも、人影は徐々に近づき、その姿がステンドグラスの光によって露になっていく。

 光に照らされた髪は、輝くゴールドブロンドのふわっとしたボブショートヘア。上半身に比べ、明らかに長い下半身から理解できるほどの長身。見識のない自分ですら、美男という言葉が当てはまると思うほどの整った顔立ち。服装は白いシャツに赤の指し色と鈍い銀色に光る肩当が附属した黒のベストに、同じく黒色のスラックスと、動きやすさを重視した柔らかい黒化靴。言葉に表せば礼装風に聞こえるが、ベストの改造にシャツの腕まくりや裾出しなどと、かなり着崩しているため、堅苦しいという印象は無く、美顔と併せて爽やか好青年に見える。

 特に眼を引くのが、髪と同じ毛色をした頭頂部に生える獣耳と、臀部に生えるフサフサとした尻尾だった。特に尻尾はスラックスが黒であるために、金色の毛並が映える。獣耳と尻尾を生やした種族は、犬や猫を祖先とする牙獣族(ガルムス)の最大の特徴である。

「トールも元気そうで何よりだよ」

 ラディスにトールと呼ばれた牙獣族(ガルムス)の男は、ラディスと旧知の仲らしいが、抜き身の状態で右肩に担がれている、柄だけで青年の背丈に達する巨大な半月状の刃を持つ長柄の斧――バルディッシュに警戒を解けずにいる。

「……なぁ、そっちの二人は?」

 それまでラディスと爽やかな会釈をしていたトールは、こちらに視線を寄越すと、観察するようにじっとりと見てきた後、表情をくしゃりと歪めた。向けられた険しい視線に、小さく息を呑んでしまう。

「お察しのとおり、彼らも含めて“援軍”だよ」

「はあああぁぁぁ……、あんにゃろ、帰ったらドついてやる」

 ネスト受付のジョージが言っていた先輩傭兵が彼であるなら、そりゃ見ず知らずの小奇麗な若造に援軍といわれても、微妙どころか不安要素と期待はずれの落胆しかないだろう。じっとりとした視線がやがて恨みを持つ睨みへと変わり、溜息と共に地面へ吐き捨てられた。

 トールは再び顔を上げると、それまでとは打って変わっての、一番最初に見せた爽やかな青年の顔だった。

「見苦しいとこ見せちゃったな。俺はトーラス・ジェイド。トールでいいさ」

 自己紹介をしながら、バルディッシュの刃を専用の皮袋に納めつつ、礼拝堂内に響くような足音をわざとらしく立てながら、こちらに近づいてくる。

 今まではトールとの間にそれなりの距離があったために気づかなかったが、眼前まで近づかれると自分よりも目線が僅かに高いことに気づいた。

「今日は俺のサポートよろしくね、お嬢さん。危なくなったら、お兄さんの後ろに隠れるんだよ」

 そして、自分には目もくれず、俺の斜め後ろに立っていたカキョウの前に膝をつき、恭しく右手を差し出していた。右に抱えていたバルディッシュもいつの間にか、左側に持ち変わっている。いわゆる貴族が目上の者に対する紳士的挨拶の姿。

「は、はぁ……」

 先ほどまで恨みを垂らしていた長身の男に眼前まで迫られ、急に紳士然と優しく振舞われれば、その差に引くのも当然だろう。

「…………あれ? え、何、君のこれ、本物?」

 カキョウはトールの右手は受け取ることなく驚いた表情で固まっていると、トールの興味はカキョウの頭に生えている角へと移った。

「そ、そうだけど……」

「ワーオ! 俺、ホーンドの女の子と知り合うなんて初めてなんだよね! ねぇ、君、名前は!?」

「え、ええっと、カキョウって言い、ます」

「いいねぇ、いかにもって感じだね! その服装に腰の武器も! そっか、君は本物なんだね! いやー、お嬢さんに出会えて、俺は運がいい。俺の事はトールって呼んで。お兄さんでもいい! 何々? 君もネスト入り希望なの? 嬉しいなぁ! もう、お兄さんが手取り足取り教えちゃうからね!」

 それまで紳士然としていた彼は、好奇心を爆発させた犬のように尻尾を振り乱しながら、いつの間にかカキョウの手をがっちりと握り、軟派な態度連打で詰め寄っていた。さすがにカキョウも表情が完全に引きついっている。

 とどのつまり、これが噂に聞く軟派と呼ばれる存在なのかと、自分の辞書に書き加えた。

「どぅどぅトール、それぐらいにしよう」

 二人の間に割って、強制的に引き剥がす事に成功した。ラディスの仕草は、似たような現場に何度も遭遇しているのではと思うほど、実に手慣れたもののように見える。

「おいおい、俺を犬みたいに扱うな」

 昔、ネヴィアが小型の……いや、純人族(ホミノス)の大きさにして中型ぐらいの犬を拾ってきたことがあった。目の前の青年は人懐っこく、常に嬉々とした表情と盛大に振られたしっぽ、相手に対する執着の姿が見た目も相まって、正にあの時の犬を連想させるものだった。

「今の君じゃ、犬同然だよ。せめて時と場所を考えようよ」

 忘れそうになるが、今いる場所は礼拝堂の中だ。入るまで漂っていた厳かな雰囲気は、当の昔に何処かへ去ってしまっている。

「仕方ないじゃないか。最近の仕事はムサい野郎ばっかりだったんだ。これぐらいの栄養補給は許されるべきだと思う」

「ソレはご苦労様。でもやるべきことを先にやろう?」

「はぁ~……分かりましたー。んで、名前は?」

 ラディスに諌められたトールは、あまり乗り気じゃないけどと小言をつぶやきつつも、こちらの名を聞いてきた。

 まぁ、そんなはっきりとした態度を取られてはあまり良い気分ではない。

「ダインです。俺たち二人とも駆け出しにも満たない半端ものですが、ご教授よろしくお願いします」

 が、わざわざこちらから礼儀を欠いて、今後の関係を悪くする必要もない。背負っていたブロードソードを外し、深々と頭を下げた。

「おおぅ……頭を上げろ。なんか調子狂う」

 こちらの態度にトールは思いの外、驚いたようなそぶりを見せた。

 ネストでも言われていたように、最近の新人は粋がっている者たちが多く、自分のような礼儀を通す者は本当に珍しいようだ。

「そうか、お前がダインか。話は聞いている。……てか、何、同時に教育するってことか?」

「アハハ……そうみたい」

「……やっぱりド突く。ぜーったいド突く!!」

 笑みを基本とするラディスと違い、驚き顔に怪訝顔、憤慨とトールという男はなんと表情豊かだろう。

 察するところ、本来ならトールはラディスから自分を引き継いで、傭兵家業及び社会の中での生き方を教育するようになっていた。且つ、この援軍は自分達ではなく、別のベテラン傭兵が来るものと思っていたのだろう。無理矢理な予定繰上げと無理難題に、彼の落胆と怒りは、火を見るよりも明らかだ。

 また、彼らの会話からも、俺が傭兵を含めた突発的に賃金を稼ぐ事が可能な職業を案内し、長期間サポートする者を宛がう事は、全て織り込み済みのかなり手の込んだ国外追放計画だったように思える。

 果たして、自分の存在はそんな施しを受けるような価値があるのだろうか?

 なら、何故今更……と結局、同じ疑問を抱き、分からないし、もう知る事もないと何度も同じ答えに行き当たるのだ。

「トール殿、もうよろしいですか?」

 入口から右手、西側に伸びる廊下の入口から、こちらを窺うように女性と思わしき人影が姿を現した。

 大きな白い襟を持つ紫色のロングワンピース状の修道服と呼ばれる聖サクリス教の制服を纏い、頭はベールと呼ばれる修道服と同色の布で顔以外を覆っている。頭をベールで覆っているためにかなり近づかれることで、ようやく初老に達する前後の女性であることが分かった。声に聞き覚えがあり、恐らく礼拝堂への入室許可を出した声も、この方だろう。

「ああ、すみません。この三人がネストからの援軍になります」

 トールが代わりに紹介をすると、初老の女性はこちらの顔を一通り一瞥し、ゆっくりと頭を下げてきた。

「ワタクシは、ここの修道士長を勤めております修道士(クレリック)のマイカと申します」

 修道士(クレリック)とは、『救世主である聖サクリスが世界を救った時のように、区別も差別もなく、万民に愛と奇跡を差し伸べよ』という、博愛の精神を教えとする聖サクリス教に心身を捧げ、様々な奉仕活動や慈善事業を行う者たちのことである。

 修道士となったものは、組織的な階級はあれど皆、救世主サクリスの恩寵を預かる兄弟・姉妹として互いを男性修道士は兄弟(ブラザー)、女性修道士は姉妹(シスター)と名前の前に付ける。このブラザー・シスターという呼び方は、聖サクリス教の教えに賛同する一般的な信者と修道士を区別する時に用いられる事が多く、世間一般でも敬称として使われている。

「此度は、我らが姉妹……シスター・ルカを救出していただきたく、お願い申し上げた次第です」

 シスター・マイカは頭を深々と下げ、改めて依頼内容であるシスター・ルカの救出を請願してきた。

 頭を上げてもらうと、その表情は不安を滲ませながらも、憔悴という言葉には程遠く、どこか自信と希望を持ち合わせたような凛々しさを感じさせた。

 その表情が自分の眼に焼き付いた。なぜそんな表情ができるのだろうか? 一種の身内がさらわれたことに対する不安や恐怖心はないのだろうか? どうしてそんな表情ができるのだろうか? 悲しいことに、今の自分にはその表情の意味が理解できなかった。

 シスター・マイカはトールに促され、今回の事件の当事者であるシスター・ルカと犯人集団である『バッドスターズ』について、自分たちに語り出した。

 シスター・ルカは孤児院の中では職員を除くと最年長の十五歳であり、純人族(ホミノス)の女子とのこと。

「アタシより一つ下だ……」

 口ずさんだのは、カキョウだった。カキョウが自分よりも二つ年下……といっても、先日誕生日を迎えたばかりなので、彼女の誕生日次第では一つしか違わないか?

 ともかく、少なくともシスター・ルカがカキョウに近い年齢であり、純人族(ホミノス)であるということは、一種の救出材料になるだろう。

 また、既に修道士(クレリック)として教会運営の手伝いと、人々の外傷を『療』系統の魔法で治療を行う癒し手見習いを行っており、近々、一つ上の階位である司祭(プリースト)への昇格試験を兼ねた巡礼の旅に出る予定であった。

「恐らく、彼らは分かっていて、この時期を選んだのだと思います。

 それだけ、彼らは以前のような可愛げのある集団では無くなっています」

 犯人であるバッドスターズとは、街の秩序や大人の意見に対し反感や疑念を抱き、非行という形で自分たちの意思を伝えようとする成長過程の青年たちが自然と寄り集まった集団であると同時に、創設から四十年と言う歴史を持つ“青少年の倫理観育成に関わる必要悪”の一種として認識された街の伝統的な青年団の一種であった。

 主な行動内容は、露店の商品を盗んだり、民家への落書きなど軽犯罪に分類される行為ばかりであった。しかし、補導や軽い懲罰などで教育したり、反対組織である青年自警団等が対処することによって、前述した伝統と必要悪という危うきながらも、均衡が保たれた街の一要素であった。

 また、行き過ぎた行動をとれば、マーセナリーズネストの屈強な傭兵たちが出動する状態だったが、いざ傭兵たちに睨まれたら、しばらくは恐怖におびえる子犬同然のように大人しくなるという、可愛げのある集団でもあった。

 ところが、約一か月程前から、それまでよく吠える子犬と思われていた非行集団が突如、恐喝や暴行、強盗、器物損壊といった庇い立ての出来ない明らかな犯罪を犯すようになっていった。

「上の連中も度が過ぎているって怒ってな、ネストで下っ端一匹捕まえて白状させた結果、どうも『頭が変わった』らしい」

 バッドスターズの新リーダーとなったのは、巨人族(タイタニア)のグローバスという男。種族特有の巨躯と魔物のような酷い人相を持ち合わせ、体格と顔に物を言わせ、サイペリア国内で恐喝や暴行を繰り返していた重犯罪者兼賞金首であった。

 サイペリア国首都の牢獄に放り込まれていたが脱獄し、行方知れずとなっていたが、バッドスターズを乗っ取り、犯罪行為を指示していたことが証言から判明した。

 重犯罪者の隠れ蓑と再出発点にされたとあって、伝統としてバッドスターズを可愛がってきた街の大人たちが『思い出を汚された』と大激怒。

「そして、今回の誘拐事件が起きちまったことで、堪忍袋の緒が切れた上の連中が、修正という名の掃討作戦を行うことを決定したってわけ」

 まず交渉に応じる構えを見せつつ、この交渉の場に街の総力を差し向けるという“噂”を相手に与える。相手が噂を真に受けて、白旗を揚げるなら儲けモノ。

 想定としては、噂を聞いて街の守備が手薄になったと思い込ませ、街を襲うように誘導しつつ、ノコノコとやってきたところを一気に叩くという誘い込み戦法。街側はバッドスターズの反対組織である青年自警団、街の衛兵、海竜騒動で出港停止を食らっている気が立った船乗りたち、日頃店を滅茶苦茶にされ作戦に意気揚々と準備する街の大人たちと、種類と数に富んだ編成の守備隊が待ち構えている。

 また、建前として交渉も行うために、町長とその護衛役としてネスト所属の傭兵で構成された交渉部隊が交渉現場に赴き、交渉を進めつつ可能な限り敵を殲滅するという、街と交渉現場のそれぞれが戦場となる大規模作戦である。

「そう、うまく誘導されてくれるものなのか?」

 相手が噂に飲まれることなく、交渉場所にて総力を結集させている場合がありえる。または、人質を含めて総力を街のほうに向ける場合もある。交渉期日を改める等の逃亡でもされれば、シスターの命の危険性は大幅に上昇してしまうことも予想できる。

「さぁな。元々の粋がったガキの集団だったら、馬鹿の一つ覚えに交渉場所で大人しくしてるだろうけど、今の頭じゃ予測がつかない。だからどんな状況になってもいいように、いくつかの遊撃隊を準備してある」

 特に交渉場所が森の分け入った先であり、周囲は木々で囲まれた閉鎖空間である以上、大人数での行動は大幅に制限されるため、交渉部隊もいくつかに小分けされている状態であるようだ。

「でだ、俺達はその遊撃隊の一つとして動く」

 そういってトールは、一枚の行動指示書を差し出してきた。

 主任務は依頼にもあったとおりシスターの救出。開始時間は十四時五十分。脅迫状に書かれた指定時刻より十分早めに到着し、小屋の周囲や内部を偵察しつつ、救出方法を模索。可能なら救出行動を行い、不可能と判断したら定刻どおりに到着する交渉部隊に合流せよという内容である。

 救出と銘打ってはいるものの、目視範囲内に見張りがいない等のかなり安全な状況にならない限りは危険な行動を避け、交渉部隊及び人質の安全性を高めよと記載されているあたり、本命の任務は偵察行動にあるようだ。

(俺達は建前部隊ってことか)

 トールが口に出さずに、指示書として紙で伝えてきたのも、シスター・マイカ等への配慮と言ったところだろうか。

 たとえ建前のお飾りであっても、救出部隊と謳っている所にド素人の自分達が宛がわれるのは、いくら街ぐるみの付き合いで人手不足だと理解されていても、失礼に当たるだろう。

「うんじゃ、説明は終わり。質問はあるかー?」

 他の細かな事については、現地に行く道すがらに話すらしいので、ここではもっと大まかな事への質問受付と言う事だった。

「では、シスター・マイカ殿に一つお聞きしたいのですが」

「ええ、何でしょう?」

「その……不安ではないのですか?」

 これまでの話を聞いていれば、自分達が如何に素人集団であることかは、十分理解していただけたはずなのに、シスター・マイカは指示書の本当の内容を知らないとはいえ、こちらの作戦会議に口を挟むことなく、毅然と静観していた。

 だからこそ、こんな自分達に任せてしまっていいのかと、問いたくなった。

 シスター・マイカは一瞬驚いたように目を見開くと、それまでの静止した真顔を崩し、何故か朗らかな笑みを零した。

「フフフ、貴方は若い……いえ、少々幼いようですね。お答えしますと、不安はもちろんあります。先の話からも、お二人は実践経験が全く無い、完全な素人であることは伺い知れました。

 ですが、作戦への着眼点や、ちゃんと“恐怖している”という点では安心しているのです」

 ネストでも言われていたが、粋がっているだけの素人に比べれば、幾分かはマシというのは、市民目線からも同じことが言えるということだろうか。

「それに、トール殿とラディス殿には、何度も助けてもらっていますので、実力も分かっております。

 ですので、私は今回、あなた方“ネストの人間”を信頼することにしました」

 つまるところ、トールとラディスの安定感が自分達という不安要素よりも大きいために、不安は無いということか。

 それでも我が子同然に育てたシスターの救出というだけでも、大きな賭けだというのに、不安要素の俺達まで許容してしまうとは。

(なんと、肝の据わっている御方なのだろうか)

「まぁ、正直、私が信じてあげなければ、シスター・ルカを待つあの子らがもっと不安になってしまうというところもあります」

 そういって、シスター・マイカの視線の先には、廊下の入口からこちらの様子を窺う大小種族様々な顔ぶれが、不安げな表情でこちらを見ている。子ども達の服装は、聖サクリス教のシンボルマークである涙型の印章が刺繍された紫色のシャツと、白のハーフパンツで統一されていた。

 先日まで長きに渡った監禁生活の中では、常に自分が一番小さいという環境であり、年の近いカキョウとラディスを抜けば、遥かに自分よりも小さい子どもという存在を初めて目の当たりにし、息を呑んでしまった。

「皆、ルカを姉と慕う子達です。私のためというより、あの子らのために、どうぞよろしくお願いいたします」

 シスター・マイカは視線をこちらに戻すと、改めて深々と頭を下げた。

 不安は誰にでもある。ただ、自分以上に不安を抱えやすい者たちがいるからこそ、年上である彼女が毅然と振舞うしかないだけなのだ。

 入口の陰に隠れる子どもたちを見れば、すすり泣く者、眉間をクシャリとゆがめつつ、服の裾を握る者。より大きな子どもに抱き付く者。ここが孤児院であるということは、子ども達は自分と同じく親から何らかの事情で放された者たちだ。彼らにとって、ここでの年長者は全て、肉親代わりであり、心の拠りどころであることは、自分だからこそ身を持って分かっている。

(グラフ殿……、ネヴィア……、ルシアさん……)

 心のどこかで、最期の一歩が近づけていなかったとはいえ、やはりあの屋敷と住まう人々は、曲がりなりにも“家族”だったのだ。子ども達の痛ましい姿を見て、ようやく気づかされた、遅い心の真実。

「……死力を尽くすと誓います」

 孤児院の子らの視線を見てしまったからこそ、自分もまたより一層の任務と責務に対する恐怖を抱きつつも、シスター・マイカ同様に毅然と振舞うしかなかった。

 一秒でも早く、この子たちの不安を取り除いてやらなければ。

「チビども! このお兄ちゃんががんばってくれるってさ! それに、今夜にはルカちゃんは帰ってくるから、今の内に泣き止んでおけよ!

 ……それじゃ、出発します」

 子ども達には励ましの激と勝利を約束した笑顔を飛ばしつつ、シスター・マイカに一言挨拶すると、トールは力強く玄関口へと踵を返した。。

「ルカおねえちゃんをお願い!」

「悪い奴等やっつけちゃえ!!」

 子どもたちは口々に、シスター・ルカの救出とバッドスターズへの報復を、目頭に涙を溜め込みながら願った。それだけシスター・ルカという存在は、子供たちにとっても大きなものであり、この任務がただの救出任務ではない事を色づける。

(タイタニアの犯罪者……か)

 自分は巨人族(タイタニア)というわけでもなく、ましてや生まれ育った巨人族の国から追放された身であるために、想う部分は無いと思っていた。

 しかし、この胸の奥に生じた小さな痛みは何なのだろうか? 女々しく、あの国を故郷と思い、自分は巨人族(タイタニア)としての出来損ないと思ってる部分がまだあるということか。ヒトというものは、そうそう簡単に割り切れない生き物なのだと、つくづく感じさせられる。

 それでも、振り返ればシスターの帰りを待つ子ども達の泣き顔に、感傷はかき消されていった。

 この小さな子供らを泣かせているのは、他でもない大きな大人なのだ。しかも自分の巨躯を利用して犯罪を行っている。小さき者を守るのが大きな者の役割ではないだろうか? と、感傷を胸にこみ上げる怒りに切り替えながら、自分達は教会を後にした。



 懐中時計に目をやれば、時刻は十四時。教会を出てから街に戻らず、教会の敷地から北東の森へ入った。

 森の中は、中天の陽光が木漏れ日のように差し込むものの、基本的には薄暗く、空気に湿り気があるように感じる。今、歩いている道は、町や教会の人々が薬草や木の実、キノコなどの採取を行うために軽く舗装が施された小道であり、想像していた森の中の道よりは歩きやすく感じた。

 面白い事に、この森は小道を挟んで左右の木々の色や種類が違う。

 左側は西に広がる大海の影響を受け、塩害のように木々の色が薄く変色している。右側はその影響が少ないために、青々しく苔むした木々が立ち並ぶ。

「さーてと、ダインとカキョウちゃん、君たちに確認しておきたいことがある」

 分け入って程なくした時、先導していたトールが神妙な顔つきで振り向いてきた。

「二人は大型の刃物を今持っているが、ヒトを切ったことはるか?」

 その言葉と次第に鋭くなっていく彼の眼光、そしてこの先にある想定される事態に、嫌な汗が背中を伝う。

 先の作戦説明では、自分たちが危険になることは無いだろうと言っていたが、それはあくまでも事態が目算通りに進んだ場合でしかない。

 むしろ、状況だけで言うなら、敵の本拠地に近づく時点で危険が無いなんてありえない。

 ましてや、暴行や強盗など人に危害を与えるようになっている集団である以上、鉢合わせとなれば戦闘状態になる可能性は間違いなく発生するだろう。

 トールの質問はその点を踏まえて、こちらの実戦経験を聞こうとしている。

「真剣を使った模擬戦と昨日、ケンギョというモンスターと戦った程度だ。……だが、意図的に人間を斬ったことはまだ無い」

 模擬戦といっても、相手は力量の知れたネヴィアだけであり、グラフ殿が監督についた安全面の確保された場での試合のようなものだった。また武器を奪う、戦意喪失、次の行動で相手の死が確定する状態となったら、自動的に戦闘が終了したために、実戦的とは言いがたく、昨日のケンギョとの戦いが、初の実戦ということになる。

「アタシは……人間は無いけど、ダインと同じくケンギョと……熊なら」

 耳を疑った。ケンギョ戦での身のこなしなど、実剣の扱いに慣れているとは思ったが、まさかあの“巨大で、獰猛で、腕一振りで命を刈り取られかねない生物”との戦闘経験があると言い出した。

「……は? それは……本当、なのか?」

 世間知らずの自分でも、侯爵家であるアンバース邸に狩猟で生計を立てる領民から毎年一頭の熊が献上されてきていたので、死体として直に見たことがある。

 巨大な黒光りの爪を持ち、全身が毛むくじゃらのずんぐりむっくりとした四速歩行の大型生物背丈は三mから四mまで成長し、平均的な巨人族(タイタニア)の身長をも上回る。一.八八mで矮躯呼ばわりされていた自分にとっては、モンスター同然の巨大な化け物としか思えない生物だ。その巨体を支える腕や脚の太さは、自分の腰周りと同じぐらいと太ましく、一振りで岩をも粉砕してしまう噂話も聞く。

「え? そんなに驚くことなの?」

 そして、カキョウはこのとおり、驚くべきことではないという態度で言い放つ。

 この世界における正しい認識での、平均的な女性の背丈はまだ分からないが、ティタニスの外では彼女のような屈強な女性が闊歩しているということか?

 自分の胸元までの背丈しかないカキョウが、倍以上の大きさの獰猛な生物と殺り合ったという点や先の戦闘からも、剣士として二歩も三歩も先を行っている。

(剣の腕を見たいとか言ったくせに、コレは俺が全面的に守られてしまう側なのか?)

 今までの自分の知る女性というのは、自分よりも遥かに背も体格も良く、力も拮抗した者たちばかりであった。故にカキョウはどちらかというと守るべき存在だと、どこかで勝手に認識していた。

「……ハハッ」

 そんなのは儚い幻想だったようで、心の片隅に芽生え始めていた男としての小さなプライドが、乾いた笑いと共に散った瞬間であった。

「ああー、うん、そうか。……ねぇ、ダイン。ティタニスの熊は……特別大きいんだよ」

 こちらが一人打ちひしがれていると、何処か合点のいったラディスから思いがけない言葉が飛び出た。

「あああ……、俺もやっと通じたわ。いいか、ダイン。ティタニス以外の熊ってのは、多少の地域差があれど大よそ二m前後、大きくても三mだ」

 俺の反応に三人は少々怪訝な表情を浮かべていたものの、ラディスは苦笑し、トールは少々呆れた感じに変わり、カキョウは何のことか理解で出来ずに困惑している。

(まさか……他国の熊は……)

 単純に、他国の女性が化物じみた強さをしているというわけではなく、ヒト同様に熊もまたティタニス限定で巨大化しているということか。

 ラディスとトールはこちらの状況を理解しているようなので、カキョウに自分の知るティタニスの熊について話してみた。

「いやいや! その熊は大きすぎるよ!! そんなの、アタシなんてペシャンコになっちゃう!」

 ペシャンコとはまた可愛らしい表現だと思いつつ、現金なことに安心と同時に崩壊しかけていたプライドがジワジワと修復していく。

「そ、そうか……ティタニスが色々と特殊なんだな」

「そうだね。今から見る風景のほうが、世界としては当たり前だから、どんどん吸収していくといいよ」

 すかさず差し込まれるラディスのフォローに、自分はどれだけ救われていくのだろうか。つくづく、彼の優しさが身に染みる。

「さて、話が逸れてしまったけど……察していると思うが、十中八九戦闘が発生する」

 偵察が本当の任務だとしても、見つかれば戦う事になるし、救出不可能の判断となれば交渉部隊と合流して、やはり戦闘になるだろう。

 それについては、任務内容を聞かされた段階で分かっていた事である。

「言っておくと、俺達ネスト所属の傭兵は救出・護衛で生じた戦闘時は、“正当防衛という名目での殺人を許可されている”」

 サイペリア国の法律では、本来いかなる理由であろうとも殺人は重労働付きの終身刑か死刑である。不慮の事故よるモノであっても、原因が大小関係なく人為的と判断されれば、責任者に連なる者全てに殺人罪が考慮される。刑法書の序文にも「犯罪者はヒトに在らず」と明記される程、世界屈指の厳しさを誇る。

 その上で、ネスト所属の傭兵と軍属、公安機構だけはその職務の性質上、正当防衛と認められる場合、特例として必要となった殺害は、刑法の適用外となる。

(何なんだ、この厳しすぎる刑法と、ネストが持つ権限の大きさは!?)

 どのように法律が作成され、制定していくのかは各国によって大きく異なるために、郷に従うだけである。

 しかし、ネストの保持する権限については、任務が終わってからでも色々確認しておいた方がいいだろう。

「はい、質問」

 考えに耽っていると、右手を天に向かってピンと伸ばすカキョウ。

「何でしょう、カキョウちゃん」

 まるで生徒と先生ごっこのように、かしこまった口調でトールはカキョウの質問に答える姿勢となった。

「アタシとダインって、まだ傭兵ってわけじゃないでーす」

 カキョウの言うとおりで、自分達は採用試験を受けている最中であるために、法の定める厳密な傭兵ではないはずである。

「いい質問だ。君たちはマーセナリーズネストから許可を受けた協力者として、任務中に限定して特例が摘要される。つまり今回の依頼においては、正当防衛による殺人は許可される。特に今回は、相手がタイタニアで、しかも性格も凶暴、残忍、狡猾、倫理観ゼロと性格破綻重犯罪者いうヤツだ。向こうは殺人もお構いなしに暴れ周り兼ねないから、その時には躊躇するな」

 法的に許されるとはいえ、性格破綻の重犯罪者とはいえ、ヒト一人の命を奪って良しと宣言される事に、小さく違和感を感じた。

 トールの言が正しければ、この国においては理由はどうあれ、協力者なり正当防衛なりの名目が成立すれば、殺人は簡単に許可されるということだ。

 それでは実際は罰せられなければならない殺人も、言いくるめや解釈次第で万人がいついかなるときも殺人を行える可能性があるという、とんでもない法律とも読み取れる。

「……うわぁ、そうなんだ」

「もしかして、驚いた?」

「驚いたというか、厳しいのか緩いのか分からない法律だなって」

 カキョウも似たように読み取ったのか、目を皿にしながら、引きつるように片方の口角が震えるように釣りあがっている。

「誤解しているみたいけど、この協力者ってのは事前に法務局に申請しておくか、捕まった際に適用外の組織からの弁護や証明を受けれないと、正当防衛が成立しても法の適用になる。君達の場合は、支部長名義での証明書が発行されるってことだな」

 つまり、確固たる後ろ盾の無い正当防衛は、正当防衛とみなされず、犯罪として扱われる。

 元を正せば、正当防衛の前の段階である犯罪を犯すものがいなくなれば、そもそも正当防衛なんていう状況は生まれない。

 言ってしまえば、法律以上に“誰が犯罪者”であり、“何が犯罪”であるかを、立証できる証人と後ろ盾がない以上は、皆犯罪者も同然となりうる危険がある。

(何のための“正当”防衛だ……)

 とにかく、巻き込まれないことと、後ろ盾の無い行動は避けることが、この国の歩き方なのだろう。

 もっとも、その瞬間が訪れない事を願うばかりだ。



 採取用に舗装された小道から外れ、本当の獣道といった足元の草や低木を踏み抜いた小道を進む。舗装が無くなった道は、湿気を好む植物が群生しており、土が非常に柔らかく泥濘(ぬかるみ)も多い。

「うへぇ……草履と足の間に泥が入った……」

「ははは、僕もだよ。……うん、気持ち悪い」

 カキョウとラディスの履物は、足の一部が素肌むき出し状態のサンダルに近いものであり、二人には悪いが、こういう場面にはめっぽう強いブーツでよかったと心の中でつぶやいた。

 また、大きく出っ張った木の根という天然の罠だらけであり、尚且つ自分の背負っている大剣のせいで何度も木の幹にぶつかり、進むのも一苦労だった。

 ところが、先頭を歩くトールの背には、長物武器であるバルディッシュの代わりに、彼の胴体よりやや長い円柱形の皮袋が下がっている。中身は、バルディッシュを三つに分解したものが入っている。刃付きの柄部分は、そのまま三日月形の斧であるクレッセントアックスとして利用できるようになっている。また、斧なら森の中という狭い場所でも、扱いやすくなる。

 カキョウの刀も長い方ではあるが、普段から肩掛け鞄のように、本体を肩から紐でぶら下げており、これを肩に担ぎなおしているだけなので、邪魔になっていない。

(これが知恵か……羨ましい)

 こんなことを考えている傍で、また幹に剣が当たった。イラッとする。

「止まれ」

 そんな飄々と前を歩いていたトールから掛けられた短い号令に、一斉に足音が無くなった。続いて、トールがその場に屈んだために、自分たちも合わせるように小さく屈む。コートの裾や膝が泥濘の汚れを受け取ったが、それを気にしている余裕は無い。

「あそこが交渉場所の小屋だ」

 トールの向こう側には、遠くのほうに取り分け強い光が差し込む場所が見えている。その光は強く、目を凝らさないとただの白い光の柱にしか見えないほど、この森の中は外との明暗の差が大きいのだと実感する。

 目を凝らせば、中には確かに小屋らしき丸太を組み合わせた建物が、薄っすらと見える。

 目的の場所が見えたということは、ここから任務が本格的に動き出す。ウエストポーチ内の懐中時計を取り出せば、現在時刻は十四時三十分を指している。確かにゆっくりではあったが、もう既に森の中を三十分も歩いていたことに驚いてしまう。

「へぇ、お前も持っているのか」

 こちらの懐中時計に興味を示したトールの手の中にも、鈍い金色をした小ぶりの懐中時計があり、自身の物と見比べているようだった。

「旅立ちの……餞別として貰ったものだ」 

「へぇ、ちょっと見せてくれ」

 どうしても気になるようであり、願われるまま、トールに懐中時計を手渡してみた。

 受け取った懐中時計の蓋に描かれたアンバース家の家紋をゆっくりとなでながら、自身の手の中にある懐中時計の蓋裏をじっくりと眺め、深く思案しているように見える。体感で二十秒程。気が済んだようで、懐中時計を返してきた。

「ありがとな。……大事にしろよ」

 別段何かされたわけでもなく、本当にただ二つの懐中時計を見比べていだだけだったが、トールは再び自身の懐中時計の蓋裏を見つめている。一拍後、大きな溜息を付きつつ、懐中時計の蓋を閉じた。

「よっし、ぼちぼち動きますか。まず、全員持ち物の申告をしてくれ。俺は治癒ポーション三つに、迷彩柄のケープ」

 トールは自身の所持品を言い終わると、ジャケットの裏地を翻して見せた。向かって右の内側には、ほんのりと鮮やかな緑色を含む乳白色の液体が入った細い筒状の硝子の容器が三本。左の内側には内ポケットから少し出ている黒と緑の色が斑に染められた布のような物が見えている。

「なんか、今日のトールは身軽だね」

 ラディスが身軽と表現するように、トールはジャケット裏の収納とバルディッシュの皮袋以外は、何も持っていない。

「まぁ、隠れるにしろ、助けるにしろ荷物は少ないほうがいいし、戦闘になれば本隊と合流するから、あまり必要ないと思ってな」

「なるほどね。ちなみに僕らはネストから直行したから、何も準備してないよ? 僕は一応治癒ポーションが一個あるけど、武器が無いよ」

「分かった。んで、そっちの二人は?」

 ラディスとの打ち合わせが終わり、次はこちらの番とばかりにトールが振り向いてきた。

「戦闘に役立ちそうな物は、このブロードソードのみだ」

 自分もラディス同様に事前準備もなければ、旅立ち用品一式の中に回復薬のような役立ちアイテムは無かったため、着の身着のままの状態だ。

「アタシも、この子だけ」

 突発的に家出してきたカキョウにいたっては、カバンのような収納道具すら持ち合わせていないため、さらに酷い状態である。

「オッケーオッケー。なら、かなり慎重に行きますかね……」

 ただでさえ素人であるのに、用意も無い二人はお荷物同然だろう。

「ラディス、これがあの小屋の見取り図だ。そんで周囲と中の生体反応数を探ってくれ」

 トールがラディスに指示と共に手渡した見取り図は、メモ用紙に簡単に書き殴られた荒々しく簡単な図解となっている。小屋は入口側の居間兼作業場と奥の寝室の二部屋と、小さくまとめられた一人用の造りとなっている。見取り図とこの位置から薄っすらと見える扉の大きさと壁の長さから考えると、居間の部分でも五人入れば、窮屈さを感じる広さではないかと想像する。

 また、小屋の前には木材の加工用に、すでに伐採してある広々とした空間が描かれている。

「分かった、やってみるね」

 ラディスは光の中の小屋と見取り図を見比べながら、小屋に向かって右腕を突き出すと、ゆっくりと瞳を閉じ、小さく何かをつぶやきだした。

「大空の雫、大地の涙、漂いし者の声を届けよ。──ミストアナライズ」

 魔法名が唱えられると、突き出された右手から腕、肩、首、目元までがかなり小さく、また細かく歪んだ。歪みは徐々に透明から白へと変化し、右腕から目元まで霧や雲をまとった姿となった。加えて、周囲の空気が重く、湿気りが強くなった気がする。

(そうか、教会の入り口では、この魔法を使ったのか)

 名前のとおり、霧や湿気等の空気中の水分を利用して、一定の範囲内にいる生体反応を探る水属性の魔法である。砂漠など空気中の水分濃度が低い場所では使用することができないなど、使用できる場所や時期が限定されるために、探知系の魔法としては、少々使い勝手が悪く、魚人族(シープル)以外にはお勧めできないと教本上では評されていた。

「まず……小屋の外、入口のそばに二人。……一人は耳の形から犬のガルムス。もう一人はホミノスかな。中は扉も窓も開いてないから見れない」

 ミストアナライズのもう一つの弱点は、扉や窓の閉まった建物などの閉鎖空間など、水分の繋がりが断たれた場所を外側から透視する事ができないこと。シュローズ教会の入口は扉を開けた後に繋がった空間として、内部を探知することができたために、中にトールがいたことを知る事ができていたのだろう。

「ありがとさん。現在、外に二人が確定。んで、外の一人はガルムスで、犬か……」

 牙獣族(ガルムス)は、他の種族と比べて全体的に五感が優れており、中でも犬系の牙獣族(ガルムス)は、嗅覚と聴覚が抜きん出ているために、近づく者や異変もすぐに察知する事ができる。見張り役として打ってつけであると同時に、こちらとしては厄介極まりない。

 加えて、小屋の規模から考えれば、室内には多くても五人ぐらいは入れるため、多く見積もれば七~八人を一度に相手にする可能性が出てくる。

「さて、カキョウちゃんにダイン。これからどうすればいいと思う?」

 恐らくトールの中では、どのように動いたほうがいいのかは既に決まっているはず。この場合、自分達への意見を求めているというより、問題に対する回答を待つ感じであり、自分たちの状況判断能力を測られているということだろうか。

 確定情報は小屋の外の二人のみ。小屋の中の様子が分からない以上は、どうにかして近づき、シスターの様子を確認しなければならない。

「……まず、小屋の表に出て気を引く囮役と、小屋の裏手に回って中を確認する役の二人に分かれるべきだと思う」

 全員で裏手に回ることも考えたが、一気に全員見つかるよりは、囮役が先に注意を引いている間に、確認役が確実性も増すだろう。

「裏手に回る者は、危険だが相手に見つからないようにする事を考えると一人のほうがいい。森の中に紛れれるような匂いの物を付着させるなどしつつ、小屋の裏手に大きく迂回するように回り込む」

 無駄な足掻きかもしれないが、犬系の牙獣族(ガルムス)の嗅覚を誤魔化しつつ、相手に気取られないための対策はやっておくべきだろう。その上で大きく迂回するように移動することで、相手が察知するまでの距離や範囲を稼ぐ事ができる。可能ならば、小柄なカキョウかラディスのどちらかが良いが、場数の関係や女性を危険な場所に送り込みたくはないために、ラディスのほうが適任だろうか。

 本来なら表の囮役も、相手の出方を伺うという点や油断させるという意味で、一人で前に出るのが好ましいところだが、こちらは半分が素人という点を踏まえると、囮役は残る全員という形になる。

「上出来だ。俺から付け足すなら、囮役はダイン。お前が一人で担当しろ」

 確かに囮役としてなら、複数人よりも一人のほうが良いのは納得のいく話ではあるが、そこでの人選が素人の俺なのかが分からない。

「理由を聞いてもいいか?」

「まず、俺とラディスでは顔が割れている可能性が高いから勘ぐられる。カキョウちゃんは女の子でホーンドだから、油断はさせれるだろうけど、捕まったりした時が怖いから除外。お前なら旅に不慣れな坊ちゃんが森に迷い込んだって体で、ありのままの自分で近づけば、さっさと失せろ言われるか最悪身包み剥がしに来るんじゃないかと思う。どっちにしろ森に逃げ込めば、メンドクサがって追ってはこないはずだ。

 それでも危険な役を任せてしまうが、これも経験だと思ってくれ」

 顔割れについては、はっきり言って盲点だった。それこそ、場数を踏んだトールが気さくに声をかけるような自然な流れで注意を引くのだと想像していた。

(ありのままの自分を利用する、か)

 そして、まさかこの世間知らずという汚点が、役に立つ時が来た事にも驚きだ。確かに土地勘もなければ、物理的に外を出歩いた経験も少ない。しかも装備品は新調したてで、如何にも旅の初心者を表している。

「いや、納得した。出来る限り努める」

「そうか。ありがとな。さて、裏手のほうだが、ラデ」

「アタシが行く!」

 トールの言葉を遮って出てきた言葉は、このパーティ唯一の女性であるカキョウだった。さすがにこの反応には、俺を含めて男三人が一斉に難色を示した。素人を向かわせたくないというよりは、もっと単純に男として女性を一人敵地に送り込むようなことは、したくない気持ちで一致している。

「……どうしてだい?」

 特に現状のリーダー格となるトールは、出会って早々の態度からも、女性に対しては甘めであると同時に、大事にする節があるように見受けれる。そんな彼が明らかに冷ややかかつ、威圧的な態度で問いただせば、カキョウは気圧されるように一瞬怯んだ。

「ま、まず、傭兵の仕事って男とか女とか関係ないんだよね? なら、救助対象が女性ってことで、やっぱ同じ性別のほうが救助されるとき安心だと思うの」

 彼女の言い分は分からなくもないが、何故か納得できない自分がいる。

 性別の部分については、同性と異性のどちらにも利点があり、シスター・ルカの性格、体格等にも左右されるために、考慮材料としては弱い。

「次にこの中だとアタシが一番小さいからコソコソと近づくには、うってつけだじゃないかな?」

 小柄な体格については一応納得は出来るものの、先ほど自分の中でもラディスのほうが様々な面で適任だと思っているために、やはり弱く感じる。

「加えて、アタシ、足と剣には自信があるから、何かあっても戦ったり、逃げたりできる」

 これは俺とラディスなら、定期船でのケンギョ襲来時に彼女の戦いっぷりを見ているために、考慮材料として含めていいと思う。反面、俺自身が彼女を送り込むこと自体に難色気味であるために、彼女の意見には同意も否定もない。

 また、トールはまだ彼女の実力については、まったく知らないために、戦闘及び身体能力に関しては判断材料に含める事ができないと思われる。

(何をそんなに行き……生き急ぐんだ?)

 言葉の積み重ねの中から、今の彼女はまるで必死に自分を選んで欲しく、焦っているように見える。自分が臆病風に吹かれているせいもあるが、素人の俺たちが出しゃばったところで、事態を悪くする可能性のほうが大きい。トールもラディスの名前を言いかけているのだから、そのまま任せたほうが勝算はあるというのに。

「……言いたいことは分かった」

 カキョウの自論を静かに聴いていたトールは、重い腰を上げるように、それでいて軟派とは思えないほど、異性相手に酷く冷めた目つきで反論を始めた。

「じゃぁ聞くけど、自分が紐で雁字搦めに縛られ、全く身動きが取れない状況において、助けに来たのが男と女だったらどっちが嬉しい? 俺が女性だったら性別なんて関係なく、そのまま担ぎ上げたり、紐を引きちぎったり、状況を打破してくれる奴だな。

 てかね、目的は偵察なんだから、救助は二の次なの分かってる?」

 カキョウには悪いが、トールの発言には一字一句同意である。目的のすり替わりも問題だが、助け出される立場の気持ちを考えれば、性別以前の話である事も納得できる。仮にシスター・ルカがカキョウと似た体格なら、俺やトールが行ったほうが救出できる可能性も高くなる。

「次に、いくら君が小さくとも、角はあるわ、髪はかなり明るいわ、白と赤の服じゃ森の中でもかなり目立つ。何も準備せずに行くんなら、男女関係なしに俺は止めるね」

 せめて実りの時期なら、紅葉などに紛れる事もできただろう。しかし、新緑と深緑にあふれるこの森では完全に違和感でしかない。さらには服の白い部分に木漏れ日でも当たろうものなら、光が反射しかねない。

「それに君が捕まったらどうするの? 戦うかい? 小屋の裏手は表と違って、伐採もされていない自然の森そのもの。小屋の中だって家具とかがあって、カキョウちゃんの刀も含めて、俺たちの武器は総じて扱いづらい。せめてナイフみたいな小さな物じゃないとね」

 カキョウの刀は刀身と柄も合わせれば約一mと長く、木々の生い茂る森の中で振り回すには適さない。自分の背負っている巨人族(タイタニア)用ブロードソードも刃渡りだけで一.五mと、外の世界では大剣や長剣に分類される物であり論外。トールのバルディッシュに至っては、柄だけで二mはあるのではという長さである。

 その点、ラディスに至っては武器を持っていないものの、魔法による攻守ともに不足はないと思う。

 次々と出てくる反論にぐうの音も出ないまま、カキョウは小さくうな垂れた。彼女も初めからラディスが適任である事は理解していた上で、自身を推したのは何か理由があったのだろう。悔しさを滲ませながら彼女は握りこぶしを作り、音が聞こえてきそうなほど強く握り締められている。

「…………まぁ、だからと言って、ラディスの髪色もかなり目立つし、長いからコレを使っても隠し切れないんだよな」

 そう言ってトールは、自らのジャケットの裏地に収納されていた黒と緑の斑模様の布を取り出した。広げてみれば、布は森の木々に擬態することができる迷彩用のフード付きケープであった。ケープ部分の長さは〇.五m程あり、ラディスの髪の半分は出てしまうだろう。

「俺も女性の傭兵はたくさん見てきたし、性別で差別はしたくない。でもな、やっぱ男ってのは女性を守りたいと思うし、俺たちから見えないと所で傷付かれるのは、結構辛いんだよ。でも、君は俺が思っている以上に、この任務に何か掛けているみたいだ。

 改めて聞くけど、君に何か危険が及んでも、すぐには駆けつけれない。それでも君はどうしても行きたい?」

 決して攻めることなく、ただ切実に懇々と綴られるトールの言葉は、どれも自分達の心をそのまま言い表したものであった。

「アタシは……今、自分に出来ることをしたい。うん、アタシに行かせて」

 これだけの材料を並べられたにも拘らず、彼女の気持ちが変わることはなかった。顔を上げた彼女の眼には、正義感に溢れる情熱というには少し違う、負い目にも似た暗い熱が込められているように見える。その視線に、生唾が喉を通った。

 ただの偵察かもしれない。されど、彼女には何か大きな意味を持つものなのだろう。

「そっか、分かった。じゃぁ、コレと……コレも渡しておくよ。その刀じゃ不利だろ?」

 彼女の頑なな決意に折れたトールは、手にしていた迷彩柄のケープと、背中から一本の短剣を取り出し、カキョウに手渡した。短剣の長さは、柄まで含めるとトールの前腕と同じぐらいであり、鞘の形から両刃のダガーだと分かる。

「……っ! ありがとう! じ、じゃぁ、この子を預かって」

 カキョウは差し出されたケープと短剣を受け取ると、ケープは一旦小脇に抱え、短剣は鳩尾辺りの腰帯にそのまま挿しこんだ。代わりに、船倉で出会ったとき命の次に大事と言わんばかりに抱き込んでいた愛刀を、トールへ差し出した。彼女なりの決意に対する担保なのだろう。

「早速、コレ被ってみるね」

 トールが差し出された刀を受け取るのを見て、彼女は小脇に挟んでいたケープを頭に被ってみた。ケープは彼女の二の腕まで綺麗に覆ってしまい、低木がある場所なら服の色を完全に隠せるほど、完璧な大きさだった。

 また、小ぶりながらも頭の輪郭からはみ出る彼女の角を頂点に、二つの小さなテントが出来ていた。

「……猫耳みたいだな」

 綺麗な三角形をかたどったテントは、犬よりも短く正三角形寄りの猫耳に近い。まるでシーツの中に隠れる猫のようだ。

「あはは、分かる。かわいいよねー」

 自分でも気づかなかったが、思っていたことが口に出ていたようで、さらにラディスが拾って同意までしてくれた。少々、恥ずかしい。

「か、かわいいって……! ラディスだって被ったら、同じようになるじゃん」

 飛び火は本人にまで伝わり、やや頬を赤らめながら、カキョウも反論を返した。確かに、ラディスの頭にも魚人族(シープル)特有のエラ耳があるために、同じようなテントは出来るはずである。

「男の僕がやっても面白みはないから、遠慮しとくよ。ね? トール」

「おいそれ、俺にケンカ売ってる? そうだよな? なぁ? ラディス君」

 売り言葉に買い言葉。トールはラディスの発言に噛み付くように、目玉を見開きながら顔を近づけている。受け狙いなのかアピールなのか、頭に生える犬耳を行水する鳥の翼のように、高速でバタつかせてみせている。

「さぁ? 何のことやら」

 そして、トールから放たれる顔面の圧力を逃がすように、ラディスは笑いながら明後日の方向を見た。

 この二人のやり取りは、端から見ればシュールとも取れる絵面だが、緊張で底の浅くなった沸点に加え、強張った腹筋や表情筋が刺激され、良し悪しに関係なく笑いがこみ上げてきた。

「ちょ、耳、耳っ」

 特にカキョウへの受けは良かったご様子であり、大声にならないように口元を押さえながら、ヒーヒーと小さく笑った。

 トールはわざとらしく頭をかきながら、大きくため息をつきつつ、ポケットに仕舞っていた懐中時計を取り出すと、小さく「そろそろか」とつぶやいた。自分もつられて懐中時計を見れば、交渉時間まで残り十五分となっていた。

 茶番劇のおかげで緊張が台無しになった半面、無駄に強張っていた背筋もほぐれた。

(やれるかではない……やるんだ)

 光に包まれる奥の小屋を見つめながらゆっくりと深呼吸すると、深緑の匂いに溢れる森の冷ややかな空気が、身体の隅々まで行き渡り、視界や感覚が澄み渡っていく。 

「よし、ラディス。カキョウちゃんに支援」

 短い命令を受け取ったラディスは了解として頷くと、カキョウのほうへ向き直りつつ、右手を掲げた。

「……水の帳、霞の衣、影の歩みを助けよ。――ミストヴェール」

 魔法名が告げられると、一瞬は肌に伝わる空気に重みが加わったと感じたが、すぐに重みが消え去り、代わりに唇に乾燥のような張りが生まれた。

「何これ、ちょっと気持ち悪いんだけど」

 不快そうな声を上げたカキョウを見ると、彼女の姿や輪郭が雨を受けた窓ガラスの視界のように、徐々にどことなく滲みぼやけている。周囲の木々ははっきりと見えているために、自分の視界がおかしくなったわけではないようだ。

「周囲の水分を身体に纏わせて、匂いや雰囲気を馴染ませたり、輪郭をぼやかす魔法だよ。まぁ、相手はガルムスだから、完全に隠しきれるわけじゃないけど、無いよりはマシじゃないかな」

 言い換えれば、彼女の表面だけが大雨の日の湿気状態となっており、一人だけ極端に不快な感覚を帯びているということだ。逆に彼女以外は、水分が移動したために、唇が乾いてしまうほど空気が乾燥した。

「そ、そっかぁ。うう……気持ち悪いけど、がんばる」

 可哀相ではあるが、これも彼女の身を案じた策であるために、我慢してもらうしかない。

 もうまもなく開始ということで、作戦の最終確認へ入る。

 まずは自分が小屋の表に回り、外で見張りをしている二人の注意を引く。相手が攻勢に出ることは容易に想像でき、その場合は森の中へ逃走を図ること。

 次に、自分が表に出ている間に、カキョウが小屋の裏手に回り込み、裏面に設置されている窓から中の様子及びシスターの安否を確認する。カーテンなどで中が見えない場合は、即座に引き返すこと。

 トールとラディスは、自分かカキョウに危険が生じる事態となれば、即座に対応するためにこの場で待機。ラディスは引き続きミストアナライズでカキョウを中心に索敵を行う。トールは牙獣族(ガルムス)の耳と鼻を使って、自分とカキョウの様子を見守る。

 自分とカキョウの作戦失敗による逃走が視野に含まれているとは言え、人質のシスターの命が係っている以上、何よりも作戦の進行速度と正確性が求められる。恐らく、彼らしか知らない情報を持っているのだろう。だからこそ、素人の自分達なんとかなるという算段がついているはずだ。

 結局のところ、自分には道化となって、敵の注意を引くしかできない。逃げろとは言われているが、場合によっては初めての実戦を行う事も視野に入れる。最終的にはカキョウが持ち帰る情報さえあれば、何でも良いのだ。

「よし、帰るまでが作戦だからな。では、行動開始だ」

 トールの号に各々が小さく頷き、「行ってくるね」と一言残して、カキョウは腰を落としたまま、小屋の裏手を目指して、森の道無き方向へと入っていった。

 自分も彼女の背中を見送ると、光差す小屋に向かって歩き出した。

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