6-3 よぎる不安

食事を終えた慎一と真智子は芸大へと向かった。電車に乗って上野駅から芸大へと向かう道を歩きながら、真智子は受験の頃のことを思い出していた。あの頃のことを思い返すと別々の大学に通うことになったり、慎一が留学して離れ離れになっても再会し、今こうしてふたりで歩いていることがどこか不思議な気がする―。


―慎一が言ってるように今まで慌ただしかったけど、ほんとうにお互い、いろいろなことがあったな……、そして、慎一は留学先で倒れるほど頑張ったんだわ……。留学先での慎一の努力はある意味想像を絶することで、留学先で倒れても実績は残せたなんて慎一に才能があるからだわ……そして、私は慎一の才能を伸ばせるようにこれから支えていかなければいけないんだ―


真智子が内心、そんなことを考えているうちに芸大の門の前に着いていた。慎一が門の中に入ろうとしたところで、真智子はふとそこにふたりを遮る大きな透明の壁を感じ、慌てて言った。

「慎一、ごめん。明日の準備もあるから、今日はこれで帰る」

「えっ、そうなの?残念だな。でも、このところ、真智子を引っ張り回してばかりだったからね」

「うん。このところ、ピアノの練習不足だったし、明日からのアンサンブルの練習に備えて、家で練習しないと。本当は慎一のこと待っていたいけど、自分の課題をおろそかにして、慎一の足、引っ張るような存在になりたくないし、一緒に暮らすようになったら、毎日、会えるからね」

「わかった。じゃあ、今日はここで。ピアノの練習の成果、一緒に暮らすようになったら、そのうち聞かせてよ」

「慎一も留学を終えて、報告することもあると思うし、これからのこともよく相談して来てね」

「そうだね。そうするよ」

「あ、病気のこともあるから、無理は禁物だよ。命あっての物種だし、健康は大事だからね」

「とにかく、真智子にまた会える日を楽しみにしてるし、連絡もするから、真智子も頑張って」

慎一は真智子のことをじっと見つめた。真智子は慎一の視線を振り切るように言った。

「じゃあ、またね」

「今日は、病院に付き添ってくれてありがとう。明日からの真智子の健闘を願っているよ。じゃあ、今日はこれで」

 

 真智子に手を振ると、慎一は門を通り、芸大の構内に入っていった。ときどき振り返りながら歩く慎一の後ろ姿を手を振りながらしばらく見守った後、真智子は駅の方へとひとりで歩き始めた。ひとりで歩きながら、真智子は明日からお互いが音大のスケジュールに追われ、またなかなか会えない日々が続くような不安な気持ちに囚われ、一瞬、怖くなった。


―さっきまで一緒にいたのにひとりになった途端、こんな気持ちになるなんて情けないな。でも、慎一から連絡が来て、これからの予定が早くはっきりするといいな―


 真智子はそんな風に思いつつ、明日からのアンサンブルの練習に気持ちを向けることで気持ちを切り換えようと懸命になりながら、帰途についた。


 一方の慎一は芸大の構内を歩きながら、久しぶりに学内に戻ってこれたことが嬉しく、しかも、昨日はついに真智子の家族を前に挨拶することができて、二重の喜びの中にいた。


 そして、真智子は春休みに入って早々慎一から連絡があってからのことを振り返っていた。慎一に会いに奈良まで行ったり、慎一から突然のプロポーズを受けたり、そして、慎一と慎一の父が挨拶に来たり、慎一と一緒に同居することになったりと、慎一とのことで立て続けにいろいろなことが進展し、そのことで頭が一杯で春休みからの練習には今までほとんど参加できなかったが、四月から新学期を順調にスタートさせるためにもそろそろ本格的に練習に参加しないと演奏会の予定が立たなくなって一緒にアンサンブルを組んでいるメンバーにも迷惑をかけてしまう。帰りの電車の中でそんなことを考えながら、真智子は胸の中の焦りの気持ちに一瞬、戸惑った。そして、今まで練習に参加できなかった分を早く取り戻せるよう、家に帰ったら早速ピアノの練習に励もうと気持ちを新たにしていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る