第12話 〝なまくら〟

 個性的な品揃えをした店セレクトショップ[タリスアムレ]での買い物は、まだ終わらない。


「だいぶ得をさせてもらったようだから、お礼にたくさんお金を使って帰ろう」


 アレンはにこやかにそう言って、リエルとレト、そして、その場にいた店長を始め、職人や店員達を唖然とさせた。


 そんな訳で、工房などがある地下1階を後にしたアレン達は、そこから別行動する事に。


「今日はもう、とことん付き合ってあげるわよ!」


 そう言ってついてきた、ボンデージ風の〔戦乙女の鎧ヴァルキリーアーマー〕を装備している猫耳尻尾の女性店員さんと共に、リエルとレトは、下着や平服など衣類全般と日用品を扱っている店の2階へ。リルを肩にせたアレンは様々な装身具アクセサリーを扱っている1階へ。


 もし二人にまた一緒に来てほしいとわれたら、自分で使うものなんだから俺の意見より自分の意見を大切に、とか、見た目よりも肌触りや着心地で選んだほうが良いと思うよ、といったアドバイスをするつもりだったのだが、流石さすがに恥じらいを知る乙女達。自分達の下着を選べとは――頬を赤らめて言い出しそうな気配はあったが――言わなかった。


「一言で装身具アクセサリーと言っても、いろいろあるんだな……」


 とりあえず、ぐるっと店内を一回り。それで、どこに何があるかをざっと把握する。


 ちなみに、今もリルはアレンの肩の上にいるのだが、その姿は誰にも見えない。それは、精霊獣の能力で透明化しているから。やはり人々が自分に向ける視線が不快らしい。


 そして、入口付近に戻ってきて、これから気になった商品を見に行こうとしたその時、[タリスアムレ]の店内に小柄な人物が転がり込んできた。


「た、助けて……~ッ! 助けて下さい……~ッ!」


 どうやらここまで全力疾走してきたらしい。汗みずくで息も絶え絶え、躰を起こす事もできず倒れ込んだままうわ言のように助けを求め続けている。


 そこへ、店員というより警備員のような風体の男性数名が集まってきた。


(あれ?)


 事情を問われて介抱かいほうされつつ答えているその人物は、左手に紋章があり、髪は短く服装もゆったりとしていて見た目からは男か女か分からない。


 アレンは、その冒険者に見覚えがあるような気がして記憶を探り…………思い出した。ダンジョンの入口から地下に広がる空間へ飛び降りる際、凄まじい悲鳴を響き渡らせていたあの人だ。


 思い出してすっきりしたアレンは、自分には関係のない事だと背を向け、気になった商品を見に行こうとした――が、


「え? う、嘘でしょ? ちょっ、ちょっと待ってッ!! 助けてッ!! ボ、ボク殺されちゃ――」


 即座にきびすを返す。


 それは、聞こえてきた悲痛な声にふと振り向いて、転がり込んできた人物の腕を左右から掴んだ店の男性二人が、皆まで聞かず、その人を店の外へ引きずり出して放り投げ、そのまま店内に戻って扉を閉めたのを肩越しに見てしまったからだ。


「助けを求めて逃げ込んできた者を締め出す、――ここはそういう店なんですか?」


 開けてと懇願こんがんする声と必死に扉を叩く音が響く中、閉じるなり扉に鍵をかけた男にそう声をかけるアレン。


 すると、一人は、人聞きの悪い事を言わないでくれッ! と声を荒げ、もう一人は、冷静にそんな彼をなだめてからアレンに向かって、


「あいつを追っているのは《群竜騎士団》の連中で、あいつは《群竜騎士団》の傘下。そして、[タリスアムレこのみせ]は、生産系クラン《プライヤ&ニッパー》が経営する店の一つで、《プライヤ&ニッパー》は、攻略系クラン《ペルブランド・ファミリー》の傘下なんだ」


 《群竜騎士団》と《ペルブランド・ファミリー》の名はどちらも知っている。共にこのラビュリントスでトップ争いをしている大規模クランだ。


 それだけ言えば分かるだろう、と言わんばかりその様子から、事情にうといアレンが察する事ができたのは、彼らがしたくてそうしている訳ではないという事ぐらい。


 気を使って、本心を押し殺して……。アレンは思ってしまった。こうはなりたくないものだな、と。


「行ったみたいですね」


 アレンがそう言うと、それでようやく懇願する声と扉を叩く音が聞こえなくなっている事に気付いたらしい。


 彼ら二人だけではなく、この場に集まった店員達が浮かべた表情には、安堵や喜びなどかけらもない。


「お帰りのお客さんが待っていますよ」


 アレンがそう言うと、一人が、あぁ、と生返事をしつつ扉の鍵を開け、他に集まってきていた店員達は、お帰りのお客さん以外にも、何事かと集まってきていた人々に向かって、お騒がせして申し訳ありません、などと対応を始める。


 そして、アレンは扉が開き切るのを待たず、できた隙間をすり抜けるようにして表へ出て、


「おいッ! お前、まさか助けに行くつもりなのかッ!?」


 そう後ろから掛けられた声に足を止め――ふと思い出したのは、先生達の言葉。


 老師は言った。――〝危うきに近寄らずが君子の道だ〟と。


 そして、それを聞いていた師匠は言った。――〝構うな、己の道をけ〟と。


 好き好んで危険に飛び込もうとは思わない。自ら厄介事に首を突っ込もうとも思わない。それでも――


「見ちまった以上、見なかった事にはできないんで」


 助けたいと思える自分と、そう思える自分に育ててくれた先生達への感謝と誇りを胸に、アレンは剛毅な笑みを浮かべてそう答えた。




 この世には『魔眼』というものが存在し、魔法の触媒しょくばい、杖のような発動体としての機能をも備えるその特殊な目は、本来見えないものを見せる『浄眼』と、見た物や他人に影響を与える『邪眼』の二つに大別される。


 アレンの目は『浄眼』。


 本来の能力は、常に上下を含む全方位が見えていて、常人が目を凝らす感覚で透視や遠視を可能とする『千里眼』だが、時空魔術師としての素養と修行の成果が合わさった事で、過去視と未来視まで可能となった。


 とはいえ、確定した未来を見る【先見】も修得しているが、アレンはそれを使った事はないし、これからも使う事はないだろう。


 必要だと判断した時に使うのは、武術で言う所の〝先の先〟――先読みの延長ともいえる【予見】で、その浄眼は術式を組んだだけでアレンに起こり得る無数の未来を見せる。


 そうして、人目のない路地へ移動したアレンは、あの助けを求めていた冒険者の行動を【予見】すると、【空間転位】で先回り。別の誰もいない路地に一瞬で移動したアレンは、今まで姿を隠していたリルを肩から降ろし、愛刀を幅広のベルトに通して左腰にくと、何食わぬ顔で表の通りへ出て――


「――うぉっ、と」


 ちょうどこそへ吹っ飛ばされてきたあの冒険者の小柄な躰を抱きとめた。


「こりゃひでぇな。お前さん、大丈夫かい?」


 [タリスアムレ]に転がり込んできた時点で疲労困憊ひろうこんぱいだったこの人は、締め出された後、残りの力を振り絞って必死に逃げ、しかし追いつかれ、殴り倒され、そこを更に【能力アビリティ】で強化されているというのに手加減を知らない冒険者バカが爪先で腹部を抉るように蹴飛ばしたのだから、大丈夫なはずがない。


 だが、その場にいなかった自分が知っていてはおかしいので、アレンは見れば分かる酷い有り様に顔をしかめ、地面に下ろして座らせ上体を支えながらそう尋ねる。


 すると、応えようとしたのかもしれないが、ゴホゴホと咳き込み、ゴボッ、と血の塊を吐き出した。躰を横に傾けさせ、気管が血で詰まらないようしっかり吐き切らせる。まだ破裂してはいないようだが、内臓が酷く傷ついているようだ。


 この男装して少年のふりをしている少女が、何者で、何故こんな目に合わなければならないのか知らないし、興味もない。だが――


「た……たす…けて……」


 助けを求めて伸ばされた手を振り払う理由もない。


 アレンは、涙をこぼし、口の周りを血で汚した傷だらけの男装少女に向かって頷き――自分の顔面を蹴り上げんと繰り出された男の足を、パンッ、と軌道を変えつつ加速させるように打ち払った。


「なッ!?  ――ぐぉっ!?」


 無造作に歩み寄って怪我人を介抱している人間の顔を蹴ろうとするという非道な行いをした挙句、サッカーボールを蹴りそこなったようにバランスを崩して尻餅をついたのは、兜以外の甲冑とサーコートを身に付けた、まるで騎士のようなで立ちの男。


「――無様な」


 他に四人、彼と同じく赤を基調とした甲冑とサーコートを装備して帯剣している者達がおり、尻餅男に冷ややかな目を向けて吐き捨てるように言ったのは、その先頭、他よりややサーコートの装飾が上等な、身長180センチを超える偉丈夫いじょうふ


「も、申し訳ありませんッ!」


 羞恥で赤くなりかけていた顔からいっきに血の気が引き、尻餅男は慌てて立ち上がるなり偉丈夫に向かって姿勢を正す。


 そんな仲間を一瞥いちべつした偉丈夫は、視線をアレンへと転じ、


「その者は、我らがクラン――《群竜騎士団》の翼下。我らがクランの問題に立ち入らないでもらおう」

「俺は、この怪我人を病院に運ぼうとしているだけで、お宅の問題とやらに立ち入るつもりなんてこれっぽっちもありませんよ」

「ならばその者の身柄を引き渡せ。手当てはこちらでする」

「お断りします」


 本当に手当てするかもしれない。だが、その後は? 同じ事が繰り返されるか、それとも、二度とこのような事がないよう徹底的に躰に教え込まれるか……とちらにせよ、この男装少女を助けた事にはならない。


 アレンは、偉丈夫の目を見て話しながら、ウエストポーチ型の魔法鞄から試験官のような強化ガラス製の容器――〔下級魔法薬ロー・ポーション〕を取り出し、栓を開け、その口を男装少女の唇に当てて傾け口内へ注ぎ込んだ。


「貴様……ッ! 我らが《群竜騎士団》と知ってなお逆らうかッ!?」

「お宅が何者かは関係ない。俺は助けを求められ、承知しうなずいた。引き受けたからには達成しないと。これでも冒険者の端くれなんでね」


 保とうとしていたようだが威厳の鍍金メッキはあっさりがれ、沸点の低さを露呈ろていさせる偉丈夫。


 後ろの四人も、怒りで顔を赤くし、こめかみの血管を浮き上がらせ、今にも怒鳴り散らしながら襲い掛かってきそうな剣幕だが、歯ぎしりして堪えている。


 騎士団と言うだけあって、部下の教育は行き届いているようだ。


「冒険者……か。――ならば、先達に対する態度が成っていない小僧に指導してやれ」

『――はっ!』


 偉丈夫の命令を受けて前へ進み出る四人。一応、街中で剣を抜くのはマズイ、という程度の分別はつくらしく、剣の柄に手をかける事なくズカズカと大股でアレンに歩み寄り――


「――ちょっと待ったッ!」


 尻餅男を先頭に近付いてくる四人に対し、掌を突き出して制止するアレン。


「〔下級魔法薬ロー・ポーション〕を飲ませて一応は容態が安定したとはいえ、こんな所に寝かせておいて、踏ん付けたり、蹴っ飛ばしたりしたら死んじまうからな」


 そう言いつつ、アレンは片腕で男装少女の背を支えながらもう一方で両膝裏をすくうように抱き上げ、立って路肩へ向かう。


 構わず背後から襲い掛かって来るかと思ったが、それはなかった。




 この都市の人々やじうまは、こういっため事には慣れているのだろう。安全な距離というものを心得ているらしく、規制線が張られている訳でもないのに道の前後に分かれていて左右の路肩には誰もいない。


「少しだけ待っててくれ。すぐ済む」


 今すぐここから病院へ【空間転位】すれば彼らは追ってこられないだろう。しかし、友好的ではない相手にはできる限り手の内は晒したくない。知られてしまうのは仕方ないが、わざわざ教えてやるつもりはない。


 故に、アレンは、男装少女を壁に寄り掛からせるようにして座らせると、そう声をかけてから立ち上がり、振り返って――


「――ふッ! ――うがッ!?」


 目の前に迫っていた尻餅男の私怨しえんが込められた右拳を、左斜め前へ踏み込んでかわしつつ右腕を横へ肩の高さに振り上げる――その結果、ドンッ、と内腕打ちラリアットのようにアレンの右腕が、パンチを空振った尻餅男の胸に当たり、まるで鉄棒の逆上がりに失敗したかのように、両脚を前へ振り上げた尻餅男が背中から地面に落下した。


 二人目は【拳闘士ボクサー】のように両拳を構え、左ジャブリードパンチを繰り出し、それを右掌で、パンッ、と外側から内側へ打ち払ったアレンは、引き戻される相手の左拳を追うように素早く右斜め前へ。入身しふみこみながら両手で相手の左手首を掴みとり、そのまま振り上げ、振り下ろし――まるで剣を振り上げて振り下ろすような動作で相手を後ろへ投げ倒す。


 三人目は喧嘩けんか慣れしているらしく、確実に右拳を当てるため、素早く伸ばした左手でアレンの胸座むなぐらつかんでつかまえた――次の瞬間、アレンは自分の胸座を掴む左手そのてを両手で掴むと親指側へひねってほどき、そのまま更にじりながら相手の左肩の上に向かって押し込みつつ右斜め前へ踏み込む。すると、左腕を屈曲され固められた三人目はそのままなすすべなく後ろへ、起き上がろうとしていた二人目の上に倒れ込んだ。


 四人目は、アレンが振り返るのを待ってその顔に右フックを叩き込む――と見せかけて左ボディブローを繰り出した。それに対してアレンは、肘を支点に内側へ旋回させた右掌で四人目の左拳を下へ叩き落しつつ小指から掛けて掴み取り、左手も使って相手の左拳の親指のほうへひねりながら押し込み、背後へじり上げる。そして、四人目はめられた左の肘と肩の痛みから逃れようと動いた結果、自分から前へ飛ぶように空中で一回転し、起き上がろうともがいていた二人目と三人目の上に背中から突っ込んだ。


「全員【能力アビリティ】で強化されているというのに、こうも容易く……~ッ!?」


 どれも一瞬の早業。それを後方から目の当たりにし、うめくように言う偉丈夫。


 無限流・十種秘法トクサノヒホウ――〝道返玉チガエシノタマ


 〝生玉イクタマ〟と〝足玉タルタマ〟が自身の重心を操作する法であるのに対して、この〝道返玉〟は他者の重心を把握し制御する法。


 他者の重心を把握する事ができれば次の行動を予測する事ができ、制御する事ができれば地面に転がされて愕然としている彼らのように、重心を失わせて――バランスを崩して投げる事ができ、きわまれば、あえて崩さずとも、二本の脚で立っているだけで生じるバランスの崩れを利用して投げるすら可能になる。


「帯剣し、殺傷ではなく制圧を目的とした投げ技……貴様、まさか【破戒僧ブレイキングモンク】かッ!?」

「へぇ~、そんな職種もあるんだな」


 そんな事を呟きつつ振り返ったアレンは、最後の一人に向かって一歩踏み出し――偉丈夫は躊躇ためらう事なく腰の剣を抜き放った。


 その切先を向けられたアレンは足を止め、野次馬やじうま達の間で動揺が広がって行く。


「調子に乗り過ぎたな、小僧」

「おいおい、街中で刃傷沙汰にんじょうざた御法度ごはっとだって、まさか知らない訳じゃないよな?」

「犯罪者や規則に違反した冒険者を逮捕する場合は別だ」

「それで何故、俺に剣を?」

「《群竜騎士団》の名の下に、貴様を暴行の現行犯で逮捕する。無駄な抵抗はやめ、武器を捨ててその場でひざまずけ。抵抗するならこの場で斬り捨てる」

「あちらさんをさんざん追い回した挙句半殺しにしたのも、助けようとした俺に仕掛けてきたのもお宅らだろ?」

「問答無用ッ! 指示に従えッ! さもなくば即刻斬り捨てるッ!」


 そんな言い合いをしている内に、転がっていた四人も立ち上がって剣を抜き、甲冑を装備した五人のいい大人が、平服姿の少年一人を包囲した。


「まったく……、本当にやりたい放題なんだな」


 呆れ果てたように言いつつ、腰の後ろに移した愛刀を左手でベルトから引き抜くアレン。


 それを見て、優越感がにじむ笑みを浮かべた《群竜騎士団》の団員達だったが……


「――抜かば斬れ、斬らずば抜くなの刀、抜かば斬らずにおさむ事無し」


 そううたいながらベルトに通して左腰にき、アレンが居合いの構えをとったのを見て一転、緊張に顔を強張らせた。


「我が流派の教えでな、要するに、――抜いたからには必ず斬る」


 だから、と続けながら、さやを保持した左手の親指でつばを押し上げ、


「半端な覚悟で俺の間合いに踏み込むな」


 カチッ、と鯉口こいくちを切ってわずかに白刃をのぞかせつつ右手をつかに置き、


「来る者は斬る。去る者は追わぬ。――さぁ、どうする?」


 それに対して、《群竜騎士団》の団員五人は、


『…………~っ』


 誰一人動かない。


 攻めて来ず、去りもしない。それは何故か?


 一連の手並みを見て、実際に投げられて、更にその堂に入った構えからして、只者ただものではない事は明らか。戦いを挑めば勝てないかもしれない。命は惜しい。正直逃げたい。だが、武装した男五人が、防具をまとわず剣一本たずさえただけの若造に恐れをなして逃げだすなど《群竜騎士団》の沽券こけんに関わる。逃げて生き延びた後に待っている面汚しに対する制裁が恐ろしくて逃げられない――そんなところだろう。


 包囲している側でありながら追い詰められた者のようなその顔を見れば、深く気を読むまでもない。


 ……ジリッ……ジリッ……


 機をうかがいながら動かないアレンに対して、偉丈夫達は隙を探してにじるようにその周囲を移動し、牽制のつもりなのかそれぞれが幾度も構えを変え……5秒が過ぎ……10秒経って……


「――来ないなら」

「――――~ッ!?」


 敗走の屈辱と制裁の恐怖が勝り、喊声かんせいを上げ玉砕覚悟で斬りかかろうとした――その直前、アレンがそう言いつつ唐突に構えを解き、右手を鍔元から滑らせて柄頭を押し込み、キンッ、と音を立てて鞘に納めたのを見て、五人は出かかっていた喊声を飲み込んだ。


「これにて失礼させて頂く。怪我人を一刻も早く病院に連れて行かなきゃならないんでね」


 身をひるがえし、男装少女の許へ向かうアレン。


 その姿を目で追いつつ構えをき、戦闘を回避できたと安堵を隠せない団員四人。その一方で、偉丈夫はこの結果に満足せず、


「貴様ッ! 逃げるつもりかッ!?」


 そんな言葉を投げかけた。


 自らの、所属するクランの、体面を保つため、自分達が戦いを避けたのではなく、無礼な小僧が逃げ出したのだと野次馬達に印象付けるために。


 果たして、この辺が落し所として適当だろうと考えたアレンに誘導されたのだと気付いているのかいないのか、団員達四人は、アレンが包囲を抜けて行く際にも制止しとめようとはせず、意識を失っている男装少女のかたわらにしゃがみ、抱き上げるなり駆け出したのを見た途端、それに乗っかった。


「おい小僧ッ! 先程までの威勢はどうしたッ!?」

「ハッタリに決まっているだろう。見なかったのか? 奴の剣を」

「今時、魔導機巧カートリッジシステムを搭載していない骨董品だったな!」

「あのなまくら、抜かなかったのではなく、錆付いていて抜けなかったのでは?」


 口々に声を大にして嘲弄ちょうろうし、声を上げて笑う。


 偉丈夫は、剣を鞘に納め、


「あのような口先だけの臆病者を斬れば、我らの剣がけがれる。――行くぞ」

『――はっ!』


 野次馬達に声をかけて道を開けてもらい、男装少女を抱えて駆けて行くアレン。その背が見えなくなるまで鋭い眼差しを向けていた偉丈夫は、きびすを返して逆方向へ進み、上官にならって剣を納めた四人の部下が先行して道を塞いでいる野次馬達を追い散らした。




 聖法専用魔砲機〔回復銃リキュペレーター〕を使えば、文字通り1発で回復させる事ができるだろう。


 しかし、男装少女が求めているのは、その場限りの治療ではなく保護。


 そこで、人気ひとけのない路地でリルと合流したアレンは、ダンジョンに程近い適当な裏路地へ【空間転位】し、そこからは走って[セルリアナ記念病院]へ。


 ラビュリントスで最も大きく設備が整った『セルリアナ記念病院』を経営するのは、数多あまたあるクランの中の最大派閥――人材の育成に主眼を置く学園系クラン《アカデミア》。賢者の石とエメラルドタブレットにらない学習と技術習得の場を提供すると共に、希望者が多過ぎて本拠地に納まらなかったため別の敷地に冒険学部校舎――通称『冒険者養成学校』を新築し、多くの人材を輩出している。


 《アカデミア》は中立を公言しており、[セルリアナ記念病院]は治療を必要とする者を分けへだてなく受け入れてきたため恩義を感じている冒険者達は多く、冒険者養成学校の卒業生達と言う戦力も有しているため、《群竜騎士団》でもおいそれと手は出せない。


 このダンジョン最寄りの大病院には、主に一般市民が利用する出入口とは別に、ダンジョンで負傷した冒険者が駆け込む、または運び込まれる緊急外来用の入口がある。


 アレンが駆け込んだのは、その緊急外来。


 院内に足を踏み入れてすぐ目に入るのは、人、人、人……。通路を足早に行き交っているのは医師や施術師、看護師など病院の関係者達。自分が治療を受ける順番を待っているのか、治療を受けている仲間を待っているのか、並べられている椅子に座ってじっとして動かないのは冒険者達。中には通路で簡単な手当てを受けている者もいる。


 この光景を目の当たりにして、一瞬で致命傷を癒す奇跡のような魔法があるのにどうして? と思う人も少なくないだろう。


 だが、そんな奇跡のような回復魔法が使えるのは、適性属性が【水】や【生命】といったごく一部の術者だけで、しかも、人が保有する霊力には限りがあり、そのレベルの術となると大量の霊力が必要になるため日にそう何度も使えない。そして、世界最大のダンジョンを有するこのラビュリントスでは、昼夜を問わず大勢の怪我人が病院に訪れる。


 それ故に、病院の施術師は、魔法でしか救えない患者が運び込まれてきた時に備えて安易に回復魔法を使わないし、だからこそ、専門的な医療の知識と技術を有し魔法にらない治療が行なえる医師が必要とされているのだ。


 ――それはさておき。


「どうしました?」


 視野の広いアレンの浄眼が、そんな院内で知人を認識し、思わず足がそちらへ向きかけたちょうどその時、男装少女をかかえているアレンに気付いて若い犬耳尻尾の女性医師が声をかけてきた。


 これはまさに『渡りに船』。アレンは、まず本来の目的を果たす事にして、女性医師に経緯いきさつを話し、特に腹部に強い衝撃を受けている事、吐血した事、一応〔下級魔法薬〕は飲ませた事などを伝える。


 すると、女性医師の指示で、すぐ一人の看護師が担送車ストレッチャーを押してきて、アレンがその上に男装少女を寝かせると、急いで診察、必要なら治療するため、どこかへ運んで行った。


 彼女のほうはこれで良い。


 アレンは、男装少女を見送った後、期せず見付けた知人のもとへ。


「ラシャン……」


 あの結婚発表で中断されたギルド酒場での壮行会以来の再会となる女性冒険者は、通路の端で壁を背にして床に直接腰を下ろし、両膝を抱え、両膝頭に額を乗せるようにして眠っていた。


 ローブは綺麗なのに、髪は薄汚れていて人の血らしきものも付いているのは、おそらくこの場に来てから羽織ったからだろう。ダンジョンから直接来たのだとすれば、彼女の正面に位置する扉の向こう――救急処置室で治療を受けているのは、彼女の仲間なのかもしれない。


 疲れ果てているようなので起こすような事はせず、そばからそっと離れ、そのまま[セルリアナ記念病院]を後にするアレン。


 その後、リルと共に[タリスアムレ]に戻り、しばらく店から離れていた事に気付かれる事もなく、買い物を続けていたリエルとレト――その時にはもう、リエルは装備とコーディネートした両手が隠れる長さのポンチョ風ケープを、レトは丈長ロングのワンピースのようにも見えるポンチョを身に付けていた――と合流した。


 その日の買い物はそれで終わりではなく、[タリスアムレ]を後にした一行は、しばらく修行とダンジョン探索に専念できるよう食料品店を回って食材を大量に買い込み、最後にリエルとレトの魔導機巧カートリッジ・システムを搭載した篭手か甲拳を購入するため修理屋[バーンハード]へ。


 なんだかんだで今日一日を買い物に費やし、帰宅した時にはもうすっかり日が暮れていた。




 ――後日。


 いつの間にかアレンの二つ名が広まっていた。


 その名も、〝骨董品のなまくらを後生大事に持ち歩く役に立たない臆病者〟

 ――略して〝なまくらレイジー〟のアレン。


 あの時は名乗らなかったはずだが、クランの力を使って身元を調べ上げ、その悪意しか感じられない二つ名を広めたのが何者であるかはして知るべし。


 そして、瞬く間に広まったものが、もう一つ。


 五本の指に入る攻略系クラン《暗闇に差す光輝》が遠征に失敗して壊滅した、というしらせがラビュリントスを震撼させた。

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