第13話 駆け抜けた先で

 ただ、走って、走って、走って。


「はあ、はあ、……」


 心臓がバクバクして、息が苦しくて。それでも振り返ることも、もう戻ることもできない。段々と冷えていた空気が蒸すような夏独特の暑さを取り戻していくのに、氷壁から離れていっているのを感じて。

 その度に、残してきたアイツの顔が脳裏をよぎる。

 でも、だからこそ立ち止まれない。進み続けるしかない。

 一目散に、一直線に。御影タワーへの大通りを、車一つない車道のど真ん中を、走っていく。


「はあ、はあ、……」


 額の汗を手の甲で拭う。それでも拭いきれなかった分が、顎の方へと伝っていく。まとわりつくような湿気。吸い込む空気にすら暑さを感じる。


「『ナナミ君。……無理は禁物だよ』」

「いえ、ダイジョウブです。師匠せんせい


 それでも、止まれない。段々と大きくなっていく御影タワーを見つめながら、ひたすら走り続けて。数分経ったところで、ようやく、ようやく。


「着い、た……」


 御影タワー、エントランス。かっちりと閉まっている自動ドアを目の前に、両膝に手をついて、肩どころか全身で息をする。


「『あまり立ち止まるのは良くないよ。少し歩き回りながら息を整えるといい』」

「……ですね」


 全身運動をした疲労感が少しだけ波立つ心を静めてくれたようで、師匠せんせいの助言にすんなりと従えた。はあ、と息を吐いて吸えば、足りなかった酸素が補給されて色々な情報が目から入ってくる。

 いつか師匠せんせいを案内したときと同じようにそびえ立っているはずの御影タワー。月は今なお赤く禍々しい色に染まっており、その光に照らされた街のシンボルは、見知ったはずなのにどこか威圧感を感じる。

 その頂上に向かうのであれば、展望台直通のエレベーターは使えない。確か業務用のエレベーターを利用しなければならなかったはずだ。


「業務用の出入り口を探さないと」


 とりあえず、御影タワーの周りを一周してみるしかないか。舗装された観光用の道へと足を向ける。


「『ナナミ君』」

「どうしました、師匠せんせい?」

「『……良い友人を、持ったね』」


 師匠せんせいの言葉に、踏み出していた足が止まる。なんと返したらいいのかわからなくて、口を開けようとするのに言葉が出てこない。

 そんな僕に気が付いたのか、ごめんよ、とイヤーカフから声が響いた。


「『今を逃すと、いつ言えるかわからなかったからね。それだけは、ナナミ君に伝えておきたかったんだ』」

「……ありがとう、ございます」

「『うん。それじゃあ、その業務用入口への入り方を探すとしようか』」


 朗らかに、穏やかに。普段と変わらない師匠せんせいの言い方に、息を吸って、吐いて。

 両頬を両手で叩く。ぱあんと我ながら小気味いい音が鳴って、まあ当然のように痛かった。


「……よし、行きましょう」


 また新しく一歩を踏み出す。全力疾走とはいかないけれど、ジョギングくらいの速さで整備された並木の間、遊歩道を進んでいく。とりあえず、御影タワーの中へと入れなければ話は始まらない。


「『どこから入れそうか、心当たりはあるかい?』」

「いえ。それが一応建物のセキュリティ上、業務用の出入り口については一般に伏せられていて。下調べはしたんですが、情報がないんです」

「『それもそうだね。見るからにわかりやすく通用口があれば話は早いんだけれど、そうもいかないか』」


 御影タワーの周りを半周ぐらいいったところだが、未だ正面入口以外に出入りできそうなところは見当たらない。ちょうど、タワー併設の公園に差し掛かり、がらんとした中でぽつんぽつんと立っている遊具が赤い光を受けてなんとも不気味だ。


「『ふむ、それにしてもなかなか広い公園だね』」

「そうですね。車で家族連れが遊びに来れるよう、地下に駐車場もあるとか書いてありましたね」

「『――ナナミ君、それは本当かい?』」


 真面目な声色に変化する師匠せんせい。何か思うところがあるということだろう。


「はい。確か御影タワーのパンフレットにそう書いてあった気が」

「『そうかい。行ったことは?』」

「ないですね。基本的に徒歩で生活してるので」

「『ふむ。となれば、――地下駐車場に、通用口があるかもしれない』」


 駐車場か。確かに、身近な観光施設のものということも相まって、存在には馴染みがあるものの、実際に訪れることのない縁遠いものだ。それに、地下に業務用のうんぬんかんぬんがあるというのは何となくありえそうな気がする。


「確か、あっちの方にあった気がします」

「『では、向かうとしよう』」


 遊歩道から車道の方に出て走る。どうせ一台も走ってないんだ、問題はないだろう。円状に御影タワーを取り囲む道路、ラウンドアバウトだったっけ。そこには危なくて作れないからと、大通りの方に地下駐車場への入り口が建設されていたはず。


「――あった!! けど……」


 予想通りの場所に地下へと下る車道は見つかったけれど。こんな真夜中に空いているどおりはなく、シャッターが下りて入れないようになっている。


「そりゃそうだよなあ、開けっ放しになってるわけないし……」

「『今のナナミ君の装備じゃ壊すことも難しそうだね』」


 自動で降りるタイプのシャッターなのか、鍵穴のようなものは見当たらない。他の地下駐車場への出入り口を見てもいいけれど、ふと端の方を見てみるとどうやら当たりを引けたらしい。


「一応、管理者用っぽい扉がありますよ」


 夜間通用口にもなる扉の取っ手を引っ張って押し込んでみるが、やっぱり開いている訳はない。


「締まってますけど」

「『扉が存在しているならいいんだよ。魔術師の手にかかれば誰でも管理人だ』」

「……誰でも管理人って言葉、倫理的にどうなんでしょう」

「『そういう感性を持っているところを、好ましく思うよ。さあ開けてしまおう』」


 そう告げる師匠せんせいの声に呼応するように、ふわりと魔力が舞う。次いでかちゃりと聞こえる解錠されたと思われる音。特に下準備のない遠隔で魔術行使ってかなりの高等技術だったと思うんだけれど、最早なにも言うまい。


「『よし、では行ってみようか』」

「はい」


 つうと流れる汗を拭ってから、扉をくぐり地下へと進んでいく。

 地下へと降りていくぐにゃりと曲がった道には、照明一つもついておらず。薄く赤い月明かりがかろうじて、車道に刻まれた白線を照らしている。一番下、まで降りてしまえば、駐車場自体には一部照明が点いており明るさがある。


「『扉が閉まっていたのに、ここだけ照明がついているのは不自然だね』」

「読みが当たっているかもしれませんね」


 車用が出入りする用の券売機のバーをくぐって、奥の方へと進んでいく。


「『うん。ここまで来るとここにない方がおかしい。それに――』」


 そこまで言ったところで、急にバツンと通信が切れたような音が響く。


「……師匠せんせい?」


 もしかして地下に入ったから通信状態が悪いのだろうか。いや、魔道具に通信状態も何もない。けれど一応確認もかねて、扉の方まで戻ってみるか。


師匠せんせい師匠せんせい……??」


 ダメだ、うんともすんとも言わない。これは何かしらのトラブルがあったとみるしかない。師匠せんせいという話し相手がいないのは少し寂しい部分もあるが、もともとは自分が言い出して始めたことだ。

 再度薄暗い通路を抜けて、地下駐車場の奥へと進む。

 点々と灯る昔ながらの蛍光灯。蒸し暑い空気に汗が流れるが、気にしてられない。


「にしても、広いな」


 車が一台も止まっていないからか、余計に広く思える駐車場。壁際の駐車スペースにしか縁石がないことも相まって、これだけだだっ広いと自転車の練習によさそうだ。転んだら痛そうだけれど。

 特徴的な太い柱が整列する中、とにかくまっすぐ進んでいく。どういう構造になっているかわからない以上、歩いてみるしかない。

 きょろきょろと見渡していると、いくつか地上へと繋がる階段口のようなものも見えるが、業務用と思われるものはない。


(駐車場への入り口の位置、地下への道の曲がり具合を考えると……)


 入ってきた位置と思い浮かべる地図の情報を合わせて考えると、御影タワーの真下にあたるのはあの辺りだ。視線を向けたところには丁度、示し合せたみたいにエレベーターがある。

 近づこうと走り出すと、ぱたぱたと静かな駐車場にこだまする足音。

 まるで自分の位置を知らしめているみたいな気分になって、歩きに戻す。何の変哲もないエレベーター。でもその扉の上部ついている階数の表示は、師匠せんせいと一緒に利用した御影タワーの中の表示と異なるものだった。


 そして、おもむろにエレベーター横にある運行状況を知らせる照明が点灯する。これはつまり。


(――誰か、降りてくる!)


 展望台だろうか、真ん中あたりの階数から地下に向けて次々に数が減っていくのが見える。バタバタと音が響くが気にしていられない、ダッシュでその場を離れる。

 どこか隠れられる場所があればいいけど、車一つ止まっていないのが悔やまれる。柱は太いといっても太いだけで、立ったままじゃないと安心して隠れないぐらいの心許なさだ。

 十分に距離のある柱の一本を選んで、エレベーターから見えない位置を選ぶ。ちらりと顔を出して確認すれば、もうすぐ地下にたどり着くところだ。


「……柳はアイツと戦ってるはず」

(それなら、降りてくるのはいったい誰だ?)


 ポーンという無機質な音と、扉が開く音が響く。

 呼吸の音すらこの駐車場では響き渡ってしまいそうで、小さく、長く、音を立てないように深呼吸をした。コツ、コツと足音を響かせながら、誰かが下りてくる気配がして。またエレベーターの扉の閉まる音。


 コツ、コツと響く足音に、バク、バクと心臓の音が重なる。


 数歩進んだところで、どうやら立ち止まったらしい。それきり聞こえなくなる足音。つう、と背筋を冷や汗が伝う感触がする。心音がうるさいくらいに聞こえる。

 ごくりと唾を飲む。力の入れ方がわからなくなった足の代わりに、柱にもたれかかったその時。


「――そこにいるのは、分かっているわ」


 ひゅっと、息を呑んだ。全身が硬直して、指先が震えているのがわかる。


「うっすらとだけれど、影が見えているもの」


 嘘だ、と思う気持ちと、やっぱりと思う気持ちがせめぎあう。それでも聞こえる声は、僕を急かす声は、聴き間違えることなんてないという自負があるくらいに、耳に馴染んだ声だ。



「出ていらっしゃい、七海ちゃん」



 呼びかけに意を決して、身体を奮い立たせて。隠れていた太い柱の影から、エレベーターの正面に続く方へと歩き出す。



「……早苗サナエ、先生」



 薄明りの中。優しくもあたたかな笑みを僕に向けていたのは、早苗先生だった。 

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