第05話 推し量られる理・中

師匠せんせい、僕を最初に会った日の夜のことを覚えていますか?」

「ああ、勿論。覚えているとも」


 八月十三日。僕が魔術をった日、紅い月が昇ったあの夜。

 魔封じの術を少し解いた反動で僕が寝込んで。帰りが遅くなってしまったあの日の帰り道。


「まさか魔物に襲われるとは、思ってもみなかったからね」

「……魔物?」


 日常生活では出てこないだろう単語に、店主が怪訝な顔つきになる。予想通りの反応だ。


「魔物とは、……『あかい月夜の魔物』に?」

「はい。僕らを襲ったのは、その“魔物”だと思われます」


 魔力で構成されたモノ。あれはまさに“魔物”と呼べる代物シロモノだと思う。


「顕現する条件が逸話の内容であるとしたら、あの時の僕と師匠せんせいはその全てを満たしていました」


 神秘を帯びているならば、この顕現は必然ともいえる。

 魔術には、人の認識が大きな役割を為している。


「日の沈んだ夜であること、紅い月が昇っていること、加え子ども――つまり僕が出歩いていること。よって、正しく襲われました」


 詠唱だって、人が決めた詠唱に対して魔術を紐付けることで発動する。神秘を暴くということは、魔力の性質の強さを失うことに等しい。

 逸話、という形で知られているならば、“逸話に則った現象”として存在をするのは必然だ。


「僕が引っ掛かったのは、その時に“魔物”が口走った言葉です。師匠せんせい、覚えてますか?」

「……さて? 彼ら、何か言っていたかな?」


 覚えているのを明け透けに、とぼけ顔された。先程さっきは即答してくれたのに、ちょっとくらい協力してくれたっていいじゃないか。

 じとっと見ていると、店主がしびれを切らしたように。


「……それで、何と言ったんだ?」


 自前のいかつい顔をふんだんに使われて、ごくりと唾を飲んだ。こんなところで委縮してちゃ駄目だ。空気を変えよう、咳払いを一つして。


「『カエレ、カエレ』、と。口口くちぐちに言っていたんです」

「……逸話として、七海君への言葉ならば妥当ではないのか?」

「そうかもしれません。でも、んですよ」


 僕に向かっての言葉ではないと断言できる。じゃあ、誰に向かっての言葉か。あの場に居たのは、僕以外にただ一人ひとり

 視線を向けて、告げる。




「――師匠せんせい。これは、です」




 にこっと笑みを深める師匠せんせい

 目を見開いた後、それでもなお、よく分からないという目付きの店主。


店主オーナー、もう一度考えてみてください。逸話において魔物は、でしたか?」


 ちゃんと考えれば、分かる筈だ。逸話の内容に準ずるものであるという前提の下、あの言葉を“魔物”が口走るのは、逸話と決定的な齟齬そごが生じている。


「魔物は子どもが大好物。……子どもを、食べる、か!」


 そう。魔物は子どもが大好物で食べられてしまうから、子どもは夜に外へ出てはいけない。

 そういった逸話だったはずだ。


「大好物をみすみす逃すような真似はしない、ということか」

「そうです。となると、『カエレ』の意味がひゃく八十はちじゅう変わってきませんか。“家に帰れ”、ではなく――“立ち去れ”という意味合いになりませんか?」


 完全に逸話によって形作られた存在であるならば、僕達を襲ったあの状況下において『カエレ』と声を掛けるのは

 人々の認識にそぐわない挙動を取るならば、それ相応の要因ファクターが必要なはずだ。


「ここから、僕は逸話というのはただのカムフラージュで、別の目的があるのではないかと考えました」


 逸話に準ずる出現する条件が揃ったから魔物が現れたんじゃない。もっと他の、彼らが役割とする条件に師匠せんせいが合致していたから現れたんじゃないか。

 この考えに至り、そして確信を持っていられるのは、ひとえにあの手記の存在があったからだ。


「それが裏付けられたのが、図書館で見つけたの内容です」

「おや? それは……私と図書館に行った時にかな?」


 自発的に口を開いた師匠せんせいが、珍しく驚いたような表情をしていた。


「はい、そうですよ」

「えー……、初耳だよ私」


 まさか。自身に嘘とはまではいかないけど、隠し事をするなんて。って考えてるんだろうな。多分。

 幼少期から大人に騙され操られ謀られた僕は、そこまで素直にはなれない。怪しいと思ったら即、脳内会議の議題になる。ダウトだダウト。


「そりゃ、言ってないですからね」

「ふうむ、そうか」

「まあ、……師匠せんせいは七割くらいの信頼度なので」

「三割も信用されていなかったのかな!? ちょっとショックだよ……」

「話、戻しますね?」

「我が弟子、冷たい……」


 師匠せんせいと遊んでいたら、推理が終わる前に日が暮れてしまいそうだ。此処はひとつ、やっぱり黙っていてもらおう。

 店長は、複雑そうな顔をして僕を見ていた。自身が斡旋あっせんもどきをした先と、僕がこんなやり取りをしているとなるとまあ、その表情にはなってしまうかもしれない。

 大丈夫ですよ、という事で笑い返しておく。


「さて、その手記について。内容は、“御影市に迷い込んだ人による、御影市に対する観察記”のようなものでした」


 八月十四日。御影市立図書館にて見つけた謎の手記。


「便宜上、筆者をと呼称するとして――の視点から見たこの街はどうにも奇異で、考えさせられるものがあったようです」


 自分とは違った視点からの観察は、この街の中で育ち、この街の中でしか過ごしたことのない僕にとっては貴重な情報だった。


「逸話についての観察や考察を繰り返していたと思われる手記のその中では、“御影市に迷い込んだ者の為の道”、という意味合いの記述がありました」


 なんだと思いますか。そう言いながら、店主に視線を投げる。

 視線を床に落として、考えるように沈黙をして一分いっぷんぐらい。

 ハッと気が付いたように僕に視線を戻して。


「まさか、……『扉』か?」

「僕も、同じ結論に辿り着きました」


 頷きながら、そう返す。『イツツ杜の扉』――これが、手記に述べられている道ではないか、と。


「はっきりとした確証はありません。が、扉、というものは内部と外部を遮断する、という機能を持っています。逆に言えば、御影市のを繋げることもできるのではないでしょうか」


 遮断できるということは、取り外せば繋げられるということ。手記の言う通りであるとするならば、あれは、この街からの脱出口ではないのだろうか。


「言うなれば、来訪者の排出口ということかな」


 師匠せんせいの言葉に、ただ頷いた。

 『イツツ杜の扉』は、御影市への来訪者の為の出口であるとすると、『紅い月夜の魔物』は何であるのか。


「これを踏まえて、もう一度いちど『紅い月夜の魔物』に立ち戻りましょう。……幼い頃から、何度か紅い月を目にしてきました。空に浮かぶ禍々しい月」


 窓ガラス越しに見ていた月。真っ赤なあの色の月を見る度に、心がざわついて仕方がなかった。小さい時は、怖くて絢香アヤカと一緒に寝ていたっけ。


「それは、ことでしょう」

「……どういう意味だ、教えてくれ」


 店主が先を急かすように言う。ホームズならきっとココで勿体ぶるんだろうけれど、あいにく僕はワトソンにもホームズにもなれないので。


「紅い月は、来訪者が存在するという御影市のどこからでも見える言うなれば。魔物は、来訪者という異物を排出する為の……、御影という都市のだと考えました」


 彼らは、逸話にあるように僕を食べる為に襲ったのではなく、御影市の外からやって来た師匠せんせいを、追い出す為に襲ってきたのではないか。


「紅い月が続けて昇る日もあれば、二ヶ月、三ヶ月とご無沙汰なときもあった。これは、来訪者がだ留まっているときや、全く来ていなかったときと考えられます」


 人間が、細菌やウイルスをくしゃみで体外に排出するように、都市自体が御影の外の存在を拒絶する機構。

 それが、この街の逸話だと僕は推理する。


一理いちりある、な」


 店主のバリトンが重苦しく響いた。カラン、と音を立てて、師匠せんせいは麦茶のグラスを傾けると。


「では、ナナミ君。『終焉の鐘』については、どう説明をつけるのかな?」


 まるで、ではなく、多分本気で僕を試しているんだろう。僕も僕で少し喉を潤しつつ、順を追って続きへと進めよう。


「……『終焉の鐘』について進める前に、先程の手記の状態を話しておきましょう」

「図書館にあったものの、か?」


 何故、このタイミングで。疑問に満ち溢れた声色で、いつもより二割増しで眼つきの悪い顔で聞き返される。

 だけど、あれからは重要な事柄が推測される、されている。


「はい。その手記ですが――」




「――数カ所にわたってページが破かれた後があり、曖昧な表現かつ断片的な情報しか書かれていませんでした」




 御影市に迷い込んだ、誰かの手記。読んだ当初は情報量が全く以て足りないと思ったけど、今となっては充分すぎるほどだったと感じられた。


「破られた、となると……、作為的な妨害であると考えられるな」

「はい。文章も途切れ途切れになっていたので、何者かの検閲によって破られたと考えるのが妥当であると思います。しかし、いささか疑問も残ります」


 逆に、その妨害工作が行われたんだろう。


「何故、冊子ごと処理しなかったのでしょうか。本当に知られたくないのであれば、ほん一冊いっさつ丸ごと、廃棄するなり燃やすなりすればいい」


 そう、手間がかかっている、かかり過ぎている。

 単純に情報を渡したくない、妨害工作をしたいのであれば、丸ごとにしてしまえばいいものを。わざわざ中身に眼を通し、情報を選別し、図書館のあの場所に置いた。


 カウンターのグラスを手に取る。


「つまりどういうことかな、ナナミ君」


 師匠せんせいがグラスを置くと同時に、視線を寄越す。麦茶を一口ひとくち、飲んでから僕は答える。


「……端的たんてきにいえば、謎を解きたい側、謎を解かれたくない側の他に――」






「――が居る、ということです」

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