さようなら。私の恋心。

シイカ

さようなら。私の恋心。

  こんな形で再会するなら会いたくなかった。

 いつも通りの仕事。いつも通りの場所に行っただけ。

違うのは……彼女がいたこと。

 川島真帆かわしままほ。私の初恋の人。忘れられなかった人。

 短めで茶色く染めた髪の私とは対象的にロングストレートの黒髪。

 平均身長の私に比べて背が低い。 

 歩いてきた私に気づいたらしく、真帆も真帆で驚いた様子だ。

「ひょっとして、渚なの? え、でも聞いてた名前と……」

 私の本名は片岡渚かたおかなぎさ。仕事で名乗っているのはイサミ。ようは源氏名だ。

全く違う名前だから無理もない。

「……そっちだって、その、苗字違う……じゃん」

 私が聞いていた名前は『泉 真帆』。

 そう。真帆は珍しい名前でもないし、そういう名前の客を相手にしたことがある。

 今回も警戒はしなかった。ただ、それだけ。 

 私は小さく深呼吸をしていつも通りの段取りに入った。

「それじゃあ、料金の方をお願いします」

 真帆は目を丸くして、一瞬、何を言われたかわかっていない様子だったが、すぐに把握したらしい。

「お金……取るんだ……」

「それはそうだよ。お金を払って、二時間だけ女の子と恋人になる遊びなんだから」

 私はさらにいじわるっぽく言い放った。

「キャンセルすることも可能ですが、いかがなさいます?」

 そうなると私の今日の給料は無しになる。そっちの方がマシだ。

 真帆の方もキャンセルするだろうと信じていた。でも、その期待は裏切られた。また、彼女は裏切った。

「ううん。キャンセルはしない」

「…………。それじゃあ、行きましょうか」

 私は指定されたホテルに案内するため歩き出した。見慣れた光景だとはいえ、今は眩しく光るネオンが憎らしく思える。

「あの、渚……」

「イサミです」

 真帆は何か言いたげな顔をしていたがホテルに着くまでお互いに口を開かなかった。

 フロントで会計を済ませ、部屋に入り、荷物を置き、手を洗い、ソファに座り、そして誰に閉じられたでもない口をお互い解放させた。

「なんで渚なの?」

「どうして真帆なワケ?」

 そもそも、真帆は、普通に男と付き合っていたはず。

それもあって必要以上に警戒なんかしなかった。それなのに。 

「真帆、いつから『女』になったの」

「アタシはもともと女よ」

「違う。恋愛対象の話」 

 女の子が女の子にサービスする仕事に就いてだいぶ慣れてきたし、恋愛対象女性とか関係無しに来る人がいるのは充分にわかっていることだ。

 だが、相手が知り合い。ましてや、私を振った女だ。聞きたくもなる。

 真帆は顔を赤らめ、唇を尖らせて、言った。

「そういのじゃなくって、その興味があって。彼氏とも最近、別れたし……」

 別れた? 私より男を選んでおいて別れたですか!? ……胸中に一瞬思ってムッとしたが、それとは言わず、あくまで冷静に、冷徹に、営業スマイルで。

「ふーん。やれやれ、所詮、高校時代延長の恋愛なんてその程度よのう」

 これでは冷徹というより、単なる嫌なやつだな。ふん。でも、これで、凹めばいいさ。

「高校? なぎ……いや、イサミ、いつの話してんの? そんなのとっくに別れてるよ。今言ったのは……って、どうしたの?」

 凹んだのは私の方だった。とっくに? 五年前よ? 私がピュア過ぎるの? 純愛脳なの? じゃあ、真帆は何人と付き合ったの?

 このままでは私のメンタルが持たないと思い、話題を方向転換することにした。

「ややこしいから渚で良いよ。ところで、苗字……は訊かない方がいっか」

 苗字と言った瞬間に真帆の表情が雨でも降り出さんばかりに曇り出したので、即座にやめることにした。さすがに……ね。

 私はため息を一回つき、時間が過ぎる前に服を脱ぎ始めた。

 真帆は私が脱ぎだした理由が思いつかなかったようだ。

「な、なんで脱ぐの!?」

「そのために来たんでしょ。シャワー。先に浴びてるよ」

 私は作業をするようにシャワーを浴びた。

 ありとあらゆる感情で胸が張り裂けそうだった。恋に幻想を抱く年齢でもないし、しないようにしてきたはずだった。  

 私の肌から目を離すように、真帆も入れ違いに入っていった。

「シャワー出にくいよ」

 そう、ひとこと彼女の背中に言ってあげた。

「うん」

 と、かろうじて聞き取れた。

 お互いに緊張してるのが空気でわかる。

「いつの話してんの……か」

 バスローブをまとってソファに深く沈み込みながら呟いてみた。

 私の中で真帆は五年前で止まっていた。現実の真帆は五年の時を過ごしていた。  

 きっと、彼女の中でも五年前の渚で止まっているのだろう。

 寂しい反面、それで良い気もする。

 五年の間にお互い知られたくないこともあるというのは私がしている仕事や真帆の苗字の時点でよくわかる。

 私はバスルームから出てきた真帆にバスタオルとバスローブを手渡し、今度はベッドに腰かけた。

 このまま、服を着て帰る選択だって真帆にはある。 

 彼女はその素振りを見せることもなく、隣に腰かけて、頭を私の肩に乗せてきた。

 それは寄り添い合う恋人同士のようだ。


…………ずっと、こうしたかった。


「興味本位で来たら、渚がいるなんて思わなかった」

「私も」

「でも、本当は嬉しかった。女の子とはいえ、少し不安だったし、渚で良かったって思ってる。久しぶりに会えたし」

「それはどうも」

「渚。今でも私のこと好き?」

「…………」

 私は何も言わずうつむいた。口に出したくなかった。

 私の手の上に真帆の小さな手が重なる。 

 真帆は私の気持ちを知っている。   

「いいの?」 

 私は思わず訊いてしまった。不安だったから。

「いいよ」

 五年前の彼女がそこにいた。

 あの時も真帆は私の気持ちを知っていた。

 でも、他の男と付き合った。そして、別れたことを聞かされた。

 優しく頬を触り、どちらからともなく静かに唇を合わせた。

 バスローブ越しに感じる彼女の体温。

 長いようで一瞬だった五年。

 明かりを消しながら、真帆をゆっくり押し倒す。

 真帆の身体が少しこわばっているのがわかる。

「アタシ、女同士のやり方わからないから……お願い」

「真帆は何もしなくて大丈夫だから」

 ふたりの再会を表現するかのように。

 時間の隙間を埋めるかのように、深い口付けを交わす。

 何人もの相手としてきたはずなのに、まるで初めてしたかのように身体が熱い。

「女の子って柔らかいんだね」

 私の下で真帆がひとり言のように呟いた。

 バスローブに手を入れ、彼女の胸の頂を触れたとき、彼女はビクッと身体を震わせた。

「渚……上手いね」

 一瞬、手が止まりそうになった。誰と比べて上手いのだろう。私は誰と比較されているのだろう。 

 そんなことを考えそうになるのを振り払うかのように、バスローブを脱がせた。

 薄暗く見える一糸まとわぬ彼女の身体が愛おしいと思う反面、憎らしいと思えた。 

 ああ。……どうしてこんなに綺麗なんだ。

 白くて細くて、女の私が抱いても折れそうな錯覚を引き起こす。

 女だから彼女に触れられなかった。女だから触れられた。

「渚だけ着てるのズルいよ」

 気が付くと真帆は状態を起こし、私のバスローブを脱がせていた。

「ごめん」 

 私の背中に手が回され、真帆は耳元で囁いた。

「ねえ。続き……して」 

 私は無言で頷き、誰にも渡さないとばかりに彼女を抱きしめた。

 肌と肌が直接触れ合う。くすぐったくも心地いい感触。

 今、このときだけは、私のことだけを考えていて欲しい。

「ああ。真帆……」

 好きだ。大好きだ。心の中で何度も叫んだ。

 真帆の唇からも愛おしげな吐息と声が洩れる。

 さっきまでの緊張がお互い興奮に変わっていた。

 太腿を撫でるだけで。首筋にキスするだけで。

 声を出さないようにするためか真帆は唇をきつく結んでいる。その様子が私の気持ちをさらに高ぶらせた。

「真帆……かわいい」

 私は真帆の身体の扉を開けた。

「っ……!」

 私の腕の中で快楽に震えている。真帆の結ばれた唇から嬌声が溢れ出す。

 甘い声が私の耳も心もくすぐる。

「もっと……もっと声を聴かせて」 

 私は結ばれた唇を開くように指先でなぞる。

 それでも彼女は声を出さないとばかりに唇を噛む。

 そのしぐさに思わず顔がほころんでしまった。

 ああ。真帆の扉をもっと開きたい。

「あっ……はぁ……ッ!」

 ずっと彼女を乱したいと思っていた。乱れる彼女が見たかった。乱れる姿を何度も想像しながら過ごした夜だって数えきれない。真帆。真帆。私の舌は開いた真帆の花弁をすっかり潤して、自身のそれも真帆と触れ合うことを欲して、私の心に命じる。

 ……さあ、ひとつになるのよ。   

 しっとりと濡れそぼったふたり花弁を合わせようした、そのとき、枕元のパネル時計が終わりを知らせる無粋な電子音楽を奏でた。

 私は思わず舌打ちをしたくなった。『カノン』だっけ? この曲。お上品な旋律が弾けかけていた愛情の激流を堰き止めてしまった。あと少しで全身の神経を甘い蜜を湛えた泉に放り込めたのに……!

 一瞬、自分の指で花弁の奥を激しく擦りたい衝動にかられたけれど、これは仕事なのだから、タイミングの悪さは我慢するしかない。今までだって、好きでもないタイプの女が相手でも、こういうことは何度かあった。

「まだイッてないでしょ? ……時間、延長する?」

 私は固唾を飲み込んでから真帆に訊いた。

 すると、少しだけ寂しげな声が答えた。

「……ううん。大丈夫。シャワー浴びよう。一緒に」

 私は実際、大丈夫ではないのだけれど、今の真帆はお客様だ。お客様が「いい」と言っている以上、私の都合で延長料金を要求するわけにもいかない。

 またか。またこうなるのか。

「いや、延長しよう。十分だけ」

「え?」

「お金は私が出す。本当は立場としていけないんだけど、お金に色も形もないからオフィスには真帆が払ったことにすればいい。そのかわり、あと十分は恋人同士だよ」 

 返事の代わりに真帆は私に抱き着いてきた。

 お互いの舌が甘い音を立てて、絡み合う。私の背中に回った真帆の細い腕が苦しいくらいに私の身体を締め付けるのがどうしようもなく心地いい。 

 そして十分は瞬く間に過ぎて、唇を離した真帆は震えるような声で、私の目を見ながらこう囁いた。

「渚、大好き。今まで付き合った誰よりも」

「それ、五年前に聞きたかったな…………」

 笑顔の真帆とは対象的に私は苦笑していたけれど、目尻からこぼれた涙は、本当の涙だった。真帆は頬に流れたその涙を舌先で拭ってくれた。   


 

 ――真帆……好き。親友としてじゃなくて。キスしたいし、抱きたいとも思ってる。

 ――うん。知ってる。渚、わかりやすいもん。でも、付き合えないんだ。アタシ、レズじゃないし。それに、彼氏……もういるし。三組の…………。    


 夜が過ぎて、目を覚ましたとき、私は裸で家のベッドで寝ていた。

手を伸ばして、隣を確認したけど真帆がいるはずもなかった。

 真帆は今、誰といるのだろうと天井を見上げながら考えた。

 考えただけでそれ以上は何も想像しなかったし、できなかった。

 安物のシガレットケースからメンソール煙草を一本引き抜くと乾いた唇にくわえ、百円ライターで火をつけた。

 カーテンの隙間から入る朝の光が紫の煙をユラユラと照らすのが、なんとなく、むなしく見えた。

 私は彼女に対して何も感じなくなっていたことに気付く。

 喪失感とも違う、いなくても会えなくても平気な存在。

 真帆に対する思いが過去に変わっていた。

 このまま記憶になり、知識になり、そして忘れるのだろう。

 大人の女になるってつまらないことだ。後悔もできない。

 それでも、あのとき、あの瞬間、ふたりは恋に落ちていた。

 夢中になって愛し合っていた。幸せだった。

 私は心の中でそっと呟いてみた。



 さようなら。私の恋心。


         

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