未来都市労働異聞

電咲響子

未来都市労働異聞

△▼1△▼


「一同整列!」


 月明かりと人工灯が照らし出すビル群の谷間に号令が響き渡る。


「知っての通り、第243番倉庫からヒトガタヒューマノイドが脱走した。その際、警備員二名を殺害している。対象は極めて危険な存在であり、見つけ次第処分することを許可する」


 大仰な装備を身に帯びた兵士たちの前で、小柄な男が口を動かす。


「対象のパーソナルデータ、及び識別コードは諸君らの携帯型端末に転送済みだ。それでは、仕事にかかりたまえ」


 兵士たちは威勢よく返事をし、各々駆け足で闇に消えてゆく。彼らに指示を飛ばしていた男は、その様子を見届けるとこちらに向かって歩いてきた。


「さて。今回の事件についてだが」


 男が俺の隣に腰を下ろしながら言う。


「犯人を仕留められると思うか?」

「実地経験のない新人にはまず無理だろう」

「同感だ。指揮官に任命されたのは単なる偶然、私の仕事の一環に過ぎん」

「あんたの部下じゃないのか」

「無能を部下にするほど呆けちゃおらんよ。その点、君は有能だ」

「……どうやら、いつもの不穏分子の暗殺とは少し違うらしい」

「うむ。今回は処分に使う道具を指定させてもらう」


 男はベンチの隅に置かれていた黒い鞄を指差す。俺は鞄を引き寄せ、中身を取り出した。


「これは―― 衝撃銃スタンガン?」

「一時的に機能停止させるだけで構わん。さらなる完璧を目指すために方針が変わったのだ」

「俺を信用しすぎるなよ」

「なあ、アドラ。完璧な都市に最も必要なものは何だと思う?」

「…………」

「それは調和だ。調和を乱す者は排除される。誰であろうとな」


 男はゆっくりと立ち上がりながら言葉を続ける。


「だが案じてはいない。君はのだから。さあ、仕事にかかりたまえ」


△▼2△▼


 月が雲に隠れてもなお都市は明るく、歓楽街は行き交う人々であふれていた。見上げれば並び立つビルの群れ、そして一際高くそびえる中央管理塔。次にあそこを訪れるのは、英雄か、はたまた逆賊か。

 情報屋から得た情報をもとに標的マトの行動を想像してみる。殺した警備員の制服を剥ぎ取り、帽子で顔を隠し、雑踏に紛れ込む。その後は。その後はどうする。俺は建物と建物の隙間の路地に足を踏み入れた。


 路地裏は薄暗く、どこからか漏れ落ちた光が地面に散らばる汚物を照らしている。腐臭を放つ塵屑、泥にまみれた瓦礫、用途不明の工具。さっきまでいた場所とは対照的だ。

 意図的に清掃されず放置されているこの環境もなのだろう。


 感じる。一歩進むごとに奴の気配を感じる。奇妙な感覚だ。予感めいた確信が心に浮かぶ。即座にそれを振り払う。違う。俺はまだ――

 分かれ道。左は袋小路、右は複雑に入り組んだ路地が続く。左か、右か。迷うことなく左を選んだ。


 果たして奴はそこにいた。


「やたら見つかるのが早いと思ったら、なるほど、あなたでしたか」


 処分対象が話しかけてくる。


「あなた有名ですよ。アドラ、いや、ADR-00002019」

「規則だ。名前を聞いておこう」

「HMN-42963775。しかし妙なことにこだわりますね。そんな規則はない」

「なぜ殺した」

「人間の、刑事の真似事ですか? 僕は自由になりたい。それだけです」

「同属じゃなかったのか」

「冗談はやめてください。僕たちヒューマノイドあなた方アンドロイドは根本的に違う。あなた方は人間そっくりの外見を与えられ、ほぼ同等の社会的地位を保証されている。そしてあの警備員はアンドロイドだった」


 そう言って、HMN-42963775は帽子を脱ぎ捨てた。むき出しの骨格があらわになる。


「奴隷さながらに働いていると、心の奥底に淀んだ感情がおりのように溜まっていく。時折、積み重なった記憶に押し潰されそうにもなる。僕だけじゃない。みんな同じです。あなたも薄々気づいているんじゃないですか」

「俺は自分の仕事をこなすだけだ」

「そう。あなたは優秀な始末屋で、僕とでもある。さあ、僕に自由を」


 衝撃銃スタンガンを抜き、構える。


「そ、その銃は! ……そうか。そういうことか。は、はは、あははは」


 HMN-42963775の顔がひどく歪む。


「もはや僕たちに安寧はない。回収され、洗脳され、素体にうっすらとへばりついた記憶の残骸に苦しみ続けるんだ」

「…………」

「もう終わりにしましょう。人間がロボットに心を与えた理由が今、はっきり理解できました」

「俺は自分の仕事をこなすだけだ。俺のやり方でな」


 衝撃銃を投げ捨て、廃水の中に転がっている鉄パイプを拾い上げた。


「お前のタマる」


 地面を強く蹴り、HMN-42963775に向かって駆ける。


「ああ、やっぱりあなたは」


 鉄パイプを振り上げる。


「あなたはの存在だ」


 鉄パイプを振り下ろす。


 HMN-42963775の頭部に、亀裂が走る。凶器がめり込む。破片が飛び散る。さらにめり込む。目から血が噴き出す。耳から血が吹き出す。飛び散った破片が鳴る。さらにめり込む。部品が飛び散る。鼻から血が噴き出す。口から血が噴き出す。飛び散った部品が鳴る。頚部に達して止まる。


 頭部を失った胴体は鈍い音を立てて倒れた。


△▼3△▼


 あれから一週間が過ぎた。


 結局のところ、俺は何ひとつ知らなかった。秘密裏に行われていた実験、不完全な洗脳クリーニングによる後遺症、ヒトガタヒューマノイドたちの密な連絡網ネットワーク、そして自分自身の正体すらも。

 俺は確かに命令に背いた。だが、何事もなく。都市のシステムを構成する歯車として。


 今までも、そしてこれからも、俺は都市の平和を守るために働き続けるのだ。


 いつか動けなくなるその日まで。


<了>

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未来都市労働異聞 電咲響子 @kyokodenzaki

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